2007年6月28日
日本競馬狂想曲」のダウンロード先が変更されました。
携帯電話から下記アドレスかQRコードを利用してアクセスして下さい。
サイト名:ぐるうたフル
URL:http://utafull.com
(携帯電話専用サイトです。)

QRコード

[手順]
ぐるうたフル
TOPページで
「→アーティストリストはこちら←」を選択。
アーティストのリストが表示されますので、
「佐々木忠平(めんたんぴん)」を選択してください。
「佐々木忠平(めんたんぴん)」の曲一覧が表示されます。

[配信]
au、DoCoMo、Softbankで配信しております。
着うたフル対応機種でご利用ください。

プロフィール
  • プロフィール画像
  • アイコン画像 ニックネーム:yogakuonsan
読者になる
Yapme!一覧
読者になる
«2009年04月 | Main | 2009年02月»
カントリー・ブレックファースト めんたんぴん / 2009年03月31日(火)
ロサンゼルスのホテルに僕等は泊まった。
2週間ロスでレコーディングし2週間シスコで遊ぶ。
コンサートでくたびれ果てていた僕等にレーコード会社がサービスしてくれた。
僕と池田洋一郎は妻を同行した。

羽田空港を飛び立った時、曲は一曲も無かった。
ライブが続き誰も曲を作る気力と暇が無かった。
ベッドでぐっすり眠りたかった。

ホテルの横に食堂があった。
朝起きるとまず食堂に直行した。
厚いハムを焼き、スクランブルエッグとハッシュポテトがそえてあるメニューを毎朝食った。
飲み物はジュースとミルクコーヒー。

観光ピザで入国した僕等は、夜になるとスタジオに行った。
楽器は現地で買った。
なんせ、曲が一曲も無い。
皆、気にはしたが、成る様に成るで乗り切るしか方法は無かった。

眩い光の中で、たっぷりとロスを楽しんだ。
以外にも、日本の事ばかり頭に浮かんだ。
ロス的なものは一曲も出来なかった。
そして、食堂で僕等に興味を持った一団があった。

 
Posted at 11:14/ この記事のURL
コメント(0)
ランブリン・ライダー めんたんぴん / 2009年03月30日(月)
コンサート・ツアーに次ぐ2枚目のシングルがこの曲。
「迷える逃亡者」曲はアッパー。
僕が作詞作曲した。
メンバーには不評で、僕等はこれ以上ポップじみた作品とは縁がなくなった。

当時のブランド「バン」は何かと僕等を応援してくれた。
「バン99ホール」への定期出演。
「バン・ロック・オン」と言うラジオ番組の主題歌の依頼。
確かその曲も僕が作った。
知る人はほとんどいない。
「捨てろ!フラストレーション、つかめ!グッド・バイブレーション」
僕の得意なハードロックナンバー。
僕は本来アッパーな曲が好き。
ストーンズの影響が強い。
地味な曲は大嫌いだった。

「ランブリン」はドゥービーと久保田麻琴さんの影響を受けている。
女の子をバイクに乗せて走り回る。
なんかそんな青春に憧れた。
ちなみに僕はバイクに乗らない。
免許すら持っていない。
女の子の運転するバイクに乗せてもらった事は有るが。

 
Posted at 14:51/ この記事のURL
コメント(0)
めんたんぴんセカンド めんたんぴん / 2009年03月29日(日)
当時。
すでにライブ活動が負担になっていた。
曲作りが楽ではなかった。
僕は風邪をひき声が出なかった。

このアルバムは音がいい。
ジャズ界で頭角を表した若手白人エンジニアをレコード会社が用意してくれた。
確か、デービットと言った。
ツインドラムを実に上手く録音している。
他のエンジニアが見に来た位だ。
マイクのセッティングに工夫があった。

もっとアッパーな曲を作りたかった。
僕は川崎に住み、小松と川崎を往復した。
メンバー一人一人に生活が生まれた。
結婚。
小松でのリハーサル。
東京京都での定期ライブ。
共同体から個人の生活。

僕は自然な事だと思う。
各自バラバラになっていく事も。
思想、考え方が違っていく事も。
共同体(コミューン)を喪失する事も。
出来る限り続けたいと言う使命感も。

「ロスト・プラネット・ミュージック」はロストしていく苛立ちと、再びの望郷におぼれる者の歌だ。
現実を逃れる為に、暗黒の世界に居続けたかった。

 
Posted at 14:50/ この記事のURL
コメント(0)
めんたんぴんファースト2  めんたんぴん / 2009年03月28日(土)
このアルバムの曲は同時に出来た。
コピーバンドから、オリジナルハードロックバンドを経て僕等は自然に無理なくオリジナル曲を作るに到った。

もし、ライブ活動を減らしていたら、相当な数の曲が出来た。
ライブのめんたんぴんと言われたが、皆曲作りは好きだった。
僕と柴田徹が詩を書いた。
作曲は飛田、僕、サブ。

これだけの制作者がいるバンドは少ない。
デッド風。
カントリーロック。
ストーンズ風。
南部風。
ソウル。
ブルース。
実に幅が広い。
ドラムの沖村はウエストコーストミュージックに詳しく、ポップなセンスが有った。
大型バンドと言われた。
体が大きい者が揃っていた事もあるが、音楽性の広さもその一因としてあるように思う。

デッドとストーンズの融合を試みたバンドは他に無かった。
世界のロックに存在した大きな二つの流れの両方が好きだった。
ガイコツマークとベロマーク。
日本の当時の音楽界からははみ出していた。
それは今も同じ。
僕等が懐メロになることは決してない。
常に「何かよく訳らない音楽」であり続けるだろう。



 
Posted at 11:27/ この記事のURL
コメント(0)
めんたんぴんファースト  めんたんぴん / 2009年03月27日(金)
銀座音響スタジオで録音した。
当時、このスタジオしかなかったように記憶している。
スタジオのあるビルのカフェでは、著名ミュージシャンが多数お茶を飲んでいた。

ロックバンドをどう録音したらいいのか。
僕らもスタッフも知らなかった。
「海外じゃ、リズムから録るらしい。リズムセクションだけまず録音しようか」
スタッフの言うとおり演ったが、サマにならずすぐ止めた。
「やっぱり、普段通りセーので演ってね」

それで、セーので演って2、3日で録り終えた。
当時ロックバンドはスタジオ使用日数を自慢し合っていたが、僕等は例外。
そんな事どうでも良かった。
なんせ、スタジオが嫌だった。
客がいないのに乗れる訳が無い。
僕は一人マイクに向い歌うのが苦痛だった。

僕はミックスダウンに行かなかった。
全く興味が無かった。
それから何年もスタジオワークを嫌った。
「銀座のど真ん中でなんで俺が歌わんといかんのや」
ロック野郎は悩んだ。
「俺はロックや」
意気がっていた。

 
Posted at 12:07/ この記事のURL
コメント(0)
ぼちぼちいこか  上田正樹 有山淳二                        / 2009年03月26日(木)
有山は日本のライ・クーダーだった。
若い頃顔も似てた。
サウス・トゥ・サウスとは二度一緒にツアーした。
北海道と四国。
前半はアコースティック。
このアルバムの曲が歌われた。
大阪パワーはもの凄かった。

アルバムに僕の妻の名前がある。
「新丸子の美矢子ちゃん」
サウスは一ヶ月間妻の実家の料亭に泊まった。
「お金無いって言うから泊めてあげたの。あたしもファンだしね」

僕は知らない大阪の町を想像した。
知らない北新地。
知らない御堂筋。
健康的で人間臭い、大阪の暮らし。
エンタツ、アチャコの頃から変わらない大阪があった。

数年前。
自由ヶ丘の大井線ホームでキー坊とバッタリ逢った。
「忠平やないか。どないしてんの」
彼は脇に競馬新聞を挟んでる。
「キー坊。中央競馬の帰りか」
「そうや。全部やられてもうた。忠平はどこへ行くんや」
「俺は今から大井のナイター競馬や」
「大井か。俺はあんまり行かんけどな」
中央のキー坊。
公営の忠平。
一言、言いたかった。
「キー坊。お前に中央は似合わんぞ」
それ以来、逢ってない。

 
Posted at 02:40/ この記事のURL
コメント(0)
風 街 ロマン  はっぴいえんど / 2009年03月25日(水)
今も時々スタジオの作業前に聴く事がある。
細野さんのベースがいい。
一曲一曲かなり丹念にアレンジが考えられている。
東京という街が発した唯一の日本のロックアルバム。
そして、今となっても誰もこのアルバムを超えられない。

このアルバムに流れる都会的なクールさを僕はひとかけらも持ち合わせていない。
田舎者はただ憧れるだけ。
それで逆に僕はこの作品に対して昔からクールだった。

僕等は動くはっぴいえんどを目指した。
都会の衣擦れなぞをちんまりコーヒーを飲みながら聴いてるなんて、性に合わない。
キープ・オン・トラッキンしたほうがカッコイイと思った。
微熱少年よりロックンロール少年になりたかった。

田舎は田舎。
都会は都会である。
田舎者がはっぴいえんどにコンプレックス感じた所で何も始まらない。
明快に僕等はそう思った。

録音技術においても未だに古くない。
いい音している。
東京者をナメたらいかんね。
東京者が本気出すと必ず流行る。
YMOにおいて細野さんは再び爆発した。
二度有る事は三度有る。

 
Posted at 12:13/ この記事のURL
コメント(0)
サン・アントン  飯田雄一とオレンジ・カウンティ・ブラザース / 2009年03月24日(火)
日本のダグ・サムは飯田君である。
毎晩酔いどれ、くだをまき、それでも尚人気がある。
横浜のカリスマ。
カントリー狂い。
パンクし、ロックする。
他に類がない。

カントリーロック界を一人で支え体現し、横浜をまとめた。
メンバー達も昔と何も変わらず、飯田君の周りに集まる。
中年オヤジバンドはかくありたい。

飯田君のパンクぶりはハンパではない。
楽屋で飲みすぎ、出番時には意識不明となり、スタッフにかかえられてステージに上がり、一曲も歌わず客と殴りあった。
大阪天王寺まで出かけ、道を聞いたおやじの態度に腹を立て、出演をすっぽかし横浜に帰った。
等など、到底普通の僕には考えられない事ばかり。

根は大人しく優しい。
でも、その根底に被害妄想が横たわる。
突然牙を剥き暴れる。

実に人間臭い。
その素直さが横浜の人達には、信じられる男として写る。
心の底からダグ・サムを愛している。
ダグが他界した時、後を追おうとした。
ロックな男だ。

 
Posted at 08:08/ この記事のURL
コメント(0)
休みの風  藤田洋麻  夕焼け楽団 / 2009年03月23日(月)
藤田さんは高校の一年先輩。
今も横浜を中心に活動されている。
「ミラクル・トーンズ」なるバンドを新しく作った。

後輩である事を口実に、僕は洋麻さんに好き放題言っている。
「忠平は、カチッと仕事するからな。それでいい。注文あったらガンガン言って。遠慮する事ないよ」

先日他界した山崎直也は藤田さんが大好きだった。
「洋ちゃんのギターはいいよー。もっと広めたいんだけどねー。俺は凄く好きだよ」
よくそう言った。

センシティブな人だ。
酔うとガラリと変わるが。
この曲以外にも名曲がある。
素直な作りが藤田さんの特徴。
ケイジャン・ミュージック。
ザディコ。
アメリカとフランスが混ざった音楽が好きらしい。
お洒落だ。
まー、昔からお洒落だったが。

小松人同士、話がし易い。
飯田雄一。
藤田洋麻。
川崎の面々も加え、横浜カントリーロック界は大いに盛り上がってる。
そして僕も時々は参加する。
東京にはないホンマモンの集団となっている。

 
Posted at 13:40/ この記事のURL
コメント(0)
造花の原野  裸のラリーズ / 2009年03月22日(日)
得体の知れないバンドだ。
昔からチョーカリスマであり、その信者は多い。
村八分はラリーズから分派した。
今も活躍する。

昔。
埼玉大學のコンサートで初めて現物を見た。
校内にヒッピーが多数客として入ったことに右翼学生が腹を立て、コンサート会場になだれ込んだ。
相手構わず馬乗りになって殴りかかる。
ヒッピー達は無抵抗。
僕は頭にきて殴りこもうとしたが、メンバーに止められた。

その中でラリーズは大音量をたて演奏した。
「ナンじゃコリャー」僕は驚いた。
殴られ顔を腫らせたヒッピーの青年が嬉しそうに踊った。
「これが東京のロックシーンか、命がけやな」
田舎者には忘れられない光景だった。

オズ・ラストディに収録されたこの曲は小松で流行した。
何故か、小松人には受けた。
「ソウカノ ゲンヤノ ハルカ カナタカラ」と皆歌ったが、正確には「造花の原野」であるらしい。
作詞者からついこの間聞いた。
ボーカル、リーダーの水谷さんと話した事は無い。
得体の知れない作詞者から聞いた話しである。

 
Posted at 01:07/ この記事のURL
コメント(0)

| 前へ
 
Powered by yaplog!