[僕と彼女の挿話] 始まり 

January 07 [Sat], 2006, 21:56



思い出を忘れるのは憶える行為よりも難しいという。

僕の脳の構造はそんな一般論には当てはまらず、何もかもが泡になって消えてしまったみたいだ。
あの日のキスも、胸の痛みも涙の意味も、人生に必要なスパイスも全部。
でもそれは、僕の感情が揺れ動くことなく日々を通り過ぎていったということなのかもしれない。
あの日から僕の心の動力源は涙でも痛みでもなく、只空虚なそこにある空気だけだったのかもしれない。

[僕と彼女の挿話] 1話:僕の記憶 

January 07 [Sat], 2006, 21:58
いつも同じ日々の繰り返しで気づいたらもう30歳がくる年齢になっていた。

世に言う三十路。

それでも僕はいつも何かをどこかに置き忘れてきた気持ちでいっぱいで、

ここにいる僕は誰かの見ている夢の中のほんのエキストラに過ぎない、そんな誰も気づかない存在だという意識で満たされていた。


[僕と彼女の挿話] 2話:始まりの雨 

January 07 [Sat], 2006, 21:59
 彼女が去って行ったのは月の明るい夜だった。
僕らの幸せの形を持って彼女は出て行った。僕が今まで怯えることなく立ち止まることなく生活してこれたのは彼女のおかげだったんだ。その生活に、人生のスパイスを少しくらい欠いていても、漠然とした不安や満たされない想いを抱いていたとしても、今となってはどうでもいい事だった。それ以上にあの思い出は鮮明で現在よりもリアルで、僕の中の真実はこの中にしかなかったんだから。

鍵が開けられた今、僕は、動力源が空気でなくなる日の為に今すぐにでも探らなければならない。

[僕と彼女の挿話] 3話:トンクス (前編) 

January 07 [Sat], 2006, 22:00
 僕は、彼女の言っている言葉を暫く理解することができなかった。自分の知らない言葉で話しかけられたのかと思い、何も言えずに居た。
その時の僕にとって、それよりも重要な事は彼女があまりにも「水も滴るいい女」という言葉にはまっていたという事かもしれない。
 彼女の髪は猫同様の黒色で、それが雨に濡れて雫が髪を伝って顔の高い部分から低いところへ、
彼女の一部であるかのように流れている。僕を見る彼女の瞳も漆黒で濡れている。
彼女の瞳を見たとき僕の中の警報機が「危険危険!」と鳴り響いた。
びーびーびーびー・・・・・
鼓動が早くなる。
「ねぇ?風邪引いちゃうんだけど・・・・。お風呂貸してくれないかな?」
彼女はそんな僕にはお構いなしで、トンクスと呼ばれる猫と傍らにあった小さなバッグを抱えて立ち上がった。
「ああ・・・うん。わかった。お風呂だけなら」



 今思い返しても納得がいかない。どうしてあの時彼女に風呂を貸したのか・・・
僕の中の警報機なんて何の役にも立たず、僕は一瞬で恋に落ちたんだと思う。自称「女性嫌い」というのはこうもあてにならないものかと思った。

 彼女とトンクスがいた場所から僕の家は遠くなかった。
歩いて10分位のところを僕らは雨の中走って帰ってきた。
たぶん家に着くまではほんの7分くらいだったと思う。僕の頭は真っ白で何故自分の後ろを見知らぬ女性が走っているのか、あの時の選択肢は他になかったのか、
そんな事を考えている暇も余裕もなかったんだと思う。
だからこの先どうなるか、なんてそのときの僕には想像することすらできなかった。

[僕と彼女の挿話] 3話:トンクス (後編) 

January 07 [Sat], 2006, 22:06
風呂場からトンクスの鳴き声と彼女の鼻歌が聞こえた。
その間に僕は部屋に散らかっていたカップラーメンの残骸とやましい雑誌を片付ける。
女性嫌いとはいえ僕は男だ!こんな雑誌の一つや二つ・・・・
僕は、言い訳がましくぶつぶついいながらそれらをあるべき場所に返した。
・・うん。こんなもんかな。
もともと4畳半しかない部屋だけにかなり狭いが、二人が座れるスペースはベットのほかにも確保した。
さて、これからどうしよう。見知らぬ女性と二人きり(と、1匹)。名前も年も何もしらない。こんな状況に動揺しない年頃の男がいるだろうか!年頃というのを省いてもきっとみんな動揺するはずだ・・・。
彼女はまだトンクスと話しながら風呂に入っていた。
その間の僕の身のおき方は?何も無かったみたいにテレビでも見ていればいいのだろうか?おちつかない。自分の家にいるのにこれじゃぁまるで借りてきた猫みたいだ!

「あ、片付けちゃったんだぁ」
そんな状況の僕にいきなりの彼女の声がした。それはもう反射的に振り向いてしまったのはいうまでもない。
「ぅあ!」
さっきまでの「水も滴るいい女」とはまた別の、「水も滴るいい女」がそこにいた。僕はこれもまた反射的に彼女とは反対側の壁に目を逸らした。自分の意気地なし・・・・。
彼女はさほど気にする様子もなく、(もちろんトンクスも何も気にしないで)自分の体を拭いて服を着た。
「トンクスー。拭いてあげるからこっちきて」
猫撫で声で猫のトンクスを呼ぶ彼女に僕は少しおかしくなった。

[僕と彼女の挿話] 4話:加奈 (前編) 

January 07 [Sat], 2006, 22:08
 それから僕らはたどたどしく、(たどたどしたかったのは僕だけだけれど)それでもいろいろな話をしたように思う。

 加奈は22歳だという。僕の2つ下だ。年の割りにどこか大人びていて、僕の方が外見も中身も年下のように感じた。どうしてあの雨の中トンクスとびしょ濡れだったのかいまだにわからないけど、そんな事よりも他に知りたいことが山ほどあった。後から僕がそのことをどうして?と聞くたび彼女の答えは「神様と交信してたのよ」「あのままあそこにいれば石になれるかもしれないと思って試していたの。」と、いろいろだったが、どれも本当でどれも嘘だったのだろう。
 あの日、加奈がトンクスとうちに来たあの日から、僕達の挿話は数を膨らましていった。

 加奈は学生でもなく仕事もしていないと言った。じゃぁ何をしてたの?と聞くと、忘れた。・・・だって。そのほかにも不思議なことはたくさんあったし、何につけても彼女は破天荒だったと思もう。いきなり知らない男の家にきて風呂を借りる行為もそうだが、そのあと、そのままその男の家に猫と一緒に住み着いてしまったというのも一般常識に当てはまらず、それを何も躊躇わず受け入れて、しかも新しい生活に胸をときめかせていた僕も常識人からは、かけ離れていたのだろう。

[僕と彼女の挿話] 4話:加奈 (後編) 

January 07 [Sat], 2006, 22:11
 僕が大学に行っている昼間、加奈はトンクスと一緒に近くの公園に写真を撮りに行っているらしい。撮った写真も何度か見せてもらった事がある。トンクスを被写体に公園の木々のザワメキが聞こえてきそうなほど忠実に再現された風景。写真に興味のなかった僕だったのが加奈の写真を見るたびに次に撮ったやつを見せてくれとせがむようになっていた。加奈の撮る写真はどれも生きていた。写真の技術に関してはどうなのか知らないが、僕にはその写真を見るだけでそこに映る子供の鼓動までも聞こえてきそうだった。加奈はトンクスの他にも公園で遊ぶ親子、トンクスを抱く老人など生きている者を中心にその世界を広げていた。トンクスは加奈のそういった趣味におおいに貢献していたと思う。あるときは忠実なモデルとして、あるときは加奈のアシスタントとして。加奈とトンクスがこれほどまでに寄り添い信頼しあっているように見える理由が加奈の撮る写真にはあると思った。

 いまさら言うまでもなく、僕は初めて加奈に会ったときから恋に落ちていたわけだから、今までのつまらない日常生活よりもこの加奈とトンクスのいる生活が僕にとって最高に幸せだった。あのころの加奈はどう思っていたのだろうか。

[僕と彼女の挿話] 5話:青い月 

January 07 [Sat], 2006, 22:12
 僕らが恋人として再出発した日から、僕は今まで以上に加奈を愛するようになっていた。もちろん加奈も同じだったと思う。たった24歳の若造が、「愛」について解答用紙に解答したところで先生はピーンとはねるかもしれないが、その時、いやこれまでの僕の中で加奈は僕に「愛」というものを余すことなく伝えてくれ教えてくれたと思う。だから、自信をもって僕は「加奈を愛していた」という事実を抱え生涯を終えることができるであろう。

それでも僕の愛は不器用で、伝えきれない想いはそれはもう、そこら辺の山以上もあったと思う。加奈はそんな僕とはちがって、率直で誠実に僕に愛を伝えてくれていたのだが・・・。弁解するならば、僕が加奈ほどに率直で器用に愛を語れる男であったなら、加奈に会うまでに何度か恋愛ができていたに違いない。加奈との恋愛の前に予備演習ができていたかもしれない。加奈との恋愛が不器用なのはそう言うことだからここはおおめにみてもらおう。
 桜前線が北上中。東京も今週中には桜が咲き始めるでしょう。テレビの中のお天気お姉さんが伝えた。それを聞いた加奈は嬉しそうにはしゃぎだした。

「有人!桜が咲くって!」

僕は

「そりゃ桜はいつの時代も咲くだろ?」

と、加奈のそのはしゃいだ意味を知っていていじわるく言った。

加奈は、むぅと頬っぺたを膨らませ僕の顔の前で含んだ空気を一気にはきだした。

ふん、と言うと、

「有人、そんな意地悪な事言うんだったら、トンクスと二人で見に行って有人はここにおきざりにしてやるんだから」

とトンクスを抱えトンクスの前足(加奈は右手という)の肉球で僕の頬っぺたをぺちぺちと叩いた。

トンクスの肉球はいつも冷たかった。

僕はえー、それは残念すぎると、残念な顔をして見せてそれから加奈とトンクスを二人いっぺんに抱きかかえた。加奈はきゃぁきゃぁ襲われるー。トンクスほら!今こそ、その自慢の肉球ビームだ!とトンクスに指令している。あははと二人の笑い声が重なる。外はもう暖かくなってきていた。

[僕と彼女の挿話] 6話:桜 

January 07 [Sat], 2006, 22:16
 待ちに待った桜が咲いた。加奈はもちろん大喜びの大はしゃぎだ。

「有人、早く!」

トンクスとバスケットを抱えた加奈が僕を急かす。

「大丈夫だよ。桜はまだ散らないから。」

春になっても僕らは相変わらずの生活を送っていた。変わったところがあるとすれば大学が春休みに入った事ぐらいだろうか。ああ、それと加奈との愛の神秘的行為はあの月の日の夜から、順調に続いていた。そして言うまでもなく、僕と加奈の愛の表現はそれを通してさらに広まったのだ。

 すぐ近くの公園にも桜の木はあったが加奈が違うところに行きたいと言うので、電車に乗って(トンクスは加奈のパーカーの中にそっと隠して移動した。)少し離れた土手に来た。日差しも暖かい。僕が寝坊したという事もあって、着いてすぐにお昼にした。お弁当の中身は加奈特製のサンドウィッチだ。「お花見にはやっぱりサンドウィッチよ!」と言っていた。

 土手に並んだ桜の木から適当な所を選んで加奈がトンクスを降ろす。トンクスはくんくんと地面を嗅いでいる。桜はまだ満開ではなく、花見の人はほとんどいなかった。僕らのほかに4組くらいの家族やカップルが点々といろいろなところに腰をおろしている。今日は日曜ということもあって平日になるとほとんど人はいないかもしれない。加奈の作ったサンドウィッチを口に方張り僕はカメラを手にした。加奈が家に来たときに持っていたカメラだ。

[僕と彼女の挿話] 7話:見えなかった傷 

January 07 [Sat], 2006, 22:20
 その日は、暖かくなってきたということもあってトンクスをお風呂にいれよう!と加奈がはりきっていた。
僕も一緒にはいっていい?と言うと、

「だぁめ。ひっかかれるわよ。この子お風呂は私以外とは入らないの。」

と、私だけの特権よといわんばかりにふふんと偉ぶって見せた。

僕はトンクスよりも加奈と入りたかったんだけど・・・なんて言えるわけがないけどボソボソつぶやいた。

加奈はまだ僕とお風呂に入ってくれなかった。恥ずかしいから嫌よ、と言う。僕は、何が恥ずかしいんだろ?全部知ってるよ?って自慢したくなる。それを加奈に自慢したところで馬鹿って言われるだけだけど。この時の僕は加奈が全てで、加奈の全部を知っていると自負していた。だけどそれは、若さゆえの過ちではすまないほどの愚かさだった。僕は加奈の大事な部分を本当は何も知らなかったんだ。

しばらくは加奈とトンクスがはしゃぐ声が聞こえていた。

僕はその声が気になって何も手につかずぼーとテレビを眺めていた。

がたん!!

「っ痛!」
えっ!?

「加奈!?」

洗面器を落としたような音と加奈の苦痛の声が聞こえてきて僕は一気に血の気が引いた。
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