2007年6月28日
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「続・懐かしきガードマン」 / 2005年08月31日(水)
彼は実に妙な買い方をする。「4枠の馬が狙いです」と言いながら5枠から買ったりする。
「ええ。長い事やってるうちにこうなったんです。自分が良いと思う馬をまず外して買います。自分が買いたくない馬券を買うんです。これがツライ。」
あまりに多く外れると、彼の言うことが分かってくる。自分を信じない。自分の予想は必ず外れる、という前提で馬券を買う。変態である。多分彼の人生がそうなのだろう。彼は日に日に下降していった。
ある時、年上の女と競馬場に現れた。誠実な彼の顔にくっきりと夜の水商売特有のニヒルさがあった。割り切ってしまった男の顔だ。
今でも馬券が外れると、ふと彼を思い出す。
「自分の買いたい馬を外します。」
そんな事やっぱり出来ないけどなー。私は彼をとても好きだった。元気にしてると良いな〜。

 
Posted at 23:12/ この記事のURL
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「懐かしきガードマン」 / 2005年08月31日(水)
30代の終わり頃、私はガードマンをしていた。プロデュースの仕事が終わればガードマン。仕事の依頼があればプロデューサーに戻る。殆ど横浜のあちこちを飛び回った。
朝、弁当を作り、司令室の指示に従い、現場に向かう。ビル工事、道路建設等の現場だと常駐する。現場の職人たちと仲良くなる。結構楽しい。残土をダンプに積む位は手伝う。
横浜緑区水道局の漏水係のガードマン詰め所に一年位いた。4〜5人のガードマン仲間がいた。20代でハンサムでどこか影のある青年がいた。彼は夜、スナックでバーテンをしている。多分その店のママか何かに囲われていたと思う。彼が競馬好きだった。とても優しい男で私を誘ってくれた。
「佐々木さん、今度川崎開催行きましょう!どこか日を合わせて、一度行ってみませんか?」
「いいね〜。行こう!俺は素人だから教えてくれよ。」
「はい、分かりました。」
ガードマンと競馬の日々が始まった。

 
Posted at 23:00/ この記事のURL
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「ローマは一日にして成らず」 / 2005年08月31日(水)
ホームページ、『めんたんぴんJP』に、「言うてしまえ」というブログをやっている。ベースの石崎三郎が、見てるよ、とTELをくれた。
「6月頃のやつはアカン。7月になってようなった。なるほどな、と思う。人の悪口言うな。お前は自分の事、内面を書くと面白い。結構いいぞ。」
叱られて褒められる。さすがバンドのベースマンだ。なんてね。
サブは熊本にいる。でも、ブログを見てくれれば現在の私を良く知る事が出来る。便利なもんや。こっちのコラムも見てるのかな?
ネット上で私はめんたんぴんのメンバーに見張られてるらしい。嫌やな〜。昔と一緒じゃねーか。いやいや、心配してくれているのだ。昔から私は危うい人だったのだ。
ロックボーカルは一夜にして成らず。この言葉を胸に秘め、今夜は眠る事にする。

 
Posted at 01:14/ この記事のURL
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「独り言の年金じいさん」 / 2005年08月30日(火)
めんたんぴんのCDを出してくれているH氏が小松に来た。一緒にお茶を飲む。
「忠平さん、自分の意見はっきり言いますね。そんな人、珍しいですよ。」
「え?そうですか?」
「右寄りのロックミュージシャンには会った事無いですよ。」
「え?そうですか?」
日頃は偉そうに言いまくっているが、面と向かって、あなたはそういう人ですよ、と言われるとドギマギする。ずっとこうだったと思うのだが、いや、ひょっとしてボケてしまっているのではないか、と夜まで考えた。最近とみに人の名前を忘れる。頭がイカレているのかな・・・。
寺井貢にも「はっきり言うてますね、勇気あるわ〜。」と、言われた。
当たり前の事を言ったり書いたりしているつもりなのだが。浮いているのか。浮いてしまったものはしょうがない。自然なのだ。私は既に、年金じいさんになってしまったのか・・。

 
Posted at 13:34/ この記事のURL
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「70年代の始まりU」 / 2005年08月30日(火)
ルート66ではなく「国道8号線」、「始まる場所」。アメリカ文化を身の内に入れつつ、私達は日本に根ざす歌を作った。大阪から有山淳二、上田正樹、東京から山下達郎、名古屋はセンチ。同じような意識のミュージシャンが現れた。いづれも、独自の音楽性を持っていた。日本にロックが起こった。先輩ロッカー達とは違い、私達の世代は、自由に伸び伸びと活動していたように思う。
ヒットを出すとか、芸能界がどうとか、関心が無かった。上田正樹は今でもそういう発言をしている。我々にはヒットチャートがどうした、とかいう事が身についていない。未だに遠い世界だと思っている。
サザンが出るまで、ロックバンドとヒット曲とは繋がりが無かった。それでもレコード会社は争って私達と契約した。殆どのバンドがレコードデビューした。そしてヒット曲を持たないバンドは自然に消滅してゆく事になる。

 
Posted at 00:08/ この記事のURL
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「70年代の始まり」 / 2005年08月29日(月)
私は全共闘世代ではない。大学に入ったら、その闘争はきれいに消えていた。私はエネルギーを持て余し、ロックに走った。私の周りの人間は概ねそうなった。
ロック真っ盛り。全力でアメリカにぶつかっていった。日本の凄さは何なのか。アメリカに被れて、日本人を捨てる者がいっぱいいた。何せ、日本はかっこ悪い国だと思っていた。そう教えられた。米軍の払い下げのハウスに住んだミュージシャンは多い。アメリカ人の様に振舞った。アメリカ文化はカッコ良かった。
しかし・・、しかしなのだが、ある時から、ドップリいけなくなった。DNAのせいなのか?よく分からない。アメリカ人にはなれない。歌を作る事で、自分は何者かという問題に突き当たった。ものを作る時、アイデンティティーが頼りになる。私は、私が生まれて育った場所を捨てることが出来なかった。現実を捨てられない。
私とめんたんぴんは日本という国を強く意識するようになった。

 
Posted at 14:13/ この記事のURL
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「ロールオーバー・ベートーベン」 / 2005年08月29日(月)
日本競馬狂想曲を聴いてない人は早く聴いた方がいい。話に乗り遅れてはいけない。2千500円で面白い世界の住人になれますよ。何てこと作った本人が言っていいのかな?
そもそも作品は媒体である。私の独りよがりで終わっては意味が無い。
小泉純一郎風に言えば、私は日本をぶっ壊したい。言葉を変えれば、元々の素晴らしい国に戻って欲しいのだ。反日分子との戦いだ。もういい加減にして欲しい。自分の国に誇りを持つ事が、そんなに悪い事なのだろうか?愛国心という言葉が、そんなに汚い言葉なのだろうか?
日本でアーティストと呼ばれる全てのミュージシャンを敵に回しても私は言いたい。アーティストとは何か。そんな立派な人間がいっぱいいるのか。日本の政治と経済の先頭に立っているものがいるのか。
愛の歌なぞいらない。そもそも愛とは何か?誰にでも手に入るものなのか?!「愛せる人」になるのは大変な事じゃないのか?!血圧が上がる・・。
ジュークボックスがぶっ壊れるよ、チャックベリー様。

 
Posted at 00:44/ この記事のURL
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「ラプソディーな生き方」 / 2005年08月28日(日)
私はロッケンローラーである。フォークシンガーではない。おまけにアホである。54歳にして新人のつもりでいる。ずっと川崎競馬場に甘えてきた。川崎競馬場は私の母なのだ。女に甘えると事は面倒になる。日本女性は心優しい。ひょっとして私が面倒見てあげるという人が現れるかもしれない。それはいけない・・。

そうそう日本競馬狂想曲に対する意見が出てきた。【曲はいいが、「語り」は飛ばしている。】【「語り」が面白い。曲は飛ばしている。】等など。様々である。【マニアックだから売れない。】【いや、マニアックだからヒットするかもしれない。】色々である。
狂想曲(ラプソディー)とは自由な形式で表現された作品であるらしい。形式だけではなく、発想を自由にしたかった。
人間はデタラメな生き物だと思う。そのおかげで、色んなものを生む。全ては変化してゆく。いつまでもビートルズじゃ芸が無い。絶対的な物など無いと思っている。

 
Posted at 01:49/ この記事のURL
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「たまには吠える」 / 2005年08月28日(日)
私は『ノーザンテースト』という会社を持っている。有限会社である。私の父と妻が出資してくれた。名前は勿論、大種牡馬「ノーザンテースト」からとった。この会社が儲かったら、社名を「ノーザンダンサー」にしたいと思っている。
この会社の所属タレントは、私と松田ゆかりの二人である。私達二人でデュオ『ステラブルー』をやっている。夢はアメリカ進出である。日本語でカントリーを歌い、アメリカ人をノックアウトしようと思っている。アジアに興味は無い。私は日本はアジアではないと思っている。中国が嫌いなのだ。まぁ中国も日本が嫌いらしいので安心している。
今年はノーザンテースト発展の年にしたい。日本のロックシーンに殴り込みをかけたい。ノーザン=北陸の力を見せてやりたい。サザーンの時代は終わった。時は来た。TIME IS ON MY SOUND (タイム・イズ・オン・マイサウンド)である。

 
Posted at 01:14/ この記事のURL
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「金沢競馬場は三連単を厚く」 / 2005年08月27日(土)
私は川崎の住人である。でも家は伊豆稲取にあり、主なレコーディングは実家のある小松市で行っている。故に、この3ヶ所をぐるぐる回っている。
今年は『日本競馬狂想曲』を作るため、ずっと小松にいた。発売元の高橋明雄君も小松にいる。それで金沢競馬場にばかり通っている。これが面白くてハマる。
メインは三連単。これで勝負をかける。川崎や大井では連単がメインだが、金沢では思い切った馬券を買う。パドックと予想屋「競馬道場」のお兄さんを頼りにする。いつか大儲け出来ると信じている。固そうで結構荒れる。
金沢競馬はスリリングだ。必ず1レースか2レース、ドカンとくる。思いがけない馬が好走する。それを捕まえたいのだ。燃えている。人気が無く好走する馬をパドックで見つけたい。それが出来ると思っているのだが・・。
これをハマっていると言うのだろう。分かっています。馬鹿は死ななきゃ直らない。

 
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