死ぬという事

June 17 [Fri], 2011, 0:07
友人の友人が自殺されたとの事で、多少叩かれる事を覚悟で書いておきたい。自分の死生観をちょいと書いておきたい。、死ぬって怖い事実は僕、死ぬの全然怖くない。というのも、自分なりに必死に一日生きてるので明日目が覚めなくても全く後悔が無い。それに遺した人が云々ってのも全然思わない。恋人、友人、仲間、家族、親類、どんな分類の枠に居る人でも、本当に俺が死んで本当に困る人なんて誰も居ないんだろうなって俺自身が良く知ってるから。少なくとも友人を事故で人亡くしてきたけど、言い方がアレだけど居ないなら居ないで世の中は回っていく。会社も一緒。極論から言えば自ら死を選ぶのも選択肢の一とすら思ってる。、死んで誰か困らないの当初は困る人が出るかもね程度の認識。すぐに家族ですら普通の生活に皆戻ってる。先の友人の例彼らには彼らの日常という生活があるだろうし。ただ、後処理がそれなりに面倒な事になるのは確か。葬儀、遺産有ればだけど、納骨云々とかね。後、生命保険入ってても意味無いから金銭面で困る事は出てくるかもね。当然だけど金銭面で親をサポートする事が出来なくなるし。、遺された人の気持ちとかは選択肢が一減るだけなんじゃないかって思う。最近親しいある人が結婚、恋愛、友人含め誰もが選択肢の中の一人でしかないと言ってたのを聞いて思う。これを聞いて、所詮僕含め人ってこの程度の価値なんだなぁと思う。自分もその程度の価値でしかねーんだなと思ったら、必ずしも生きている事に意義を感じなくなった。、人の生きる価値って対外的には特に無いと思う。最近上の意見を聞いてホントそう思うようになった。誰かの為に生きよう、誰かの役に立とうとか思えなくなった。結局自分のワガママ、エゴを貫き通した奴が勝ちなんだろって。だから自分勝手に振舞う事出来る人にとっては人生は価値がある物なんだろうね。少なくとも自分の人生を自分の為だけに生きてる訳だし。腹立たしいけど、これが現実なんだろうね。だから自ら死を選ぶというワガママを貫き通せる人はある意味勝ちなんだと思う。、死にたい死ねるなら死にたいと常時思ってる。結局誰かを支え、誰かに支えて貰っている感が皆無だからなんだと思う。昨日長い付き合いの男性の友人を見舞いに行って、その彼女が献身的に支えてる姿を見たから余計にそう思う。自分自身がこうなったら、ここまで誰にも支えて貰えないんだろうなって思う。そういう意味では非リア充なんだろうね、僕は。最近人の価値って何だろうと本気で悩む瞬間がある。そのタイミングでこういう話が聞こえてきたのでザッと思うことを書いてみた。
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