ウエディングドレス 

July 20 [Mon], 2009, 22:10



たしかにそのドレスは、とても可愛い。可愛いだけでなくて、上品で綺麗だ。
「でもね、これはおかしいと思うの。どう考えたって」
 そう抗議した葵のことばを、黒川はさらりと無視した。
「ねえ」
 はやくも店員にカードを提示しようとしている。葵は慌てた。
「ちょっと!」
 店員が、遠慮がちに葵と黒川とを交互に見た。明らかに困惑していた。
「ちょっと、黒川さん!」
「何、うるさいな」
「何って、だからおかしいと思うの! どう考えたって!」
 と、葵はさっきとおなじことばを繰りかえした。
「何がおかしいの」
「いいから! あの、すみません、もうちょっといろいろ吟味してから決めます!」
 言いながら葵は黒川の腕をつかみ、歩きはじめた。困惑顔の店員が、どうしていいのか分からないながらも一礼をして見送っている。
「ああ、何だ。ドレスが気に入らないの?」
 愉しそうにすっとこっちに流してくる視線が、色っぽい。
「違う!」
「何を怒ってんの」
 そこで葵は、つかんでいた黒川の腕を離した。彼にはスーツがよく似合う。グレーのカッターシャツが、彼の魅力をさらに増しているようだ。
「いつ、誰が、黒川さんと結婚するって言ったの!?」
 抑えているつもりだけれど、ついつい声高になってしまう。
「昨夜、おまえが」
「言ってないってば! 嘘ばっかり言わないでよ!」
「言ったろ? “どうにかして、お母さんを助けたい”って、おまえ。昨夜」
「……それをどう解釈したら“あたしが黒川さんと結婚する”ってなるのよ」
 肩をすくめながら、黒川は葵を助手席に乗せた。こうやってさらりとエスコートされるのは、けっして嫌な気分ではない。それは認める、認めるけれど。
「だから取引だって言ったろ。おまえと俺が結婚する――そうすればおまえは絶対に経済的に困窮しないし、俺は妙な相手と見合いする必要がなくなる。俺のことを好きなふりさえしていてくれれば、おまえの行動に制限はかからない。いい話じゃないか」
「そんな、お金目当てみたいな言いかた……」
 ハンドルを操る手つきが、流麗で美しい。黒川という男には、何をするにも気品が溢れている。
「わかってるよ、おまえが金目当てなんかじゃないことは。でも必要だろ?」
「…………」
 母にかかるであろう莫大な治療費のことを考えると、たしかに葵は沈黙せざるを得ない。ふと黒川の双眸が優しくなった。
「恋人だって、いないんだろ? 試してみる価値はあるよ、この結婚。おまえに好きな男でも出来たら、そのときは別れればいいじゃない」
 どうやら黒川の運転する車は、彼のマンションに向かっているようだった。
「じゃあ、こうしようか?」
 思わず黙りこくってしまった葵を見て、黒川はことばをつづけた。
「とりあえず一か月、試そう。俺のマンションで、一緒に暮らすんだ」
「は!?」
 声が裏返る。黒川が、小さく笑った。

招ばひの大鴉 

July 19 [Sun], 2009, 10:53




 ――ようやっとおいでなすったか。

 そういう鴉の声は、わずかに揶揄をふくんでいるようにも思われた。ややしわがれた低い声が、紗羅の頭のなかで無遠慮に響いた。心地よいものではない。
(…………)
 頭の真奥に鈍い痛みを感じながら、紗羅はゆっくりと鴉の正面に腰をおろした。緋袴を器用にさばきながら腰をおろす、そのさまが美しい。
 近寄りたくないから距離をおいているのに、その化け物のような大鴉はかちゃかちゃと爪音をたてながら、こちらへ跳ね歩いてくる。滑稽といえばいいのか気味が悪いといえばいいのか、ともかく異様な光景である。すぐ傍らまで歩いてきてから、鴉は美しい紗羅の正座姿を感心したように見まわして、かひゅっかひゅっというような妙な声で嗤った。紗羅は、口をつぐんだまま鴉を見つめた。しわがれた声とは裏腹に、黒くつぶらな瞳がきらきらと輝いている。美しい瞳であった。


 ――心をお決めになったのであろ。


 鴉の声に、紗羅はじっと息をひそめる。胸奥からこみあげてくる感情を、紗羅はひととき黙りこむことで抑えた。膝のうえで強く握りしめた手が、いつのまにか白くなっていた。
 そう、わたしは心を決めたのだ。この一歩を踏み出さなくてはならない。この悲しく忌まわしい一歩を、わたしはみずからの意志によって踏み出すのだ。越えてはならぬ一線に足をかけるまで、もはや距離はない。
「決めたわ」
 紗羅は、鴉の問いにはっきりと答えた。頭の奥が、胸の奥が、ねじられるように強く痛んだ。痛みと一緒に、胸の奥はどくどくと脈うっていた。


 ――お決めになったのであらば、そのように苦々しい顔をなさるなよ。我があるじが、おまえ様のことを心待ちにしておいでぞな。猶予は明日《みょうにち》、月がなかぞらにかかるまで。お急ぎなされ。
 

 紗羅は、じっと鴉の双眸を見つめた。この鴉と言葉を交わせば交わすほど、自分の道がおのずと定まっていくような気がしていた。
「どこへ行けば」
 鴉がにやりと嗤ったように思われた。


 ――あるじがどこへおいでであるのか、もうおまえ様にはおわかりであろ。導かれるままにお急ぎなされ。

 
 鴉はそう答えた。それから彼は、何度かお急ぎなされ、お急ぎなされと繰りかえし、時おり大きな翼でやかましい羽音をたてた。一枚、二枚、黒く艶やかな羽根があたりに舞い、紗羅はそれを一瞥して眉をひそめた。
「あなたに急かされなくても」
 すっと紗羅は美しいしぐさで立ち上がった。立ちかた、座りかた、ひとつひとつのしぐさが洗練されているのは、祖父の教育の賜物である。白衣の袖が外の太陽光に反射したのか、鴉が眩しそうな顔をしてみせた。
「わたしが明日の晩まで悩みぬいたって、変わらないわ」
 紗羅は鴉に背を向けた。これ以上、この鴉と話すべきことは何もない。鴉は“こちら側”に足を踏み入れようとしている巫女に、ただならぬ興味を持っているようである。向けた背に、視線を感じた。
「わたしが最後にどの道を選ぶかなんて、もう決まってる」
 本殿の縁まで出て、紗羅は眩しい夏の太陽に瞳を細めた。木々の葉裏がきらきらと銀色に輝き、さらに眩しい。立ち尽くした紗羅の横に、大鴉が並んだ。


 ――さあ神巫よ、愉しみじゃ、愉しみじゃ。


パッヘルベル『カノン』 

July 19 [Sun], 2009, 10:48


 アールグレイの香りがふわりと鼻腔をくすぐった。流麗の淹れる紅茶は、色も味わいもどことなく柔らかい。紅茶を淹れる彼女の背中が、カイン=ロウェルの奏でるヴァイオリンを聴いている。

 ……♪♫♪♬♩♪♫♩♬♪♫♪♫♪♬♩♪♫♩♬♪♫……

 パッヘルベルの『カノン』だった。はじめて流麗と出会った日、あの東京の楽器店で一緒に弾いた曲である。休日の午後にふさわしい優しげな旋律が、ふたりとも大好きなのだった。

 ……♪♫♪♬♩♪♫♩♬♪♫♪♫♪

『やっぱりいいね、カノン』
 テーブルのうえにポットとティーカップを用意しながら、流麗は微笑んだ。柔らかな午後の陽射しに似た、天使のような笑顔だった。月並みな言いかただけれど、でもほんとうに。
『そうだね』
 それにつられて、カイン=ロウェルの微笑みも甘やかになる。
(なんて幸せなんだろうな)
 と、彼は思った。もしも彼女と出会わなかったら、いったい俺の人生はどうなっていたんだろう。いったい彼女は、どれほどの光を俺の人生に注いでくれたのだろう。
『聴くといっつも思い出すの。はじめて会った日のこと』
 アールグレイの香りを胸いっぱいに吸いこみながら、流麗ははにかむように笑った。
『覚えてる?』
『覚えてるよ』
 流麗は、ヴァイオリンの試し弾きをしていたカイン=ロウェルの音色に。カインは、ピアノを弾いていた北条流麗の音色に。あの日、運命の出会い――体じゅうが、魂がうち震えるような感情が胸の奥からこみあげてきた。ああ、このひとこそが生涯の――最良のパートナーなのだと感じた、あの出会い。
『まるで昨日のことのように思い出せる』
 でも、とカインはつづけた。
『いまとなったら、もう幼いころからずっと一緒にいるような気さえするけれどね』


 * * *


Dear RURI

 ルリ、元気かい。メールの返事が遅れてしまって悪かったね。
 こちらは昨日でベルリン公演が終わったよ。次はワルシャワで公演があるので、今日はその移動日です。元気にしているから、心配しないで。
 三ヶ月も会っていないと、おまえが恋しくて仕方ないよ。毎晩ルリの夢を見るんだ。おなじぶんだけ、ルリの夢にも俺が出ていれば嬉しいんだけど。そしておまえの夢を見るたびに、神に感謝する。ほんとうに出会えてよかったと、毎日思うんだよ。
 体調に気をつけてと言ってくれたけれど、ルリこそ体にはくれぐれも気をつけて。何かあったら、いつでもいいから連絡しておいで。嘘をつかないで、平気なふりをしないで、かならず俺に言っておいで。ルリ、愛してるよ。はやく会おう。時間ができたらまたメールを送ります。

P.S.
 次にメールをくれるなら、ルリの写真を添付して欲しいな。何日もまえの、何か月もまえの思い出の姿ではなくて、いまその瞬間のおまえを見ていたい。

                           From  CAIN





「帰っておいで」 

June 28 [Sun], 2009, 23:41


 グラスの表面に群れたしずくが、ひとつふたつ流れて落ちた。まるで涙のようだった。
(変なの)
 満たされているはずなのに、胸のどこかがぽっかりあいている。ぬけるように青い夏空が、あたしの空虚な穴をよけいにおっきくする。出張先での今日の仕事は、もう終わった。あとはホテルに帰るだけだ。駅前のカフェで、あたしはアイスコーヒーを頼む。飲めないくせに。でもそういう気分だった。アイスコーヒーを頼みたい気分だったのだ。ちょっとセンチメンタルになってみたかっただけなのかもしれない。この街で、あたしは高校時代を過ごした。高校を卒業してからこの街に来るのは、今回がはじめてだ。
(けっこう変わったよね、ここも。このカフェだって、あのころはなかった)
 あのころはこうだった。あのころはああだった。あのころは。あのころは。
 なんだかそれの積み重ねばかり。もうあのころには戻れないんだっていう事実が、毎日ひとつずつ、まるい小石になって積まれていくような気がする。

  * * *

 学校の裏手に、ひまわり畑がある。あたしが初めて関谷と出会ったのは、高校一年の夏。このひまわり畑で。
 関谷はいつも教室のまんなかで、太陽のように笑っていた。彼のまわりにはいつでもひとが集まったし、彼がいない教室は四季のない日本みたい。大げさだけど。あたしはそのころ、ピアノにしか興味がなかった。休み時間は机上に楽譜を広げて指を動かし、放課後は音楽室を借りてピアノを弾いてばかりいた。あたしの家にはお金がなくて、だからもちろんピアノもなかった。昔お父さんが買ってくれたアップライトのピアノも、中学一年の冬の日、あたしが学校から帰ってきたらなくなっていた。どうやったら思いきりピアノを弾けるんだろう。そればかり考えていたあたしに、深い付きあいの友だちはなかなか出来なかった。あたりまえだ。休み時間には楽譜だけを見つめ、放課後には音楽室に消えていくような生徒――あたしからバリアを張っていたようなものなんだから。
 その日、あたしがひまわり畑に行ったのに特別な理由はない。青空がとてもきれいで、ひまわりの黄色がなんだか小気味よいくらい夏っぽくて、体じゅうでそれを感じたかったから。たぶんそんな程度のことだ。三限めの現社をさぼってあたしはひまわり畑に飛びこみ、大空を仰ぐ格好で寝転がっていた。ひまわりっていうのは、何でこんなにも青空に似合うんだろう。青空っていうのは、何でこんなにもひまわりに似合うんだろう。ひまわりから青空を取ってしまったら、青空からひまわりを取ってしまったら、どうなってしまうんだろう。
「サボり?」
 眼をつむったり開けたりしながら夏の景色を楽しんでいたあたしに、声が降ってきた。低くもなく高くもない、少年らしい雑っぽさをふくんだ声が降ってきた。
「…………」
 それが関谷だということに気づいて、あたしは一瞬ぼんやりしてしまった。あまりにも彼が夏の景色にふさわしくて。
(うわ……)
 関谷っていうのは、何でこんなにも青空に似合うんだろう?
「何、してんの」
「……うん、まあ、サボり」
「ふうん」
 気のないような返事をして、関谷はあたしの隣に腰をおろした。洗いたてのシャツの、いい匂いがあたしの鼻腔をくすぐる。
(あー、なんかワルトシュタインな気分。似合いそ)
 関谷は眠っていた。
「はや……」
 あたしはくちびるのなかで小さくつぶやいて、彼の寝顔を眺める。太陽の光をたっぷりと浴びているのに、眩しくとも何ともなさそう。幸せそうな寝顔だった。

「バイバイ」
 その日の放課後、彼はあたしにそう言って手をふった。
 あれからだ。あたしたちの視線は、いつのまにか頻繁にたがいをとらえるようになった。
「おはよう」
 初めて出会った日の翌朝、彼はあたしにそう言って手をふった。いつのまにか休み時間、楽譜を見るあたしの傍に彼が来るようになった。放課後、あたしがピアノを弾いている音楽室に彼が来るようになった。
「一回しか言わないから、聞いて」
 初めて出会ってから一ヶ月後、文化祭の前日に下駄箱で呼び止められた。
「俺、おまえのこと好きだよ」

  * * *

 グラスの表面に群れたしずくが、ひとつふたつ流れて落ちた。まるで涙のようだった。高校二年の夏、別れを切り出したのはあたしのほうだった。予想外の展開だった。別れるときは、絶対あたしがふられるんだと思っていたから。仕事をなくしたお父さん。お父さんのなかで、何かが崩れてしまった。お父さんはお母さんを殴り、お母さんはあたしを抱きしめて泣いた。お父さんのことは憎くない。お母さんがかわいそうだとも思わない。仕方のないことだったのだ。あんなに一生懸命にやってきた仕事をとつぜん失くして、正気でいられるほうがどうかしている。そう、仕方のないことだったのだ。お父さんはお父さんでなくなった。お母さんは、あたしを連れて逃げるように引っ越した。あのときから、あたしはお母さんが嫌いだ。
 結局、思いだすのは関谷と過ごした宝物のような「一年間」。でもあれから七年が経った。あたしたちが映画の帰りに寄っていたロッテリアは潰れて、ミスドになった。駅前のパン屋もなくなって、コンビニが出来ていた。駅もリニューアルしたし、まるであたしたちが生きた証を塗りつぶしていくかのように、いろいろなものが新しくきれいになった。
(戻れないんだ)
 もうあのころには戻れない。関谷――あさって、彼は二十四歳の誕生日を迎える。どんなふうになっているだろう。彼はどんな顔で笑い、どんな声でしゃべり、いまどんなふうに生きているだろう。この街にいるかしら、それともいないかしら。もしも会えたなら、彼はあたしがピアノをやめてしまったことを、何て言うだろう。
 午後のカフェ。ひとつ向こうの席に、白いストライプのカッターを着たサラリーマンが座っている。腕まくりをして、何冊かのファイルを忙しげに開いては閉じる。関谷もあんなふうになっているのかな。あんなふうに働いているのかな。
 あんまり背後から見つめすぎたせいかもしれなかった。サラリーマンがふとこっちをふりかえった。眼があった。
 ふと思った。

 関谷っていうのは、何でこんなにも青空に似合うんだろう?

航ちゃんとまひるの場合。 

June 24 [Wed], 2009, 1:00


 結局、どらちゃんと健太は店番で、みゆきとあっちゃんはバイトで遅刻するという。まひると航ちゃんだけ、先にお祭りに行くことになった。
「お、浴衣やん」
 と、店から出てきたまひるを見て航ちゃんは笑った。航ちゃんの笑いかたは、どんどん男らしくなっていく。いまにも沈みそうな夕陽に、航ちゃの耳のピアスがきらりと光った。
「かわいいやろ」
「おっ。馬子にも衣装って言うからな」
 うえっ、とまひるは妙な声を出した。
「嘘やん、かわいーって」
 ピンクと白の市松模様に、桜の柄が入った浴衣。どらちゃんがまひるのために見立ててくれたものだ。
「こけんなや」
 航ちゃんは、まひるの半歩先を歩いていく。ふたりの距離はとても近い、でも手を繋いだりするような仲ではない。つかず離れずの距離が心地よい。
「なあ航ちゃん」
「ん?」
 商店街の北口を出て、山の手に向かう。すでに賑やかな祭囃子が遠くに聞こえていた。浴衣と甚平で仲良く歩いていくカップルがいる。軽装で乳母車を押していく両親がいる。浴衣姿の孫娘を連れて歩くおじいちゃんがいる。今日はやっぱり人出が多い。いつもより二・五倍賑やかだ。
「みゆきがさ、とーるのこと好きなん、気づいてる?」
「お」
 と、航ちゃんが何とも言えない返事をしたところをみると、けっこう前から気づいていたのだろう。
「付き合うんかな」
「さあな」
 つん、と段差につまずいた。航ちゃんの手が、ごく自然にまひるの体を支えた。
「航ちゃんて、こういうこと、ほんまさらっとやるよね」
「は?」
「こ・う・い・う・こ・と」
 と言って、まひるはいまの航ちゃんの仕草を真似してみせる。何言うとんねんあほか、と航ちゃんは苦笑した。
「透は何て言うとん? みゆきのこと」
「何も言わへん」
 ふうん。自分から訊いてきたくせに、航ちゃんは興味なさそうな返事をする。
「うまくいけばええけどな」
 いつのまにか、まひるの手は航ちゃんの手と繋がれていた。ほんの少し汗ばんだ手のひら。航ちゃん、好きな女の子がおるっていう噂やのにあたしと手ぇ繋いでてええんかな。そう思ったけれど、まひるを導く航ちゃんの手の力が意外と強いので、何も言えない。
「おまえの兄貴もようわからん奴やからな。俺でも読めんことがある」
 顔おんなじの双子やのにな、と航ちゃんは言った。

 山の手公園の広場は、たくさんのひとで賑わっていた。夏休みの日曜日だから、あたりまえだ。何人ものクラスメイトとすれ違った。
「航ちゃん、りんご飴食べよ」
「子供か」
「ええやん、定番やろ定番」
 はいはい、と言って航ちゃんがジーンズの後ろポケットから財布を取り出す。こういうときも、航ちゃんはさらっとまひるのぶんまでお金を払うのだ。繋いでいた手が離れた。
「おら、食え」
「うあ」
 甘酸っぱい。
 とても甘酸っぱい。りんご飴って、たぶん青春の味のひとつだ。
「まひる、ラムネ飲むやろ。ラムネ買お」
 右手にりんご飴、左手にラムネ。ふたりで石段に腰かける。ラムネ瓶をかたむける航ちゃんが、ちょっとかっこいい。まひるはりんご飴をかじりながら、ラムネを飲む航ちゃんを眺めた。航ちゃんはかっこいい。学校でも一、二を争う人気者だ。背も高くて、落ち着いた色の茶髪に碧色のピアスがよく似合う。勉強は全然しないけれど、スポーツは万能だし顔だってかっこいい。見た目とは裏腹に意外と学校では無口で、でもなぜだか彼のまわりにはひとが集まるのだ。あんまり女の子に興味をしめさない硬派なところが、さらに彼の人気をあげている。
「な、航ちゃん、そろそろ吐きーや」
「何を」
 こん、とラムネ瓶を石段のうえに置いて、航ちゃんはまひるの顔を見た。
「航ちゃんが好きになった女の子って、おなじガッコ? 何組? ていうか誰?」
「…………」
 脱力したように、航ちゃんは夜空を見上げる。向こうのほうで、”あー航平くんやァ”という女の子の声が聞こえた。
「おまえな」
「うん?」
「しょーもないこと気にすんな、彼氏いない歴十五年のくせに」
 はぐらかしたな、とまひるは思う。小学生のころは何だって話していたのに、中学生、高校生と年を重ねるにつれて航ちゃんは少しずつ自分のことを話さなくなってしまった。まひるはそれがさみしい。それが大人になるっていうことなら、大人になんてなりたくないな。そう思う。

 満ち足りているような気もするし、物足りないような気もする。
 高校一年って、そういう時期なんだろうか。

「ええねん、ええねん。あたしは彼氏なんておらんでもええねん」
「開き直んなや、な、あひるちゃん」
「あひる言わんてといてえー」
 足をばたつかせるまひるの手を、航ちゃんがふたたびとった。
「ええから、行くで。どうせヨーヨー釣りとか、やりたいんやろ」

 こういう毎日って、いつまで続けてられるんだろう。
 まひるは思いながら、石段から腰をあげた。
プロフィール
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  • アイコン画像 ニックネーム:yuepon1984
  • アイコン画像 誕生日:3月1日
  • アイコン画像 血液型:A型
  • アイコン画像 現住所:兵庫県
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