かつて水俣を、今福島を追う アイリーン・美緒子・スミスさんに聞く

March 03 [Sat], 2012, 19:56
特集ワイドかつて水俣を、今福島を追うアイリーン美緒子スミスさんに聞く共通する責任逃れ曖昧な情報流し繰り返してほしくない被害者の対立水俣と福島に共通する10の手口1、誰も責任を取らない縦割り組織を利用する2、被害者や世鴻乱させ、賛否両vに持ち込む3、被害者ウェディングキューピッド同士を対立させる4、データを取らない証拠を残さない5、ひたすら時間稼ぎをする6、被害を過小評価するような調査をする7、被害者を疲弊させ、あきらめさせる8、認定制度を作り、被害者数を絞り込む9、海外に情報を発信しない10、御用学者を呼び、国際会議を開く福島第1原発事故は水俣病と似ていると語るのは、写真家ユージンスミスさん78年死去と共に水俣病を世界に知らしめたアイリーン美緒子スミスさん61だ。
今回の原発事故と日本の公害の原刀vとの共通唐ニは何なのか。
京都を拠唐約30年間、脱原発を訴えてきたアイリーンさんに聞いた。
小国綾子不公平だと思うんです。
原発事故と水俣病との共通唐ついて、アイリーンさんが最初に口にしたのは、国の無策ではなく不公平の3文字だった。
水俣病は、日本を代表する化学企業チッソが、石油化学への転換に乗り遅れ、水俣を使い捨てにすることで金もうけした公害でした。
被害を水俣に押しつける一方、本社は潤った。
福島もそう。
東京に原発を造れば送電時のロスもないのに、原発は福島に造り、電力は東京が享受する。
得する人と損する人がいる、不公平な構造は同じです都市のため地方に犠牲を強いている、というわけだ。
被害人口で考えれば被害量のトータルが大きいのは大都市で、少ないのは過疎地域かもしれない。
でもこれ、一人一人の命の価値を否定していませんか。
個人にとっては、被害を受けた事実だけで100なのにアイリーンさんの原体験は外車の中から見た光景。
日本で貿易の仕事をしていた米国人の父と日本人の母との間に育ち、60年安保反対のデモを見たのも、香港やベトナムの街で貧しい子どもたちが食べ物を求めて車の上に飛び乗ってくるのを見たのも、父親の外車の中からだった。
こみ上げる罪悪感。
車の外に出たいと強く感じた。
両親の離婚後、11歳で祖父母のいる米国へ。
日本ではあいのこと後ろ指をさされたのに、セントルイスの田舎では日本人と見下された。
日本を、アジアを見下す相手は私が許さない。
日本への思慕が募った。
満月を見上げ荒城の月を口ずさんだ。
アイリーンさんの不公平を嫌う根っこは、加害者と被害者、虐げる者と虐げられる者の両方の立場に揺れた、そんな子ども時代にあった。
20歳の時、世界的に有名だった写真家ユージンスミスさん当時52歳と出会う。
結婚後2人で水俣に移住し、写真を撮った。
日本語のできない夫の通訳役でもあった。
患者と裁判に出かけ、一緒に寝泊まりもした。
ユージンさんの死後は米スリーマイル島原発事故79年の現地取材をきっかけに、一貫して脱原発を訴えてきた。
大震災後、環境市民団体代表として何度も福島を訪れ、経済産業省前で脱原発を訴えるテント村にも泊まり込んだ。
テーブルにA4サイズの紙2枚を並べ、アイリーンさんは切り出した。
水俣病と今回の福島の原発事故の共通唐書bトみました。
題名に国県御用学者企業の10の手口別表とある。
原発事故が誰の責任だったのかも明確にしない。
避難指示の基準とする年間20ミリシーベルトだって誰が決めたかすらはっきりさせない。
それは文部科学省いや、原子力安全委だと縦割り行政の仕組みを利用し、責任逃れを繰り返す。
被ばく量にはしきい値安全値がないとされているのに年間100ミリシーベルトでも大丈夫などと曖昧な情報を意図的に流し、被害者を混乱させる。
どれも水俣病で嫌というほど見てきた、国や御用学者らのやり口です福島県が行っている県民健康管理調査についても、被ばく線量は大したことないという結謔ありきで、被害者に対する補償をできるだけ絞り込むための布石としか思えませんと批判する。
アイリーンさんが最も胸を痛めているのは、被害者の間に亀裂が広がりつつあることだ。
事故直後、家族を避難させるため、一時的に職場を休んだ福島県の学校の先生は、同僚からひきょう者逃げるのかと非難され、机を蹴られたそうです。
みんな不安なんです。
だから一緒に頑張ろうと思うあまり、福島を離れる相手が許せなくなる福島の人々の姿に、水俣で見た光景が重なる。
和解か裁判闘争か。
水俣の被害者もいくつもに分断され、傷つけ合わざるをえない状況に追い込まれました。
傷は50年たった今も癒えていませんだから福島の人たちに伝えたい。
逃げるのか逃げないのか。
逃げられるのか逃げられないのか。
街に、職場に、家族の中にすら、対立が生まれています。
でも、考えて。
そもそも被害者を分断したのは国と東電なのです。
被害者の対立で得をするのは誰昨年3月11日、アイリーンさんは娘と2人、久しぶりの休養のため、アメリカにいた。
福島の原発事故の映像をテレビで見た瞬間、胸に去来したのはこんな思いだ。
今からまた、何十年もの苦しみが始まる。
水俣病がそうだったように。
水俣病の公式確認は1956年。
77年の患者認定基準を、最高裁は2004年、狭すぎると事実上否定した。
09年成立の水俣病特措法に基づく救済措置申請を7月末で締め切ることに対し、患者団体は今も被害者切り捨てだと批判している。
半世紀たってもなお、水俣病は終わっていない。
今、水俣の裁判闘争の先頭に立つのは50代の方々です。
まだ幼い頃に水銀に汚染された魚を食べた世代です。
だから、福島に行くたびに思う。
小さな子どもたちに将来、あなたたち大人は何をしていたのと問われた時、謝ることしかできない現実を招きたくないんです3時間にわたるインタビューの最後、腰を上げかけた記者を押しとどめ、アイリーンさんはこれだけは分かってほしいと言葉を継いだ。
水俣と福島にかかわっていて私自身、被害者と同じ世界にいると錯覚しそうになるけれど、でも違う。
被害者の苦しみは、その立場に立たない限り分からない。
分かっていないことを自覚しながら、被害者と向かい合い、発言するのは怖いですしばらく黙考した後、それでも声を上げようと思います。
福島に暮らす人、福島から逃げた人の両方が、水俣病との共通唐知り、互いに対立させられてしまった構図をあらためて見つめることで、少しでも癒やされたり救われたりしてほしいから。
かつて水俣を、今は福島も見つめる両目が強い光を放っていた。
水俣と福島に共通する10の手口1、誰も責任を取らない縦割り組織を利用する2、被害者や世鴻乱させ、賛否両vに持ち込む3、被害者同士を対立させる4、データを取らない証拠を残さない5、ひたすら時間稼ぎをする6、被害を過小評価するような調査をする7、被害者を疲弊させ、あきらめさせる8、認定制度を作り、被害者数を絞り込む9、海外に情報を発信しない10、御用学者を呼び、国際会議を開く特集ワイドへご意見、ご感想をtyukanmainichicojpファクス0332120279毎日新聞2012年2月27日東京夕刊
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