3/11。東北地方太平洋沖地震発生。
現在被災地の方々に置かれている状況を報道で見るたび、心が締め付けられる気持ちになります。
また夜がきます。暗闇は不安を増長させます。
眠れない夜を過ごしている人もまだたくさんいらっしゃいます。
あれからしばらく、ツイッターもRTのみでBlogもだんまり決め込んでいました。
本音はこうです。
私、何を書けば良いんでしょう...
私なんかが何を言えば良いんでしょう。
ここから長くなりますが、自分の記憶の整理の為に書きます。
お時間や余裕のある人、読みたい方はお付き合いください。
3/11の地震発生時はボイトレに行くために家で支度してました、無論一人です。
だんだん揺れが酷くなり、阪神淡路大震災がフラッシュバックして大パニックおこしてしまいました。
あの頃の私は小学生でした。
私の地域は震度7弱でした。
あとから聞いた話ですが、住んでいた地域は地震学者の人が選んで住むような地盤の固い地域だったために、
家屋が全壊したところはありませんでしたので、避難所へ行ったり壊滅的な被害は避けられました。
私の家も、壁に亀裂と地面にヒビ程度でおさまりました。
勿論家の中は壊滅でした。しばらくのあいだ地域は孤立しました。
あの日の事は今でも昨日のように思い出せます。
こんな時に書くのも非常識だと思いますが、本当に戦争が起きたと思いました。
家にミサイルや爆弾が直激したのだと思いました。
死を覚悟しました。
揺れが収まったとき、私が死んだから揺れが止まったんだと思いました。
前日の日曜の夜も鮮明に覚えています。
当時の私は、学校でいじめを受けていて不登校気味でした。
「明日から学校だ、行きたくないな、ずっと休みになれば良いのに」と思っていました。
思ったことをすぐに後悔しました。
母に「私のせい?」と聞きました。子供ってこういう事を思うんです。
勿論母は「そんなことあるわけないよ」と笑い飛ばしてくれました。
水道、ガスはしばらく復旧しませんでしたが電気は割りと早く復旧しました。
父が出張でいなかったのでご近所さんの家にとりあえず避難して、その時に初めて見たTVの映像が、
慣れ親しんだ神戸や宝塚の街の惨状でした。
状況が理解できるまで時間がかかりました。
神戸や西宮、宝塚の友達と連絡が取れません。
電話も繋がらなくなってしまいました。
当時はネットやケータイなんてなかったから、情報はTVとラジオと新聞のみ。
あとは人伝に聞く嘘か本当か分からない話。
新聞が届くようになった頃、毎日安否情報と被害者の一覧のページを一番に見て、探しました。
ページを見ているときに胸が不安でドキドキと打っている音が今でも聞こえそうです。
毎日ホッとしたり、毎日悲しんだりしました。
しばらくして、近所のスーパーが営業を開始すると人から聞きました。
当時中学生だった兄が「容子とお母さんは家で待ってて、僕が買って来るから」と
何時間も前から並びに行きました。
かなり時間が経って、心配していたら兄が泣きながら帰ってきました。
おばちゃんパワーに負けて、凄い勢いで買い物する人々に呆然とし、何も買えなかったと。
少しのビスケットを袋から出しながら「これしか買えなかった・・・」と泣いている兄を
母は「良いんだよ、一人で頑張ったね。ありがとう」と抱きしめました。
私もそれを見て泣きました。
出張先で帰ることも出来ず、足止めを食らっていた父が帰ってきました。
何週間ぶりだったか覚えていません。
父が帰宅するなり母が泣き出しました。
毎日不安だったのに心配させないように笑顔で過ごしていた母の泣いている姿を見て家族全員で泣きました。
学校が始まったのは3月からだったと思います。
まだまだ細かいことを覚えています、それと同時に全く思い出せない事もたくさんあります。
私は家が倒壊しなかったので本当の辛さはわかりませんが
あの時の恐怖と、それ以上のものを今も感じている人がいると思うと、
正直何をいえば良いのか分かりません。
私は今まで、大きな地震が各地で起こってもBlogとかこういう事は書かなかったとおもいます。
生きて、とか、頑張れ、とか、言うのは簡単すぎて。
というか、書けなかったんです。でも今回は書かないことが出来なかった。
津波や火災、原発などの二次災害の規模も凄まじいです。今もまだそれが続いてるんです。
とにかく、今自分達が出来ることを精一杯やることしか思いつきません。
今都内は食料が店頭から消えたりしてますが
勿論備えあれば憂い無しです、が、
(現時点で)東京は被災地ではありません。
日常生活を通常通りやること、協力できることはする、そしてそれを忘れずに継続することが大事だと思ってます。
人間は本当に忘れてしまう生き物です。
忘れないこと、継続することです。
この一週間やそこらの期間気をつけたり、復興の為に関心を持ったりは本当に良いことですが、
そのうち忘れてしまいます。
でも忘れることも悪いことだとは思いません。
毎日いつ起きるか分からない惨事にビクビクしながら日々を楽しめないことはもっとダメです。
何か話が自分でもよく分からなくなってきました。
ごめんなさい。
春闘は、中止になりました。
http://yaplog.jp/yokochanson/archive/607
知らせを聞いたとき、全身の力が抜けました。
普段から眠れない性質ですが、緊張が解けたのか久しぶりに数時間しっかり眠れました。
正直に言うと、ライブしたかったです。でも、どうなんだろうという気持ちもありました。
当たり前ですが、やるとなったら全力でやろうと決めていました。
でも、歌っているときにふと違うことが頭に入ってくるのを私はとても嫌います。
来てくださる皆様の安全も保証できないわけだし。
だから今は、中止に成ってよかったと思ってます。
楽しみにしてくれていた皆様には本当に申し訳ないです。
また次回、と言える我々の状況に今ただ感謝しかありません。
これからアーバンはレコーディングや楽曲制作の日々に戻ります。
全て通常通りこなします。
これからもずっと普通の生活をしていきます。
心の中に今回の災害を思いながら。
だって私たちそれしか出来ないから。

あと、これも書こうか随分悩みましたが...
ここから書くことは、一個人として感じたことです。
私はしがない無名の一インディーズバンドの中の一人でしかありませんので
これは表現者がどうとかではなく、ただ思ったことです。
ネット上では、心無い人たちの言葉も度々見るようになりました。
今、それやってなんになるんでしょうか。
日々のストレス発散をそんな事でやってるんですか?
「しない善よりする偽善」ってなんですか?
そしてエンタメ事の『不謹慎』はいつまで続くのでしょう。
私は綺麗ごとが大っ嫌いです。
「自分達の音楽で世界を救いたい」とかいっている人を信用できない性格です。
音楽で平和が作れるならとっくに争いごとは無くなってます。
おこがましいやつらだ、と思ってしまうような小さい人間です。
音楽はなくても生きていけます。
でもなかったら生きて行けない人もいます。
それくらい私も捻くれていますが、いつもこういった事が起きると
率先して有名人著名人の方が活動を始めます。
中には私でもこれはうさんくさいなーと思うものも勿論あります。
でも、それに向かって偽善者とか売名行為とかなんで言うんですか?
有名な人が呼びかけないと効果ないじゃないですか。
好きな有名人が募金つのってたから募金しました、とか、それで良いと思います。
影響力のある人が動かないと動かされない時もあると思います。気づかないときもあると思います。
それに有名人著名人の方は売名しなくてもとっくに有名です。
それなのに動かないでいるとまた文句言うし、動いたらで文句言うし。
だったら、やったほうが良いのに決まっているのを分かってみんな活動していると思います。
人のあらを捜すことは、自分を汚すことになります。
これ以上何を汚すのでしょうか。
失礼致しました。
:追記
今まだ緊迫した状況下の中なのにコメントくださってありがとうございます。
書くべきか悩みました、読み返しても何が言いたいのかよく分からない、軸ブレまくりでも
読んでくれて嬉しかったです。
あと変な言い方ですが、私落ち込んだりおもいつめたりしてないです、大丈夫。本当にありがとう。
これからいつもどおりのくだらないBlogに戻りたいとおもってます!
マリア様が見てる。画像は、心の友りむちゃんがくれたイコンです。私の大切なお守りです。
早く安息の日が訪れることを願ってます。
現在被災地の方々に置かれている状況を報道で見るたび、心が締め付けられる気持ちになります。
また夜がきます。暗闇は不安を増長させます。
眠れない夜を過ごしている人もまだたくさんいらっしゃいます。
あれからしばらく、ツイッターもRTのみでBlogもだんまり決め込んでいました。
本音はこうです。
私、何を書けば良いんでしょう...
私なんかが何を言えば良いんでしょう。
ここから長くなりますが、自分の記憶の整理の為に書きます。
お時間や余裕のある人、読みたい方はお付き合いください。
3/11の地震発生時はボイトレに行くために家で支度してました、無論一人です。
だんだん揺れが酷くなり、阪神淡路大震災がフラッシュバックして大パニックおこしてしまいました。
あの頃の私は小学生でした。
私の地域は震度7弱でした。
あとから聞いた話ですが、住んでいた地域は地震学者の人が選んで住むような地盤の固い地域だったために、
家屋が全壊したところはありませんでしたので、避難所へ行ったり壊滅的な被害は避けられました。
私の家も、壁に亀裂と地面にヒビ程度でおさまりました。
勿論家の中は壊滅でした。しばらくのあいだ地域は孤立しました。
あの日の事は今でも昨日のように思い出せます。
こんな時に書くのも非常識だと思いますが、本当に戦争が起きたと思いました。
家にミサイルや爆弾が直激したのだと思いました。
死を覚悟しました。
揺れが収まったとき、私が死んだから揺れが止まったんだと思いました。
前日の日曜の夜も鮮明に覚えています。
当時の私は、学校でいじめを受けていて不登校気味でした。
「明日から学校だ、行きたくないな、ずっと休みになれば良いのに」と思っていました。
思ったことをすぐに後悔しました。
母に「私のせい?」と聞きました。子供ってこういう事を思うんです。
勿論母は「そんなことあるわけないよ」と笑い飛ばしてくれました。
水道、ガスはしばらく復旧しませんでしたが電気は割りと早く復旧しました。
父が出張でいなかったのでご近所さんの家にとりあえず避難して、その時に初めて見たTVの映像が、
慣れ親しんだ神戸や宝塚の街の惨状でした。
状況が理解できるまで時間がかかりました。
神戸や西宮、宝塚の友達と連絡が取れません。
電話も繋がらなくなってしまいました。
当時はネットやケータイなんてなかったから、情報はTVとラジオと新聞のみ。
あとは人伝に聞く嘘か本当か分からない話。
新聞が届くようになった頃、毎日安否情報と被害者の一覧のページを一番に見て、探しました。
ページを見ているときに胸が不安でドキドキと打っている音が今でも聞こえそうです。
毎日ホッとしたり、毎日悲しんだりしました。
しばらくして、近所のスーパーが営業を開始すると人から聞きました。
当時中学生だった兄が「容子とお母さんは家で待ってて、僕が買って来るから」と
何時間も前から並びに行きました。
かなり時間が経って、心配していたら兄が泣きながら帰ってきました。
おばちゃんパワーに負けて、凄い勢いで買い物する人々に呆然とし、何も買えなかったと。
少しのビスケットを袋から出しながら「これしか買えなかった・・・」と泣いている兄を
母は「良いんだよ、一人で頑張ったね。ありがとう」と抱きしめました。
私もそれを見て泣きました。
出張先で帰ることも出来ず、足止めを食らっていた父が帰ってきました。
何週間ぶりだったか覚えていません。
父が帰宅するなり母が泣き出しました。
毎日不安だったのに心配させないように笑顔で過ごしていた母の泣いている姿を見て家族全員で泣きました。
学校が始まったのは3月からだったと思います。
まだまだ細かいことを覚えています、それと同時に全く思い出せない事もたくさんあります。
私は家が倒壊しなかったので本当の辛さはわかりませんが
あの時の恐怖と、それ以上のものを今も感じている人がいると思うと、
正直何をいえば良いのか分かりません。
私は今まで、大きな地震が各地で起こってもBlogとかこういう事は書かなかったとおもいます。
生きて、とか、頑張れ、とか、言うのは簡単すぎて。
というか、書けなかったんです。でも今回は書かないことが出来なかった。
津波や火災、原発などの二次災害の規模も凄まじいです。今もまだそれが続いてるんです。
とにかく、今自分達が出来ることを精一杯やることしか思いつきません。
今都内は食料が店頭から消えたりしてますが
勿論備えあれば憂い無しです、が、
(現時点で)東京は被災地ではありません。
日常生活を通常通りやること、協力できることはする、そしてそれを忘れずに継続することが大事だと思ってます。
人間は本当に忘れてしまう生き物です。
忘れないこと、継続することです。
この一週間やそこらの期間気をつけたり、復興の為に関心を持ったりは本当に良いことですが、
そのうち忘れてしまいます。
でも忘れることも悪いことだとは思いません。
毎日いつ起きるか分からない惨事にビクビクしながら日々を楽しめないことはもっとダメです。
何か話が自分でもよく分からなくなってきました。
ごめんなさい。
春闘は、中止になりました。
http://yaplog.jp/yokochanson/archive/607
知らせを聞いたとき、全身の力が抜けました。
普段から眠れない性質ですが、緊張が解けたのか久しぶりに数時間しっかり眠れました。
正直に言うと、ライブしたかったです。でも、どうなんだろうという気持ちもありました。
当たり前ですが、やるとなったら全力でやろうと決めていました。
でも、歌っているときにふと違うことが頭に入ってくるのを私はとても嫌います。
来てくださる皆様の安全も保証できないわけだし。
だから今は、中止に成ってよかったと思ってます。
楽しみにしてくれていた皆様には本当に申し訳ないです。
また次回、と言える我々の状況に今ただ感謝しかありません。
これからアーバンはレコーディングや楽曲制作の日々に戻ります。
全て通常通りこなします。
これからもずっと普通の生活をしていきます。
心の中に今回の災害を思いながら。
だって私たちそれしか出来ないから。

あと、これも書こうか随分悩みましたが...
ここから書くことは、一個人として感じたことです。
私はしがない無名の一インディーズバンドの中の一人でしかありませんので
これは表現者がどうとかではなく、ただ思ったことです。
ネット上では、心無い人たちの言葉も度々見るようになりました。
今、それやってなんになるんでしょうか。
日々のストレス発散をそんな事でやってるんですか?
「しない善よりする偽善」ってなんですか?
そしてエンタメ事の『不謹慎』はいつまで続くのでしょう。
私は綺麗ごとが大っ嫌いです。
「自分達の音楽で世界を救いたい」とかいっている人を信用できない性格です。
音楽で平和が作れるならとっくに争いごとは無くなってます。
おこがましいやつらだ、と思ってしまうような小さい人間です。
音楽はなくても生きていけます。
でもなかったら生きて行けない人もいます。
それくらい私も捻くれていますが、いつもこういった事が起きると
率先して有名人著名人の方が活動を始めます。
中には私でもこれはうさんくさいなーと思うものも勿論あります。
でも、それに向かって偽善者とか売名行為とかなんで言うんですか?
有名な人が呼びかけないと効果ないじゃないですか。
好きな有名人が募金つのってたから募金しました、とか、それで良いと思います。
影響力のある人が動かないと動かされない時もあると思います。気づかないときもあると思います。
それに有名人著名人の方は売名しなくてもとっくに有名です。
それなのに動かないでいるとまた文句言うし、動いたらで文句言うし。
だったら、やったほうが良いのに決まっているのを分かってみんな活動していると思います。
人のあらを捜すことは、自分を汚すことになります。
これ以上何を汚すのでしょうか。
失礼致しました。
:追記
今まだ緊迫した状況下の中なのにコメントくださってありがとうございます。
書くべきか悩みました、読み返しても何が言いたいのかよく分からない、軸ブレまくりでも
読んでくれて嬉しかったです。
あと変な言い方ですが、私落ち込んだりおもいつめたりしてないです、大丈夫。本当にありがとう。
これからいつもどおりのくだらないBlogに戻りたいとおもってます!
マリア様が見てる。画像は、心の友りむちゃんがくれたイコンです。私の大切なお守りです。
早く安息の日が訪れることを願ってます。
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