2007年6月28日
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ジム・ケルトナー ドラマー / 2009年04月30日(木)
ボーカルはドラマーにうるさい。
自分のタイム感より、一段デカイタイム感をドラマーに求める。
手数或いはオカズより重要なのはどっしりとしたタイム感だ。

楽曲を形作るのはドラムアレンジ。
一番重要だ。
ケルトナーの魅力はそこにある。

ライ・クーダーの「ダーク・エンド・オブ・ザ・ストリート」
ケルトナーのドラミングが冴える。
何もしない。
何もしないカッコ良さを日本のドラマーは知るべきだ。

70年代はケルトナーの時代だった。
多くのセッションに参加し、今に至るドラミングを作り上げた。
派手なオカズは決して入れない。
でも、曲をしっかり形作る。
淡々と叩く事の素晴らしさ。
彼は僕に教えてくれた。

リンゴ・スター。
チャーリー・ワッツ。
ジム・ケルトナー。
ジム・ゴードン。
白人ドラマー達がロックを作ったとも言える。
そのプレイは今も色褪せず、僕の心に響いてくる。

 
Posted at 09:31/ この記事のURL
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アンダー・マイ・サム ザ・ローリング・ストーンズ / 2009年04月29日(水)
バンドの影に女有り。
バンドマンの女達はパッとしないバンドマンを支える。
結局そう言う女達が、立派なバンドを作る。

女に恋して生きるのは一番楽だ。
「愛してる。好きだ。ずっと居てくれ、お願い」
そう言った途端女は去る。
昔から決まってる。

女にすがりつく男を女は好まない。
言っておくが、女は昔から何も変わっていない。
変わったのは男で金玉をどこかに無くした。

女が望むのは巨大男根ではない。
巨大な玉袋だ。
ブラーンと垂れ下がり、ブラブラ揺れる袋だ。
「大きな袋を股に下げ、大好き様が来なさるとー」
大學で歌ったのを覚えている。

持続するエネルギー。
持続するスタミナ。
持続するスケベ根性。
女はその一点を見る。
それが、金力、権力欲に結がる事を女は知っている。

男が弱気を見せると女は後ろから突き落とす。
だから、アンダー・マイ・サムにしないと駄目だ。
押さえつけられる事を女は密かに望む。
ガッチリ押さえ込まれれば女は安心する。
そして、優しくなり美しくなる。
忘れぬように。

 
Posted at 10:02/ この記事のURL
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ファクトリーガール ザ・ローリング・ストーンズ / 2009年04月28日(火)
現代の道を外れた若者達はバイトする。
生活に金がかかるから?。
欲しいものがあるから?。
せっせと働く。
ならば、正業につけばいい。

一日8時間、10時間バイトする。
そして彼女とやらと遊ぶ。
「女の家に転がり込んで食わしてもらえばいいジャン」と僕が言っても聞かない。
それはカッコ悪いらしい。

目的を持ち励んでいれば女は助けてくれる。
昔からそうなってる。
キャパクラで働き、AVに出演し、身を売りながら食わしてくれる。
男と女はそう言うもんだ。

「工場の女」にかまってもらって男は育つ。
「冴えねー女だが、今の俺も冴えねーし仕方ない」
カッコいいジャン。
ろくでもない男だが現実的だ。
そこに男の本性がある。

「成功して金があるから、今度はいい女をモノにするか」も「工場の女」も本質は同じ。
男はそうあるべきだ。
男を磨くのは女だ。
女にチヤホヤしてる男はアホだ。
先が無い。
女の本質を甘く見てはいけない。
女はビシッと一点を見る。
男を見る。
怖い目で。

 
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マザーズ・リトル・ヘルパー ザ・ローリング・ストーンズ / 2009年04月27日(月)
君が「アトムの子」なら僕は10代の頃から「ジャンピン・ジャック」だった。
あの一曲が浮遊していた僕に形を与えた。

歌が先頭にあった。
歌に離されないように僕は走った。
「疲れた母親に必要なのは疲れを取る薬さ」
母親は父親に毎日食事を作る。
冷凍食品で。
母親は「なんて退屈な暮らしなの。私には薬が必要だわ」と台所で呟く。

60年代も70年代も退屈だった。
もし、ロックミュージックが無かったらどうなっていたか。

ジャンピン・ジャックは退屈な社会に出現する。
退屈な家。
退屈な学校。
退屈な女達。
恋人だ、彼女だ、合コンだと言うが、そもそも女は退屈だ。
10代の僕はそう思っていた。

女は疲れを取る為の薬。
リトル・ヘルパー。
時に女はジャンキーなナースとなり、僕の心を切り刻んだ。
目は吊り上がり、口は耳まで裂けていた。

10代の頃に奇妙な曲を聴いて育った。
でも、当時の日本の社会に放り出された時、奇妙な曲が助けになった。

 
Posted at 00:55/ この記事のURL
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ゴー・トゥ・アルカディア めんたんぴん / 2009年04月25日(土)
柴田徹が中心となり、新作を作る事になった。
場所は小松市中ノ峠スタジオ。

その曲作り、及びスタジオで様々な事が起きた。
僕は歌う事から遠ざかっていた。
走って体を鍛えた。
まるでリハビリ。
全てが新しい局面を迎えていた。
飛田一男にとっても。
石崎三郎にとっても。

誰にもアルバムを作り切る力は無かった。
僕はハナからリハビリと宣言した。
そういう態度を取るしか無かった。

昔に戻ることは不可能だった。
価値観が違った。
冷酷な現実を皆感じたと思う。

飛田一男がスタジオに来なくなった。
飛田は苦しんでいた。
彼には彼のビジョンがあったはずだ。
柴田とぶつかり、歩み寄るはずの僕は歩み寄らなかった。
飛田の心が切れた。

飛田はバンドを去った。
いや、もうバンドではなかった。
でも僕はその現実を受け入れた。
当たり前だと思った。
それこそがめんたんぴんらしい。
皆、正直だった。
頼るものは何も無い。
寂しくも、悲しくも無かった。

 
Posted at 10:15/ この記事のURL
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オグリキャップとバブルの終焉 / 2009年04月24日(金)
オグリキャップは馬主運が悪かった。
彼は金儲けの為に走らされた。
高額でレンタルされ、使われ続けた。
レース名は忘れたが、G1を勝ち、勝利インタビューで馬が可哀想だと南井騎手が泣いた。
ジョッキーが可哀想だと泣いたシーンはそれしかない。
オグリキャップはすでに馬ではなく、何かになっていた。

負けてもなお、ファンはオグリを信じた。
そして引退レース。
武豊を背に有馬を勝った。
あまりに劇的だった。
競馬熱はその瞬間爆発した。

僕は馬は好きではない。
そんな僕でもオグリには参った。
女の子はジュリアナで踊り、大人は土地転がしに励んだ。
そしてバブルは弾けた。
ぽっかりと空っぽの空気が東京を覆った。
すべては終わったように思われた。

その頃から僕は作曲の仕事を始めた。
アイドル達の為に。
拠点は新宿。
アイドルと言うブームが起こっていた。
たくさんの女の子に会った。
新しいエネルギーに吸い寄せられた。

 
Posted at 10:40/ この記事のURL
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川崎競馬場の日々 / 2009年04月23日(木)
「忠平が競馬場に居るなんてびっくりしたよ。ジャージ姿で手すりから身を乗り出して馬見てるだろ。声かけにくくてね。一年は声かけられなかった」
競馬狂の知り合いに後日言われた。
僕は川崎、大井に通い続けた。
大金を賭ける訳ではない。
パドックの馬を見るのが好きで夢中になった。

土日は府中競馬場にも行った。
その頃、中央競馬は斜陽だった。
でも新人武豊が登場し、雰囲気は一変した。
パドックにカメラを持った女の子が並んだ。
そして、オグリキャップの出現により競馬はあっという間にポピュラーになった。

世の中はバブルに向った。
そこら中でドンチャン騒ぎが始まった。
株が上がり、金が溢れ、器用に動けば食いっぱぐれは無かった。

浮かれまくった人間を正気に戻したのがオグリキャップだった。
忘れもしないあのジャパンカップ。
彼が2着に食い込んだあのレース。
僕は今も覚えている。

 
Posted at 17:55/ この記事のURL
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草競馬流浪記 山口瞳 / 2009年04月22日(水)
競馬場があってよかった。
もしそこに行かなかったら、僕は酒に狂い、女に狂っただろう。
再び音楽に戻る事も無かったかも知れない。

30代。
本を読みあさった。
本に救いを求めた。
古本屋に毎日通った。
新刊本は只の一冊も買わなかった。
最新の情報から逃げた。
触れたくなかった。

僕が好きになった作家は二人。
開高健と山口瞳。
彼ら二人共僕の父親と歳が近かった。
無意識に父親にすがった。

その頃。
レコード会社に誘われてプロデューサーという仕事をやってみた。
現場のことは何も知らないが長くバンドにいたせいで、他人の作る音楽はなじめない。
元々、スタジオワークは苦手だった。
その僕がレコーディングプロデューサーになったのだから笑える。
人生は面白い。

裏方の仕事を続けてる内に自分の音楽を作りたいと思った。
スタジオが好きになっていた。
魔法が生まれる場所。
曲を完成させるたびに自身が沸いてくる。
ようやく自分のスタイルが見えてきた。

 
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三人のめんたんぴん 4 / 2009年04月21日(火)
サブの宣言を僕と飛田は快く承諾した。
ミッキーはアメリカに来いと誘ってくれた。
彼のスタジオでデッドのメンバーをゲストに呼んでレコーディングしようと言ってくれた。
そして、フリード・ウッドマックの話もある。
海外ツアーに参加できるかもしれない。

でも、サブの言う通り僕らの体力はそこまでだった。
サブの家族の生活。
飛田一男の生活。
色々ある。
長い間僕等は、生活を忘れていた。
サブの宣言はそう言う事を思い起こした。
事務所も無く、三人だけでやってきた。
限界が来ていた。

僕は妻と川崎新丸子で店を開いた。
そして、長女が生まれた。
否応無く僕は生活と言う渦に飲まれていった。
五年間続けた。
次第に僕は妻と口をきかなくなった。
彼女は長女と長男を連れ実家に帰った。

さしたる願望も無いのに、僕は一人になった。
流れるままに。
何をしたいと言う欲のカケラも無いままに。
僕は東京という町にさ迷い出た。
適当に稼ぎ、その全てを競馬場につぎ込む生活が始まった。

 
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三人のめんたんぴん 3 / 2009年04月20日(月)
僕は外人が苦手なのだが、ミッキーとは気が合った。
彼は柔道三段。
僕は初段。
その事を知ってから彼は僕を「ショダーン」と呼んだ。
かなりの日本びいきで通訳してくれたロングヘアーの日本人女性にコロッと参っていた。
「ミッキー、お前も好きやなー」と言うと「万国共通ですよ、男はね」と言う目をして笑った。

「昨日電話で君等のテープ、ガルシアに聴かせたよ」とミッキーが言った。
ギクっとした。
「君等の音は、ダイアー・ストレイツに似てるねって言ってたよ」
僕はこの話をブログに5回は書いている。
なんなら、百回書いてもいいけど。

この感動解ってもらえますか。
ジェリー・ガルシアですよ。
彼が、僕等めんたんぴんを、生前聴いたと言う事実はスゲー事ですよ。

そして、ちゃんとコメントをくれた。
ミュージシャンをやって一番興奮したのがこの時。
そりゃそうですよ。
師ですよ、僕にとってガルシアは。
思いは届くんですね。
世界は狭い。

その感動があまりに大きく石崎三郎はバンド活動を止めると言い出した。
「もうええ、充分や。このあたりで止めるわ」と。

 
Posted at 01:29/ この記事のURL
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