知ること 

2006年02月21日(火) 2時59分
つくづく考えが浅いなぁ、
って思う。

でもだからって発言を恐れていたら一生できない。全てを知るなんて無理だから。

それならまぁ、自分に自信を持つしかないのかなぁ。

自分を生かすも殺すも自分だ。


よし。



純平元気にしてるかなぁ。

東京の家族は今日も元気にやっとるのだろうか。

世界で今日は何人が不幸を感じたんだろう。何人が幸福を感じたんだろう。

こんなちっぽけの私に、自信を持つか。

名前 

2006年02月17日(金) 5時12分
久々投稿。

私には大切な人がたくさんいるが、その中でも将来を一緒に過ごしたいと考えるあの人はまた特別な存在。彼とは時々将来について話す。

いつごろ結婚、子どもは何人、名前は何・・・

名前にはいくつか候補があって、彼が誠という感じがすき、哲学がすき、ということから、
誠吾、哲人が候補。

女の子ではなんとなく私の漢字の一つをとって、音がきれいな
千代

最近私が好きな言葉の


どれもこれも、それなりに好きでけど、まだまだ考える余地ありやなってとこ。そんな折、今日素敵な言葉を発見した

至誠

吉田松陰が引用したことで知られる孟子の言葉『至誠にして動かざる者は未だこれあらざるなり。誠ならずして未だよく動かす者はあらざるなり』を意味する。この内容はまさに、彼の生き様を表現するものである。そんな言葉を子どもの名とすることができればどんなに幸せだろう。

将来のことはわからない。明日にも彼との別れがくるかもしれない。
でもいいでしょ、幸せな今、今考えられる未来を想像したって。それが現実になることを祈りながら。

至誠。子どもの名前よりも、私の好きな言葉リストに追加しようかな。

続き 

2006年01月15日(日) 1時21分
なんとなく考えてみたが、思わぬ結論としては、ある程度は考えない、というのが望ましいのである。それは国の健全な運営のためにもそうであって、その点で国は健全な情報操作をしなくてはいけない。

げんざいの情報操作は成功しているとはとてもいえない。国が進みたい方針も定まっていないせいか、日本はただ右往左往しているだけだ。

ミクロレベル・・・ああ、このキーボードいや。打つの力いる。慣れとは恐ろしい。こうやって人間は傲慢になっていくんだろう。しかしそれが必ずしも悪いとは思わない。それを知っている限り。

違う思考を考える 

2006年01月15日(日) 0時28分
今日は昼間に起床して、その後カフェで6時間あまり勉強。帰宅してご飯食べて、次は二時間財政学の授業をきく。そして今にいたる。

ちょっと前まで感じていたのは私の頭の思考停止についての悲観だ。しかし、今思ったことに、思考停止は本当に悪いことなのか、っちゅうはなしだ。

一般に思考停止が良くないとされる理由は、思考停止がなくなるということは進歩がなくなるという風に捉えられているからであろう。もしくは、思考停止は他人による操作をうむからであろうか。いずれにせよ非常に受け入れやすい考えである。

しかしながら、多くの人がそう大して考えていないと言うのが現状であり、おそらくそれが常だったのではないかと思う。たとえばはるか昔のローマ帝国を考えよう。確かにそこでは民主制の基礎が築かれるなど歴史上素晴らしい進歩があった。しかし、おそらく個々人を見れば現代とは少しも変わらなかったのではないだろうか。市民は指導者に先導され、様々な職を転々とすることになる。では戦後日本はどうであったか。そこでは復興に燃える人々が将来には世界二位を誇ることになる経済力の基盤を築くことになる。確かに人々は「復興」という夢にむかって勤勉に働いたであろう。しかし、立憲主義という基盤を築き、民主主義を現実化したのは、つまり制度的に進歩をもたらしたのは、そして技術的に進歩をもたらしたのは、常に一部の偉人であったはずだ。つまり何がいいたいかと言うと、一般国民というのは従順であることが最も望ましいのかも、ということである。

もちろん一般国民から偉人が生まれるのであり、一般国民の要望によって政治も経済も動く。しかし、偉人はほうっておいても生まれるだろうし、一般国民の要望なんぞはひょっとしたら政治や経済によって先に決定されているのかもしれない。そこんとこは卵が鶏かき目レナ伊とこであろう。

お風呂が入ったひとまず休憩。この考えは本来の私の思考とは違う。もう少ししっかり考えよう。

プロポーズ 

2006年01月08日(日) 2時51分
今日大切な人にプロポーズされました。

と言ってもまだお互い学生で、私なんてまだあと二年も学生をしなくてはいけない状況で、彼からのプロポーズは期限付き。だいたい4年後かな。こんな私でも、一生いたいと、たとえ希望という段階で言われたとしても、こんな嬉しいことはありません。ありがとう。

未来のことは誰にもわからない。それなのに未来を考えられるのが人間。どうせ考えるなら明るい未来を考えたい。そうじゃなきゃ今を元気に生きていけない。そうじゃなきゃ今を元気に生きる意味を見出せない。

やはり私たちは未来のために生きているんだ。それは自分の生きる未来のみに関わらず、私は見ることができない未来も含めて。

結婚、仕事、出産、家族、友人、喜び、悲しみ、反省、成功、全てを未来につなげたい。

それでは明日も素敵な日々になることを祈りながら・・・レポート書くか!

美化される過去と描かれない未来 

2005年12月26日(月) 23時56分
過去を美化するのは人間の常である。それは一種のオリエンタリズムでもるのかもしれない。そして私もそんな一人。だから過去を美化する風潮にふとすると同意してしまいそうになる。

昨今の様々な社会問題に対して、識者と言われる人やテレビコメンテーターの意見は常に過去と比較して現代を批判するコメントを展開する。

過去にも見習うべき良い点があったのは事実である。しかし、果たして全てが良かったのであろうか。いや、当然そんなはずはない。そのことはおそらく全ての人が同意するだろう。では何故、様々な現代の問題を見る時に、しっかりと検討することもなく過去を美化して語るのであろうか。

過去を美化し、現代を非難する、そんな世論から進化が生まれるであろうか。過去から教訓を得て、現在を冷静に分析し、来るべき未来を描くこと、それが思考し、想像力を持つ私たちの在るべき姿ではないだろうか。

社会保障のシステムの劣化も、建築基準に関する法整備の穴やそれに携わる人々の倫理意識の低さも、破綻した地域システムも、学力低下も、全てに共通するのは、美化された過去に頼り、現在をただ批判する視点しか持つことなく放置し、そして未来を描かなかったことにあるのではないだろうか。

私の知人が言っていた。「そうぞうりょくの欠如が問題だ」と。もっともだ。それは「想像力」であり「創造力」である。

考えることはしんどい。今では考えることは言わば賢い人々の特権と化してしまっている。私たち凡人にも、考えることはできるはずだ。過去がどんなものであったのか想像し、未来をどうしたいのかを想像する、そしてそれらを踏まえてどのように今生きるかを考えるのだ。今を創造するのだ。それはどんなレベルのものであっても尊重されるべきであって、それらが集約されて国家は動くはず。一人一人がその場しのぎの人生になってしまってこの日本で、過去を尊び、未来を考えた政治が為されるはずがない。

恋人づきあい 

2005年12月23日(金) 3時35分
つらい。当然正解なんてないけど、ノウハウ本にでも頼りたくなる。

動機 

2005年12月21日(水) 4時58分
本日二回目の投稿。

私は将来教育に携わる仕事がしたい。その動機は、ありきたりかもしれないが、「この短い人生を未来のために使いたい」と思うからだ。その手段として、教育システムの整備を選んだ。そのシステムが子どもたちに未知への対応力を育んでくれることを望む。どんな状況に直面しても、自分で考えて、周りの人間と協力して、そして大切な人を見つけてその人を帰る家を築き、また未来へ歴史を紡いでいく・・・

しかし、未来への貢献としてもっと本質的なものがある。それは私が子孫を残すことだ。子孫と言うとおおげさだけど、要は大好きな人と子どもを育てること。これがなくてはシステムを整備したところで意味がない。だから私は上のような仕事もできて、且つしっかりと子育てができる環境で働きたい。

そういう意味では、親が子育てしやすい環境を作る仕事もまた魅力的だ。

とにもかくにもそんな感じで私は今の夢を持つにいたった。仕事をして、大好きな人と結婚して、子どもを3、4人持って、子育てが終わったらまた社会に貢献するような地位につきたい。そしてリタイアした後は、大好きな人と毎日笑いながら過ごすのだ。

おあげ。 

2005年12月21日(水) 2時51分
何故か恋愛日記みたいになってます。恋愛について、どうも気持ちが落ち着かない時このブログに書き込みたくなってくる。

今回は何があったかと言うと、世間ではこれを「すれ違い」と言うのかもしれない。私が求める愛情表現を彼はくれず、私の話も結構スルーで、色々報告はしてくれるけど、毎日の終わりはあっさり「おやすみ」だ。

昔は「おやすみ」と言い合える人がいることだけでも嬉しかったのに、案の定我侭が増している。まぁそれはおいといて、そんな感じで彼が東京に行ってからのこの数日はなかなか楽しくない。日中は自分もしなきゃいけないことがたくさんあるからいいんだけど、夜がさびしい。家だとあんまり勉強もできないし、ついつい携帯を見てしまう。携帯ってのは恐ろしいものだ。

たとえば私が彼とずっと一緒にいたいと願うなら、私といることはそれだけ彼にとって日常になる。私の存在も日常になる。全ては習慣になり、特別に意識する存在ではなくなる。

一緒にいるときに、メールばかりチェックされたらそりゃ凹む。でも、そんなのは付き合って半年ぐらいまでにしかもってはいけない感情だろう。これだけ長い時間一緒にいるなら、それが彼にとって外の顔ではなく、内の顔を出す時間になるのだから、当然そういうこともあるだろう。例えば彼が遠くにいて、たくさん外の顔で忙しくしているとき、内の顔はそうそう見せない。そりゃ私のことなんてさておきだ。悪意はなくね。そんなことは知ってる。頭の中では整理がついてる。だから何とかメールでの対応は平常心をたもってる。何度も書き換えながら。

私は彼をしあわせにすることが何よりも大切だと思っているが、もし彼が私を大切にすることを大切に感じてくれていないのなら、いつか歪が生じてしまうのではないかと思う。ってか、そんなのは嫌だ。それともこれはもう十分我侭なんでしょうか、私がそれとなく出す態度はもう十分我侭なんでしょうか。

そうだね、とりあえず、彼からどんな愛情をもらえるかとか、彼が私をどう想ってくれてるかとか、そんなことはどうせ結局分からないんだから、それなら客観的な部分と私自身を磨くしかない。

来年の目標は、彼を大切にして、上げマンになること(笑)出来る上げマン。私自身も自分を磨いて夢を実現させる。彼に頼っていけるはずがないんだから、自分で歩ける道を築こう。

大切な人 

2005年11月16日(水) 20時12分
生きることはどういうことかとか、幸せは何かとか、目標って何かとか、色々考えたりしても、結局は辛い、さびしい、悲しい、そんなネガティブな感情の時には冷静な分析よりも大好きな人のハグが何よりも効果的だ。

自分がどのぐらい大きな存在になってるのか、大きくなきゃ嫌だとか、かってにそんな事ばっかり考えて不安になる。でもあの人の本当の心境なって永遠に分からない。あの人の言動をそのままま受け止めるしかないんだ。あとは自分が選んだ人なんだからその自分を信じる。夜中にいきなり呼び出しても、快く応じてくれて、嫌がる素振りなくハグしてくれる、そんなあの人を私は安心して好きでいよう。

自分の行動の見返りを考えてはいけない。それは日々の小さな行動から、大切な人を想うというそんな大きな感情的で目に見えない行為にも関わってくるじゃないかと思う。好きだから、いろんな事を受け入れて、いろんな事を私なりにしてあげて、「なのになんで?」なんて考えは全くあほらしいし、自分にとってマイナスになるだけだ。大切な人のためになると考えた事を私にできる範囲で、私がしたい範囲でしてあげて、それで満足しなくてはいけない。理想は「愛されたい」でも現実は「愛したい」

何故だかしらないが頭がふらふらする。今画面がふらふらしている。生きる事は継続だ。生きるという行為の継続だ。継続は力ないり、生きる継続は私を磨いてくれるだろう。

ありがとう大好きな人。この冬は君を寒くさせない、これが私の目標です。
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