Say away 

February 02 [Mon], 2009, 1:40
やっぱり私は自分自身に正直でいたい。
綺麗なものを信じたいなら、自分が綺麗なままでいること。
それに尽きる。

春には笑っていられるんだろうか。

こういうときに、誰か支えてくれたらと、少なからず思う。
弱気にはなりたくないけど、そんなに強くもない。

前を向いて、前だけを向いて。

結婚観 

November 07 [Fri], 2008, 23:05
あたしの今いる部署は、女性も多く穏やかな環境のせいか、結婚も出産もびっくりするくらい多い。
月に3人はいるんじゃないかと。
シアワセそうなその顔を見ながら、ふと自分はどんな人と半生を共にするんだろうと思うのだけど、今のあたしにはてんで想像もつかない。

まだまだ先のことにも思えるし、そうでもないような気もする。
あたしはとことんリアリストだけど、それと同じぐらいロマンチストなので、相手のちょっとした言葉の選び方だったり、ものの考え方だったり、物腰だったりについつい目がいってしまう。
そういうをその人を取り巻くある種の空気感のようなものに触れて、居心地がいいか悪いかでほぼ判断してしまうし。
この歳にもなると、若き頃のように会った瞬間にすぐ恋に落ちるとか、もう皆無なわけです。
なんとなく気になるなぁっていう、そんなゆる〜いところから始まる。


残念ながら私は、男女は一生分かり合えないし、全く別の生き物だと思っているもので。
お互いのことはたぶん、死ぬまで理解できないけど、すれ違い続けても、とことん相手と向き合って、受け入れて認めて、許していくことで、歩み寄っていくものなんじゃないかと。

気づいたら、呼吸するみたいに傍にいて、特別でもなく当たり前でもなく、時間を共有する。
その人のために生きてみたいなって、そう自然に思えたときが、結婚のタイミングなのではないでしょうか。

そんな風に、赤ちゃん雑誌なんぞを作りながら、ふんわりと思うわけです。既に結婚された方は、どんな風に思ってるのか、ちょっと聞いてみたいかも(笑)
というわけで、ご結婚する皆様、末永くお幸せに♪

前を向いて 

May 14 [Mon], 2007, 1:21
不安のあまり後ろ向きになってしまうことが多い。
自分のやってること、大人気ないなーなんて自覚しながらも、言葉を飲み込んでしまうことの方がストレスなことを十分承知してるから、ひとまずダダダーーッと言葉にしてみてから考えるしかないのだよ。
私にしては珍しい傾向。
言葉にしなければ窒息してしまう。

ひとまず今は、出して出して、もうこれ以上マイナスになりえない限界まで出して、プラスになるのを待つしかないな。
晴れない空はない、必ず太陽は昇る。
そうすれば、きっと穏やかな光で暖められる。
優しく包んであげられる。

だから、あと少し、どうかあと少し耐えろ、自分。

我ながら 

May 12 [Sat], 2007, 18:45
私ほど諦めの悪い人も、はたまた執念深い人も、そうはいないと思う。

この性格のお陰で、スルーしてきたことって、考えてみるととても多い。

あれこれ悩みが絶えないくせに、いざというときのこの図太さ。

親の血はちゃんと子に伝わるものね。

案外何でも上手く行ってしまうのは、この肝の据わりっぷりに由来する気がする。

なんとかなるんじゃなくて、なんとかするんだよ、結局は。

さて、今回はどんな旅になるのやら。 

February 18 [Sun], 2007, 23:57
初めて海外旅行したのは、大学3年も終わりの春休みだった。
卒業旅行の友人に便乗して、なんとテロが勃発する中東地域に旅立ってしまったのだ。

どんだけ治安が悪いかとか、いつ自分が巻き込まれるかわからないということを、頭ではわかっていたんだけど、なんせ日本しか知らなかったのだから、どうも実感がわかなくて、結局ビザやらパスポートやら航空券を手配して、親にも前日までナイショで行くことに決めた。

親はキャンセル料全額払うからと、半分懇願するように行くのを止めたけど、言い出したら聞かないあたしは、親不幸なことにも全くそれを無視して行ってしまったのだ。

当時は病気で倒れるわ、肉しか食べない食習慣で、日に日に弱るわで、もう一生こんな国は行きたくないと思ったけど、喉もと過ぎればなんとやらで、今思うとすごく貴重な体験だったんだよね。
特にイスラム教の敬虔さには魅せられた。
モスクの荘厳な雰囲気とか、市民の温かさとか、ニュースで見ただけじゃわからないことだらけで、皆が皆、テロ犯罪を起こすような凶悪な人たちじゃないのだとわかった。

初っ端から凄まじい発展途上国に行ってしまったために、かなりの免疫がついてしまい、ちょっとのことじゃ動じなくなったなぁ。

今回は初一人旅だし、気を引き締めて行ってきます。

選考裏舞台 

February 08 [Thu], 2007, 13:54
先日、札幌でのインターン採用裏舞台を見させていただいて感じたことを、つらつら。

正直なところ、あたしは人事向きだと感じた。
精神医学を好んで専攻してきたために、半ば職業病みたいなものかもしれないが、どうしても初対面の人をみると性格パターンをあれこれ思索してしまう。
というのも、面接受付を担当していたのだけど、パッと見の第一印象と行動パターンで、その人が選考を通過するかしないか、大方予想がついてしまうのだ。
面接が終わってから、どんな人だったかを面接官の人に聞くと、大概自分の予想と当たっている。
つまりだ、選考は待機している時から始まっているというけど、別にそこで人事がチェックしているわけではなくて、本人の意識的な問題として選考がスタートしている思うのだ。
そのときの緊張度合いや態度、顔つきはすべて、そのまま面接会場にまで持ち込まれてしまうので、心の準備の段階ですでに優越の差ができてしまっている。

面接会場に入った瞬間に役者のように自分を変えているように思っていても、そんな器用に自分を作れる人なんてそうそういない。
気持ちは顔や行動に表れるし、性格は話し方に反映される。
20代にもなってくると、第一印象で相手に与える空気感は、その人の本質をずばり言い当てていると言っても過言ではないと思う。
話し始めの最初の10秒で、勝敗は決まってしまうといつか聞いたことがあるけど、全くその通りで、最初の10秒で相手に植え付ける印象というのは、初対面ならなおさら、強烈な記憶となって残ってしまうものだ。

10秒の重み、営業になったら特に大事にしたいよね。

突進型恋愛 

February 02 [Fri], 2007, 12:39
先日、友人の恋の相談を受けたのだけど、その純粋さはまさに高校生のようでありました。
あまりにも真っ直ぐで一途だったので、本気で応援しようと思ったよ。

さてさて、あたしもまさに突進型の恋愛パターンを踏む、張本人なのですが、突進するくせに緻密に作戦練る、罠仕掛けまくりーのでもあります。
その戦術を思案している過程が楽しくてたまらんのだけど。

近頃はもっぱら自分のためではなく、人のために戦術練ってるような、そんなような。

個人的な意見ですが、こう思うのですよ。
突っ走ってみるのも時には大事だけど、それは高校生まででよいのではと。
玉砕型の恋愛って、本人は結果どうあれ、行動したことで満足してすっきりするかもしれないけど、体当たりされた相手だって、実は傷ついてしまうんだよね。
本当にその人のことが好きで、相手のためを思うのならば、当たって砕けろではなくて相手の立場に立って、行動する方がよいのではないかなぁ。
ウジウジと行動もせずに悩んでばかりなのはどうかと思うけど、逆に何も考えずに行動するのも、大人気ないよね。
相手を思いやるゆえの作戦は、決して卑しいものではなくて、むしろクリーンなものだと思うのです。

終わってしまうよー。 

January 30 [Tue], 2007, 16:17
本日が個人審査日。
17時から開始です。医学図書室から更新中。
審査が無事通れば、あとは再提出して卒業を待つばかり。

最近ずっと自問自答しているよ、このままでよかったのかって。
こんなに1年先の自分がわからないことって、かつてあったかなぁ。
どんな状況でも、勝手に自分で到達点を決めていた気がする。

今はこの不安を紛らわすために、インターン先のビジネススクールで講義ばっか聞いてます。
そんな中、昨日は大きな発見があった。

あたしはついつい癖で、働いたらこれも勉強して、あれも知識として蓄えてって、ビジネススキルを身に着けることばかりに気をとられていたけど、そんなことよりも大切なことって、別にあるんだよね。
これから関わる多くの人の中から、自分の尊敬できる人を見つけて、その人の『生き方』を学びたいなぁ。

変にガチガチに凝り固まるのではなくて、人として気持ちにゆとりのある、しなやかな大人になりたいと思います。

さーて、今からジャガイモの群れに叩かれに行ってきます。


ネバーランド 

January 21 [Sun], 2007, 0:52
久々に放置していたブログでもつらつらと。

修士論文も出して、発表も無事に終わって、個人審査を終えて論文を再度提出すれば、モラトリアムな学生生活が終わってしまう。
友人が学生を18年間もやっていたと日記に書いていたけれど、あたし自身もそうなわけで、今更ながら長かったと思わざるを得ない。

実際、18年間も学生やってて、学んだことなんて高が知れてる。
社会に出てからの方が学ぶことなんてずっとずっと多いだろうに、何で自分はこんな道を選んだのだろうと改めて考えてみると、あたしの場合は『迷い』があったからなんだろう。
少しでも迷いがある限り、それに全力で向き合えないことを知っていたから、院の2年間はすべて自分のために時間を使ってみようと思った。
だからこそ、やりたかった研究も、インターンもスクールも、放浪の旅も趣味も、とにかく興味があるものはすべて、時間の許す限りやってみた。そこから見えてくるモノがこんなに多いなんて、当時は思いもしなかったけど。

振り返れば、大学に入学してから、迷わない日はなかった。
いつも自分の置かれている環境や、未来に不安だらけで、不安から逃げるように何かに打ち込んだり、行動範囲を広げてみたりして、不安を紛らわせていた。
一見、昇華しているように見えるけど、それはただの逃げだったと。

同じような境遇で育った人なんてたくさんいると思う。
自分で決めたというわけではなく、気づいたら中学校の受験戦争に放り込まれていて。
自分にとっていいことなのか悪いのかなんて全くわからないままに、ただひたすらに何かに掻き立てられるように勉強して。
当時の自分は、誰かと遊びたいとか、寂しいとか、そういうこと以前に、疲れていたんだよね。小学生らしからず、いろんなことを冷めた目で見ていた。
人と比べて、競争することでしか自分の価値が肯定できないような、そんな環境にうんざりしてた。
だから、いつも居場所を探して、人と自分との距離ばっかり測って生きていた。

当時、一番苦しいときに、本来一番味方になってくれるであろう人は、むしろ私を否定してしまったので、親は助けてくれるものではないんだと、小学生ながらに痛感した。
それ以来、「寂しさに鈍感になること」「人を観察して見極めること」「強くあること」が自分の核となった。
今もそれは変わっていなくて、そういう核というものは、時に自分を苦しめるし、時には突破口にもなる。

この年になって、漸く「人は人、自分は自分」といい意味で割り切れるようになった。
だからこそ、誰とも比べず、自分の中でベストを尽くすこと、に全エネルギーを注力できるようになったので、無駄なストレスから解放されて、気持ちにゆとりが生まれた。
自分に嘘をつくのもやめたから、素直になった。

これからもきっと、何かの岐路に立つときに、あえて自分に対して取捨選択を与えるだろうし、とことん悩むし迷いもする。
でも、悩んだとしても、自分で決めたことには真直ぐに向き合えると思うから、自分の選択を信じて頑張ってみようと思う。

4月から、日本一いろんな人が集まる会社で、初志貫徹できるといいかな。
『自分に正直にであること』
何十年経っても、ずっと忘れないでいたい。

チャイ地獄 

April 22 [Sat], 2006, 11:59
インドへ旅行に行ったことがある人なら、一度は口にしたことがあるでしょう、インドのお茶、チャイです。

先月まで住んでいた下宿先の傍には現地の人たちが切盛りする、美味しいインド料理屋さんがあったので、チャイはよく口にしていたのですが。

先日、インドから帰ってきたダンナからチャイをお土産にもらいました。
んで、自分でも本場のチャイとやらを作ってみたわけです。
分量なんてよくわかりません、ひとまず適当に。

1杯目…微妙に薄く仕上がりました。こりゃ、茶葉の量が足りなかったかしら?大さじ1杯増し。牛乳もちょっと足してみる。グツグツ煮込むこと3分。ニオイは上等!

2杯目…味は確かに濃くなったけど、コクが足りませんでした。牛乳のせい?牛乳ちょっと足すはずが、ドバーッと入ってしまう(汗)ありゃー。
仕方なく、茶葉も大さじ2杯増し…。

こうやって出来上がった、誰が飲むのか知らない、大量のチャイ

運悪く、散歩から帰宅した父親に、3杯目を無理矢理飲ませる。
父イサオ:「このお茶、なんか薬っぽい味だねぇ」
私 :「気のせい気のせい、きっと体にいいから全部飲んでね」(軽く脅迫)


残った大量のチャイ。底なんて見えやしない。軽く2リットルはあるであろふ。
母は運よく外出中。

やっぱおいらが全部飲むべきでしょうか?(大汗)

4杯目、5杯目。勢いよく飲み干す。と、段々気分が悪くなってくる。ゲロゲロ


6杯目以降味を少しでも変えないと辛いことを悟る。
茶漉しにかけ、ミキサーに投入、バナナを足し、一気にミックスジュース!
ものすごいニオイを発する、大量のチャイ。味の方は、バナナジュースがちょっと発酵した感じ?色はといったらウ○コ色っすよ。やった手前捨てるわけにはいかず…。
おいら、ちゃんと飲み干したよー、やたーよー
こうして恐怖のチャイ地獄は終わりを告げたのでした。

             ― THE END ―