茨木のり子/詩

August 18 [Thu], 2011, 8:30
「自分の感受性くらい」茨木のり子
 
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
*
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
*
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
*
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
*
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
*
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
*
*

 
「みずうみ」 茨木のり子
 

<だいたいお母さんてものはさ
しいん
としたとこがなくちゃいけないんだ>
*
名台詞を聴くものかな!
*
ふりかえると
お下げとお河童と
二つのランドセルがゆれてゆく
落葉の道
*
お母さんだけとはかぎらない
人間は誰でも心の底に
しいんと静かな湖を持つべきなのだ
*
田沢湖のように深く青い湖を
かくし持っているひとは
話すとわかる 二言 三言で
*
それこそ しいんと落ちついて
容易に増えも減りもしない自分の湖
さらさらと他人の降りてはゆけない魔の湖
*
教養や学歴とはなんの関係もないらしい
人間の魅力とは
たぶんその湖のあたりから
発する霧だ
*
早くもそのことに
気づいたらしい
小さな
二人の
娘たち




茨木のり子さんは1926年に大阪で生まれた。本名は三浦のり子。高校時代を愛知県で過ごし、
上京して現・東邦大学薬学部に入学。その在学中に空襲や勤労動員(海軍系の薬品工場)を体験し、
1945年に19歳で終戦を迎えた。戦時下で体験した飢餓と空襲の恐怖が、命を大切にする茨木さんの感受性を育んだ。敗戦の混乱の中、帝劇で鑑賞したシェークスピア「真夏の夜の夢」に感動し、
劇作家の道を目指す。
すぐに「読売新聞第1回戯曲募集」で佳作に選ばれ、自作童話がラジオで放送されるなど社会に
認知されていった。

1950年(24歳)に結婚。この頃から詩も書き始め、1953年(27歳)に詩人仲間と同人誌『櫂』(かい)を創刊。同誌は谷川俊太郎、大岡信など多くの新鋭詩人を輩出していく。
1975年(49歳)、四半世紀を共に暮らした夫が先立ち、以降、31年間にわたる一人暮らしが始まる。
2年後、彼女は代表作のひとつとなる『自分の感受性くらい』を世に出した。それは、かつて戦争で
生活から芸術・娯楽が消えていった時に、胸中で思っていた事をうたいあげたものだった。
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