映画に何ができる 

April 17 [Thu], 2008, 19:53
どうやらこんな難問をふっかけられて考えざるを得ない。たぶん答えはもうでていることだろう。何もできない。

俺はスターだと感じることはできるかもしれない。自己陶酔は罪ですか。あの子をみてまるで彼女ができたかのように振る舞うことができるかもしれない。俺の彼女どうよ、と紹介できるかもしれない。

映画一本でなにか人生の重大な機転となったかのように話す人がいるけれど、そう思いたいだけではないか。徹底的に突き詰めていけば自己陶酔で結論づけることは可能ではないの。

田舎暮らしに飽き飽きしていた頃、映画一本で何かが変わると感じた人間が都会に出て銀幕スターか映画監督を目指すというのはざらにある話であるけれど、いかに映画を生産したところで幻滅していくのがやまではないか。

自己陶酔のいかに悲惨なことか。誰も彼に忠告してやることもできないのだ。

君はスターじゃない。とでもスターに直接言われれば納得するのか。そもそもスターですらスターでないのだから。

スターは生産される。スター自身もそれに気付いているけれど、いつのまにかのみこまれたあげく薬でぶっ飛んでそのままどこかへぶっ飛んでいく。誰もその後のスターなんて気にもしていないのににやけづらのマイクマン達がスターのその後をたどり始める。そこではいったい何が産まれるというのか。結局、映画に何ができるのかということにもどる。

感動することは簡単だ。涙そうそうでも見ていればいい。でもそれじゃあいけない。なんら発展性がない。それはまるきりいちどきりのぶつぎりのまるきり意味のない断片でしかない。見て、泣いて、鼻かんで、陶酔しておわり。でもそれがなければ今の生活に耐えられない人がいる、。

こんな生活は耐えられないというAさんは日々韓流ドラマに泣かされてばかりだ。泣くのが目的じゃないのにいつのまにかそればかり求めるようになってしまった彼女はいつしか涙なしでは眠ることもできない有様。そのままなにを思ったのかスターを追いかけ始める。そこで質問しようか。君はいったい何をしているんだ。

毒にも薬にもならないものなのか。映画とは。あるいは芸術の面に気をつけてみてみればなにか見つかるかもしれないと、文芸映画に手をだしてみるのだけれど、いっこうに話の意図が見えない。物語は進む一方で、エンドロールに向かう限りだ。誰かがストップボタンでも押さない限り幸せに向かってか、不幸に向かってか。なにかみているものに投げかけようと必死だ。みているものにとって、与えられるものは限られているほどいい。泣けるか、泣けないか。そんな馬鹿な。制作者達はののしるけれど、その声は画面に遮られて聞こえるはずもない。

しみったれたのだよ。今の業界は金さ。と彼らは言う。

そこで質問。

金で生きるのか金で活かされるのかどっちかはっきりしろ。さもないと必要とされなくなるぜ映画は。
P R
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