総崩れ、荒木村重 

December 05 [Wed], 2007, 21:59
1563年 5月 清洲城

深夜、岡崎から真田幸隆が援軍として着陣した。

「遅れて、申し訳ござらん」

「いや、よいですぞ。どのくらい率いて参られましたか?」

「1万7千でございます」

「実は真田殿我らは約5万。相手は約10万…勝てるであろうか」

「元康殿大丈夫でござる。相手は10万なれど早急に集められた軍。
訓練などされておりませんぞ!!」

「なるほど、たしかに三好は対足利で忙しいはず…さすが真田殿
情報が網羅されておりますな」

「ハハハ、元康殿もよい斥候を持たれた方がよろしいですぞ」

「肝に銘じておきまする」

翌朝、元康はひそかに荒木隊に接近し奇襲をかけた。
幸隆の言ったとおり、三好軍は訓練されておらず
あっという間に荒木村重を捕縛した。

他の隊も同様、三好義興・三好長逸らも捕縛した。
そして北畠は内応。久通はもはやこれまでとばかりに、
兵を捨て畿内に逃げてしまった。

こうして安濃津城は簡単に落ちたのである。

三好への挑戦 

December 05 [Wed], 2007, 21:45
1563年 5月 清洲城

長島侵攻から5ヶ月、戦力の回復が完了したため
信長は、安濃津城攻めをすることを決意した。

とは言え相手は三好である。ここで一計を案じることにした。

「半蔵はおるか?」

「は、ここに」

「安濃津城は団結しておるか?」

「いいえ、城主松永久通と北畠具教との間はギクシャクしておりまする」

「そうか、そちは安濃津城下で具教が謀反を企んでいると流言してくれぬか?」

「わかりました」

そして噂が広まり久通と具教の間はますます悪くなった。

信長は松平元康に北畠具教に内応するよう説得しろと言う書状を出した。
元康は早速行動に移った。
北畠は最初難色を示したものの、自分のおかれている立場を考え了承した。

5月中旬、元康は副将に酒井忠次付け3万2千の兵を引き連れ出陣した。
一方、三好は松永久通を総大将に9万2千の軍勢を引き連れ対陣した。

「三好は9万もの兵を動員したかすごいのう」

「元康様、大丈夫でございます。我ら三河武士からすれば烏合の衆です」

「そうじゃ、三河武士は天下一品じゃ。
 明朝出陣!!北畠を内応させた後、敵援軍荒木村重を打つ」

こうして安濃津の戦いが開始された。。。

京への道、伊勢長島 

December 05 [Wed], 2007, 0:10
1562年 12月 清洲城

今川を滅ぼした信長。
松平元康など今川の旧臣達を取り込むことに成功。
戦力が充実した。

論功行賞では、今川討伐に功があった柴田勝家に駿府一国。
滝川一益には三河一国。
遠江は前田利家に曳馬城及びその周辺2万石を与え、そのほかは直轄とした。

東はひとまず内政に専念することにした。
そして信長の目は京に向けられることになった。

京は依然として戦火の渦であった。
三好・足利・斉藤の三つ巴となっていた。
そこで信長は伊勢に軍勢を向けることにした。

伊勢は北畠の領地であったが、
近年三好の侵略を受け長島城を守るのに精一杯であった。

そこへ信長は新鋭松平元康に4万の兵を与え出陣させた。
元康の前に北畠晴具は敗走、そして自害した。
ここに伊勢の拠点を獲得したのである。

最後の抵抗、長篠の戦い 

December 04 [Tue], 2007, 23:38
1562年 4月 清洲城

元康は織田家に仕官するよう求められたが

「今川家にも義理がある。その恩は返したい」

と言ったので逃すことにした。

あれから3ヵ月いよいよ三河も長篠を残すのみとなった。

滝川一益は蜂屋頼隆に1万6千の兵を与え出陣させた。
同時に清洲へ援軍要請をしておいた。

三河・長篠城

「お、これは遠藤殿よう参られた」

「は、信長様の命を受け2万の兵を連れてまいりました」

こうして戦いが始まった。
今川側も最後の意地で2万4千の軍勢で出陣してきた。
しかし、訓練の差がはっきりしていた。
今川軍はついに長篠へ撤退。

そして・・・

長篠城は落ちた。今川義元は自害した。

こうして、東海三国を支配し天下に最も近いと言われ、
東海一の弓取りと称された今川義元はここに滅亡した。

風前の駿府城 

December 04 [Tue], 2007, 23:14
1562年 1月 清洲城

深志を取ってから一年が経った。
この一年は内政に力を入れ国力を充実させた。

そして信長は決断した。

今川を討つ!!

すぐに使者を曳馬城へ使わした。
思い起こせば父の代から因縁の相手であった。
その相手も今や駿府と三河の長篠一帯を支配するだけである。

曳馬城

柴田勝家は書状を見るやすぐに準備に取り掛かった。
岡崎の滝川に援軍を頼み、自らは佐々と共に2万8千の兵を率いて出陣した。

「おやじ様!!お気をつけて」

「利家も曳馬城頼んだぞ」

駿府近郊

柴田勝家は駿府に到着すると軍議を開いた。

「今川はどうなっている」

副将である、佐々が答えた。

「今川は義元を総大将とする軍勢を率いて出陣。
北東の山に陣を張りました。他に朝比奈泰朝、松平元康なども出陣しておりまする」

「兵力はどのくらいかの」

「4万5千でございます」

「我らが2万8千、滝川殿が2万。合計4万8千、互角か」

軍議では正攻法で行くことが決定した。
翌日、戦闘が開始された。今川の兵は寄せ集めが多く、すぐに崩れて行った。
朝比奈も元康も奮戦したが及ばず、捕縛された。

義元は駿府へ撤退、攻城戦へ移った。
しかし、奮戦むなしく駿府城は落ちた。

「雪斎が生きておれば・・・こういうことにはならなかったであろうな。
 みな長篠で再起を図るのじゃ」

こうして、義元は長篠へ落ち延びて行った。

第2次深志の戦い 

December 04 [Tue], 2007, 2:18
1561年 2月 清洲城

撤退後、木曽福島に戻っていた秀長は、
報告のため、盛重に城の守備を任せ自らは清洲へと向かった。

「大苦戦であったそうじゃのう」

「は、お屋形様に進言しておりながら申し訳ございません」

「よい、木曽福島城・馬場の件もある。それで帳消しじゃ」

そう信長は声をかけた。そして次なる策を授けたのである。

「岡崎より兵を集めておいた。すぐに出陣するのじゃ!!」

「速攻で…ございますか?」

「武田も速攻は考えておるまい。戦力が整う前に攻めた方がよかろう」

「は、わかりました」

こうして秀長は早速2万8千の軍勢を引き連れて清洲を出発。
木曽福島に到着した。
最初盛重も驚いてはいたが、すぐに承知。深志へ出陣した。

信長の言ったとおり武田はまだ準備をしては居なかった。
秀長は各所で敵を撃破して行った。

この破竹の勢いに武田晴信も勝てぬと悟り、深志より撤退。
そして主だった戦闘もなしに深志城は陥落。
こうして織田軍は南信濃の重要拠点深志城を手に入れたのであった。

苦戦、深志の戦い 

December 04 [Tue], 2007, 2:02
1560年 12月 清洲城

翌日、戦いが始まった。
武田信繁、原虎胤、飯富虎昌、馬場信房の猛攻もあり織田軍は苦戦した。

「くそ、斉藤軍はまだか!!」

佐久間盛重は怒りをあらわにしていた。
羽柴秀長も口にはしないが焦っていた。
結局2〜3日は何とか守った。しかし守備に精一杯で攻撃は出来なかった。

「秀長殿、斉藤軍も未だ来ず、、
今のうちに木曽福島へ撤退なされた方がよいのでは?」

「いえ、ここは耐えましょう。斉藤軍は必ず来る。そう信じましょう」

そして、4日目の朝。

「申し上げます。斉藤道三殿が率いる軍勢。3万が到着しました」

「なに!?まことか?秀長殿やはり待って正解だったの」

「はい佐久間様。では道三殿に伝えてください、武田の援軍と当たって欲しいと」

「かしこまりました」

4日目の昼、斉藤軍が来たことにより戦況が少し変わった。
すかさず秀長は盛重に、隙の出来ていた馬場隊に突撃を命じた。

「よし、秀長殿より出陣の命が出た。我らは馬場隊に突撃をかける。突撃!!」

「何事じゃ!?」

「申し上げます。横から佐久間隊が突撃してまいりました」

「くっ、反転せよ。敵は佐久間じゃ!!」

しかし、混乱を止めることは出来ず兵も大半が逃げてしまった。

「そこにおられるのは、馬場信房殿とお見受け申す」

「いかにも馬場じゃが、そなたは?」

「織田軍副将佐久間盛重じゃ、勝負!!」

馬場は奮戦したものの、盛重に討ち取られてしまった。

馬場を討ち取るという功績は残したものの、兵の疲弊は激しかった。
秀長は考えた末、和議を結ぶことにした。
武田側も余力が無かったためこれを了承。こうしてお互い兵を引いた。
織田軍にとって始めての引き分けであった。。。

3万VS7万 

December 03 [Mon], 2007, 19:31
1560年 12月 清洲城

清洲城では出陣式が行われた。
羽柴秀長は3万4千の軍勢を率いて出陣した。

途中、木曽福島城を落とし深志城へ軍を進めた。
そして、深志城郊外に着陣。軍議を開いた。

「敵は約3万の軍勢。総大将は武田晴信だと言うことです」

副将佐久間盛重が説明した。

「そうですか、援軍がどのくらいになるかで勝負が決まりますね」

そこへ知らせが入った。

「申し上げます。武田の援軍が到着しました。
 援軍の総大将は晴信の弟、武田信繁でございます。兵は4万5千!!」

「4万5千!?」

盛重は驚いた。

「深志は信濃の拠点、武田も失いたくは無いのでしょうね」

秀長は落ち着いて答えた。

「斉藤軍もまだ来てないし、これは持久戦ですね…厳しい戦いになるでしょう」

こうして、深志城攻略作戦が始まった。

信濃、深志城攻略へ 

December 03 [Mon], 2007, 19:31
1559〜1561 清洲城

真田幸隆、内藤昌豊はしぶしぶながら家臣に加わった。

信長は、遠江を柴田勝家に与えた。
勝家は早速曳馬城へ入城、内政を始めた。

遠江攻略から2年が経った。
戦力が充実した信長は、何処に攻め入るか思案していた。

「やはり、風前の灯である駿河今川家であろうか、
 しかし取れば北条と当たる…どうしたものか」

そこへ羽柴秀吉の弟秀長が信長の元を訪れた。

「お屋形様、お悩みのご様子ですね」

「そうなのじゃ。何処を攻めてよいか」

「それならば、信濃はいかがでしょうか」

「信濃じゃと!?武田と争うのか?」

「は、斉藤軍の援軍が受けれれば勝てるかと」

信長は考えた。たしかに強大になる前に武田家は倒しておきたい。
しかし、武田家の武将は強力な武将が多く、一筋縄ではいかないことは明白であった。

「たしかに強力になる前に倒しておきたい…よしそちの意見を採用いたそう」

「まことでございますか」

「うむ、総大将もそちにまかせる。副将として佐久間盛重も付けよう。
 思う存分働いて来い」

「ははぁ」

こうして、賭けではあるものの信濃深志城攻略作戦が始まった。

知将、真田幸隆 

December 02 [Sun], 2007, 0:56
1559年 2月 清洲城

柴田は一度軍を引かせ再度軍議を開いた。

「さて、皆も知っておる通り武田の援軍が現れた。
 これからどう戦うか皆の意見を聞きたい」

「ここは一度岡崎に戻ってはいかかでしょう?」

滝川が意見を出した。しかし佐々は、

「何をいう滝川殿。オヤジ殿の名を汚す気か?ここは一気に真田に当たりましょう」

この後も意見がまとまることは無かった。そして、

「申し上げます。武田勢がこちらに向かっておりまする!!」

「どうやら引くことは出来ぬようじゃ。皆出陣の用意を!!」

こうして、武田との戦いが始まってしまった。
しかし勝家にはまだ神が残っていた。
武田の軍勢の士気が極端に低かったのである。

「武田めあせったな。訓練が出来てない農民を入れよった。
 皆のもの敵は烏合の衆であるぞ。突撃!!」

烏合の衆と見破られた真田幸隆・内藤昌豊は敗走。そして捕縛された。

これにより今川方も士気が低下。城に篭るも夜の間に駿府へ撤退していった。

勝家は曳馬城へ入場。遠江の平定が完了した。
プロフィール
  • プロフィール画像
  • アイコン画像 ニックネーム:yo_sagimori
読者になる
2007年12月
« 前の月  |  次の月 »
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31
最新コメント
アイコン画像真那斗
» 総崩れ、荒木村重 (2008年10月17日)
アイコン画像†*もぇちゃ*†
» 総崩れ、荒木村重 (2008年10月09日)
アイコン画像めーたん
» 総崩れ、荒木村重 (2008年10月08日)
アイコン画像はにまる
» 総崩れ、荒木村重 (2008年09月30日)
アイコン画像きりひと
» 総崩れ、荒木村重 (2008年09月30日)
アイコン画像ハム太郎
» 総崩れ、荒木村重 (2008年09月28日)
アイコン画像ikumi
» 総崩れ、荒木村重 (2008年09月24日)
アイコン画像南雲
» 総崩れ、荒木村重 (2008年09月20日)
アイコン画像MASA
» 総崩れ、荒木村重 (2008年09月18日)
アイコン画像火星の後継者
» 総崩れ、荒木村重 (2008年09月14日)