メディアの公共性 

2005年05月22日(日) 16時01分
  宮台真司blogに、ライブドアによるニッポン放送買収問題をどう捉えるかというセミナーでの宮台真司発言というのがありました。

 宮台は、公共性とは「人々の欲望に応えること」ではなく「人々の欲望に応えるシステムを維持すること」であるとし、ホリエモン問題が指し示したのは、一方で左翼の「直接民主制幻想」であり、そして他方で保守の「寡占システムの延命」であるとしています。

 「人々の欲望に応えるとシステムが維持できなくなる」という発想こそが近代民主制の出発点であり、政治が人々の欲望にダイレクトに反応しないように工夫した制度であるということですが、現代では、その近代民主制自体の機能が問われているのではないでしょうか。また、視聴率競争が同じような低レベル番組の放送を招いたのでなく、巨大な広告収入と稀少な発表報道機会を寡占しているシステムが招いているのだということですが、これは、今の選挙制度、政治決定のしくみとまさしく同じ状況ではないでしょうか。

 だとすると、人々の欲望に応える言説ではなく、欲望に応えてくれるシステム自体を維持するために必要な言説を紡ぎだすことがジャーナリズムやメディアの公共性だろうということですが、これはとっても無理な要求のように思えてきますねぇ…。

JR西日本 

2005年05月09日(月) 19時19分
「不祥事」騒ぎが連日大変ですね。
同じ会社ということで、この「不祥事」に広島や米子の職員まで含まれるのですから。事故後、隣の車掌区はどう行動すればよかったのでしょうか? では、その隣は? その隣の隣は? 組織命令なしに動いた結果、待っているものは? 

この事故の余波で、博多どんたく祭りにJR九州もパレードへの参加を自粛したそうです。
じゃぁ、JR東海は?
5人で飲み会をしていた社員は? カラオケはいいの? お笑い番組を見ていた人は? 2人で飲んでいた場合は? そして、1人で晩酌していたら?

メディアが煽るこういう風潮が、いかに害を及ぼしていくか想像しているのでしょうか?
多分、今後は事故があったら、とにかく静かにしていればよしということに帰結していくだけでしょう。そして、本音と建前がますます分離し、そしてますます一人ひとりが考え、行動していくことができなくなるでしょう。
JR西日本は、既にそういう社風があったから、こういう結果になったのだと推測されますが、これがさらに重度になり、他の会社にも広がるということにならなければいいと思いますけど…。

ホリエモン教 

2005年05月01日(日) 9時21分
ホリエモンVSフジがラウンド終了…ということですが、メディアの問題はどうなったの?
結局、合法的ゆすりで終わってしまったということなのですかね?

フジ・サンケイGといえば、扶桑社版「新しい中学歴史教科書」というのもありましたねぇ。新しい歴史をつくる会のもので、検定合格前に各地の教育委員会に配布済みだとかでニュースになったんだっけ?
この教科書については、朝日新聞が例によって批判しているわけですが、これに対して「朝日新聞の六日付社説「こんな教科書でいいのか」を読んで、驚かされた。これでは、特定の教科書を排除し、自由な言論を封殺するものといえる。」というのがサンケイの社説だったのですよ。

社説にとりあげることが「自由な言論を封殺するもの」なのでしょうか?そんなことを問題にするならもっと他にあるでしょと思うのですが…。
こんなマスメディアがジャーナリズムでございというのなら、やっぱり買収された方がよっぽどマシですね。

そういえば、ホリエモンは宗教学専攻だったんだそぉな。
いや、呼ばれてるなぁと思っただけですが…。

不安を生きる 

2005年04月06日(水) 21時11分
 中沢新一で思い出したわけではないのですが、島田裕巳

 ちょっと前の週刊誌でイエスの方舟のその後のレポートを書いていたのを思い出しました。その時は特に気にも留めなかったのですが、図書館でなんとなく借りてきたのが島田裕巳の本でした。これって潜在意識だったのでしょうか?
今、何やっているんだろうと思ったのですが、これもたまたま島田裕巳blogを発見。なんか呼ばれてるなぁ…という感じ。

 さて、借りてきた本の方はオウムがまだ犯罪集団とされていない時代のもの。その後、彼にはオウム擁護という批判が集中したと思うのですが、なんで?という感想を持ちました。宗教と現代社会というテーマで考えれば当然の帰結にすぎないと感じます。当時、幸福の科学創価学会についてもテーマとしていたようで、もしや、うまく煽られた陰謀…?
イエスの方舟をバッシングテーマにした新聞社は、それが間違いであったにもかかわらず、つぶれる事もなく安泰ですね。

 今はいろんな分野でスケープゴートを探し出して、それで心の安定感を保つという具合にはなっていないでしょうか? 不安の時代なのか、不安を煽って新たな商品としているのか。ここにも宗教を考える余地があるんでしょうね…?

朝生&長野智子 

2005年04月03日(日) 16時44分
 ホリエモン、あまり興味なかったのですけど…長野智子blogから

 先日、中沢新一のフォーラムに行く機会があって、その中で中沢は今回のホリエモンの件を「大変な時代になった」としきりに言っていました。
フォーラムの本題自体が違う話だったので、この件についての詳しい話はなかったのですが、多分、西洋型資本主義社会を受け入れたフリをして生き延びてきた「日本型」資本主義社会がいよいよ通用しなくなる時代になるいうことだと思いました。
この場合「日本型」というのを善とするのか悪とするのかはさておき、生活・文化面での危機感を述べていたのかもしれません。

 もうひとつ思い出すのは、筑紫哲也です。
筑紫は、ジャーナリズムは記者の真摯な姿勢が必要だという観点から、ホリエモンが言うように不特定多数の評価を判断基準とすべきでないと意義を唱えていたと思います。

 うーん、見事に過去の人になったという感がありました。
時代の変化が人に与える感覚というのは凄いものです。
マスコミでは、すでに記事の垂れ流しが多くなり、自らの存在のために記事を選ばざるを得ないようになっているのではないでしょうか?
もっとも、いずれにしろホリエモンが相手にしようとしたのは、その代表ともいえるフジ・サンケイグループなのですから、今更何も変らないでしょうという気もしますが…。
どうなんでしょうネ…?
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