胴長短足はかっこいい

July 28 [Tue], 2015, 12:18

 戦前の教師たちは教育会というところを通じて教育について情報を得ていた。その福岡県教育会機関誌『福岡県教育』昭和16年5月号に東京文理科大学教授田中寛一(1882〜1962)による「外国人に比較したる日本民族の優秀性」という文章が載っている。田中寛一という人は〈田中ビネー式知能検査法〉という知能テストで有名な心理学者だから、聞いたことのある人もいると思う。この文章は『昭和の光』という雑誌に載っていたのを転載したものである。他誌から転載したということは広く福岡の教育関係者に読ませたい記事だったということになる。と言うことで、田中センセイの御説を拝読しようではないか。
 日本民族の優秀性というのはわかったようでわかりにくい表現だ。同じ民族に生まれても何かの能力に秀でた人もいれば、能力的に劣った人もいる。なのに民族を比較するということが科学的だとは到底思えない。だがしかし、この発想は決して時代遅れではない。今でも「○○人は〜」とか「あそこは〜」と民族や集団を一括りにして評価する傾向がしばしば見られるのはヘイトスピーチや多くの差別事象によく見られる傾向である。ていうより、差別というのはそういう発想なのではないだろうか。
 で、田中センセイ曰わく、「日本人が他国人に比して優秀な特質を具有してゐる事実に就いて科学的に研究」(傍点新谷)したのだそうだ。そして「骨格、脳髄、内臓の三つにつき特徴を発見」したのだそうな。まずは「日本人の骨格は、外国人に比して太く、その上に骨の起伏がついてゐる」そうで、これは「体力の強いことの基礎条件を成す」のだと言う。
 次に「日本人の体格をその全体から見て著しい特徴は、手足が比較的に短かくて胴が素晴らしく長い」、つまり胴長短足が長所なのだと言う。これは「体内の諸々の臓腑が大きくて腔内に安住し殊に腸が太くて長い」ことを意味し、「体力の強健性を形成する基礎条件」なんだそうだ。笑ってしまいそうだが、これは笑えない話なのだ。
 三つ目は「脳髄の大きいこと」だとする。もちろん脳が重いということは「日本人が智能の優れてゐることを表徴する」ことだというのだが、そんなことがないことは科学史を見なくてもわかることなので、「西洋人は或る局部的な所に鋭い観察力を有(も)つてゐるやうであるが、大局的綜合的な智恵と云ふ点に於ては劣つてゐる」と田中センセイは言い訳している。
 そしてこうした特徴は「皇祖天(あま)照(てらす)大(おお)御(み)神(かみ)の天壌無窮の御神勅の儘(まま)に造られて居る」のであって、「此の伝統に依つて日本民族は永遠に栄え行くやうに造られてゐると思ふ」と実に〈科学的〉な分析をされておられるのだ。
 骨格の形状を調べたり、体系を比較したり、脳の重さを量ったりというところまでは科学的手続きを踏んではいるようだが、その後の意味づけが非常に恣意的で我田引水の感がある。それは科学的とは言えないだろう。
 それだけじゃあない。「日本人は丈が低いから、日本の軍艦は天井下が従つて低い、それで戦闘に使ふ部分が夫れだけ広く」そのことによって「同じ五千噸(トン)でも外国軍艦に比して戦闘力の率が遙かに高い」とか、「飛行機に乗つても身長が低く体重が少いから、それだけ爆弾も余計に積み得られる。向ふで二人乗る所は此方では三人乗れる」といったように胴長短足だけではなく、小柄であることも自慢であり、いずれも「御神勅の使命達成の目的に適合するやうに出来てゐる」のだというから、田中センセイの〈科学的〉分析にかかれば、日本民族のどこをとっても優秀なのだということになってしまう。
 著名な〈科学者〉であった田中寛一がこのように〈科学的〉と称して、科学的とは思えない発言をしていたのはどうしてなのだろう。おそらくはこの時代がそうさせたということになるのだろうか。それはちがう。彼は科学的に結論を出す姿勢を持っていなかったのだと言っていい。それはともかく教育会がそんな荒唐無稽の考えを教員たちに機関誌を通じて広めていったことの意味が大きい。どれだけ多くの子どもたちが〈日本民族は優秀だ〉と思いこんでしまったか。―これは肝に銘じよう、私たちは〈科学者〉の言葉を真(ま)に受けてはいけないのだ。
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