柚子の過去2 

November 08 [Wed], 2006, 23:26
柚子がいつも通り小学校から帰宅するとお兄ちゃんが「早くでかける準備せぇ!」と私にいろいろな荷物を手渡してきました。私は意味が分からないまま車に荷物を積み込むのを微力ながら手伝いました。
そうしていると段々状況が飲み込めてきました。
『もうお父さんと関わるのが嫌になってお父さんが家に帰ってくる前にどこかへ逃げるつもりなんや・・・』と。何故、分かったか。以前にも同じようなことが数回あったからです。

まだ柚子が保育園児のとき、柚子と父以外の家族4人を乗せた車は柚子の知らない町まで行き最初居た家よりもぼろぼろの小さな家に着きました。そこで何日か過ごした後、また引越ししてコーポ(?)みたいなところで数ヶ月すんでいました。そのとき、隣の部屋に柚子と同じぐらいの年の女の子がおって、お泊りしあう家族ぐるみの仲になりました。コーポにいるとき託児所(?)みたいなところで日中過ごして夕方遅くに母が仕事着のまま迎えに来てくれていました。柚子にも友達が出来たし、この町でずっと家族4人で過ごしていくんやって思ってました。母は仕事で疲れてるみたいやけど泣くところも見なくてすむし、柚子にとってはつかの間の幸せな日々デシタ。このまま父に居場所を突き止められなければ永遠に続いたはずの幸せな日々でもありました。
 コーポに住み始めて、初めての冬。父からの強い希望で母と父と私の3人でドライブ感覚で会うことになりました。父が車を運転し、母が助手席、私は母の膝の上。ラジオから流れるニュースを3人とも静かに聞いていました。ニュースで「雪の重みで家屋が倒壊・・・・」というアナウンサーの声があり、私は少しでも話題を作ろうととっさに母を振り返り「うちゎコーポやけん大丈夫やね!」と言ってしまいました。母はもちろん無言。父も無言。「しまった・・」次々と後悔の念が押し寄せてきていました。
 その夜、外は真っ暗なはずなのに兄や姉が騒がしく目が覚めてしまいました。すると兄・姉・母が部屋の電気もつけないままカーテン越しに窓から外を見て話し合いをしていました。柚子も窓の外を見ると、柚子たちの車の後ろにピッタリと父の車が止まっていました。昼間の柚子の発言のせいでまた引っ越すことになった瞬間でした。数時間の間に荷物をまとめ、隣の部屋の仲良かった家族の人たち宛の「私たちのことを尋ねる人が居ても何も言わないでクダサイ」という内容の手紙をポストに入れ、車中で父が眠っているのを確認したあとその町を出ました。
 父からの逃亡生活、そして父の必死な説得「もう2度とお酒飲まんけん、帰ってきてくれ」に騙され家に帰るものの、お酒はとまらず、断酒会へ行ってもその場限りの演技。そして再び逃亡生活。

 小学1年生のこの引越し以来、私が家族5人で暮らした家の敷居を跨ぐことは二度とありませんでした。市内の小学校を3校行き、私が小3のときぐらいにとうとう両親は離婚。裁判で親権は母がもつことになりました。離婚してしばらくして、母親に新しいパートナーが出来、柚子はその人と母と3人でスキーに行ったりいろいろ遊びました。今までそんな楽しそうな母を見るのも本当に久しぶりで柚子自身母を楽しませてくれるこの人なら我慢できると思いました。しかし兄より8つ年上なだけで母より10歳以上年下・・・父とは思えないし抵抗はありました。徐々にその人が柚子たちの住んでるアパートにも泊まりにくるようになりました。一番反発したのは姉。
 新父候補と姉の毎晩の口喧嘩・・・姉はそのとき、少しずつ様子もおかしくなっていました。柚子は兄とよくつるんでいて姉の記憶はあんまし無いけど、母が姉の学校の生徒(?)先生(?)に姉の悪口を言ったと、母に怒鳴っていて母は「誰が自分の子の悪口を他人に言うんな」と。もちろん、母は子供3人を養うために朝早くから夜遅くまで仕事で帰ってきても家事をしたりと忙しく、なによりも私たちを愛してくれていることが伝わってきてました。姉はほんまにどこかおかしくなったんやろかと思うぐらいヒステリックに騒ぎ、母や新父候補と毎晩口論、まだ中学か高校生なのに喫煙、ガラの悪いめっちゃ香水臭くてけばい姉ちゃんを家に勝手にあげて泊まらせたり・・・。
 ついに母は「そんなにここが嫌ならお父さんのところに帰りなさい!!」と姉に怒鳴りました。そして姉は父の戸籍に戻り、父と2人で暮らすことになりました。
 柚子は姉に対してもどうすることもできませんでした。

しばらくして姉を経由して柚子のところに父からのプレゼントがたくさん届くようになりました。真っ白な高そうなダウンジャケット、柚子の名前と似顔絵を白い石に彫ったオーダーメイドの置物、赤い時計など、様々なものをくれました。けれど母を苦しませ続けた父を好きになれず憎んでいた私はプレゼントを身につけることもなく、飾ることもありませんでした。父は柚子を兄弟の中で一番かわいがってくれていました。お酒を飲んでいても私には優しく接してくれていた。お酒を飲み暴れて母が泣く姿をただ見ながら立っていた柚子を父が抱き上げてくれたとき、勇気を振り絞って「柚子・・・お酒飲む人きらい」と父に対し言いました。父はすんなり「お父さんはお酒飲んでないよぉ」と言ってきました。恐いという思いと父に嘘をつかれた・柚子では母を救えなかったという辛い思いで私は泣き出してしまいました。
そんな父に今更プレゼントをもらって・・・・嬉しいはずがない。気をひこうったってそんな簡単にひっかからない!もう騙されない! 柚子が父とつながりを持てば、またコーポのときのようにみんなに迷惑をかけてしまう。その思いが歳を重ねるごとに強くなり、周りの離婚もなく平和そうな家族や友達を見るたび父に対する憎しみの念はさらに強くなっていった。

柚子の過去1 

November 06 [Mon], 2006, 18:49
まずゎ柚子の自己紹介も含めて過去を書きます☆

私がACになった原因(?)ゎ父親です。父はアルコール依存症でした。母と結婚したとき母ゎまだそのことに気づいていなかったようです。

私には10歳年上の兄と8歳年上の姉がいます。
母親は事務かなにかの(笑)仕事をしてましたが父が塗装業を自営業で始めたため仕事をやめて塗装を手伝い始めました。父親の異変に気づき始めたのゎ私が生まれてからだそうです。
それまでにも何度か、母には「おかしい」と感じる場面があったそうですが、私が生まれて著明に現れ始めました。

母と父が並んで壁にペンキを塗っていると時々父がぶつぶつなにか言っていたそうです。母親は気にせず作業を続けていました。また母が父と仕事中に仕事の段取りで話をしていると急に父が「うるさい、あっちいけ!!」と怒鳴ったそうです。母は自分が怒鳴られたと思い傍から離れたそうですが父は「仕事にならんのやけん、隣におれ」と呼ぶ・・・。
母は混乱して「さっきの誰にいいよったん?」と聞くと「あいつが口挟むんや」・・と。

私の家は塗装業ということもあり、1階の私の部屋の横の広い部屋にはいろんな種類の塗料などがあり、シンナーの匂いもプンプンしてました。
最初はシンナーは嫌な匂いがするものでしかなかったけど、段々と、「ぁ、お母さんたちの仕事の匂いや」と思うようになり、「いい匂い」、今では「懐かしい」と感じます。

父はきっとアルコールだけでなくシンナーなどの塗料にも精神的に蝕まれていたと思います。

父はお酒好き。私の記憶では毎晩お酒を飲んだり、家で飲んでないときは顔を赤くして声が大きくなって酔った状態で帰ってきます。最初はそれでも問題はなかったそうです。。私の記憶の中には問題のない父の酔った姿は1度もありません。

私が物心ついた保育所のとき、家に帰ることが不安でした。
家に帰り、毎晩父の顔色を見る、今日はまだお酒を飲んでないかどうかを保育園児のときから自然と観察するようになっていました。
父が帰ってくると兄と姉はそそくさと自分たちの部屋に逃げます。そのため私には保育園児のとき、泣く母の姿と暴れる父の姿、割れる食器などの記憶はあっても兄や姉の記憶はほとんどありません。
まだ保育園児だった私は母親の傍を離れることができなかったが故に、父と母の姿、壊れていく家をまぢまぢと見てきました。
いつか、こんなことがありました。
兄「お母さん、お父さんが・・・!」
母と兄・姉は私を残して玄関の方へ走っていきました。兄の口調からしていつもとは違った嫌な雰囲気になりました。すると
母「なにしよん!!やめて〜」と大声で泣きながら叫ぶ声が聴こえてきました
3人が戻ってきて「どうしよう」と話しています。そのあと、一体何が起きているか私にも分かりました。
父がシンナーの入った塗料用の大きいタンクを持って私たちの方まで歩いてきました。しかもシンナーを床や壁にかけながら。あとで聞いた話では家の駐車場に止めてある車にシンナーをかけているところを兄が発見したようです。
父はシンナーを振りまいたあと、ライターの火をちらつかせながら2階の寝室へ上がっていきました。
泣きながら私たちは雑巾で必死にシンナーを拭きました。

日が立つごとに食器の数は減り、壁の穴は減り、家族の笑顔は記憶にありません。私は母と一緒に居ることしか出来ず逃げることも母を守ることもできませんでした。いつか、母が今は無い飛行場へ私を連れて行ってくれていました。私には記憶があまりないけど港にも連れて行ってくれたそうです。車に母と私の2人、なかなか暗くなっても帰ろうとしない母に「早くお家帰ろう」と言ったことだけは覚えています。

最近、母から聞いた話によると飛行場へ私と行っている間だけが唯一心が休まる場所だったらしいです。そして、海に行った日、車ごと海に沈んで私と心中するつもりだったようです。私の「早くお家帰ろう」という言葉でハッとしたみたいです。

警察のお世話にもなり父は精神(アルコール)科病棟へ入退院を繰り返し、父との関わりに疲れきった家族4人は父が仕事から帰ってくる夕方までに引っ越す(逃げる)ことになりました。
私が小学1年生のときのことでした。
P R
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