アイリーン・M・ペパーバーグ『アレックスと私』

August 18 [Sun], 2013, 23:35


アイリーン・M・ペパーバーグの『アレックスと私』(幻冬舎)を読了しました。著者のペパーバーグ女史は動物行動学者。幼いころから鳥と親しんできた著者は、「バードブレイン」などという言葉があるように、その能力を軽視されがちな鳥類に、類人猿と同様の認知能力があることを実証するため、研究室で1羽のヨウムを飼いはじめます。

ヨウムはプロジェクト名「Avian Language Experiment(鳥類言語実験)」の頭文字を取って「Alex(アレックス)」と名づけられます。本書は、人間の5歳児と同程度の知能を持つ天才ヨウムとして、全米から愛されたアレックスとペパーバーグ女史の苦闘と友情の記録です。

欧米諸国においては、アリストテレスにはじまり、ユダヤ教やキリスト教によって継承された人間中心主義が、現在に到るも強固に存在します。山川草木に魂が宿るというアニミズムの世界を生きてきた日本人には、多少理解が困難かも知れませんが、ほかのあらゆる生物に対する人間の優越性が自明とされる世界では、動物とは心を持たないオートマタのような存在として理解されていました。

女史が研究を開始したのは今より約40年前。心理学の世界では行動主義が主流であり、動物に認知能力がある、ましてや数字などを使った抽象的思考ができる、などという女史の主張など、冷笑の対象でしかありません。そのため、女史の研究は苦労の連続でした。大学で安定したポストを得ることもできす、失業保険をもらいながら研究を続ける時期もありました。もちろん最後には、女史はその業績を称揚されることになるのですが。

以上のように、本書は女性生物学者の苦闘の物語なのですが、同時に人間と鳥との友情の物語でもあります。女史は研究の客観性を守るため、被験者(?)であるアレックスと親密になりすぎないように務めます。しかし学者と言えども人間です。そんなに簡単に割り切れるわけはありません。

アレックスは30歳のある日、あまりにも突然に死んでしまいます。読者であるわたしにとっても、アレックスとの別れがあまりに唐突で、しばらく呆然としてページを繰れませんでした。かれはヨウムとしては短命ですが、30年間も人生をともに歩んできた女史の喪失感は並みではありません。かれの死によって実験が中断させられたことで、女史の友人としての感情が、学者としての理性の堰を激流となって押し流したのです。

もちろん本書には、悲しい話や苦しい話ばかり収められているわけではありません。アレックスの学習能力の高さは目を見張るものがありますが、それ以上に興味深いのが、かれのキャラクターです。ちょっと尊大でヤキモチ焼き、そして、とってもイタズラっ子です。研究室に現れた女史が、後輩であるほかのヨウムにさきに挨拶しようものなら、アレックスは一日中不機嫌で、訓練や実験も拒否してしまいます。

食べ物や遊び道具が欲しいときなど、言葉を使って自分の要求を人間に伝えますが、とってもかわいいのが、「ナデテ(you tickle)」と言いながら頭を差し出すこと。そして、そのとおりに撫でてやると、気持ちよさそうに目を細めます。これ、しゃべりこそしないものの、わたしの飼っている文鳥も同じことをします。うちの文鳥は、わたしの顔の前でおじぎをするので、ほおずりしてやると、やはり恍惚の表情を浮かべます。これが、たまらなく、かわええ(笑)。

ちょっと気になったことを最後に書いておくと、本書は女史の生い立ちからはじまりますが、父母や自身の性格について、なんでも幼少期のトラウマに原因を求めるのは、やはり時代でしょうか? 時代を感じると言えば、羽のクリッピング。わたしは子どものころ、セキセイインコを飼っており、そのときは羽を切っていましたが、現在はしないのが一般的のようです(うちの文鳥も切っていません)。そして、動物の死を「亡くなった」と表現するのに違和感があります。なぜ「死んだ」ではダメなんでしょう?

ビシソワーズ

August 16 [Fri], 2013, 21:01


本日の晩ごはんに、ビシソワーズ作ったった。普段は料理など、まったくしない人間ですが、お盆の連休くらいは……とキッチンに立ちました。やっぱり、微妙に味つけ失敗した。コショウからい。

タオルケットの砦

August 13 [Tue], 2013, 12:08


うちのユリアヌス(シナモン文鳥の♂で、もうすぐ2歳)は、タオルケットの砦に籠城するのが大好き。タオルケットの端を入り口状にまくり上げてやると、歓喜のおたけびとともに突入。中央部までもぐり込むと、自らの力を誇示するかのように、タオルケットを下からズンズン突き上げます。

あるいは入り口の前で振り返り、「ボクの城に案内してやろう」といった感じで、こちらをジッと見つめています。わたしが入り口に指を差し入れると、ユリアヌスも「キュウキュウ」という猫なで声(?)を上げながら、タオルケットのなかに身をすべり込ませます。

本当は入り口から顔を覗かせている写真をアップしたかったのですが、どうしてもブレてしまって、上手に撮影できませんでした。ということで、砦の前でおすましポーズのユリアヌスです。

大田俊寛『現代オカルトの根源 霊性進化論の光と闇』

August 12 [Mon], 2013, 20:54


大田俊寛の『現代オカルトの根源 霊性進化論の光と闇』(ちくま新書)を読了しました。19世紀半ばにブラヴァツキー夫人によって創始された「神智学」にはじまり、現代日本の「オウム真理教」や「幸福の科学」にまで到るオカルトの系譜を概観できます。著者はグノーシス主義などキリスト教史の研究が専門。グノーシス主義と言えば、10年以上前に流行ったSFアクション映画『マトリックス』の元ネタのひとつで、あれも極端な霊肉二元論でしたね。

著者の言う「霊性進化論」とは、人間の本質とされる霊性を進化させることを人生の目的と定める思想のことです。それは前近代までのオカルトと、どう区別されるのか? それはダーウィンの「進化論」に対するリアクションとして、宗教の側が「進化」という科学的概念を無理やり取り込んだ結果誕生した、「二元論と陰謀論と終末論のアマルガム」なのです。そして、ゾロアスター教だったり、「ヨハネ黙示録」だったり、輪廻転生だったりと、さまざまな宗教や神話の無節操なパッチワークでできあがっています。

一見して荒唐無稽な霊性進化論ですが、その淵源である神智学は、実は歴史に小さくない影響を及ぼしています。神智学の諸要素のひとつ、「アーリア人種中心史観」は、ゴビノーやチェンバレンによって「アーリア人種至上主義」として先鋭化され、その両者がくっついて「アリオゾフィ」という神秘思想に変貌し、ナチスの前身であるトゥーレ協会に継承されます。ヒトラーの『わが闘争』と並ぶナチスの聖典、ローゼンベルクの『二十世紀の神話』に見られる誇大妄想的な歴史観は、このオカルトの系譜上に位置します。ヒムラーがヴェーヴェルスブルク城に金髪碧眼のゲルマン人を集め、怪しげな秘儀にふけった、なんて話も、皆川博子の小説『総統の子ら』に出てきたっけ。

しかし、オカルトが政治的影響力を持っているのは過去の話ではありません。さきの参院選ではネットでの選挙活動が解禁されましたが、よほど金がありあまってるのか、YouTubeなどでバカバカCMを流しまくっていたのが幸福実現党、つまり幸福の科学です。総裁である大川隆法による「霊言」と称するイタコ芸など、ほとんど悪ふざけですし、宗教としてのクオリティーも、オウムとどっこいどっこいだったので、今回もやはり1議席も獲得できませんでしたが……。大川はもともと「GLA」という宗教団体の幹部でしたが、教祖である高橋信次が亡くなり、長女の佳子へと、その地位が継承されたときに離反し、幸福の科学を立ち上げます。

実はわたしは昔、あるひとに勧められて、GLAの現在の主宰者である高橋佳子の講演を聴きに行ったことがあります。一回きりの経験なので現在は知りませんが、そのときは、それほど宗教色は前面に押し出されることもなく、信者のひとりが演壇に上がって、高橋女史のありがたいお言葉を感涙にむせびながら拝聴するなど、どちらかと言うと自己啓発セミナーのような雰囲気だったのを覚えています。ただ、彼女が大天使ミカエルの化身だと自称していたのは知らなかった(笑)。

大川は独立後、かつての師である信次を、自身の著書のなかで悪魔に格下げするなど、なかなかエグイことをやっています。それにしても分からないのは、大川が宗教家の道を選択した動機です。宗教以外の道でことごとく失敗した麻原彰晃とは違って、東大出の商社マンとしてエリートコースを歩んでいた大川が、なぜ? 1000億年にもわたる壮大な歴史観を持つ教団が、やたら国粋主義的な政策を掲げているのも不思議です。この教団はアニメ映画の制作にも熱心ですが、右翼とサブカルの親和性の高さってのも、一体なんなんでしょう?

最近は鳴りをひそめていますが、一時やたらにメディアに露出していた細木数子や美輪明宏も、霊性進化論の末席に位置するんでしょうか? とくに美輪なんかは、精神文明と物質文明を安易に対立させてるところに共通性を感じます。オカルトの猖獗も問題ですが、それを前に何もなしえない正統、伝統宗教の側も、ちょっと不甲斐ない。本書に関しては十分おもしろかったですが、ただ、オカルトの思想と重要人物の紹介に終始し、分析は「おわりに」以外では、あまりなされていないのが残念。もう少し宗教学者としての著者の見解を知りたかったかも。

中島美嘉『僕が死のうと思ったのは』

August 11 [Sun], 2013, 12:06


今月28日発売の中島美嘉のニューシングル『僕が死のうと思ったのは』 のMVのショートバージョンがYouTubeで公開されてます。 このひとつ前のシングルは中島みゆきの楽曲提供でしたが、今回はamazarashiというロックバンドのボーカル、秋田ひろむが作詞作曲を担当。

わたしは寡聞にして、このバンドのことはまったく知らなかったのですが、同じ事務所つながりってことなんでしょうか? 美嘉さまも今年30歳になって、ファン層の高齢化(笑)が懸念される昨今、若い世代のファンの獲得を目指した戦略なんでしょうか? それにしても歌詞が中二臭い。「見えない敵と戦ってる 六畳一間のドン・キホーテ」とか、どうにも背筋がむずがゆくなる……。

秋田氏は「強い希望を描くために色濃い闇も描かなければならない」というコメントを寄せていますが、絶望もヌルいし、希望も安っぽいし。30超えたオッサンなど最初から相手にしてない、と言われたらそれまでですが。絶望と希望のコントラストを描いた楽曲ならば、横田はるな作詞作曲の「あなたがいるから」のほうが遥かに上質。

どちらかと言うと、「わたしの自意識って、こんなにセンシティブなの」って感じの子どもっぽい歌じゃなくて、30歳となった今こそ、「Love Addict」のようなエロティックな楽曲を大人の魅力で歌ってほしい。まぁ、歌のほうは措くとして、MVの美嘉さまはトンデモなく綺麗。最近、CMソングとしてよく耳にする「桜色舞うころ」の別アレンジも収録。