毎年9月22日・23日、こいこい祭り

September 22 [Fri], 2017, 0:00

毎年9月22日・23日、こいこい祭り

加賀市山中温泉薬師町
こいこい祭りとは、石川県加賀市で、毎年9月22日、23日に行われる祭り。主催は山中温泉観光協会。山中温泉最大のお祭り。町人、芸妓衆、接待衆に浴客も加わって、唄と踊りの一大絵巻が展開。昼には掛け声も勇ましい湯女みこしや若衆みこし、大獅子の巡行などが行われる。

山中温泉で最大の祭りとなる「こいこい祭」が開催されます。山中節の唄と踊りの一大絵巻が繰り広げられるほか、掛け声も勇ましい湯女みこし、若衆みこし、大獅子巡行などが行われます。期間中に「漆器掘り出し物市」も催され、大勢の人で賑わいます。



鶴仙渓にさわやかな風が吹き抜ける初秋の頃、山中温泉最大のイベントである「こいこい祭」が2日間にわたって開催されます。ふだんは落ち着いた湯のまちも、この時ばかりは華やかさにあふれ、民謡山中節のふるさとにふさわしく、町民、芸妓衆に浴客も加わって、唄と踊りの一大絵巻が展開されます。

また、昼には掛け声も勇ましい湯女みこしや若衆みこし、大獅子の巡行なども行われ、初秋の山中はお祭り気分一色に彩られます。なお、期間中は漆器掘出物市も開かれ、大勢の人で賑わいます。



この大獅子みこし、担ぎ手は山中中学校の3年生です。普段は市内中学校でも本当に優等生の山中中学校の生徒がこの瞬だけはきらびやかに衣装もメイクも決めて、担ぎます。その日の13時にはみこし入湯の儀があり、すべての神輿が勢揃いします!ここではお経が唱えられたあと、みこしに向かって温泉がかけられますのでカメラが濡れないように御注意を!山中温泉は日本最大の漆器の産地です。その最大の産地を誇るお椀みこしも写してみてください。

山中温泉こいこい祭りが9月22から23日に行われました。全町あげて行われる盛大な祭りです。子供御輿も入れて御輿は7つと青年団の獅子舞3頭が全町を練り歩きました。振舞酒や餅まき、夜は浴場を取り巻いて輪踊りを行いました。好天に恵まれて大勢の見物客で湯の町は盛り上がりました。



姉妹都市、石川県能登町
平成24(2012)年1月17日、流山市の市制45周年の節目に、姉妹都市の盟約を結びました。能登町は、平成17(2005)年、能都町・柳田村・内浦町が合併して誕生しました。

石川県の北部、日本海に突き出した能登半島に位置し、朝市で有名な輪島市に隣接しています。町の東〜南側は富山湾に面し、その海岸線の大半は能登半島国定公園に含まれます。九十九(つくも)湾などの景勝地を有する海岸と、陸地の約8割を占める丘陵地で構成される町域は、緑豊かな「里山・里海」の風景を今に残しています。

古くから漁業や商業で栄え、新鮮で多様な海の幸や、揚げ浜という伝統製法で作られる天然塩などが特産となっています。平成15(2003)年7月に能登空港が開港したことから、首都圏から約1時間でのアクセスが可能になり、観光や活性化の追い風となっています。

【町制施行】 平成17(2005)年※合併
【 人  口 】 19,247人(平成27年1月1日現在)
【 面  積 】 273.46平方キロメートル



歴史と流山市とのつながり
江戸時代には、加賀百万石で知られる前田家の所領に組み込まれ(一部を除く)、その頃には水運を生かした商業などで栄えていた能登町。合併前の旧内浦町には、古くからの酒造りの技を受け継ぎ、日本四大杜氏に数えられる「能登杜氏」が生まれ、時代が下るにつれその酒造技術を生かし全国で活躍するようになりました。

昭和初期には、白みりん発祥の地として醸造業がさかんであった旧流山町に、能登杜氏をはじめとした旧内浦町民が数多く移り住むようになりました。こうした繋がりから、昭和60年ころからは流山市民・旧内浦町民の間での交流が活発に行われるようになり、合併により能登町が誕生したのちも友好関係を醸成させてきました。
 
東日本大震災の発生により飲料水の確保が困難となった際には、能登町からいち早く「のと海洋深層水」が支援物資として届けられ、流山市民の大きな助けとなるなど、多方面で信頼関係を深めています。



里山里海の風土
平成23(2011)年6月には、「能登の里山里海」(能登町を含む4市4町)が、国連食糧農業機関(FAO)が定める「世界農業遺産」に認定されました。景観や伝統的な農林漁法、文化・祭礼などが評価されたもので、能登町では、農家民宿の集落でもある「春蘭の里」の豊かな里山景観などが該当しています。

祭りの王国
古から受け継がれた祭りが年間を通じてさかんに開催される能登半島。特に夏は祭りのシーズン、能登の祭りの主役はキリコと呼ばれる大きな奉燈です。能登町の「あばれ祭」は毎年7月、2日間にわたって繰り広げられ、高さ7メートルのキリコ40本以上が大松明の火の粉の中を乱舞する迫力を楽しめます。その昔、悪病が蔓延したときに盛大な祭礼をしたところ、神霊が病人たちを救ったのが始まりと伝えられていて、2基の神輿を海や川に投げ込むなど個性的な神事が、今も連綿と受け継がれています。

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平成27年11月14日〜12月23日、『高橋真琴の原画展』

September 21 [Thu], 2017, 0:00

少女マンガの”瞳”のルーツがここに!

麗しの世界が香る佐倉市立美術館『高橋真琴の原画展』
きらきらした瞳にきらびやかな服装……。女子ならば一度は憧れたことがあるのでは、というお姫様スタイルを一貫して描き続けている画家の高橋真琴さん。

1934年生まれで、1957年から雑誌『少女』で漫画家として活躍するようになって絶大な人気を博し、『マーガレット』『少女フレンド』といった少女マンガ誌や『小学一年生』などの学習誌の表紙絵や文房具、ハンカチなどにもそのイラストが使われ続けた存在です。

81歳になった現在でも健筆を振るい続けている高橋さん。1963年より移り住んでアトリエを構えている千葉県佐倉の市立美術館で、現在漫画家デビュー時から現在に至るまでの原画展が開催されています。



50〜70年代に少女雑誌で活躍
『高橋真琴の原画展』の会場となっている佐倉市立美術館。瀟洒な入口で高橋さんの最新作「水辺のユートピア」が出迎えてくれます。1Fのラウンジでは、物販のほか軽食が取れるカフェもあるので、ゆっくりと時間を使うのがおすすめ。2Fの展示室入口前には、直筆のメッセージが。佐倉の地に対する愛着も感じさせます。



中原淳一の絵に中学生時に出会い、画家になることを決意したという高橋さん。足跡をたどる年譜の長さがいかに長期間に渡って活躍してきたのかを示しています。表紙絵を飾った『週刊少女フレンド』と、その原画。多くの作品は高橋さん本人のアトリエの所蔵で、保存状態の良さが目を引きます。



60〜70年代にかけて、数度の欧州旅行の取材により、当時の流行の最先端を雑誌読者に伝える役割も果たしていたとのこと。21世紀に入った現在の感覚で見ても決して古びて見えないフレンチスタイルがステキ!



少女漫画的な表現技法の嚆矢
1953年、『奴隷の王女』(榎本法令館)から貸本漫画家としてデビューし、『アルゼンチン童話 赤い靴』や西部劇『平原大旋風』など、さまざまなジャンルの物語を描いたという高橋さん。その人気はすさまじく、出版社が大阪から東京に呼び寄せた漫画家は手塚治虫先生と高橋さんの2人だけというエピソードも伝わっています。

2015年11月21日には、明治大学国際日本学部教授の藤本由香里さんによる講演会が開催され、少女漫画的な表現のルーツが高橋さんであるということをさまざまな資料をひも解きながら解説。



宝塚歌劇団のファンだった高橋さんは、『東京〜パリ』『プチ・ラ』といったバレエを題材にした作品を雑誌『少女』で連載。その過程で輝くような瞳を確立。また、スタイル画を漫画の中に取り入れ、画一的だったコマ割りに革命を引き起こすなど、後の少女漫画の表現技法に多大な影響を与えたことが示されました。

特に『プチ・ラ』はオールカラー(4色)に1・2色の特色も加えて繊細なカラー表現を実現するだけでなく、両ページを観音開きにしてダイナミックなバレエの全体像を描くなど、ぜいたくな誌面構成を用いていることも特筆されます。

なお、藤本さんは『プチ・ラ』を発刊当時の形で復刊することを望んでいるとのこと。実現した暁にはその豪華さに目を見張ることになるのは間違いなさそう。お値段も大変なことになりそうですが……。



女の子が憧れた文房具やハンカチの数々
スケッチブックやノートといった多くの文房具の表紙を飾るきらびやかな女の子の絵。これも、当時販売された実物と原画が並んで展示されています。70年代に描かれた動物たちの中でも目を引いたのが、六角形の入れ物に描かれたパンダたち。中国との国交回復といった国際情勢の変化がしのばれます。



数多くのハンカチ。色使いや構成がモダンで、繊細な女の子のタッチを際立たせているところもポイントといえそう。下敷きやレターセットといったアイテムの数々。当時の少女たちは夢中になって集めたのではないでしょうか。

3Fの展示室には、高橋さんの絵をもとにして制作されたドレスが待っていました。こういったインスピレーションを刺激されるのも、高橋さんの作品の持つ力といえるかもしれません。



女の子たちが正面を向いている理由は?
80年代には、世界各国の花嫁姿も描いています。中にはイギリスのダイアナ妃の美しい姿や和装の婚礼衣装の絵も。2000年に入ってからは、より細密で豪華なプリンセスたちが描かれています。

画中の女の子が最も美しく引き立つように、服装・髪型・持ち物・食べ物・背景のすべてをそのイメージに合わせてコーディネートしているといいます。また、嬉しい時も悲しい時も絵の中の少女とその時の気持ちを語り合えるように、という願いから、彼女たちは皆、見る人と目が合うように正面を向いています。



佐倉市で例年開催されている『佐倉フラワーフェスタ』。高橋さんは2008年にその前身イベント『チューリップまつり』のポスター画を手がけ、2011年より『佐倉フラワーフェスタ』のポスター画を担当。会場では各年のポスターのほか、2013年の原画や打ち合わせメモ、下絵、完成画が展示されています。

2011年に開催された個展でのライブドローイングで描かれた作品。高橋さんが作品を完成させていく時の映像も視聴することができます。絵の具を混ぜずにそのままで使う高橋さん独特の技法から、きらびやかな女の子が生まれる様子は必見です。洋風のテーブル・イスの前で記念撮影できるコーナーも。

少女漫画大好きっ子ならば気分がアガるはず!その麗しい女の子の世界から、少女漫画のルーツとなった表現への探訪まで、日本の“kawaii”のルーツの一つに出会える展覧会。佐倉までは東京都心から1時間ちょっとなので、リトルジャーニー気分で鮮やかな少女像とのひと時を過ごしに訪れてみてはいかがでしょうか。



千葉県・佐倉市立美術館で

「アニメ化40周年 ルパン三世展」を開催
千葉県・佐倉市立美術館は2月2日〜3月24日、「アニメ化40周年 ルパン三世展」を開催する。「ルパン三世」は1967年、漫画週刊誌『漫画アクション』にて連載が開始されたモンキー・パンチ氏作の人気コミック。1971年のアニメーション化では、大塚康生氏、大隅正秋氏、宮崎駿氏、高畑勲氏らが参加。



以後、日本を代表する多くのアニメーションスタッフたちによって数々の作品が生み出されてきた。同展は、アニメ化40周年を機に、モンキー・パンチ氏の原画・原稿、そしてアニメ制作に使われた設定画、セル画などにより、原作コミックとアニメーションの両面から「ルパン三世」の魅力に迫るものとなる。

モンキー・パンチ氏は佐倉市広報カレンダーの作画も担当するなど、同市との関わりが深い。その縁から生み出されたイラストや、最新TVスペシャル「ルパン三世 東方見聞録〜アナザーページ〜」の資料も紹介する。



さまざまな関連イベントも開催
また期間中、同展をより楽しむための関連イベントも開催。「ルパン三世展オープニング演奏」は、2月2日10時〜。佐倉市立佐倉小学校の児童による「ルパン三世のテーマ」の演奏でオープニングを飾る。

「先手必勝!あべこべ大作戦‼ 型でつくるチョコレート」は、2月11日(男性対象)、3月9日(女性対象)各14時〜16時開催。同じ日の午前中は小学生向けにチョコ作りを行う。ワークショップ「ぬり絵&折り紙」は、ルパン三世の絵に色を付けたり、折り紙を折ってルパンの顔を作ったりする。会期中、毎日開催。



このほか、「観客席にルパン大集合! 〜東方見聞録制作者によるディスカッション〜」や、「モンキー・パンチ先生直伝デジタル作画体験 〜極秘指令 名画を完成させよ〜」なども開催される。

会場は、佐倉市立美術館(千葉県佐倉市新町210)。開催日時は、2月2日〜3月24日 10時〜18時(入館は17時30分まで)。休館日は月曜日(ただし、2月11日は開館し、2月12日は休館)。観覧料は、一般800円、大高生600円、中小生400円。その他、詳細は同館Webページで確認できる。



佐倉市立美術館

佐倉・房総ゆかりの作品がズラリ
房総の美術館・博物館に文が残っているので電化する。京成佐倉駅より徒歩八分、一本道の坂を登りきった突き当たりに美しいレンガ造りの建物が現れる。これが大正7年に建てられた旧川崎銀行佐倉支店で、今は佐倉市立美術館のエントランスホールとして保存、活用されている。

その奥に隣接して建つ美術館に入ると、四階まで吹き抜けの天井にカラーキュービックのモニュメントが下がり、来館者たちを楽しげに出迎えてくれる。



収蔵作品は、日本近代洋画家の浅井忠、鋳金家の香取秀真(はつま)、津田信夫(しのぶ)、衣裳人形作家の堀柳女、日本水彩画の新谷直之介などをはじめとした、佐倉市や広く房総ゆかりの作家の作品が中心だ。他にも海外で活躍する日本人作家の作品などを収集保存している。

展示は、収蔵作品を順次展示する「佐倉・房総ゆかりの作家たち」展を年三回程度、市と友好関係にあるオランダに関連した企画展などを含む特別展示を年四回ほどと充実している。四階のハイビジョンホールで、作品や美術に関する多彩な番組を楽しんだり、美術館主催の各種講演会などにも参加できる。



一方、可動パネル使用で実用的な三階展示室は、市民の創作活動の発表の場、貸しギャラリーとして提供され、また、エントランスホールは月に一度の子育て交流スペースとして解放されるなど、市民憩いの芸術文化スポットとして地域にも大きく貢献している。建物の傍らでひっそりとスケッチをする浅井忠のブロンズ像に、美術館全体のセンスを感じる。

(※地元では「さくらいちりつ びじゅつかん」と呼ばれることも多い。旧城下町の中心部に位置する。日本の近代美術の流れ・佐倉にゆかりのある作品・海外作家の作品・海外で活躍する日本人作家の作品。千葉県佐倉市新町210

趣のあるエントランスホールは煉瓦造りの旧川崎銀行佐倉出張所(県指定文化財)です。正面のエントランス部分は、1918年(大正7年)に「旧川崎銀行佐倉支店」として建設され現在に至る。設計者は矢部又吉、施工者は神谷平吉。)

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平成29年、赤城四ツ葉会総会

September 20 [Wed], 2017, 0:00

平成29年、赤城四ツ葉会総会

午前中は赤城神社、神社委員の仕事
神社の掃除と祭礼の看板を付ける、交通規制などもあるため、警察に届けを出し、あらかじめ連携が必要。秋祭りが終わるとすぐに七五三の季節になる、実際問題少子化の現代において七五三事情では神社同士の客の取り合いと言ってもおかしくない状態になっている。



井戸平商店の隣の旧道八木道

こちらの場所にも


ここからは総会の用意

場所は赤城福祉会館
外階段から上がっていくと運搬が楽になる、今では毎年ここに靴を置いて運搬作業が第一の俺の仕事になっている。どんな家に生まれるかなんて選べないが、自分の役割ぐらいは気付いている。親の現役時代は親が偉いとこいるなら尚更俺は一番下、これをしっかりわかってないと自分も親も失敗する。高齢化の進む街の中で高い知名度を利用して便利に動き回るしかないのだ。何でも便利にやらなきゃいけないし、何でも便利に出来なきゃいけない。



物資を車から降ろす

二階まで運ぶ


今の時代個人の意思が尊重されるんだろう、少しでも嫌なら手をつけない方が安全だ。しかし核家族化が進む現代において、だからこそ家という単位で物事を考え、将来の後継者として動いている俺の評価が上がるというもの。今ここにいるという事を理解して信頼を積み重ね、将来に生かさねば。

何日も前から指示を受けて仕事は理解している。机並べて座布団、コップと紙皿、割り箸を並べる。次は買ってきた物の整理だ、焼酎作るのも俺の役目なのだから。気楽に頼める若いのってのはすぐ作れるようなもんじゃないから、これも大きな長所なんだろうな、何年も培った年月が必要。



ここが受付


赤城神社も文化財になった


さぁ乾杯


武田県議会議員

早めに帰るというので写真を撮っておく


伊藤会長と


まあ総会としては毎年の顔合わせと、秋の赤城神社祭礼の打ち合わせ。そして俺はチョロチョロ動き回る、ビール持ってきて、そして写真撮って「楽しく飲んでますよ〜、仲間に入りませんか〜」ってブログで発信するために。今のメンバーだったら「カツラで酒飲まされる事とかありませんよ〜」って。

本来の流山の街は戦後開発されたニュータウンでもなければ30代人口急増の街でもない、つくばエクスプレス沿線は流山本町の外だ。でも南流山駅を使って都心に通えるから、宿の八丁目辺りには家が急増している。新しく家を買った方達も高齢化の進む住民の中で最初の触れ合いはちと困る。そのために俺がいる。



30代になって家を買い、地域の行事に参加するにあたって、古い住民として生まれ育った同年代がいるとなればどれほど心強いか。去年も大注連縄作りの時に新しい人と知り合ってみんなに紹介した。俺がここにいる意味でもある。自治会長も結構若い人に代替わりしているようで、これからしっかり連携取れるように挨拶もしておく。

元々神社の神事、神輿渡御を行うための集まりだが、今年の反省点もあり、酒だけの集まりではないものの、やはり酒のコミニケーションも必要ということだ。昔からの仲間と酒飲んで盛り上がってるんだから最高だよね、しかも場所は地元の福祉会館だ。地元商店を使って経済を回す効果もある。



飲み二ケーションとかなんとか言いますけどね、今時の若者なんかは理解出来ない世界かもしれない。でも俺はここの中で育てられた昔の人間だから快適この上ない。

神社の氏子のコミニティとは、ほぼ平成の時代に育った俺の同級生なんかは理解できない人もいるんだろう、町と村との間を大きな道路で交通インフラを整えて、駅前を大規模開発することが当たり前になっている時代に育った。



村の神社信仰など限られた人達しか興味がない事と思っている人達も増えていそうだ。しかしこれが日本古来のあるべき姿、和の精神と祭の持つ意味、そこで学べる代々の家と家とのつながり。

俺もなんだかんだ言ったってまだまだ勉強中の身。これから年齢が上がっていくに連れて感じることも察することも色々変化もあるんだろう、その時々に自分で考え、真面目すぎない程度に学んでいこう。(これは日本人を分析した人の言葉で『規律と曖昧さ』という言葉があり、不真面目すぎても頑固すぎてもいけないんだ)



神社と氏子の関係

氏子はみんな血縁者?!
全国の神社に祀られている神の多くはその地域の平和と安寧を守っている氏神(うじがみ)としての側面を持っています。そのため、神社の周辺地域に住んでおり、氏神の庇護にあるとされる人たちのことを氏子(うじこ)と呼びます。もともと、氏神は文字通り氏姓を同じくする氏族単位で祀られていました。したがって、氏子は血縁的集団だったのです。



氏神はそれぞれの氏族の祖先神であったり、関わりの深い神であったりしました。しかし時代が移り変わるにつれ、その地域に血縁関係のない者も居住するようになり、氏神を信仰する者同士が必ずしも同じ氏族であるとは限らなくなってきました。

結果、地縁的な関係を指す産土神(うぶすながみ)と産子(うぶこ)という呼び方と氏神・氏子という呼び方とが混同して用いられるようになり現在に至ります。そのため、現在における氏子は地縁的な集団となっています。



やはりここでは小島さん


氏子は神社のサポーター
氏神は氏子の平和と安寧を守る神です。したがって氏子は人生におけるさまざまな節目で氏神神社を参拝し、それまでの庇護を感謝すると共に、以降も健やかで幸せに暮らせるよう祈願します。年に一度の例大祭のような大きな祭祀の際、氏子は寄付をしたり、運営を補助するなどして神社に奉仕します。



近所の神社のお祭りで、だしを引いたり、神輿を担いだりした経験のある人も多いでしょう。これも実は氏子としての立派なお務めです。神社と氏子との間には持ちつ持たれつの関係があるのです。

氏子を代表して神社との連携をはかる役職を「神社総代」といいます。神社総代は神社の祭祀や保持振興に携わり、運営の補助的立場を担います。また神社の責任役員の選出の際に発言権を持っており、自身が務めることもあります。



都市化という観点で故郷を見ると、ウチのジーサンが生まれた時代はまだまだ江戸川に川舟が浮かんでいた時代、流山は水運のピークは過ぎたといっても、商都として地域の重要な商売の拠点だった。これが戦後のウチの親父が小学校に入る前には流山街道が諏訪道までは開通し、その後に野田まで通じる。

そしてカスリーン台風の被害から、安全基準も変わり、今現在の流山橋が計画される。となると土手造成工事により、かつての江戸川に寄り添うように形成されていた商家も場所を変えて経営がなされる。旧流山橋の付近から場所を変えるといっても区画整理にかかって代替地をもらった家もあれば新たに買ったケースもある。



そして現在の流山橋を架けるといっても流山の予算で建設出来るはずもなく、もちろん千葉県と共に埼玉県の協力も必要であり、県の予算で道路を通すということで今では千葉県道29号線となっている。この以前の時代は歴史学者の本を見ても、この総会に集まってきていた人でも多くが記憶にあるように松戸本町までひたすらの農地。

この後に貨物線として計画されていた武蔵野線の駅が南流山駅として新設される。ということは、かつての木村周辺の方まで広がっていた馬場という地区が今では流山橋で行政区分の境目になって、今では南流山の住所になっているわけか。この馬場と呼ばれてところはどこら辺までそう呼ばれていたのか誰か教えてください。




明治時代、最初に流山として制定されたのは根郷と宿。しかし、戦後の交通インフラの拡充と土地開発に伴い、旧本町に実家があり、生活の仕事場が流山にあっても、結婚し、家を建てるといっても平和台や南流山に建売住宅を買うケースも多い。けれど代々の氏子として同じ神社を信仰し、元々のコミニティの神輿会に所属する人もいる。

社会には色々な人がいる。目に見える物しか信用しない人もいれば、マンションの部屋からしか世間を知らない人もいる。独立してゆくのが当たり前と思っている人も、都心からのアクセスでしかモノを考えられない人もいる。人それぞれに社会の見え方が違う、そうなると俺の持っているものは、見ようとしなければ見えないもの。



次に赤城四ツ葉会のみんなで集まる時には、今年の赤城神社大注連縄奉納行事ですね、今年は10月8日に行われます。流山6丁目の赤城神社は、お椀を伏せたような小山上に鎮座しています。

この小山(赤城山)が上州(群馬県)の赤城山の土が流れてきてできたとか、赤城神社のお札が流れ着いたとかいわれ、「流山」の地名伝説の舞台です。この神社の秋の祭礼に先立ち準備をする日を「宮なぎ」といい、この日大しめ縄づくりがおこなわれます。

締めて


宮なぎは現在10月上旬の日曜日です。流山5丁目から8丁目地区の人が丁目ごとに4班に分かれ、3つの班が青竹を芯に藁と縄を巻きつけて1本ずつのしめ縄を、残りの1班が飾り縄などをつくります。

出来上がった3本のしめ縄をよりあわせ、専用の鉄柱に掲げるのは、皆が息を合わせての大変な作業です。出来上がったしめ縄は長さ約10メートル、重さは約500キログラムもあるといわれ、次の年まで掲げられています。見学もお待ちしております。

片付け


ゴミを片付けるのも俺の仕事

悲しいけど俺、婿の子供じゃないのよね


これが平和な田舎町の日常とも言えるものだ、そしてまだまだ住民が増える事になっても何も変わらない昔からのこと。

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平成24年3月17日、武蔵野線吉川美南駅が開業

September 19 [Tue], 2017, 0:00

平成24年3月17日、吉川美南駅が開業

武蔵野線は鶴見駅から西船橋駅を結ぶ
全線でJR東日本が第一種鉄道事業者、日本貨物鉄道(JR貨物)が第二種鉄道事業者となっている。武蔵野線は、日本国有鉄道(国鉄)が建設した貨物線で、同時に旅客用にも供用された首都圏の外環状路線である。

首都圏の郊外である神奈川県北部、東京都多摩地区、埼玉県南部、千葉県西部を結び、東京都心部から放射状に延びているJRの各路線との交点には接続駅が設けられている。



当路線はもともと東海道本線方面と東北本線方面を結ぶ山手貨物線のバイパス線として貨物専用線として計画され、開業後しばらくは貨物列車中心に運行されていた。しかし沿線の人口増加に伴い、旅客営業を行う府中本町駅 - 西船橋駅間については、旅客列車(電車)の方が多く運行されるようになった。

実質上、東北・上越方面と東海道方面を結ぶ山手貨物線のバイパス路線として建設、管理されている路線のため、武蔵野線北朝霞・新座方面と東北本線与野・大宮方面を結ぶ線路(武蔵野線大宮支線)が直進線路となっている。



武蔵野線という名称の通り、武蔵野地域・武蔵野台地を貫通し、各都市を結ぶ路線となっている(東京都武蔵野市は通過しない)。旅客輸送に関しては東京地区の電車特定区間(E電)の一路線である。ラインカラーはオレンジバーミリオンで、旅客案内や、運行される車両の車体色に使用されている。

また本路線は、直通運転を行っている京葉線や府中本町駅で接続する南武線、さらにその西側を通る横浜線とともに、東京都心と郊外を結ぶ他社線との接続駅を多く持つ「東京メガループ」の一つに指定されている。



貨物輸送に関しては、前述のように東海道本線(東海道貨物線)と東北本線(東北貨物線)を結ぶほか、短絡線を介して中央本線・東北本線・常磐線とも接続し、また西船橋駅から京葉線を介して千葉貨物駅とも直結し、首都圏鉄道貨物輸送の大動脈となっている。

線内には梶ヶ谷貨物ターミナル駅、新座貨物ターミナル駅、越谷貨物ターミナル駅の3つの貨物駅が設置されている。全線が1970年代の開業であり、踏切はなくカーブ半径も大きめに設計されている。貨物線として計画されたため、ポイント通過に際して旅客列車側に速度制限のかかる箇所も存在する。



古くからある東京都心と郊外を放射状に結ぶ鉄道との乗換駅付近をのぞけば、武蔵野線の沿線には東京のベッドタウンが多く、乗客も武蔵野線単独での利用よりは、それらのベッドタウンと都内に向かう路線を組み合わせての利用が多い。

旅客駅では全26駅中14駅が乗換駅であり、それらの駅では多くの乗客が入れ替わる。しかしながら、当路線は貨物路線として計画された経緯もあり、乗換駅では古くからの行政、商業、業務などの中心地を避けて建設されている。



武蔵野線の開業以前に優等列車が設定されていた路線では、営団地下鉄東西線(現・東京メトロ東西線)の快速、東武東上線の準急、西武池袋線の準急、中央線の快速をのぞくすべての優等列車が武蔵野線との乗換駅を通過していた。

沿線開発が進んで利用客が増加したこともあり、1985年に開業した埼京線では開業当初から武蔵浦和駅に全列車が停車し、既存路線でも1997年に東武伊勢崎線の準急が新越谷駅に、1998年に東武東上線の急行が朝霞台駅に停車するようになった。



2005年に開業した首都圏新都市鉄道つくばエクスプレスでも開業当初から南流山駅に全列車が停車し、2009年に北総鉄道北総線の特急と急行が東松戸駅に停車するようになり、これらの各路線とは乗換時の輸送改善が図られている。

西武池袋線の快速急行と急行は2016年現在も秋津駅を通過するが、2013年から秩父の観光シーズンに限り、一部の快速急行と急行が臨時停車するようになった。



その一方で、JRの中距離電車が接続する各駅では、中距離列車の走行線にホームがないことから停車が不可能であり、現在も全列車が通過する。沿線にある公営競技場のアクセスに便利な駅が多いため、「ギャンブル線」「ギャンブルライン」という別名がある。

吉川駅を過ぎると右側には武蔵野操車場の跡地が広がるが、跡地では新駅・吉川美南駅や、新三郷駅付近の商業施設が建設されるなどの再開発が行われている。常磐自動車道を跨いで操車場跡地が終わると三郷駅。



同駅の先で江戸川を渡り、埼玉県から千葉県に移る。同県最初の駅である南流山駅ではつくばエクスプレスが接続。その先では常磐線への短絡線(北小金支線・馬橋支線)が分岐する。馬橋支線と流鉄流山線を跨いだ後、常磐線(常磐快速線、常磐緩行線)との交差地点にある新松戸駅に至る。

常磐線側には緩行線にのみホームがある。新松戸駅を出て国道6号と交差すると南南東へと向きを変え、掘割に入り、新京成線との接続駅・新八柱駅へ。東京都立八柱霊園の西側を過ぎ、次は北総線および成田スカイアクセスが接続する東松戸駅。



続いて田園地帯の中を進み市川大野駅、中山競馬場最寄り駅の船橋法典駅に。そして南南西へ向きを変えて京成本線を跨ぎ、総武本線(総武快速線、総武緩行線)との交差地点にある武蔵野線の終点・西船橋駅に至る。

同駅においても総武線側には緩行線にのみホームがある。また東京メトロ東西線および東葉高速線が接続する。同駅より先は京葉線となり、東京駅方面および南船橋駅方面に線路が分岐している。



武蔵野線

別名ギャンブル線、親戚が浦和で馬券を売っていた
東葛観光歴史事典に文が残っているので電化する。武蔵野線は、東京の外環貨物線として計画された。昭和40年から工事を始めて、48年にまず府中本町・新松戸間、53年には新松戸・西船橋間が開通した。全線開通して20年、今は貨物もまばらにしか通らないから時代の変化を感じないわけにはいかない。

JR西船橋駅から新松戸へ向かう。西船橋駅では、ディズニーランドの入場券を出張販売している。総武線、武蔵野線、地下鉄東西線、東葉高速線の四本がここで合流している。昭和33年に新設された駅だが、駅付近も西船という町名に変わって、京成線まで西船駅に改称している。(※年数などはこの出版物発行当時のもの)



次の船橋法典駅は、中山競馬場の専門階段まである競馬一色の駅。レース開催日は、満員だった車内はここでガラガラになる。キヨスクの新聞売り場は、ことごとく競馬新聞である。「皐月賞記念イオカードをどうぞ」と抜かりがない。市川大野駅近くには万葉植物園があり、将門伝説も多い所である。

新八柱駅は、新京成線八柱駅と連絡している。しかし、駅名は武蔵野線は「やはしら」だが、新京成線は「やばしら」と濁る。ここから四条八十の墓のある都営八柱の墓のある都営八柱霊園、市民のオアシス二十一世紀の森と広場、森のホール、松戸市立博物館などへ徒歩15分の範囲で、一茶の句碑がある。子和清水も近い。



新松戸駅はJR常磐線と直角に交差し、総武流山線(※現在の流鉄)の幸谷駅とは徒歩1分で連絡する。新松戸の街は、新松戸の駅が出来るとニョキニョキとビルが建って、田園風景が一変した新しい街である。しかし、東口は昔のままの畑や雑木林があり、茅葺き屋根まで残っていて、西口の新しい街とは好対称である。

坂川の鉄橋を渡ると、南流山駅である。駅付近は坂川流域の水田地帯だったが、水害にも悩まされた地区である。江戸時代に鰭ケ崎村(※ケは大きい文字)の渡辺庄左衛門が、坂川を掘り継いで流れを良くしようとした努力は今に伝わっている。一方、北の台地の端には東福寺があって、伝説「目潰しの鴨」が語り継がれている。



江戸川の鉄橋を渡れば、武蔵野線は埼玉県に入り、終点の府中本町は東京都である。武蔵野線は、千葉、埼玉、東京を結ぶ無くてはならない電車になっている。また、他の路線は都心へばかり向いているのに、武蔵野線は山手線の外側を繋ぐ環状線としても重要な役割を果たしている。

西船橋から府中本町まで約一時間だが、西船橋から京葉線で東京まで乗り入れるようになって一層便利になった。競馬場が多いのでギャンブル線などと悪口を言われるが、沿線の住人にとっては本数も多くなって便利な電車になっている。



弱点を上げれば大雨に弱いことだろう。これは、台地は半地下とし、低地は半地下にした土を運んで土手を築いたため、大雨では崩れる恐れがあるから。しかし、すべて立体交差のため安全な路線となっている。踏切がないばかりか、カーブも勾配も緩くなっているので重量ある貨車がハイスピードで走れるように設計されていると言う。

駅には駅長がいるものと決めていたら、南流山や三郷駅には駅長がいないで新松戸駅長が兼務していた。が、今年の4月からは南流山にも三郷にも、駅長さんがいるということである。(※この出版物が発行されて20年以上、今ではつくばエクスプレスも開業し、流山市の南の中心部の一つとして都市機能の発展と、ビルの建築は続けられている)



文を追加しておく
俺が生まれた時には既に武蔵野線が開通しており、南流山駅前は都市整備が進められていた。なので、駅を通勤や通学で使用する前提で戦後の第一世代が引っ越してきた住民、通称「ベッドタウン住民」の人達は鉄道駅前こそが全ての一等地、と勘違いして生きているケースが良くある。これは親を見て生きてきた子供も同様の思考で生きている。

「流山は江戸時代から江戸川の水運によって栄えていた」ということを知らないのか、「今でも市の中枢機能は旧本町にある」という、俺からしたら当たり前の事を認めたくない人も多いようだ。駅はあくまで中心部の一つであり、全てではないということ。たしかに駅前には商店が立ち並び、マンションが多数あって、人が集まり、物資や金銭の流通も多い。



しかしそれは、主観的な目線でしかなく、客観的に見るとならば、違った目線も見えてくる。鉄道開通により本町の外が区画造成され、国や県の予算で、新たな街基盤が作られていく。これにより人口増加、市に税は落ち、さらに都市機能の整備の必要性が出てくる。学校は増加し、流山線やバスで通っていた生徒も学校へ徒歩圏内で通えるようになる。

流山小学校の分校とも言える学校が増えていくが、旧制の小学校は今の中学の役割も持っている。ということは、かつての流山小学校の学区の、ほんの一部が人口増加しただけに過ぎないということ。これにより商店の納入先と売上量が増えることになる。そして南流山駅という名前、これは流山本町という旧市街地の南にあるからこの名が付いた。



鉄道駅開設からの学校増設とならば、近年ならばおおたかの森小中学校が開設されたことを憶えている人も多いだろう。かつて森林であったところが開発され、道路整備、区画造成、住宅基盤も整備され、流入家庭も増えている。これは見事に南流山地区の流れと同じもの。さらに江戸川台、南柏といった駅前地区の開発と同様の歴史を持っている。

そして江戸川台、南柏、南流山といった新たな鉄道駅開設と、駅前の大規模造成で人口は増加したが、江戸時代からの水運で栄えた旧市街地は以前のまま。コミニティが崩されたのではなく、次第に世代交代を繰り返しながらも、流山の中心部として機能している。この流れは今現在でも続いているので、これからも流山の歴史となっていくんだろう。

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マツモトキヨシ新松戸駅前店

September 18 [Mon], 2017, 0:00

マツモトキヨシ新松戸駅前店

次世代型店舗1号店は創業の地・松戸市から飛騨高山
マツモトキヨシは、2015年9月30日に「新松戸駅前店」をリニューアルし、店内に「暮らしのヘルスケアショップmatsukiyo LAB(マツキヨ ラボ)」を併設した次世代ヘルスケア店舗をオープンした。本社1階の同店を起点に場所柄などを加味しながら展開を拡大していくという。

美と健康の分野に特化した商品やサービスを展開する同店では、生活者に対し新たなH&Bソリューションを提案し、今まで経験したことのない「新しい価値の体験」を提供することで美と健康に関するQOL(生活の質)の向上を図ることを目的としている。



若年層との接点づくりが起点、同質化する他業態と差別化
マツモトキヨシが取り組んできたことの1つに「若年層との接点づくり」がある。かつて男性客が多く利用していたコンビニ業界では、若い女性や高齢者にとって身近な存在になるべく、思考を巡らせていた時期があったという。しかし、奇しくもその目的を果たすことになった出来事が、2011年3月11日に起きた東日本大震災だった。

各業態とも、交通インフラが大きく乱れ、商品の安定した供給が非常に厳しくなった中で、コンビニはいち早くインフラが回復し、商品が納入された。これがきっかけとなり、コンビニは生活者にとって「身近な存在」になり、その価値が見直された。

一方、ドラッグストアにおいても、生活者との接点づくりが業界全体の課題の1つだった。特に若者を中心にTV離れが進み、新聞の購読者も減っている状況で、TVCMや折り込みチラシの効果が薄くなり、ますます若者との接点づくりが難しくなっていった。



さらに、コンビニやドラッグストア、スーパーマーケットなど、どの業態でも同じ商品が置かれる同質化が進み、業態ごとの差別化さえ難しくなったことも顧客離れを加速させた。その中でも、マツモトキヨシは郊外や繁華街、住宅街など様々な環境に店舗を展開し、それぞれの街や立地環境に合わせた品揃えや販促を行い、生活者にとって「身近な存在」としての地位を確立してきた。

現在、「マツモトキヨシ現金ポイントカード」の会員数は2400万人に達し、ポイントカードの会員データによって生活者の購買行動を分析し、どの店でどんな品揃えをしなければならないのか、どんなお店がお客から支持されているのかを導き出すことができるようになった。しかし、10〜20代前半の若年層との距離はまだ縮まらなかった。そんな時、現れたのがメッセージアプリの「LINE」だった。



matsukiyo LAB(マツキヨラボ)は、地域のお客の健康的な暮らしを支えるため、薬剤師・管理栄養士・ビューティースペシャリストの専門スタッフが美と健康をトータルサポートするヘルスケアショップ。健康や美容についての相談を受けながら、最適な商品・健康・栄養管理法や美容の秘訣など、きめ細やかなアドバイスをする。

新ブランドして、商品でも「matsukiyo LAB」を新規導入。管理栄養士が監修した「matsukiyo LAB サプリメント」全9品目を投入する。サービス面でも「matsukiyo LAB」ブランドを活用。店内に配置した「SUPPLEMENT Bar」「BEAUTYCARE Studio」「HEALTHCARE Lounge」の3つのサービスを提供する。各サービスの連動性を重視し、お客に質の高いサービスを提供するという。



マツモトキヨシによる新たな美白

ブランドBLANC WHITE(ブラン ホワイト)誕生
シミ・ソバカスが目立ちやすい肌のメカニズムに着目 〜2017年2月10日(金)よりマツモトキヨシグループ全店(一部店舗を除く)にて発売開始〜 「1st for you. あなたにとっての、いちばんへ。」をグループ経営理念に掲げ、全国にドラッグストアを広くチェーン展開する株式会社マツモトキヨシホールディングス

(千葉県松戸市新松戸東9番地1 代表取締役社長 松本清雄)は、高品質・高付加価値商品ブランドラインから新たに美白化粧品ブランド「BLANC WHITE(ブランホワイト)」を2017年2月10日(金)よりマツモトキヨシグループ全店(一部店舗を除く)にて順次販売を開始いたします。



「BLANC WHITE(ブラン ホワイト)」は“体感する、初めての美白(注1)シリーズ”をコンセプトに、お客様のお悩みから誕生いたしました。シミ・ソバカスが目立ちやすい肌のメカニズムに着目し、『角質ケア』と『有効成分(注2)』の2つのポイントにフォーカスすることで、もっと透明感のある肌を目指す新しい美白(注1)シリーズです。

一番の特徴は、『角質ケア』でのアプローチを目的に、ふきとり化粧水を80年以上研究しているナリス化粧品との共同開発により生まれたクリアローション(美白ふきとり化粧水)です。古い角質は洗顔だけでは落としにくいため、肌にたまってしまいます。



くすみの原因である古い角質を除去することで、透明感のある素肌に整えることができ、さらに次に使う化粧品の浸透(注4)もサポート。天然由来成分の『ヨクイニンエキス』配合で、肌にやさしくケアができ、毎日使い続けていただけるふきとり化粧水です。

また、メラニンの生成を抑制してシミ・ソバカスを防ぐ美白(注1)有効成分として「アルブチン」を配合。さらに乾燥し、くすみがちな肌(注4)のすみずみまでうるおいを届ける透明感サポート成分(注3)として「アルニカエキス」、「ビタミンC誘導体」、「ガジュツエキス」、「ヒマワリ種子エキス」を配合し、みずみずしく透明感あふれる肌環境に整えます。



2017年2月10日(金)の発売に先駆け、2016年12月6日(火)に新美白(注1)ブランド「ブランホワイト」に関する新商品発表会を開催いたしました。発表会では、株式会社マツモトキヨシホールディングス 代表取締役社長 松本清雄より弊社プライベートブランドの戦略をご説明させていただき、過去マツモトキヨシのCMでご活躍いただいた藤崎奈々子さんゲスト出演によるトークショーを開催しました。

また、商品部長青木より、レチノタイムをはじめとする高品質・高付加価値商品ブランドを展開する弊社のプライベートブランドをご紹介し、化粧品開発担当の早川より新ブランドの商品紹介と、ナリス化粧品との商品開発の経緯をご説明しました。さらに豊富な美容知識を備えた美容スタッフによる、角質チェックシートを用いたカウンセリング式タッチ&トライを実施し、 “体感する、初めての美白(注1)シリーズ”というブランドコンセプトをお試しいただきました。

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    ・神輿-田舎町にはこれが一番
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開発に取り残された街、なんて言いますけどね、コミュニティの強さ、田舎町の安心感、歴史財産まで、今の時代に一周遅れでトップになった感じです
TX沿線の新市街地に住む方たちも歴史情緒ある流山本町、今では一割もいないだろうと思われる流山先住民、昔からの生活をする住民として発信出来たらいいな、と思っています。
なお、神輿会に入りたい人については上に紹介はしますが審議にかけられます、個人として権力ないもので
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