春は自分で
February 03 [Fri], 2012, 11:21
一昨日のことだけど、天気予報で「最高気温は11度の予報」と言ってくれた通りに (それまでは連日一桁の最高気温です)
正午近く、買い物に外に出たら、空気はふわりと軽く、すれ違うベビーカーを押すお母さんの顔はやわらかく
去年の秋のおしまいに冬に入り、冬に入って初めて感じる春が今日じゃないかなと思った。
ところで先日、せりの切り落とした根を水栽培してみいよと父が言うので
半分冗談で、半分面倒で(その面倒さは、たまたまた使ったトマト缶の空き缶を使うという行為に出ている)、ほんの少し「いつでも捨てられるしやるだけやるか」という気持ちで水に挿していたならば
半月たって、これ
しかし嗅いでも嗅いでも食欲をそそる芹の香りはしてこないので
「食べる気はしないね」と、
どういう返答がくるかなと思いながら父にメールすると
「その生命力を楽しむのだ」と返信。
考えが一致した。やはり似た親子。
この芹、予想外の空き缶のかわいさもあって、日中はベランダ近くの日光の当たる場所、陽が落ちたらカウンターに移しては、洗い物をしながら眺めている。
そして眺めながら、やっぱり緑っていいなあと、何度も思っていることを改めてつくづく思う。
この気持ちは、大きな公園の中、日向を許さないほど茂った並木道を歩くときに感じる緑がいいなあという気持ちよりも、たったこれだけあることが、そして半分は芹の力、半分はこうやって空き缶に入れた自分の力だというところに心地よさを感じるところが、
緑に「あなたすきよ」と言いたい気持ちを濃くするのかもしれないと思った。
ところでこの緑、 若草色、というのかな
服とか色えんぴつの色とか食器の色とかだったら、好きじゃない緑なんだよな。
植物以外のところで見る緑は、深緑が好きです。黒板の色ね
けど葉となると この緑が、大好きだ。自然の中で見る緑はこの緑が深緑より好きだなと思った。
なんていうかうまく言えねえですけども、せりの根っこを水に入れてから始まったこの芹と私の関係、これだけで、ここんとこのこの気持ちのプルプル具合と言ったら、
ある意味はこれは「季節感がない」とも言えそうだけど、とにかく春はいつでも、自分で自分の中に感じさせることができるのだなと、思ったよ。
そんなことを考えていたら、今日立春。世間のバックアップ!(ちがうか)
春はもうすぐ。
正午近く、買い物に外に出たら、空気はふわりと軽く、すれ違うベビーカーを押すお母さんの顔はやわらかく
去年の秋のおしまいに冬に入り、冬に入って初めて感じる春が今日じゃないかなと思った。
ところで先日、せりの切り落とした根を水栽培してみいよと父が言うので
半分冗談で、半分面倒で(その面倒さは、たまたまた使ったトマト缶の空き缶を使うという行為に出ている)、ほんの少し「いつでも捨てられるしやるだけやるか」という気持ちで水に挿していたならば
半月たって、これ
しかし嗅いでも嗅いでも食欲をそそる芹の香りはしてこないので
「食べる気はしないね」と、
どういう返答がくるかなと思いながら父にメールすると
「その生命力を楽しむのだ」と返信。
考えが一致した。やはり似た親子。
この芹、予想外の空き缶のかわいさもあって、日中はベランダ近くの日光の当たる場所、陽が落ちたらカウンターに移しては、洗い物をしながら眺めている。
そして眺めながら、やっぱり緑っていいなあと、何度も思っていることを改めてつくづく思う。
この気持ちは、大きな公園の中、日向を許さないほど茂った並木道を歩くときに感じる緑がいいなあという気持ちよりも、たったこれだけあることが、そして半分は芹の力、半分はこうやって空き缶に入れた自分の力だというところに心地よさを感じるところが、
緑に「あなたすきよ」と言いたい気持ちを濃くするのかもしれないと思った。
ところでこの緑、 若草色、というのかな
服とか色えんぴつの色とか食器の色とかだったら、好きじゃない緑なんだよな。
植物以外のところで見る緑は、深緑が好きです。黒板の色ね
けど葉となると この緑が、大好きだ。自然の中で見る緑はこの緑が深緑より好きだなと思った。
なんていうかうまく言えねえですけども、せりの根っこを水に入れてから始まったこの芹と私の関係、これだけで、ここんとこのこの気持ちのプルプル具合と言ったら、
ある意味はこれは「季節感がない」とも言えそうだけど、とにかく春はいつでも、自分で自分の中に感じさせることができるのだなと、思ったよ。
そんなことを考えていたら、今日立春。世間のバックアップ!(ちがうか)
春はもうすぐ。
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