あらたからの台湾@ 出発 

January 15 [Thu], 2009, 21:38
全体的に風邪薬で酔っ払い状態だったのであまり記憶が無いがなんとか日記を書いてみようと思う。

家を出発したのは10時を過ぎた頃だったであろうか。
母のまり子が先に家を出て、そのあと俺は家を出る形となった。
まり子は6時に起きて準備をしたはずなのに、「アラタの方が足が速いから」とあわてて出て行った。
俺もなぜか今頃カメラを持って行きたくなり、届くはずも無い一眼レフの落札に尽力を注いでいた。
そうして時間が過ぎ、購入する予定のインスタントコーヒーも買えずじまいでバス停へと向かった。

案の定バス停にまり子はいなかった。

予想1 買い物をしているまり子を追い抜いた。
予想2 違うバス停にいる。

信号を待つ間その2つで思案をしたが、2の線を選び、
そこから150mほど離れたバス停へと小走りで向かった。
1月の抜ける空の青さと、冷たい風が心地良かった。

バスが葛西駅に着き、俺はコンビにでリポDとスタバのコンビにコーヒーを入手した。
200円オーバーの高級なコンビにコーヒーではあるが、移動のお供にお気に入りのコーヒーなのだ。
気分が良かったのでまり子にも1つゆずると、「わーい」とか言ってたが、
飲まないの?と聞くと「今アメなめてるから」とか言っていた。

バスは順調に成田に到着したが、その間もまり子は携帯メールを打ちまくりコーヒーに手を出さなかった。
まり子の携帯メールは搭乗手続きまで続き、その時俺のお気に入りのコーヒーは一気に吸引されていた。
器が空になった「じゅ〜」っと言う音と、それを吸取る口のしぼみと、まり子の上目遣いが今でも忘れられない。
飛行機は無事日本を出発した。

スッチーは機内の快適さを決める。
どっち側の通路の席になるかによって、機内での満足度は変わってくる。
俺と妙サイドのスッチーは愛想も良く、あたりを引いた。
機内食は魚と肉の2種類が用意された。
旅なれた妙がそのスッチーに両種の調理方法を聞くと、
魚はウナギで肉は酢豚らしい。酢豚よりウナギだろ。
俺と妙はウナギを選んだ。夕とまり子は酢豚を選んだ。

それにしても、俺は機内食が好きだ。
まず1に量が多い。確実に満足が出来る量が出てくる。
次に飲み物が選べる、極め付けに食後のコーヒーが出てくる。
あのレベルの料理を青山一丁目のサラリーマン街で食べると、
最低でも980円は取りたがるだろう。
西葛西だと820円くらいか。
そして飛行機は台湾へと上陸した。

飛行機でかなり疲れたが、思いのほか足取りは軽かった。
空港内があまりにもキレイで、成田に戻ったのかと思った。
乗客はみな無言でさっそうと通路を歩く。むしろ歩きたがっている。
止まる事に慣れすぎると、意味も無しに足早になるのだ。

金庫番の夕から200元配布されていたので、
さっそく空港の自販でアクエリアスの購入を試みたが、100元札が入らなかった。
しかし優しい誰かが小銭をくれたのでその金で買う事が出来た。
味はアクエリアスだが、安くて量も多い。
嬉しい事だが 「日本で大人気」と大きく書いてある。
若干だが台湾を警戒した。
そして俺らはツアーのバスへと乗り込んだ。
ナルワントツアーだ。

二階建てバスは台北に向かって東に向かった。
ガイドはマシンガントークを続けるが、
大事な部分は箇条書きにしてプリントアウトしてもらえば良い。
パックツアーでしかも家族とだが、気分は孤高の旅人なのだ。
とりあえず
1.灰皿の無いところでタバコは吸わない。
2.トイレの紙は流さない。
3.駅で飲食をしない
この三つだけをおさえた。
知らない事ばかりでガイドの必要性を感じる。

バスは夜の台北へと向かう。
途中いくつかの川を越える度に、町の明かりが近づいてくるのがわかる。
みかけたいくつかの建物はほとんどぼろい。
壁は汚れ、タイルはほとんどはがれかけている。
東京ではまず見る事の出来ないような建物がほとんどで、
戦後の日本を感じさせる様な、どこか懐かしさも感じた。

いくつかの川を越えて来たが、
最後に大きな川を越えた。淡水川だ。
荒川の河口ほどの大きさの川で、首都高中央環状線を走っているような、懐かしい感覚だ。
そして一気にネオンと漢字が目に次々と飛び込んでくる。
「おおアジアだ!」と言う気持ちの他に安心感の様なものがある。
旅の一日の終わりは、街の明かりが優しく迎えてくれるのだ。

台湾旅行16 byたえ 

January 11 [Sun], 2009, 0:01
1月11日日曜日。

今日は4日目、帰国のみだ。

朝5時45分にロビー集合だった。

私たちは2番のりで1番はいつもバスの先頭席を確保するおじちゃんだった。今回も取られた。

外に出ると20才くらいに見える女の子のガイドさんが「オハヨウゴジャィマス」って

寝起きっぽい雰囲気でやってきた。

すっぴんでめがねだったし、芸能人がテンション低く早朝の現場入りするような感じだった。

一旦ロビーに入ったけど気がついたら通りの向こうの朝食屋さんにいた。

ちょうどお母さんが20数元でなんか買えないかな、というので行ってみた。

やっぱり朝食を買っていた。あと8分ほど出ないというので10元の葱卵を2つ買った。

葱油餅と勘違いしていたが普通の玉子焼きをくるっと折りたたんでカットしたものを

スーパーの袋に直に入れてくれた。

私はこういうのゴミが少なくて好きだけど日本じゃありえないだろうなと思った。

ロビーは狭いから、先に荷物を外に出して外でつまもうかと思っていたら

なんだか全員ついて出てきてしまった。新が

「思ったとおりだ」

的な事を言った。葱たまごはおいしかった。

バスの中は寒く、電気も消された。

お母さんはラストスパートって感じで窓の外の景色を堪能していた。


空港は、前日に1便欠航になったおかげで混んでいて

チャイナエアラインには長蛇の列が出来ていた。係員がせわしなく調整をして動き回るなか、

なぜか列から私たち4人が指名され別の列に連れて行かれたりしておもしろかった。


朝食は新が180元の海鮮ラーメンを食べ、お母さんが40元のおかゆと60元の副菜にきゅうり炒めを選び、

私と夕ちゃんはサブウェイを食べた。

昨日からお母さんは、

買い物は思うとおりにしたいけど自分の手元に元を残したくないから、と、

ずるがしこく財布係の夕ちゃんへの清算で日本円や元を使い分けて支払ったり

両替を提案したりっしていた。

それとは反対に、今回も旅の”家計”を管理していた夕ちゃんは

みんながそれぞれの手持ちや”家計”の元を使い切ってしまっても、「緊急用に」と

余ってしまうリスクを抱えて自分の元を多めに取って置いた。

そのお金でみんなに朝食をご馳走してくれた。


そうやって、いかに台湾元を残さずに使い切るか、百円単位で苦心して調整してきたのに

朝食もすかりおわったこの段になって新の財布からぽろっと500元札(1500円)が出てきた。

二人はスタバを買って、それでも元が余ったので新は夕ちゃんに元を買い取ってもらった。

夕ちゃんはそのお金で、町で配布してても受け取りたくないかんじのキーホルダーを買った。

このキーホルダーはお財布係の夕ちゃんの勲章だ。


免税店を通り過ぎようとしたときレスポが目に入り、なぜか買う気に火がついた。

便乗してお母さんが夕ちゃんに

「プレゼントしてくれない?」

と言ってみたら

「いいよ」

と言ってもらったらしく買うことになった。

もしかして行きの免税店でもデパートでもあった気もするけど、

「これだ」っていうサイズのを見つけた。

ガラは最高に気に入るやつって訳じゃなかったけど

形と値段を考えたら良い買い物が出来て気に入った。

結局お母さんも全く同じのを買った。


帰りは席にモニターの無いタイプの飛行機だったけど3時間弱で着いてあっという間だった。

空港ではあっさり解散して、みんなバラバラの方法で帰っていった。

新が携帯をホテルの部屋の引き出しに忘れてきたことが判明しその日中に買い換えたらしい。

そんなこんなで楽しい旅は終わった。

たった3万円の台湾旅行でかなりおもしろい経験が出来て大満足だった。

台湾日記11 byたえ 

January 10 [Sat], 2009, 0:05
1月10日土曜日。

朝6時半におきて隣の部屋へ電話した。

寝ていた夕ちゃんを起こして、7時半出かける準備完了で集合とした。

私は準備が早く終わってしまったので隣の部屋に行くと新が長髪をほどいて乾かしていた。

似ていて夕ちゃんかと見間違えた。

新が昨日は風邪で楽しめなかったので、今日は新の希望を優先しようという雰囲気だった。

故宮へもう一度行く事を提案したら新は乗り気で、意外に夕ちゃんまで前向きで、

結局故宮へ行ってそのあと台湾のベネチアと言われている淡水に行くことに決まった。

九分は人気の観光地だから週末は混むのでやめたほうが無難だという夕ちゃんの判断だった。

夕ちゃんと海外旅行に来るのは初めてだけど、なるほどなるほど、

要所要所で冷静な判断をしてくれて安心だ。


故宮の最寄り駅である士林駅へ地下鉄で行き、そこで朝食を取ることになった。

サンドイッチなどを売っている店があって鉄板で小麦粉を伸ばして何かを焼いていた。

食べたかった葱油餅だと思ってこの店に入ることにした。

若い女性の店員さんが英語を少ししゃべれる人で葱油餅2つとローストポークというものと

アイスコーヒーと、ルオボガオと言われる大根餅を頼んだ。

これはずっと前から食べたかったんだけどチャンスを逃していて、先ほど一瞬焼いていたのが目に入った。

指を刺して注文しようとしたら鉄板の上にはもう無かったのでガイドブックの写真を見せたら伝わった。

その店員さんも一生懸命説明してくれた。

台湾のお店の人はみんな気取ってなくて型にもはまらず、友達のような感覚で接してくれる。

先日旅行に行った友人が「台湾人はみんな親切だ」と言っていたけど

そのとき私は台湾に対するイメージってほぼなにも持っていなくってぴんとこなかった。

でもきっとこういうことなんだろうなって思った。

特別になにか親切をしてもらわなくても接し方でわかる。私は台湾人がすごく気に入った。


葱油餅は、ホットケーキくらいの大きさで葱が入っていて小麦粉部分がパイみたいな層のようになっていて

味付けもほんとおいしくてみんなにも大評判だった。

韓国でもそうだったけど、小麦粉とかを練って鉄板で焼く料理って何を食べてもほんとおいしい。

あの小麦粉使いとたぶん鉄板の使い方が上手なんだろうな。修行に行きたいくらいだ。


お勧めされて頼んだ「ローストポーク」とはハンバーガーだったようで間に豚肉が挟んであった。

すごく食べやすかった。大根餅も大ヒットだった。

量がわかんないので「1つ」って頼んだら4人で分けてちょうど良いくらいだった。

ほんとにこっちの食事って値段からは量が分からないから

とりあえず全部「1つ」って頼んだほうがいいと思った。

小さく切ってビニールを掛けた皿の上に乗せてくれてみたらし団子のような甘いソースにつけて食べる。

大根を餅に入れるって思いつかないけどどうやって入れるんだろう。

まったく大根の味はしなかった。お母さんもすごく気に入って「家で作れるかしら」って言っていた。

頼んだアイスコーヒーは、きちんとブラックで来たんだっけ?新は基本ブラック派なんだけど

ついつい注文のときに「ブラック」って言い忘れて甘いのをもらっていたことがあった気がする。

でも英語をしゃべる店員さんのおかげでみんな大満足で朝食を済ませた。

たしか450円程度だったと思う。


さて次は初めてのタクシーだ。

覚えた中国語で故宮までいくらか尋ねたら、中国語で返事をしてくれて

メーターを指差した。交渉じゃなくてメーターで決まると言いたいんだろうな。

地下鉄や電車やバスと同じで台湾のタクシーは安い。

初乗りが70元、約210円で250mごとに15円追加されるらしい。

私たちは4人だったから1人当たりが安いので、もともといくらって言われても乗る気だった。

だからとりあえず乗ることにした。

観光バスじゃなくて低い目線から道路を走るのはスリルがあって楽しかった。

最近自分で運転するようになったので、それでまた楽しかった。

バスから見下ろすタクシーやバイクはすごく接近し合っていて危険そうに思えたけど、

このタクシーは安全運転に思えた。でも台湾の交通ルールは良く分からないところがあった。

たとえば中央分離帯がある3車線道路で、片方の車線の中央分離帯寄りの車線が逆になっていたりして。

アジアで運転することは今後もなさそうだ。

メーターが上がるごとに音が鳴って、親切な仕組みになっていた。

行きは120元(360円)、帰りは80元(240円)だった。どちらの運転手さんも静かな人だった。


博物館に着いたのは9時過ぎだった。

今回はオーディオガイドを1人ひとつ借りてじっくり見ていくことにした。初めにお土産屋さんを軽く見た。

お茶休憩やお昼休憩を挟みながら何時間も掛けて見て行こうと方針を確認し合った。

「1日かけて故宮をみるのはどう?」って自分から言ったものの、

博物館でじっくり見るって興味がないとホント辛い事だからこうも付け加えた。

「いい計画だとは思うけど、気合が要るよね。博物館ってほんと疲れるから。

だから気が進むかどうかも大事だよ。」

でもみんな気合は問題ないようだった。

台湾旅行12 byたえ 

January 10 [Sat], 2009, 0:04
朝早かったから博物館は空いていた。

9時15分くらいに見学をスタートして、1階を見て10時にまた同じベンチで集合することにした。

即座にみんな好き勝手な方向に行った。

1階は清代の家具や精巧なおもちゃとか、

昔の物を尊んで系統的な管理をされていたことなどが紹介されていた。

ロビーを挟んで展示室は左右に分かれているんだけど、左しか見ないうちに10時になってしまった。


1階で一番おもしろかったのは、

宮殿や町で生活する人々の様子を斜め上から見て書いた絵巻だ。

作品の名前や時代は忘れちゃったけど、5mくらい横に長く飾られていて

絵の中の門をノックしたりすると目の前のスクリーンに自分が絵の中いる目線の映像が映し出される。

門が開いて進んでいくと城が見えてきたり橋を渡って船着場について・・・とか。

なんか絵巻の内容がイメージとして頭に描けるから。

博物館全体を通してだったけど、

「デジタルテクノロジーを駆使した映像」とかを工夫しているらしいけど、それがすごく良かった。

清代の乾隆帝の時代にはたくさんのすごーく細かい絵が書かれている茶碗や壺があったけど、

その絵を描いて茶碗を仕上げるのに11くらいの工程を経て作っている映像とか。

「そっかー やっぱりこういう細かい美しい絵は色を塗って削って焼いて、

何度も焼いて、また筆で1つ1つ模様を書いてるんだ・・・そうなんだろうとは思っていたけどやっぱりか。。。」

なんかそんな風に知ってから改めて見ると敬意が沸いてくるというか。

あと青銅器とか、今では作り方なんて想像できないものとか。

遺跡とかを見るともっとCGがいろんなところで使われていたらってよく思う。

私は高校でも人文コースで世界史選択だったし大学でも人文学科で西洋史専攻だったし

東洋史もさらに2年勉強してるから、普通の人よりもわりかし歴史に触れる機会があったと思う。

そういうテレビも好きだし。

それでもピンとこないことが多いからそうじゃない人は何を感じて見ろって言うんだろう。

物を展示するだけじゃなくて、この博物館でやっているような、

もっと持って帰ってもらいたい印象を訴えるような取り組みをしていいんじゃないかと思った。



ちなみに故宮博物館は世界4大博物館のうちの1つに数えられるらしい。


他の3つはなんだろうと言ったらお母さんは「カイロ博物館とバチカンじゃない?」と言っていた。

もしそうだとしたらそれはすごい!だって4個のうち3つも行ったんだから。

で、今調べてみたらアメリカのメトロポリタンとパリのルーブル、それからロシアのエルミタージュだって。

まぁ大英博物館を入れるとか、いろいろ数え方はあるみたいだけど、

残念だったね。あんなにすごかったバチカンも入っていなかったね。


10時に約束のベンチに集合したときに、上の階から見ないといけないこと、そして

よくよく注意して番号を追って進めないと時代ごとに見れなくて混乱してしまうなどと

みんなで注意事項を話し合って3階に移動した。


3階には紀元前6200年の新石器時代の玉(ぎょく)の飾りものなどから

220年漢の時代が終わるまでの青銅器とか同じく玉の飾り物などが展示されていた。



ガイドブックを読むとしょっぱなにつまづく。

解説文にたくさん出てくる「これは玉で出来た・・・」っていうフレーズ。

玉?たま?ギョク?ってなに?

夕ちゃんと「まず”玉”がわかんないんだよねー!」って話した。

むこうでは「翡翠のことだって」って夕ちゃんが誰かから聞いてきてなんとなくわかったけど、

ここでちょっとマメ知識を。

ある人の論文にあったんだけどね。

「世界にいは不透明な宝石を尊ぶ3地域がある。中南米、ニュージーランド、中国である」

そうなのか!なんか「不透明な宝石」っていう言葉がすごくしっくりくる。

論文にはこうある。

「一般に玉(Jade)とは、軟玉(Nephrite)・硬玉(Jadeite)2種類の鉱物の総称」

そして古代では、この2つ以外も似たようなものを玉と呼んだようである。それについて、

「鉱物が「玉」と称されるには、人の力で加工できる程度の硬度を持ち、半透明〜不透明であることが

最低条件となるのであろう」とある。で、

(1)不老長寿になれる
(2)身が軽くなり、神仙になれる
(3)遺体の腐敗防止
(4)不吉なもの(悪霊など)を寄せつけない
(5)潤いを与える
(6)生命力の源が濃縮されている

などの力があると信じられてきたから古代から神聖視されてきたらしい。

なるほどー。

博物館の玉だらけも、お土産屋の翡翠とか石だらけも、石の置物が多いのもうなづける気がする。


そんなことで、8000年前の「新石器時代」といっても日本のようにヤジリから始まらないで

鳥の形をした飾り物や今でも使えそうなきれいな石(玉)のかっこいい模様のネックレスから

始まったのにはおどろいた。


3階には時代別じゃなくてテーマ別の展示室があって、

細かいものとか美しいものとか特に目を引く傑作が集められていた。

私たちも昨日ツアーで見たのはそういったものだけだったようだ。

そこにはツアーの団体がダダダーっと来てはサーッと居なくなった。

夕ちゃんが「オーディオガイド聞いてて気がついたら周りを取り囲まれてるんだよねー」って言ってた。

どんだけ集中してんだろ。

でも本当にひとたび団体が来ると何も見えないからずらして見たりした。

絵画じゃないから遠くで一目見るっていう感じじゃなくて、ガラスの目の前で見たい感じだ。

だいたいそこで「すばらしい」とされてたものは小さな象牙やオリーブの種にされていた

こまかーい彫刻だったから。

半分も見終わらないうちに待ち合わせの時間になってしまった。

ベンチに集まるとみんなで

「青銅器はたのしいねー」

っていう意見で盛り上がり、お母さんは見る順番のコツをずっと探っていた。

見終っていない事を言うと

「また時間とって行けばいいんじゃない?」

と、じっくりに大変理解のあるみんなであった。すでに2時間経って、まだ見るものたくあんあるのに。

いっしょに博物館に行くにはすばらしいメンバーだね!

とりあえず喫茶店に行って1回目のお茶休憩をすることにした。


さすがに博物館の中の喫茶店は高かったけど、とにかく私はすぐ座りたかった。

せっかくだからと私はウーロン茶、お母さんと夕ちゃんはジャスミン茶、

新はアイスコーヒーとあとサンドイッチとケーキを2つ頼んで

頭に糖分を入れてまたがんばろうということになった。

お茶がポットで出てきて、絶対にそんなに要らないって思っていたけど、

みんなで分け合わないでください 的なことが書いてあったから一人ひとつ注文した。

なんであんなに飲むんだろう。


食事が終わる頃、ふと疑問に思った。

「そういえばあのボーイさん、なんで夕ちゃんとお母さんがジャスミンティーだって分かったんだろう。」

って言ったら夕ちゃんが

「頼んだ人ちゃんと覚えてたんじゃない?私だってやってたとき覚えてたよ」っていうから

「でも“2つ”って注文したんだよ」って、そんなやりとりと同時にお母さんが、

「これ全然ジャスミンの味がしないんだけど・・・」ってつぶやいた。

まさか!と思って飲んでみたら夕ちゃんが飲んでいたのと私が飲んでいたのが同じ味がして、

お母さんの飲んでいたのが別の味だった。

どうやらジャスミンティーが嫌いな私がおいしいと思いながら飲んでいたのがジャスミン茶だったらしい。

昨日お茶のセミナーで飲んだ高級ウーロン茶と似た”葉っぱ”っぽい味がして良く似てたから、

きっとずいぶん良いウーロン茶なんだろうなぁと思ってたんだーって言ったら

「信じられない!」ってお母さんがあきれていた。

お母さんいわく、おかしいなおかしいなと思っていたらしいが

何も言わず飲んでいるので当然各自自分が注文したものを飲んでいるんだろうと考えたらしい。

その場では「普通気づくだろー」って私が責められたけど、よく考えれば、

お母さんが飲んでたウーロン茶は日本で飲む特別においしくないウーロン茶そのものだったから

どっちが気づくべきだったかって考えると五分五分な気がする。

ついでに新のアイスコーヒーには完全に砂糖とミルクが混ざったものが来ちゃってたし、

クラブサンドのクラブをカニと間違えて注文したりして(スペルは知ってたのに)、

みんな頭が回っていなかったのかもしれない。

サンドイッチの具を見たとき「ちっこいもやしじゃん!」って頭の中が?でいっぱいだったもんね。

台湾旅行13 byたえ 

January 10 [Sat], 2009, 0:03
休憩後は上着とか不要な物をさらにクロークに預けて、

身軽になり、気合を入れて2階に移った。

1時間半後の2時に集合時間を決めて、また散った。

私は3階に行って見残した続きから始めた。

みんなは展示品についているすべてのオーディオガイドを聞いているわけではないと言っていたけど

どうしてももったいなく思ってかなり無理やりがんばって聞いていた。

だからある作品のガイドを聞きながら他作品を先回りして見たりして訳がわからなくなったりした。

ガイドの無い展示物、特に時代背景なんかがそんなに絡んでない傑作集なんかは

気楽に見れて良かった。


3階を見るのに30分かかってあと1時間で2階を見ないとと思いかなり急いだ。

みんなも言っていたけどオーディオガイドの内容もたいしたことない内容もあって

「曲線が美しいです」「見ていると楽しくなります」とかの

「・・・あなたの感想?!」っていう感じのがいくつも出てくると、

もうちょっと内容を洗練させて欲しいなと思う。聞くのも結構大変だし時間がかかる。

ゆっくり話すおばさんとかも聞いててつらいし、あと、

「この作品はめずらしいですねぇ」「そうなんです、、、」的なトーク形式で進められたりすると

ちょっとイヤだ。飛ばしたくなるけど大事な事を言うんじゃないかって気になって聞いてしまったりする。


さて2階は六朝の221年から清の終わりの1911年まで。

さっきに比べて700年と短いけいど、時代も新しいから当然作品も多い。

だけどさっきまでは想像が難しいような「昔」「今とは違う」「異国」と感じさせるものも多かったけど

1000年ごろの宋あたりの作品になると磁器なんかもすべて現代の日本と美意識が同じみたいだった。

それにしても全部「磁器」なんだなーと思って、もちろん陶器があるはずもないけど

磁器がチャイニーズと呼ばれるのもわかる気がした。

2階では主に美意識の変遷とか異文化の影響とか官営で芸術作品の作成がされてきたこととか、

そういったことがメインだった。官窯で作ったものって皇室しか使っていなかったのかね。

よく分からないけど「皇帝のための作品を作る」っていう窯元や職人がいっぱいいたみたい。

あとよく見るのは、

「この模様は一般人は使ったらダメ」「この色はダメ」「この真珠はダメ」

とか、なんかそういう表現上の差別が随所にある。

これってなんかわからない感覚じゃない?贅沢度で差別するならわかるんだけど。

それと1000年くらいの宋の時代からすでに古代を尊重し模倣したりする動きがあったのはおどろいた。

イタリアのルネサンスは13世紀だけどそれより先に、

やはり古代の大国を理想として目指していたなんて。

ルネサンスと意味は少し違うけど意外なかんじだった。


全然見終わってなかったけど2時になったからいったん集合して、

みんなもまだすこし見残した感があったらしく3時にまた集合する事になった。

でも私だけじゃなくだいぶみんな疲れていた。

後半は絵画や書だったけど疲れていたのと「書」はまるっきりピンとこないのでぱぁーっと見て回った。


3時に集合したときにはみんな体力の限界って感じだった。

でもなぜかお母さんは元気にお土産を選んでいた。デューク更家お勧めの、その靴のおかげ?

そして「それどうすんの?」っていうようなグッズを夕ちゃんとお母さんは買っていた。

私はすごく迷ったけど博物館のガイド(作品集)の2冊目を買った。

でもあんなに「白菜」「白菜」って言われたら、

みんなが白菜のマグネットやら箸おきやら・・・そういう物を買ってしまう、

そしてお土産にもらってしまうっていうのが良くわかった。

「白菜」っていうのは、博物館の一番有名なもので正式名称は「翠玉白菜」っていうもの。

石の、白い部分を白菜の茎に、緑の部分を葉っぱの部分に掘った置物で

葉っぱ部分にはキリギリスとコウロギがのっているというもの。

その石の色を生かしたって事と彫刻がすばらしくて大人気なんだって。

お母さんも白菜の耳掻き買ってたし。

それを北尾君のお土産にするっていうんで断っておいたよ。


庭を観察することも忘れて3時過ぎに博物館を出て駅に戻った。

昼食を取る場所を探していたら水餃子っぽい店があってそこに入った。

さすがに餃子は英語がなくても味も中身も想像できて注文しやすかった。

餃子は1個単位で安い物で12円、高くて28円という感じだった。

焼餃子にはキャベツ餃子やニラ餃子、韓国辛餃子、カレー餃子、水餃子にはさらにえび餃子とか

いろいろあってどれもおいしかった。

ただショウロンポウのようにと生姜とかのタレじゃなくって

ただの醤油となぜかソースだったのが残念ではあった。

でも今思うともっと食べれば良かったんだけど、

その時は今後あるおいしい何かのためにお腹を開けておいた。


それから淡水まで地下鉄で行った。30分くらいはあったかな。

正直、足は棒のようで腰も痛くてすごく座りたかったけど

学生の帰りの時間とも重なり席は空いていなかった。

シルバーシートだけがずっと空いていた。

普通席に座っているお母さんをそっちにやって・・・とも考えたけど

それはかなり限界の時の作戦と思えた。

台湾旅行14 byたえ 

January 10 [Sat], 2009, 0:02
淡水は、みんなと話した結果「ベネチア」って言うよりも日本で言えば「厨子」だって。

ちょっとした海辺の観光地。

海沿いには遊歩道が整えられていてずらーっと食べ物やとかお土産やが並んでる。

似顔絵の店とかもあったり。

ただ電車から見た景色では近づくにつれて海沿いにはガジュマルの森が広がっていて

台北よりさらに南国風が増していた。

台北自体も、中国なのに椰子の木とかソテツとかが街中にいっぱい生えていて、

なんだか不思議な組合わせに感じてしまう。でもおかげで南国の明るいイメージだ。


予断だがベネチア度では完全に篠島の勝ちだと思った。

島中央部分のあの入り組みようは「愛知のベネチア」って紹介してもいいくらいだ。


でも海沿いからみる対岸の小さな山のシルエットもきれいで夕日もよかった。

なにより博物館は日本人だらけだったから日本人にほとんど会わなかったのもよかったかも。

お店の人に日本語で呼びかけられることもなかった。

ぶらぶらとお土産屋さんをのぞいて、また変なものを買いつつ散歩した。

疲れたのでコーヒーショップでした休憩はなかなか楽しかった。

メニューは中国語のみで、コーヒーの種類もその他の飲み物の種類もすごく多くて

かなり長い時間をかけて漢字から想像する飲み物を頼んだ。新はお店のオリジナルブレンドのコーヒー、

私はココア、夕ちゃんはホット金柑みたいなやつ、お母さんはレモネード。

まぁそこまでの大冒険もしなかったのでみんな希望のものを注文することが出来た。

日本ではありえないくらい大きなマグカップで出てきて私は3分の1くらいしか飲めなかった。

フルーツジュースにしろなんにしろ、なんですべての飲み物がトールサイズなんだろう?

ちょっとした疑問である。



帰りの電車は始発だったから座れて、これまでに撮った写真と夕ちゃんの笑顔認識カメラで遊んで

あっという間だった。

このカメラはすごくって本当に笑った瞬間にすばやく勝手にシャッターが落ちてびっくりした。

たしか蒋介石の記念堂に行ったときも、

蒋介石の銅像の笑顔に反応して勝手に写したって言っていたっけ。

1人ずつ笑った顔をして笑顔認識を試した。夕ちゃんの笑顔写真と新の笑顔写真をみて

「おんなじ顔だ!」

と夕ちゃんが自分で言っていた。私は二人は似てるけど、

夕ちゃんはさらに鴨川シーワールドの笑うアシカの笑顔にそっくりだと思った。



西門駅について、私がガイドブックからチェックしていた

阿宗麺線という台湾独特の細面のお店に行った。

「並んででも食べる価値アリ」というお店の前は、行列は無かったけどたくさんの人が立って食べていた。

店先で立ち食いするお店らしい。

足が限界だったのでイヤだったけどガイドを疑うことなく1人1杯頼んだ。

これまではみんなで1つ頼んで味見程度に食べていたのに、

なんで今回だけ同じものを4つ頼んだんだろう。

具は辻家の苦手なモツで汁は濃い目で麺はそうめんが溶けた感じで全然好きじゃなかった。

しかもプラスチックのレンゲのみで絡んだモツを除けながら食べるのは難かった。

唯一の救いはパクチを入れるか聞いてくれたので省けたことと、サイズを小にしたことだ。

店員はみんな若くておそろいの帽子とかトレーナーとか来てまるでピザ屋っぽかった。

このお店は楽しみにしていたのでかなり残念だった。

台湾旅行15 byたえ 

January 10 [Sat], 2009, 0:01
駅周辺は「台湾の原宿」らしい。

日本で有名なスポーツブランドの店もたくさんあった。日本人大好きな界隈もここらしい。

それにしても台湾人の日本好きって誰が仕向けたんだろう。

ここまで流行っているとは以外だった。

ある人のブログによると日本統治時代から残っている地名とかは関係なくこんなのがあるらしい。

「大阪」「新宿」「原宿」「代官山」っていう店名はもちろんのこと、
電気屋には「秋葉原」、それから「代代木」っていう名の洋服屋、「上越国際」とか
「CoCoMo」とか「浜崎歩」っていう名の美容院、
「八百屋」っていうバイク屋、「love love japan」とか「in Japan」っていうお店とか。

ネットで調べたらウィキペディアに出ていたから引用しよう。

「台湾はかつて日本の統治下にあったため、台湾では日本の文化は大きな影響力を持った。
戦後、台湾は日本のテレビドラマや映画の上映を規制したが、書籍や漫画、アニメ、
テレビゲームなどは脈々と台湾の青少年に影響を与えた。
その後日本の映画やテレビドラマが解放されると、「哈日族」になることはいっそうたやすいものとなった。
同様に、戦時中大日本帝国統治下にあった韓国が、日本の影響を強く受けつつもこれを拒む、
あるいは自らを起源とする荒唐無稽な説を展開するなど、
両者は国家起源が類似しながらも、反応は全く違う。」


国家がどれくらい規制したかっていうことだけなのかー。
なんか企業とかが無理やりブームとかを作ったり、
なんかの経済援助とか技術貢献とかきっかけがあるのかと思ったけど、違うのか。


あと、こうもあった。


「「哈日族」は、主に日本のアニメや服装、流行音楽、電化製品など、
日本の流行文化に関心がある若い世代を指す。
台湾で使われ出した語句であるが、近年では香港をはじめ、
中華人民共和国やその他中国語文化圏でも通用する。
また、親日派という単語の代わりに「日本に対して好意を持つ人」を意味する語句としても使用されている。
現在「哈日」の持つ範囲は、日本の流行文化や服装に止まらず、日本の伝統文化も含むようになった。
またある人が、日本のある物事に夢中になると「很哈日(とってもハーリーだね)」と呼ばれる。

ちなみに台湾での「哈日族」は、旧大日本帝国の統治中に日本語教育を受けた
親日的な高齢世代ではなく、主に若者を指す言葉として用いる。

深くこだわらない哈日族は外見だけ哈日を気取る。
哈日族の聖地西門町で、日本で流行している服やアクセサリー、携帯のストラップなどを大量に購入し、
また日本の流行雑誌を参考し、日本人の化粧の仕方を勉強する。
これとは別にもっと深くこだわる哈日族は「知日派」と呼ばれる。
知日派の日本語力は大方高く、日本文化や精神など高いレベルの部分から日本を参考にする。
たとえば定期的に日本に旅行に行き温泉につかったり、日本の書籍や新聞、雑誌を読んだりして、
日本の政治や経済を進んで勉強する。」


だって。

・・・知らなかった。

日本も確かにアメリカやイタリアのものや食べ物が好きだけど、

逆なのはなんか不思議な感じ。

日本の韓流ブームみたいに浅はかに終わらないで欲しいね。

長くなったけど、そんな西門駅の繁華街を見学して、

特別に食べたいものも見つからず結局マックに入った。

みんなで1つのセットを食べてマックの味は安心できること確認し、

さっき屋台で買った緑のフルーツをこっそり食べることにした。

お母さんが興味を示すのでくるみ購入の時にやったコイン作戦で、

10元だけをもって店員のおばあちゃんに近づいてその緑の果物を指差してね。

おばあちゃんは私に50元を見せた。私はもう一度緑のを指差して目で交渉した。

おばあちゃんはそばにあった1回使ったような袋に2切入れてくれた。

小さめの袋には山盛り入っていた事を考えると3切が妥当と思えたけど、味見だけだから十分だった。

せっかく買ったのにお母さんが洗ってから食べるというので

ホテルで食べようとかばんに入れていたけど、手持ち無沙汰になったので食べてみることにした。

ミネラルウォーターでちょっとゆすいで食べた。

その緑のフルーツは、カリカリして少し渋く野菜のようだった。

ガイドブックから「グアバ」だとわかったけど私が良く飲むグアバジュースとはまったく違った。

今もう一度見直してみると、

緑だったけど時期的に「ワックスアップル」というやつだったかもしれない。


存分に休憩とトイレを済ませてから牛乳大王とコンビにに寄ってホテルへ向かった。

牛乳大王は牛乳入りのフルーツジュースでガイドブックに乗っていて、

いつか行きたいと思っていたけどこのときは残念ながらお腹がいっぱいで

メニューをみても買う気にならなかった。

だから素通りしようと思っていたら、今日の夜になってから

「いろんなものを食べてみなくちゃ!」

と急に張り切りだしたお母さんが

「パパイヤジュース飲む」

と言って1人でお会計に行った。

相変わらず大きなサイズをもらってきて、みんなからあんまり欲しがられなかったお母さんは

あの量を1人でがんばって飲んでお腹を壊して下痢していた。

中国語の映画を見たいと思っていたけど夕ちゃんに却下されあきらめた。

意外とおもしろいんだけどね。

でも外国テレビドラマがしょっちゅう見れる今となっては、そんなことする必要ないか。

コンビにではデザートを買った。

夕ちゃんはぷっっちんプリンもどきを買い、私と新はちょっと高級そうなコーヒーゼリーを買った。

あとピーナッツの豆腐が好きなわたしはさらにピーナッツのゼリーを買って、

みんな用に台湾名物の愛玉(ゼリー)も買った。

新はたしか180円でマルボロも買ったらしい。


部屋に戻って夕ちゃんたちの部屋でデザートを食べることにした。

コーヒーゼリーは味が薄くて甘くてまずかった。

みんなであぁだこうだ話してたら新が

「これ、コーヒーゼリーじゃなくね?」

って言い出した。私は、

「いや、ここまでそっくりでポーションミルクまで付けて、これでコーヒーゼリーじゃなかったら

サギみたいじゃん」

って流したけど新の中で疑惑は深まり続けてるらしく、

「別にあった安そうなコーヒーゼリーとはあえて違う段にあったんだよ」

と刑事みたいに細かなところ指摘した。

確かに、一度は12元の安いコーヒーゼリーを手にとって、それには確かにコーヒゼリーと書いてあった。

せっかくだから高いの買おうと20元のに換えた。それで新も

「ずりー!だったら俺も!」

といって高いほうに換えてふたりで同じのを買うことにした。

新は一度ゴミ箱に捨てたフタを取り出して

「・・・「仙草」って書いてある」

と言った。私はそれは知ってたけど商品名だろうと思ってた。でも原料を見たら

「仙草・・・濃縮液」って書いてあって、そのほかに寒天であろう文字は別にあって、

逆にひとつも「珈琲」的な文字は無かった。

「もしかして・・・別の食べ物なのかも」

やっとそんな気もしてきて亀ゼリー系でないことを祈った。

後でわかったが、それはしっかりガイドブックにも乗っていて薬草だった。

ピーナツゼリーも少し食べて捨てられ、

愛玉も手荷物検査にひっかかるとのことで空港で味見だけして捨てられ、

夕ちゃんのプリンも不評だった。

そんなことで盛り上がっているときお母さんは腹痛で苦しんでいた。

台湾旅行7 byたえ 

January 09 [Fri], 2009, 0:04
1月9日金曜日。

今日は終日市内観光だ。ものすごいスケジュール。

朝7時半にロビー集合。



まずいろんな神様や仏様が一緒くたに祭ってある「保安宮」というお寺と

孔子を祭った学問の神様「孔子廟」見学して。。。

「お茶屋」で買い物して。。。

蒋介石を称えて作られた公園と建物「台湾民主記念館」を見学して。。。

「お土産屋」で台湾の名産を買って。。。

「梅子」で台湾料理の昼食とって。。。

「足つぼマッサージ」で別料金マッサージと漢方を買って。。。

中国の8千年の皇帝の宝物「故宮博物館」を見学して。。。

戦争で亡くなった方の祈念の建物「忠烈祠」で近衛兵交代の儀式を見て。。。

「デューティフリーショップ」で解散。。。。



しかもこの日のガイドさんは空港への送り迎えに付き添ってくれる人とはちょっとちがって

経験豊かなベテランな人。

バスでの移動の最中は休むことなく不思議な日本語でマシンガントークだから

寝る暇もなくずっと聞いていた。これもかなり疲れた。

でも話がすごくうまくてユーモアたっぷりなのでついつい聞いてしまうし、

おかげで台湾のことがすごくわかった。バスが止まるその瞬間までしゃべるから、

お土産屋さんに着いた時には翡翠にさえ興味津々。

翡翠はさすがに買わなかったけどパイナップルケーキは2箱も買ったし

お茶は大量購入してマッサージもやったし夕ちゃんは漢方も買った。

4時に解散の時にはぐったりだった。風邪を引いていた新は「開放されたい」の限界に達したらしい。



おもしろかったことを掻い摘んで書いてみると。。。

保安宮というお寺にちなんでしてくれたお話。

ここにいろんな神も仏もまとめて祭ってあるのはそのほうが便利だかららしい。

で、薬の神様とか恋愛の神様とか別れていてお願いする対象を間違うと当然叶わないらしい。

自分が間違えていて叶わなかった経験も話してくれた。

お賽銭はコインは失礼に当たるらしく絶対お札なんだって。

ここで私のツボにはまった名言があって、

「線香 がまんできない」

のフレーズ。

「賽銭したい、でも(お金がなくて)できない、しょうがないがまんする、でも線香がまんできない、、、」

こんな風な話。この意味は、

どうしてもお金がなくてしたくてもお賽銭できなくて、せめてお線香だけでもどうしてもあげたいときは

線香代払わないで使わせてもらっても許されると私は思いますよ、っていうことだと思うんだけど。

「賽銭したい、でもできない、がまんする、でも線香がまんできない」

この言い回しが何回も出てきておかしくてしょうがなかった。


あといろいろ順番が決まっていて、お札を取って頭の上の鐘を3回まわして・・・とか。

その中でお願いするときはまず自己紹介するっていうのが面白かった。

氏名、生年月日、住所。。。住所? 

神様に住所関係あんのかぁ。でもそこら辺しっかりしていかないと伝わらないらしい。

あと「効果あります」この断言するフレーズも何度も出てきたのもおもしろかった。

新が「この調子じゃお札(買ったり賽銭するのを)まぬがれられなさそうじゃない?」

って思わず言ったくらい大確信の勢いだった。

お寺の、その神様仏様は中国の歴史に出てきそうな衣装だった

建物や教えてもらった事をすべて書きたいところだけど、長くなるので割愛します。



次のお茶屋さんもまたおもしろかった。

「お茶のセミナー1時間」って書いてあったけどそのレクチャー的な部分は数分。

アクを溢れさせてこぼすことくらい。

基本は商品の紹介なんだけどこれまた社長さんが日本語が上手でとってもユニーク。

「いい人」というより「やり手」「たたき上げ」「ぬけめない」的なガッツのある人なんだけど。

自分でお茶を研究して作って来て売ってて経営者でみんなから「お茶博士」って呼ばれてるんだって。

でもまるで商売トークを専門にしている人みたいに超ユニーク。

お客さんはみんな「この上手そうなおやじにだまされないぞ〜」ってかかるけど

なんか納得しちゃうんだろうなーっていう気がする。

私たちも3人でお茶1万円分と千円のオリジナル急須を3つ買ったもんね。

初め普通のウーロン茶を出されて「のどが渇いたから飲む、それならこれでいい」。

次に薄緑のお茶を出されて「おいしいから飲むならこれ」って言われて飲んだものは

葉っぱの味がしてほんとにおいしかった。このときにもう「買おう」って思ったし

私はNHKのためしてガッテンが大好きだから、それが取材に来たりするって聞いた時に

かなり信用モードになっていた。

「1袋千円のお茶が15袋で1万円」て聞いたすぐに、

「相談して来ます」って席を立って夕ちゃんに相談しに行っていた。

お母さんは夕ちゃんが止めるだろうと思って、

私が夕ちゃんに「3人で1万円分買おうよ」と誘いに行くのを止めなかったらしいけど、

夕ちゃんはひとつ返事で「いいよ」と答えた。

私が、特別に2千円のところ千円にしてくれるっていうオリジナル急須を買う事を告げると

「私も」といって、さらにお母さんまでも「じゃあ」って追加してみんなが買うことになった。

最後にはおじさんと仲良く記念撮影もして満足。

もし私がデブだったらあのトークに乗ってプーアール茶まで買っていた気がしてしょうがない。あぁ怖い。

台湾旅行8 byたえ 

January 09 [Fri], 2009, 0:03
蒋介石の記念館はすごく大きくて古代の中国のスケールを思わせるものだった。

しかも全部国民の寄付から作られて、あまりに巨額なお金が集まったので

国が軍隊の駐屯地にしていた土地を明け渡して提供したっていう話に、いたく感動した。

蒋介石の享年90歳(本当は89だが中国では尊敬を込めてひとつ増やすらしい)にちなんで

90段の階段を上った上にある印象的な大理石の建物の中には、蒋介石の銅像がひとつだけ、あった。

敷地内にあと2つある建物では有名なコンサートが行われたりするらしいけど、

この建物は本当に広い中に銅像ひとつ。その建物が、広い敷地の中心にそびえている。

偉大な人を称えて今後もみんなが尊敬していくためにここまでやるってすばらしいなと思った。




次のお土産屋に行く前の車中では世界でも珍しすぎて政府が国外流出を食い止めているという

貴重な石の話だった。昔は20万だったものが今は420万とか言って。

名前は忘れたけど青い石。確かにきれいだった。

店中には一昔前の控えめで品の良い日本のおばさんのような店員さんがたくさんいて

いろいろと買うのを手伝ってくれた。

だけど香港のシルク屋とかとは全然違って、みんなまったく押し付けがましくなく

「なにがなんでも買わせよう」みたいなオーラがなくて、逆にだんだん「買おう」っていう気になってくる。

お母さんなんて私がトイレから帰って来たら、店員さんに付き添われて

カゴにパイナップルケーキをはじめ乾燥マンゴーやらミックス豆みたいのやら蓮の実やら

いろいろ入れていてびっくりした。

私も台湾土産にもらってうれしくないと常々思っていたパイナップルケーキを2箱も買ってしまった。

(余談だが、店内に試食で出していたものはその日に作ったものだからおいしかったらしく

買って家で食べてみたらパサパサしていた。口コミによるとオーブンで3分たためるとすごくおいしいらしい)



昼食で特筆すべきことは、ツアー客を一気に食べさせるあの仕組み。

車内でテーブル番号を伝えて1テーブル10人くらい座る。

中国式のターンテーブルが中央にありそこに山盛りのおかずをどんどん置いていく。

各々がきちんと気を使いながら1人分を見積もって自分の取り皿に取って

隣の人に行くようにターンテーブルを回してあげる。

その人は次の人やみんなに早く回すためにさっと言葉も少なめに自分の分をとって回す。

すると次の皿が追加されてまたすばやく分配がなされる。

みんなそんなに急いで食べたいっていうわけじゃないけどお互い知らない人同士が分け合うから

なんか遠慮し合ってまるできちんと取り分けて回すのが仕事のようだったよね。

だって種類はかなりあったけど15分しないでみんな食事終わってたし。

運ぶのも片付けも楽だし、ほんと店にはいいシステムだよね。

一緒に食事したのに同じテーブルの人の顔なんて全然覚えてないや。

ひとつの皿の料理をみんなで分け合って食べる、しかも会話なくっていう、

赤の他人と仲間の中間のようなっ絶妙な作業だと思った。

メニューは、豚の角煮とめんま、イカときゅうりの炒め物、キャベツの炒め物、魚の煮物、オムレツ的なもの、魚団子のスープ、麻婆豆腐、焦がししょうゆ風味の炒め物・・・もうちょっとあったような気がするけど。

大体食べ慣れた味。

ついでに追加したマンゴープリンと杏仁豆腐までなんてよくある味だった。

新はしっかりご飯おかわりして食後のコーヒーまで楽しんでたけど。



足ツボマッサージに向かう車中では、行くところの先生が大統領を見ていたとか、

有名で政治家とか芸能人とかがたくさん通っているっていう話を聞いた。

私は普段マッサージとかあまり好きじゃないけど、

せっかく来たから一度くらい本格的なやつを試してみたいなと思って7割ていどやる気でいたけど

ガイドさんによってすぐに10割になった。

自分でサンダルに履き替えて足を石鹸で洗いに行かされて、マッサージ室に向かうと

(今思えば値段の割りにぞんざいな扱いだ!)

まずは角質取りのサービスからやってくれた。

今回の30人弱からは8人くらいがやったみたい。

そのうち3人は私とお母さんと夕ちゃん。

何人かのツボ師は薄いゴム手袋をしていて、私の担当の人もやっていた。

角質なんて本当に落とそうと思ったらいっぱい取れるけど、

この作業ではなでるって感じでほとんど取っていなかった。

やってるうちに思い出したけど足ツボって指のとんがりなどを利用して足の裏の筋をゴリゴリやるから

痛くってあんまり好きじゃないんだった。

私の担当の人はけっこう無口なおばさんで唯一「便秘とかありますか」ぐらいしか言わなかった。

しかも私はまったく便秘には縁がなかったし、我慢はできたけど押されるとこ全部痛かったからイチイチ

「そこ、痛いです」って言ってたら大変な重病人になってたかも。

お母さんは介護の実習のときに痛めた五十肩について自己申告したのか当てられたのか、

別の人がやってきて五十肩用の漢方を飲むように勧められていた。

お母さんは「買うかどうかは夕ちゃんに聞かないと」みたいに振ると、

その人は夕ちゃんのところにやってきて

「お母さんが五十肩だって言っててね・・・(買っておあげなさいよ)」

みたいに説得されていた。他人のふりをしていたけど超笑えた。夕ちゃんは、

「お母さん買っても飲まないんだもーん」となかなか上手に周囲の笑いを誘いながら

その勧誘を切り抜けて、ひきつづきその偉そうなおばあちゃんと自分のための漢方の話をしていた。

「北尾君が飲んでいる漢方、月にいくらだっけ?」

間に一人挟んで並んでいた私におもむろに尋ねるので「3万2千円」と答えた。

間に挟まれていたおばちゃんがとっさに「たかーい!」と声をあげて参加した。

その金額に安心夕ちゃんはやがて財布を取り出した。

となりのおばさんは「坐骨神経痛じゃない?」「イヤ、、、それはないですけど。。。」

という会話を3回くらいしていた。

私に漢方を勧めに来る人はいなかったけど、そんな風に大体一人につき一人、

マッサージの最中に話しかけてきて漢方を勧められる、という具合だった。

まぁそんな風に、

「あ、そこ、痛いです」
「〇〇が悪くないですか?」
「そういえば最近・・・」
「だったらこの漢方を飲んで・・・(お買上)」

となる人がいるくらいだから、もともと言葉が通じない店に漢方を買いに行こうとしてたところを

こうやって体を見てもらいながら日本語で相談して漢方を買った夕ちゃんは

良い買い物をしたということになるんだね(本人談)。

しかも夕ちゃんは一時足つぼ師だったしね。

効果あると良いねー


その頃新は2階でひたすら漢方の講義を受けていたらしい。

たまに人がやって来ては手に何かを塗られて感想を聞かれたりとか、

そんな事を30分もやっていたらしい。

「金もうけのターゲットにされてイヤだって事を本当に痛感した」というような事を言っていて

顔が相当参っていた。“参っていたその1”だ。

私はケラケラ笑って聞いてたけど後で思えば風邪も引いていた新は

この時点で相当疲れていたのかもしれない。

お母さんは、「なんかこういうの好き」「お金があればちょくちょく来たい」的な感想を言っていた気がする。

私は好きじゃないって事を思い出したから、もう2度とやることはないな。

台湾日記9 byたえ 

January 09 [Fri], 2009, 0:02
「やっぱり」って感じで故宮博物館の滞在時間は買い物に比べて相当短かった。

八千年の流れは関係なく、本当に珍しい傑作のみを数点見た。

それでもガイドさんの話してくれる作品の時代背景とかを聞くだけですごく有意義だと感じた。

故宮博物館は世界4大博物館のひとつらしい。

私は歴史の授業や三国志、中国映画なんかで出てくる銅鏡などの青銅器や本物の唐三彩や石器があって

すごくもっと見たいと思った。

自由時間は10分ほどしかなくてとりあえずはお土産コーナーに本を買いに行って

その後の数分間で駆け足で見て汗だくで集合場所へ向かった。

ツアーを途中で抜けるのもアリだと初めに聞いていたのにこのとき思いつかなかったのが

後になってすごい悔やまれた。

お母さんは団体用のオーディオガイドに感心していた。

ガイドさんが小声でしゃべっても、どのツアー客のヘッドフォンにも声がきちんと行き渡るシステムだ。

ただ誰かの余計な声が入ることもあり

「あ!“白菜”すいてる、ヨカタヨカタ、ヨカタヨカタ、、、」

と言いながら小走りするガイドさんの声も届いてきておもしろかった。新は、

「バスの中でもずっとあの話し声を聞いて、博物館でもずっと自分の耳を占領されているのは勘弁して欲しい」

というような事をなげいていた。

これは“参っているその2”だったんだろう。



その後バスは忠烈祠へ向かった。

ここは日本で言う靖国神社のように戦死した兵隊のための霊を悼むところで、

ただ(たぶん)宗教色の無いことが大きく違うんだろう。

日本でもたしかこういった公共のものを作るっていう案を公明党が提案しているけどすごくいいと思った。

ただ忠烈祠で言えば、観光客の目的は近衛兵の交代式だ。1時間に1回行うらしい。


概要を説明すると、

敷地の入り口と建物の入り口に二人づつ兵隊が立っていて、その間の距離にして100m未満くらいある。

そこを5人が入り口から出発して行進をし途中で止まって銃を回したり傾けたりの一糸乱れぬ動きを

したりしながら建物に向かう。建物の入り口にいる2人の元に行進してきた5人のうち2人が残り、

3人はもと来た入り口へ同じように行進したりしながら戻る。

新しく来た2人とこれまで警護していた2人が、これまた銃を回したり傾けたり叩いたり靴を鳴らしたりと

一糸乱れぬ動きをしながら交代する。警護が終わった2人は入り口方面に戻る。

先に戻った3人の内2人が同じように入り口で警護していた2人と交代し、

勤めを終えた4名とリーダーを含む合計5人が入り口付近で合流し、詰め所に帰っていって終了だ。

周りには何人もの黒いスーツを着たお世話係の先輩たちみたいな人がいて、

銃の先端にあるフサフサの乱れを直したり姿勢のチェックをしたり、観客が近寄るのを制したりしていた。

意外に緊張感はない感じで笑いながら話したりしていたし、

動作の節目節目に積極的に拍手を誘導していたのも厳粛さとはかけ離れていて違和感があった。

たしかにガイドブックにあったように「圧巻」だったけど、

こういった儀式ってどのように捉えるか微妙だから合理性を問いたがる私としては複雑な思いで見ていた。

観客は完全に観光客であの軍隊じみた動きがもの珍しくて見に来ている。

すべては形式的なもので銃を叩いたり傾けたり回したりっていう動きにはまったく意味は無いけど、

なんらかの精神文化を守るためには続けたほうがいい儀式もあるし

台湾人のみんなはどう思ってるんだろうと不思議におもった。

でも戦争で犠牲になった人たちの過去を忘れないために必要なのかもしれない。

そんなことより、今考えれば抗日戦争で無くなった人たちに私も追善回向くらいしても良いはずだった。



それからDuty free に着いてやっと解散となった。

私たちはレスポをまた見に行ってまた希望のサイズが無い気がしてすぐにやることがなくなった。

建物の真ん中あたりに休憩用のソファーがあって

新が座って寝ていたのが見えたので私も座って休んだ。

マッサージしてもらったからだいぶ楽になったものの、足もだいぶ疲れていた。

長いこと気持ちよく寝て気がついたら横に夕ちゃんが座っていて

お母さんが来ないから呼びに行こうと怒り気味だった。

ここらへんは夕ちゃんとお母さんの認識の違いで未解決だけど、結果的にお母さんと私たちははぐれた。

新はお母さんの買い物が終わるのを待っているための時間だと思ってがまんして待っていたのに、

お母さんもどこかで知らないおばさんとおしゃべりしてこっちに来ないと聞いた新は

「何のためのこの時間なの?!」

と声が裏返りそうな感じで怒る気力もなく弱っていた。

これは完全に”参っているその3”だ。今思い出しても笑える。

私と夕ちゃんはまだ時間も早かったし明日の工程を考え迪化街の夜市で買い物をすることにしたけど

新はホテルへ帰ることになった。

ちゃんと地図を渡したのに2駅分も間違って反対方向へ歩き、

それでもツアーから開放されたから気力も持ち直しホテルへ無事帰れたらしい。


夕ちゃんと私はお母さんを探すことにした。

ぐるぐるしてもなぜかお母さんは見当たらず、トイレにもいなかった。

夕ちゃんに静かに怒りが満ちてくるのがわかった。

もしかして見つけてもらいやすいところにいるのかもしれないと外の広場周辺も探した。

どうしてもいなくてしばらくして夕ちゃんが

「まさかホテルに帰ってないよね」

と言い出した。私はまさか一人で帰るわけないだろうと思ったけど夕ちゃんは

「いや、タクシーを使ったのかもしれない。」「そういえばタクシーに乗ってみたいって言ってた」

とか言ってホテルに電話を掛けに行った。

私は「迷子になったらホテルに帰ればいいじゃん」とか発言してたこともあったから、

まぁそれならそれで、ってかんじで深くは考えてなくて、

ちょうど、預かっていたお母さんの白いダウンを泥水のなかに落としてしまい

必死に拭き取っていた最中だった事もあり、電話は任せた。

やがて夕ちゃんはプンプンで帰ってきて「いた」と一言いって

「信じられない」「怒りがおさまらない」と言っていた。

私はお母さんが一人で帰る図を想像してちょっとおもしろかった。