皆様 今晩は
何を書いて いいかわからん状態なんですが
一杯 一杯 心配かけて 励まして下さった
沢山の皆様にちゃんとね 報告せなね
今 パソコン前
頭の中で 書くことを
まったく組み立ててへんって
言うのが
これまたわたしらしいんですが・・・
何を書いて いいかわからん状態なんですが
一杯 一杯 心配かけて 励まして下さった
沢山の皆様にちゃんとね 報告せなね
今 パソコン前
頭の中で 書くことを
まったく組み立ててへんって
言うのが
これまたわたしらしいんですが・・・
通夜
告別式
初七日と
終えて
奈良に帰ってきました
お花一杯で送ってあげたい
わたしたち遺族の希望を
叶えて下さった
明るい 素敵な祭壇
遺影の近くには
カサブランカ チューリップ 胡蝶蘭
等々
ばあばが大好きだった
お花が一杯
ばあばの親交の深かった沢山の方
奈良からも沢山 参列して下さいました
皆様に母の顔を見て頂いて
お母さん 綺麗やわ
娘のわたしが言うのも なんなんですが
辛い闘病生活を感じさせない
綺麗な臨終の相でした
さいたまから ばあばも大好きだった ゆうちゃんも
そして 大好きな わたしの大切な 友人も沢山
参列してくださいました
ばあばの事 会った事もない皆からも
参列させてください との想いも
本当に嬉しかったです
ありがとう
みんな
お通夜の時は なんとか 耐えて まだ笑顔で
参列の皆様に御挨拶できましたが
やっぱり告別式は・・・・
今まで ばあばの元に届けられた
千羽鶴ちゃん 等々 お棺に納めさせて
頂きました
送って下さった 皆様 本当にありがとうございました
通夜 告別式と
ずっと 沈痛な面持ちだった 父
火葬場に到着し
火葬炉の中に
入っていく 棺に向かって
普段寡黙な父が
沢山の方が見守る前で
母の名前を叫び
手を振り
○ ○ ○ ありがとう ありがとうな
今 こうして 綴っていても
あきません・・・ 泣けてきます
父から母への
愛あふれる ココロからのメッセージでした
この半年 わたしとかーちゃんは
両親の姿を通して
夫婦とはこうあってほしい
素晴らしい夫婦愛を 感じる事が出来ました
おとうはん 男前すぎるな
と パパ
確かにね 照れ屋な父が あの場面での
叫びは カッコよすぎたよ じいじ
見守って下さってた 皆様の涙を誘ったのは言うまでもなくです
ブログにも 書きましたが
ばあばには 余命の話はしませんでした
骨髄異形成症候群 という病気に9月半ば 発病
お医者様からこの病名をお聞きした時は
まったく 訳がわからず
でも ネットで 検索して調べていくうちに
大変に難しい大変な病気だと知りました
余命も 半年〜1年と告げられ
この病気の厄介な点が
抗がん剤が効きにくいという点
その後
急性骨髄性白血病に 移行して
・・・・・・・
抗がん剤治療も頑張りました
無菌室も耐え忍びました
いつも 高熱に悩まされ
入院中も 毎日 辛い日々だったと思います
唯一 元気だった 年末年始
本当に 楽しそうでした
母は ずっと希望を持ち続け
わたしたち 家族や 病院のスタッフさん達すべてに
感謝の気持ちを忘れず
最後の最後まで
ありがとう
のココロを忘れない人でした
家族皆がベッドの周りを取り囲み 手や足 身体にふれながら
眠るように息を引き取りました
生前 はっきり 言葉を口にしてくれたのは
わたしの本名
名前を呼んでくれたのが最後
その後 話をしてくれてましたが
もう 聞きとる事ができなくなって
寂しかったです
モルヒネの点滴がはじまった時も
もう 頷いてくれる事もできなくなると・・・・
病室で号泣しました
今 この半年間を振り返っても
書ききれないほどです
一体 どれだけの方に激励してもらっただろうか・・・・
妹 かーちゃんとも 話てたんですが
喜びの時より 悲しみの時に・・・・
の想いが わたしはさらに 強くなりました
関わりにくい どう声をかけていいか
わからん わたしに いつも いつも
皆様からの エール
忘れません・・・
生涯
感謝の想いがさらに
強くなりました
これも ばあばに教えらもらった事・・・
今日は ゆうちゃんと
ばあばを偲ぶ会
ふたりで 奈良で開催してきました
剛桜
ソメイヨシノ
ゆかりさん ベストショットでしょ・・・
剛くんにも 沢山感謝
病気がわかって
たくさん落ち込んでる時に
不思議と らぶふぁの更新が 続いてたり
嬉しいお知らせが いつも
暗く 沈む わたしのココロを
楽しみで照らしてくれました
やっぱ 読みましても
まとまりのない
この必殺の文章力で・・・
スミマセン
大切な皆々様
本当に
ありがとうございました
剛くんの 飛鳥 石舞台 のライヴ
詳細が少し出たようですね
元気になるまでは
少し 時間がかかりますが
飲んでまーすエントリー
また書きたいな・・・
拍手コメントいつも ありがとう
ツイッター つぶやいてます
長くなりました
ゴメンね
告別式
初七日と
終えて
奈良に帰ってきました
お花一杯で送ってあげたい
わたしたち遺族の希望を
叶えて下さった
明るい 素敵な祭壇
遺影の近くには
カサブランカ チューリップ 胡蝶蘭
等々
ばあばが大好きだった
お花が一杯
ばあばの親交の深かった沢山の方
奈良からも沢山 参列して下さいました
皆様に母の顔を見て頂いて
お母さん 綺麗やわ
娘のわたしが言うのも なんなんですが
辛い闘病生活を感じさせない
綺麗な臨終の相でした
さいたまから ばあばも大好きだった ゆうちゃんも
そして 大好きな わたしの大切な 友人も沢山
参列してくださいました
ばあばの事 会った事もない皆からも
参列させてください との想いも
本当に嬉しかったです
ありがとう
みんな
お通夜の時は なんとか 耐えて まだ笑顔で
参列の皆様に御挨拶できましたが
やっぱり告別式は・・・・
今まで ばあばの元に届けられた
千羽鶴ちゃん 等々 お棺に納めさせて
頂きました
送って下さった 皆様 本当にありがとうございました
通夜 告別式と
ずっと 沈痛な面持ちだった 父
火葬場に到着し
火葬炉の中に
入っていく 棺に向かって
普段寡黙な父が
沢山の方が見守る前で
母の名前を叫び
手を振り
○ ○ ○ ありがとう ありがとうな
今 こうして 綴っていても
あきません・・・ 泣けてきます
父から母への
愛あふれる ココロからのメッセージでした
この半年 わたしとかーちゃんは
両親の姿を通して
夫婦とはこうあってほしい
素晴らしい夫婦愛を 感じる事が出来ました
おとうはん 男前すぎるな
と パパ
確かにね 照れ屋な父が あの場面での
叫びは カッコよすぎたよ じいじ
見守って下さってた 皆様の涙を誘ったのは言うまでもなくです
ブログにも 書きましたが
ばあばには 余命の話はしませんでした
骨髄異形成症候群 という病気に9月半ば 発病
お医者様からこの病名をお聞きした時は
まったく 訳がわからず
でも ネットで 検索して調べていくうちに
大変に難しい大変な病気だと知りました
余命も 半年〜1年と告げられ
この病気の厄介な点が
抗がん剤が効きにくいという点
その後
急性骨髄性白血病に 移行して
・・・・・・・
抗がん剤治療も頑張りました
無菌室も耐え忍びました
いつも 高熱に悩まされ
入院中も 毎日 辛い日々だったと思います
唯一 元気だった 年末年始
本当に 楽しそうでした
母は ずっと希望を持ち続け
わたしたち 家族や 病院のスタッフさん達すべてに
感謝の気持ちを忘れず
最後の最後まで
ありがとう
のココロを忘れない人でした
家族皆がベッドの周りを取り囲み 手や足 身体にふれながら
眠るように息を引き取りました
生前 はっきり 言葉を口にしてくれたのは
わたしの本名
名前を呼んでくれたのが最後
その後 話をしてくれてましたが
もう 聞きとる事ができなくなって
寂しかったです
モルヒネの点滴がはじまった時も
もう 頷いてくれる事もできなくなると・・・・
病室で号泣しました
今 この半年間を振り返っても
書ききれないほどです
一体 どれだけの方に激励してもらっただろうか・・・・
妹 かーちゃんとも 話てたんですが
喜びの時より 悲しみの時に・・・・
の想いが わたしはさらに 強くなりました
関わりにくい どう声をかけていいか
わからん わたしに いつも いつも
皆様からの エール
忘れません・・・
生涯
感謝の想いがさらに
強くなりました
これも ばあばに教えらもらった事・・・
今日は ゆうちゃんと
ばあばを偲ぶ会
ふたりで 奈良で開催してきました
剛桜
ソメイヨシノ
ゆかりさん ベストショットでしょ・・・
剛くんにも 沢山感謝
病気がわかって
たくさん落ち込んでる時に
不思議と らぶふぁの更新が 続いてたり
嬉しいお知らせが いつも
暗く 沈む わたしのココロを
楽しみで照らしてくれました
やっぱ 読みましても
まとまりのない
この必殺の文章力で・・・
スミマセン
大切な皆々様
本当に
ありがとうございました
剛くんの 飛鳥 石舞台 のライヴ
詳細が少し出たようですね
元気になるまでは
少し 時間がかかりますが
飲んでまーすエントリー
また書きたいな・・・
拍手コメントいつも ありがとう
ツイッター つぶやいてます
長くなりました
ゴメンね
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- ばあばの事 |
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