消費と生産 

September 03 [Mon], 2007, 12:14
仕事、というと普段我々が毎日やっていることだが、
その仕事ではなくて物理科学の世界では
別に“仕事”という言葉がある。万物は常にある方向への
影響を受けており、黙っていればそのままその方向に
流されていくように出来ている。

たとえば重力。

何も抵抗がなければ高いところから低いところに
向かうように出来ている。他に電場や磁場という世界があり、
これらも川の流れのように一定の力がある方向から
ある方向へ流れており、そこに電子という単位を置くと
川の上流から下流へと流れるようになっている。
これらの方向に逆らって正反対の方向へ位置を
押し上げていくことを物理の世界では「仕事」という。

流されていくままでは消費エネルギーがゼロであるのに対して、
仕事をするためにはエネルギーがいる。流れる方向に対して
横に動いても仕事にならないし、斜めに動いては非効率。
正味の正反対への移動のみが仕事として認識される。

これらは実際に目に見えたり科学的な実証が可能な事柄だが
、最近人間の内的な部分についても同じだという気がしてきた。
何かを消費したいという快楽の方向に流れる力が我々の周りに
流れている。この状態から何か行動を起こして今の自分を
高い位置へと持っていこうとすると、それは仕事であり
エネルギーを支払わなければいけないというわけだ。
エネルギーを払うことの大変さを我々は経験で知っているから
中々行動を起こせない。しかしそれをしなければ昨日よりも
低い位置にくることになる。

消費の反対方向へ進むことが生産だとすると、あながち
実際世界の仕事とそう意味が離れているわけではないようだ。

やけくそになるな、百合子。 

August 25 [Sat], 2007, 5:03
防衛相、小池百合子大臣は24日滞在先のニューデリーのホテルで言った。
「わたしは辞めると言ってるのよ」

その表向きの理由は海自官のイージス艦情報持ち出し事件である。
しかしこれは明らかに口実だろう。発言の勢いから、もう辞めてやる
と言った大臣の自嘲気味な心情が見てとれる。阿部内閣は参院選のあとも
何も変わっていない。内部の不協和音は前にも増してきている。

不協和音というよりは与党内に広がっていく首相不信が
もう無視できなくなってきているということだ。
塩崎恭久官房長官の心の内も小池大臣とそう変わりのあるものでは
ないだろう。もし小池大臣が辞任することになれば安倍首相の
指導力や人選の能力は完全に信用のおかれないものとして
認識されることになる。何しろ前回の赤城農相の追加人事でも
結果は早期の辞任と言うことになっているのだ。もともと
問題のあるような人事を修正してもまた問題がある、これでは
組閣の能力がほぼ無いことを証明しているに等しい。

首相は新しい人事を一人で行うと言っている。その期日は近い。
しかしそこへ来てこの小池大臣の辞任は与党内でどう響くか。
安倍首相はそれでも首相でいられるのだろうか。

ここで小池大臣の発言は政治家として正しいのだろうかという
疑問が浮かんでくる。閣僚というのは内閣がチームであり会社と
変わりがない存在のはずだ。自分を信任した首相にダメージを
与えることが明確なこの発言は裏切り行為、背任行為にも
近いものがあるのではないだろうか。辞めるだけならまだしも
「発言」のセット。小池大臣は自身の政治家としての今後の評価の
ことも考えるべきだ。守谷事務次官の進退を巡る一連の問題が
背景にあることは間違いないが、このままでは「うまく行かないときには
脆い政治家」としての印象をまとうことになる。

それにしても安倍首相はとにもかくにも発言に泣かされる首相だ。

最近気になること 

August 23 [Thu], 2007, 15:17
インターネットの大型掲示板「2ちゃんねる」で
最近「特ア」という言葉がよく使われるようになってきている。
「特定アジア」を意味し、北朝鮮・韓国・中国を指すらしい。
2ちゃんねるを発生源としてインターネット上で広く普及し、
今では言論の世界でも一部の識者が用いるようになってきている。

靖国問題や教科書問題における「外圧」に関しては
確かにアジアの中でもその三国がメインの勢力と言っていい。
単にアジアと言っただけでは誤解が生まれる可能性もある。
その意味では特アと言う語が生まれる必然性がある。

ただ気になるのは特アという言葉が使われる場合、
多分に反日感情の裏返し、すなわち反特ア感情が
含まれているのではないかということだ。
確かに負の感情を持つ相手を悪く思うのは人情だが
最近では差別的な意味をも持ち合わせてきている傾向がある。

例えば特アと共に流行りだした言葉に「ファビョる」というものがある。
これはファビョン(火病)という精神疾患が語源になっており、
またの名を憤怒症候群と言って朝鮮半島の民族に
特有な精神病とも言われている。
このことからインターネット上では特アの人々は
すぐファビョる=冷静でなくなると言った認識になってきている。
しかしこれにしても科学的な根拠ははっきりしていない。
特アの人種はすぐにファビョる、まともに話が出来ないとするのは
極めて差別的な発想で我々が経験してきた部落や
在日差別とほぼ変わりがない。国際問題が広く
一般的に語られるのはいいことだが、差別的な風潮に
変わっていくのでは戦時中の極めて
視野の狭い思想に容易にすり替わる可能性すら感じる。
それでは人間は何度でも同じ過ちをくり返すのではないか。

国際問題において論をかわす場合、まずはお互いの歴史を
客観的に見ながら相手と自分を対等な人間だと見なすことが
「はじめの一歩」だ。そこを間違えると永久に話は平行線のまま
最悪の選択肢・戦争に繋がっていく。

特ア、その意味で警鐘を鳴らしたい風潮である。

闇の世界からの挑戦 

September 17 [Sun], 2006, 2:33
中国、清朝の末期に洪秀全という男がいた。
洪は科挙(当時の大学受験に当たる)に敗れ
現存する社会に対し否定的な価値観を持つようになった。
それは宗教と結びつき、元々そんな才能があったのか
不思議なカリスマ性で人々の気持ちに取り入り、
その組織はあっという間に中国・広西を支配し、
その国号を太平天国と表し、当時の中国政権へと
迫ったのだった。これが中国近代史上最大の
反乱と言われる「太平天国の乱」である。

地下鉄サリン事件の首謀者、松本智津夫の生い立ちも
洪秀全によく似ている。高校を卒業し、東京大学を
目指して予備校に入るが、受験に失敗。その後は
浪人から針灸院、漢方薬局から健康薬品販売店など
次々と職を変えるが、その度に保険料の不払いや
薬事法違反、傷害罪などの違法行為にひっかかり
職を追われていった。こんなはずじゃない、といった
人生だったのだろう。やがて松本は宗教に惹かれる
ようになる。最後の健康薬品の経営に失敗したあと
何を思ったかヒマラヤへ登り、最終解脱を宣言、
オウムの会を開く。これがオウム真理教の始まりであった。
それからオウムの社会への挑戦は始まり、
2006年9月15日、松本の一審死刑判決確定により
日本における近代史上最大の反乱「松本サリン事件」の
決着がようやくついたのだった。

犯罪者は深い闇を背負って現代社会に迫り来る。
我々の知り得ることの出来ない深い闇で犯罪者は
育っているのだ。洪も松本も格差社会が生み出した
モンスターだった。

だとすれば、今の社会は…

あなたの隣に居る美人は永遠 

September 14 [Thu], 2006, 22:30
まだ未婚だが、結婚というものを怖れる気持ちの
一つに、パートナーの「老い」がある。
世界で一番綺麗だと信じて結婚したはずの相手が
段々と時にうつろいゆく姿を、最も近い場所で
確認しなければならないのは辛い。そんな少年の
ような心から卒業しないことには、結婚はおろか
大人にもなれないことはわかっているのだが。

世の中には少年のような心で美術品を愛して
やまない方もいらっしゃるだろう。特に歴史的に
価値のあるものなら、関係者は自分の妻と同じくらい
愛着を持ち、守りたいと思うものかもしれない。
絵の中の美女は永遠に老いぬと信じて。

ところが奈良県明日香村の特別史跡、高松塚古墳
東壁の飛鳥美人は、絵画とはいえ流石に長く生き
すぎたらしい。年をとるのを通りこして、なんと
カビ(正確にはカビとバクテリアの複合体でゲルというそう)
が生えてきて景観を損ねているという。

たとえ絵画の中でも永遠は無かった。
ショッキングなニュースだ。

その意味では隣にいる我が妻は生きているうちに
カビが生えることはない、ありがたや。と、世の
旦那さま方は口にすべきでない。はたかれますぞ。

コミュニケーションの相手は? 

September 13 [Wed], 2006, 23:42
電車で最近よく見かける光景に「向かい
合ってケータイ」というものがある。
高校生の女子に多い。四人がけのイスに
二人で向かいあって座って、見るのは二人とも
自分の携帯電話。メールを打っているところだろう。
目の前に人がいるのに会話を楽しまずに
一人で出来ることに興じるというのは
不思議な光景のような気がするが、これが
どうして、もう毎日のように見る光景なので
これまで気にも留めなかった。気付いたのは
祖母が骨折で入院して、面会に行くときの
電車に乗った時だった。年寄りが家族から離れて病院で
暮らすのは心細いだろう、そのまま認知症になる
ケースもある。毎日でも話し相手にならねば。
そんな気持ちを胸に病院へと向かう電車だった。

コミュニケーションは例えどんな形であろうと大事にしたい。
特に、今しか出来ないコミュニケーションは
大事にしたいものである。メールも例外ではない。

しかし「向かい合ってメール」はやはり不思議な光景だ。
あんなにメールを一心不乱に打つということは、彼女たちなりに
メールの相手とのコミュニケーションを大事にしている証拠。
でも、いつでも出来るメールと違って目の前の相手が
居る時間は限られているんじゃないかな?ただタイミングという
問題も勿論ある。きっと、それを差し置いてもしないといけない
メールなのだろう…。あれ、でもよく耳を澄ますと
何だかゲームのような音がする。まさかね。

飲酒運転者の合理主義 

September 13 [Wed], 2006, 1:49
いま世間の関心が最も集まっているのは
珍しいタイトル、「飲酒運転」。

いや、関心が集まっているというのとはちょっと違う。
事実、飲酒運転による凄惨な事故が”起き続けている”
先日のあまりにショッキングな福岡の事故に始まり
今日も昨日も一昨日も、出るわ出るわ
毎日のように一面を賑わしている。

この感染のありさまは鳥インフルエンザよりも
強烈なものがあり、政府としても早速法の改正に
乗り出したようだ。法と言えば、飲酒運転と
ひき逃げの関係がいま注目されている。
飲酒運転で人をひいた場合、ひき逃げをして
しまった方が、罪として軽いのだそうだ。
これは明らかに法の不備である。

しかし、そのことがひき逃げを増やしていることになるとは
あまりにも厳しい現実だ。人は他人が自分のせいで
目の前で苦しんでいる状況に際して、極めて
冷静で合理的な判断が出来るということになる。
人間はやはり性悪説で語れるものであり、罰が
あることによって辛うじて大人でいられる、目の前の人を
考えられるようになる、といった結論はあまりに希望がない。

せめて考えてほしい。飲酒運転は自分のために
してはいけないという意識では無く、他人を傷つけない
ためにしないものだということを。

三つの数字に消えた愛 

September 12 [Tue], 2006, 0:32
教育基本法の改正案で「愛国心」が取り沙汰されて
久しいが、この世界に生きる人々が大事にするもの、
何かを愛する気持ちというのは、何も国を愛する気持ち
だけじゃないし、それが数ある愛の中で最も尊いということは無い。
隣人を愛する気持ちもあれば、家族を愛する気持ちもある。
郷土を愛する気持ちもあれば、自分自身がこうと決めた
生き方を愛する気持ちもある。

地上に存在する生きとし生けるもの全ては
何かを愛し、生きているのだ。
いわば、みな、愛に生きているのである。

今日、9月11日は、愛に生きた多くの人々が
突然無惨に散らされた日であった。
米国ツインタワーテロ事件。あの日からちょうど五年が経つ。
「9・11」という数字の並びをテーマにこれまで様々な論議がなされた。

いま、世界の人々のこの数字に対するイメージはどうだろう。
怒りか、世界平和への絶望の気持ちか、
人の価値観の違いが生み出す暴力の恐ろしさか。
自分が9・11に際して世界へ願うのは、愛に生きる人々の、
その愛を無碍に摘み取るようなことだけは二度としないと
誓って欲しいということだ。

思想の違いはある。
貧困の差もある。

しかしどんな理由があろうと
人の愛を突然むしとるような出来事は
今後一切起きて欲しくない。
9・11がそのことを心に刻む日であってほしい。

国内の首相の靖国参拝も同じである。
けして、自らの主張を肯定する材料として
「その日」を利用してはならない。

ご懐妊おめでとうございます 

September 11 [Mon], 2006, 3:40
紀子様の三番目のお子様が生まれて
日本国中がこのニュースに沸きかえっている。
自分からも喜びの言葉を差し上げたい。
心からお慶び申し上げます。

この赤ちゃん効果はすごいもので、経済産業省の調べによると、
その経済効果たるや1500億円にも上ることになりそうだとか。
今夏のハンカチ王子の甲子園がもたらした経済効果が
50億足らず、ボクシングの亀田三兄弟で100億というから、
その赤ちゃんパワーたるや大変なものである。
日本人は古来より「酒呑童子」や「○○童子」など、
子供をミラクルパワーを持った特別な存在と見なしていた、
という学者も居る。なるほど、そう言えば「鼻垂れ小僧」など
子供が神の使いとして現れる童話が日本にはたくさんある。
日本人は子供が特別好きな人種なのかもしれない。
そう考えると今度の赤ちゃん経済効果だって納得だ。
実際、紀子様の赤ちゃんはこれほどまでに期待され、
喜ばれているのだから、本当に幸せである。

一方で、生まれてくるどの子供もこんな幸せな赤ちゃんかというと、
そうでない事件が世の中にはたくさんある。
畑山彩花ちゃんに代表される、世の中には唯一頼れるはずの
親から虐待を受けたり、ネグレクト(放置)を受けたりする、
とても不幸な子供がいる。

世間ではヤスクニだとかゴウシだとか
そんなことでやけに騒いでいるが、
少子化にあえぐ日本で子供を大切に出来ない大人など
A級を軽く飛び越えてS級戦犯に決まっている。

日本人は元々子供が大好きな人種だった。
社会的側面から見ても、そう言った文化的な側面から見ても
これだけは「オメーの考え」、で許すわけにはいかない。

はじまりに。 

September 11 [Mon], 2006, 3:25
やすかくろん <ヤス各論>

これまで書いてきたブログはやすそーろんという名前で、
世の中のよしなしごとにある一定の基準を持って正解は
何か、と探していくことを主たる内容としていました。
ざっと過去に書いたブログをざっと見渡してみると、
いや若いです(笑)批判精神の旺盛なこと。やけに攻めの文章が多い。
これは論理こそが全てなんだ、という観点でこれはおかしい、
あれもおかしい、それはオメーの考えやろ、と物事をわざわざ分析して
唯一の答えを出そうとした結果が表れているのだと思います。

まぁやすそーろんはそれで良かった。その時の自分の勢いが
見える文章で、今見てもその勢いを何だか頼もしく感じます。
しかし総論ばかりでは行き当たりやすく、それだけでは世の中を
楽しく見れないことに気付いたのが今年、2006年でして、
総論ではなく例外的に物事を考える「各論」こそ
疎かにしてはいけない、と考えるようになりました。

総論は言わばマニュアルを作る作業と同じです。
大事なことではあるのですが、総論ばかりでは頭をサボらせて
いることにもなってしまう。色んな観点で世の中の出来事を
個別に見ていく。論理にばかりとらわれないで、素直に見る。
その先にまた新しい楽しみが見えるかもしれない。そう思って、
装いも新たに「やすかくろん」を始めることにしました。

今度のやすかくろんは、頑張って毎日更新することにします。
これまでより文章量もおさえて毎日何となく書いていくことにします。
勿論単なる自己満足文ですが、もし同じテーマで感じ入ることがあれば、
何かコメントを戴けるとメチャンコ嬉しいです(^o^)          

                      2006年 9月10日 やーす
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