タラバガニ

October 06 [Sun], 2013, 15:38
「何しろ項羽こううと云う男は、英雄の器うつわじゃないですな。」
 漢かんの大将呂馬通りょばつうは、ただでさえ長い顔を、一層長くしながら、疎まばらな髭ひげを撫でて、こう云った。彼の顔のまわりには、十人あまりの顔が、皆まん中に置いた燈火ともしびの光をうけて、赤く幕営の夜の中にうき上っている。その顔がまた、どれもいつになく微笑を浮べているのは、西楚せいその覇王はおうの首をあげた今日の勝戦かちいくさの喜びが、まだ消えずにいるからであろう。――
「そうかね。」
 鼻の高い、眼光の鋭い顔が一つ、これはやや皮肉な微笑を唇頭に漂わせながら、じっと呂馬通りょばつうの眉の間を見ながら、こう云った。呂馬通は何故なぜか、いささか狼狽ろうばいしたらしい。
「それは強いことは強いです。何しろ塗山とざんの禹王廟うおうびょうにある石の鼎かなえさえ枉まげると云うのですからな。現に今日の戦いくさでもです。私わたしは一時命はないものだと思いました。李佐りさが殺される、王恒おうこうが殺される。その勢いと云ったら、ありません。それは実際、強いことは強いですな。」
「ははあ。」
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 相手の顔は依然として微笑しながら、鷹揚おうように頷うなずいた。幕営の外はしんとしている。遠くで二三度、角かくの音がしたほかは、馬の嘶いななく声さえ聞えない。その中で、どことなく、枯れた木の葉の匂においがする。
「しかしです。」呂馬通は一同の顔を見廻して、さも「しかし」らしく、眼まばたきを一つした。
「しかし、英雄の器うつわじゃありません。その証拠は、やはり今日の戦ですな。烏江うこうに追いつめられた時の楚の軍は、たった二十八騎です。雲霞うんかのような味方の大軍に対して、戦った所が、仕方はありません。それに、烏江の亭長ていちょうは、わざわざ迎えに出て、江東こうとうへ舟で渡そうと云ったそうですな。もし項羽こううに英雄の器があれば、垢を含んでも、烏江を渡るです。そうして捲土重来けんどちょうらいするです。面目めんもくなぞをかまっている場合じゃありません。」
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