雨雲の切れ間に歌う梅雨の鳥 

June 21 [Sat], 2008, 10:29
東京は梅雨らしい日が続いています。

どんよりじめじめしている、この季節は、
あまり歓迎されるものではありませんが、
それでもこの長雨は、季節の風物詩として、
素敵なものに感じられたらなと思います。

あ。
今、なにげなく使った言葉ですが、
「風物詩」という言葉、素敵ですね。

見過ごしがちな言葉が、突然きらりと光って、
よく見ると、本当に素敵な言葉だと感じる瞬間があります。

風物に詩はある―。
僕のかねてからの想いです。

さて、今日の一句。
雨でも、果敢に飛んでいる鳥を見かけることがありますが、
(よほど、大事な用事があるのでしょう)
大体は、雨の間、鳥は大人しくしています。

それでも、雨が切れると、
待ってましたとばかりに、一斉に動き出す。
そんな、微笑ましい世界を詠んでみました。

停車場で額紫陽花は次を待つ 

June 15 [Sun], 2008, 9:07
今日は梅雨の中休みで、よく晴れていますが、
この季節、紫陽花の麗しさが目に止まります。

先日、朝からしとしと雨のふる中、
駅のホームで電車を待っていると、
その先に見える駅前ターミナルでバスから降りる人が
次々と傘をさして降り立つ光景が見えました。

よく、開く傘を咲く花と例えることがあります。
ですが今回は、そこから目を移して、
停車場の脇に咲く、紫陽花に焦点を合わせました。

紫陽花は静かに、
バスから降りる人たちを見送っていたのです。

梅雨眺む棹の滴の落ちるまで 

May 31 [Sat], 2008, 7:19
せっかくの週末だというのに、東京は朝から雨です。

僕は青空が本当に好きです。
澄んでいて、清々しくて、明るくて・・・
僕の価値観、そのものが、青空には反映されているから。

それでも、雨も嫌いではありません。
雨が持っている、寂しさ、切なさが、
無性に僕の心を捉える時があります。

今、バッハのイギリス組曲をBGMに流していますが、
青空の時は、透き通って聞こえ、
雨雲の時は、しんみりと聞こえます。
同じ音楽なのに、不思議です。

心は繊細なもので、本当に繊細なもので、
たとえ、鈍感と言われる人でも(僕も含めて)
心は、自分の気づかないところで、
一刻、一刻、
形や、色や、温度が微妙に変化しています。

滴が落ちる間は、刹那と呼べるほど短い時間ですが、
その時間を、とても愛しく感じられる。

心は、自分の気づかないところで、
一刻、一刻、
形や、色や、温度が微妙に変化しています。

夜までも月美しく五月晴れ 

May 23 [Fri], 2008, 7:34
先日の夜、帰宅途中、
綺麗な月が出ていることに気づきました。

五月晴れは、なにも青空だけでなく、
こうして、夜空にもあるということ。

日常の中で見落としてしまいがちな、
そんな中に、詩は隠れています。

音楽が好きです。
とりわけ、ピアノ曲を含む室内楽が好きです。
疲れている時でも音楽を聴くと、
詩心に水をやるような、そんな心持ちになります。

僕にとって音楽は、詩の扉の鍵となっています。

一心に降る五月雨は一途かな 

May 19 [Mon], 2008, 22:39
GW前から風邪をひき、随分、長く引っ張っていました。
その間、病院にも2回通いました。
診断の結果はいずれも、見事な風邪だったわけですが、
それが妙に長く居座っていたのです。

ようやく、完治しました。

ブログが空いた間、ずいぶんと詩的な風景に触れてきたわけですが、
やはり、風邪が影響してか、
句を詠もうというところまでには至りませんでした。

ここにきてようやく、詠みたいなと思えるようになりました。
で、今日の一句。
とにかく「五月雨」という言葉を使いたいということで、
詠んでみた句です。

五月雨、さみだれ。
その音の響きが昔から好きです。
本来は梅雨のことで、1ヶ月あとくらいに降る雨のことですが
それでも、五月に降る雨を
やはり、五月雨と呼びたくなります。

降りしきる五月の雨に、
一途な思いに似た、とても涼やかなものを感じました。

蒲公英(たんぽぽ)はただ今風と相談中 

April 21 [Mon], 2008, 7:54
間が空いてしまいました。
油断していると、本当に時間は足早に過ぎ去っていきます。

時間とともに、季節も動いていきますね。
タンポポの黄色が街中に目立つようになりました。
たくましいタンポポは、都心でも散見することができます。

中には既に綿毛になっているものも。
そんな情景を詠んでみました。

ところで、「蒲公英」の漢字の由来が気になります。
「たんぽぽ」という音も不思議な響きですよね。

風が曳く一筋の花さくら川 

April 05 [Sat], 2008, 9:02
都内の桜は散り始めました。
一筋の川のように、
風に乗り、花が流れてゆきます。

なぜでしょうか。
桜の花が散るときは、とても静かで無音に感じます。
静謐の美しさを感じます。

切ないといえば、切ない。
だけど、また来年―。
そんな約束をして桜は散るような気もします。

この一年、いろいろあって、
一生懸命、頑張って、

そうして、
桜はまた咲くのでしょう。

春の空今もどこかで咲く花や 

March 22 [Sat], 2008, 11:23
角川の季節ごと巻に分かれている、
「俳句大歳時記」春篇を購入しました。
今更ながら改めて感じたことは、
〜の花、〜の花と、あらゆる花は春の季語なんですね。
百花繚乱、まさに花の季節です。

今朝、ジョギングをしていて感じたこと、ふたつ。

ひとつは、桜の蕾が今か今かと膨らんでいること。
桜も自分も、思わず息を呑む、
そんな時間が流れているということ。

もうひとつは、犬の散歩にでている人が多いこと。
犬にとって「散歩」は、
何ものにも代えがたい至上の喜びですよね。
全身でそれを現しています。

あんなふうに、散歩ができたら―。
素敵だなって思いました。

風揺らす晴れ三月のカレンダー 

March 15 [Sat], 2008, 10:14
平日はゆったりとした時間がなかなかとれず、
週末にしか詩心と遊べなくなっています。

ですから、休日に天気がよかったりすると、
その詩的な世界の美しさに、
心の底から、幸せを感じます。
この幸せを満喫したくて、思わず深呼吸したくなります。

心の底という表現を使いましたが、
英語でも、そのまま、ボトム・オブ・ハートという表現がありますよね。
心って、形がないものなのに、
そんな同じ表現があったりすること、不思議だなって思います。

今日の句は、すこし面白いかもしれません。

窓を開けて、春風を部屋に入れていたら、
部屋のカレンダーがパタパタと揺れていました。

ああ。なんて、幸せなんだろう―。

心の底から感じて、言葉を連ねた句です。

水彩の空花緑春日和 

March 08 [Sat], 2008, 11:40
最近、早く寝るようにしているのですが、
そのせいか、一週間があっという間に過ぎていきます。
この一週間、季節が確実にかわっているのを感じます。

春の光はやわらかく、
その光に照らされた自然の色は、どこかパステル調、
水彩のような淡さを感じます。

漢字を連ねて書くと、すこし分かりづらい句ですね。
分かり易く、書くと。

水彩の
空、花、緑
春日和。
P R
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このプロフィール欄は改行されないので読みづらいとは思いますが、こちらのブログの趣旨を書きとめておきます。ネット上を検索していて気づくのは、俳句のサイトが少ないことです。短歌サイトは多いのにどうして俳句は少ないのか。それはやはり俳句の嗜好年齢が 高いところに起因していると思われます。 どうして、俳句の嗜好年齢が高くなったか。 それは、俳句がもつ特徴にあると考えます。 “写生”をまず良しとするその枯淡のスタイルが、 齢を重ね、平穏という価値観に辿り着いた方々には、 とても心地のよい表現世界であることは間違いありません。 僕は写生俳句をけして否定はしません。 むしろ、尊敬しています。 僕もいつか、そのような世界に遊んでみたいと―。 しかし、若い今だからこそ描ける世界があります。 瑞々しい感性でもって、描く世界があります。 それは詩や短歌ではなく、俳句でもって表現してもいいはずです。 表現できるはずです。 わずか17文字で、写生を越え、 そこに情感を込めるのは、たしかに難しいことです。 しかし、不可能ではない。 表現できるはずです。 将来的には、そのような、 “新しい感性のための俳句”結社「Arietta(アリエッタ)」を 主宰できればと願っています。 この場所は、その実現に向けたプレ試行の場です。 【Ariettaの意味】 伊語で“そよ風”の意味。 クラシック音楽では小さなアリアの意としても使われる。 この言葉を結社名にしたいと考えたのは、 ベートーヴェンの最後のピアノソナタ第32番ハ短調の終楽章の冒頭に [Arietta]が置かれ、そこに以下の指示が書きそれられているから。 semplice e cantabile シンプルに、そして、歌うように―。 苦悩に苦悩を積み重ね、空前絶後の音楽を創造していった天才が、 最後に書いたピアノソナタの終楽章は、 ハ長調のアリエッタではじまります。 そこに、この偉大な芸術家の境地を感じます。 あまりに遠くて、あまりに高い存在ですが、 目標として、憧れとして、その名前を使わせていただきます。 【Ariettaの俳句スタイル】 僕自身も試行錯誤を積み重ねているところで、 いったい、どんなところが“新感覚”な俳句なのか、 具体的には、なかなか定義できません。 今後の句作でもって、提示していけたらと思います。 そんな中、いくつか、 Ariettaならではのスタイルとして、 以下のような 決まりを設けたいなという気持ちがあります。 ☆ 有季定型であること。(とりわけ、季語を大切にする) ☆ 切れ字や古語使用も構わないが、   普段着の言葉、口語使用ももちろん構わない。 ☆ 詞書(ことばがき)の積極採用。 とりわけ、かわっているのが詞書の採用でしょう。 これは、僕が大好きな芭蕉の俳句 「閑さや岩に染み入るせみの声」に対し、 原典の『奥の細道』には次の詞書が添えられていることを知り、 感動を新たにした経験があるからです。 ―佳景寂漠として 心澄みゆくのみ覚ゆ 閑さや岩に染み入るせみの声 17文字しかないという不自由さも、 この詞書を用いることで解消でき、俳句の可能性がより広がるのではないか。 その期待を込めて、 この詞書を【Arietta】最大の特徴としたいと思っています。 尚、僕がAriettaで使用する季語は角川書店の「俳句大歳時記」によります。