百姓は百生!? 

February 15 [Fri], 2008, 0:58

■百姓の意味を再認識してみる

「百姓(ひゃくしょう)」という言葉は、差別用語、不快用語、放送禁止用語とされています。


農業界で働く者として、このまま放置しておくには、どうも忍びありません。
そこで、「百姓」という言葉を、再認識、再定義してみたいと思います。

なぜならば、言葉の定義が変われば、言葉に対する人の価値観は変わるからです。

たとえば、仏教語の「我慢」の本来の意味は、「自分を過信し、自惚れること」でした。
……ということは、「我慢強い人」とは、「自惚れの強い人」という意味になります。

また、「分別」の本来の意味は、「妄想」です。
……ということは、「分別ある人」とは、「妄想が得意な人」ということになります。

いずれも、本来の言葉の意味と、現代の解釈とは大違いです。
そして、人の価値観も。

「●●さんって、本当に我慢強いんですね!尊敬します」……って、本来の意味からすれば、かなり嫌みです。

「私の子供は、●●先生が担任なんです。とても分別ある方なので本当に良かったわ!」……って、なんか、ちょっと心配です。

まぁ、そんな変な妄想を抱いているのは、私だけだと思いますけど(苦笑)。

話を元に戻しますが、これらの例え話のように、言葉の定義が変われば、人の価値観も変わります。

「百姓」という言葉についても、本来の意味と現代の解釈に大きな違いがあるかも知れません。
まずは、言葉の本来の意味から調べてみました。

 

LinkIcon参照サイト:Wikipedia

 

■百姓とは大御宝だった!?

「百姓」の定義は時代によって大きく変化してきました。
「百姓」という言葉が、職業としての「農民」を意味する言葉として一般的になったのは、明治以降だと考えられています。
それ以前の「百姓」の意味は、それとはまったく違った意味を持っていました。


「百姓」とは本来、「ヒャクショウ」ではなく、「ヒャクセイ」でした。

「百」の「ヒャク」は「たくさん」を意味し、「姓」の「セイ」は「姓(かばね)」を意味しています。
「姓(かばね)」とは、天皇から氏族に与えられた身分や職能のことです。
律令制下では、「姓」を持つ、貴族、官人、公民、雑色人の全ての階層の人々のことを「百姓」と呼んでいたのです。

つまり、「百姓」とは「たくさんの姓を持つ人々」のことを意味していたのです。
そして、「天皇(スメラミコト)」は、「百姓」のことを、「大御宝(オオミタカラ)」と呼んでいました。
広義に解釈すれば「天下万民」のことを意味していたからでしょう。

『日本書紀』の、「神武天皇の建国の詔」には、こう記されています。
「恭みて寶位(たかみくら)に臨みて、元元(おおみたから)を鎮むべし」
意味は、「謹んで高御座に即位して、大御宝の魂を治めよう」と。

これらのように「百姓」の本来の意味は、「天皇(スメラミコト)」の「大御宝(オオミタカラ)」のことであり、「天下万民」のことでした。

長い年月がかかって変化したとはいえ、「大御宝(オオミタカラ)」と、放送禁止用語とでは、大きな違いです。
「我慢」や「分別」の違いどころではありません。本当に驚きです。

それにしても、なぜ、そこまで大きな違いが生じてしまったのか?
その理由については、割愛しますが、もしも、興味のある方は歴史学者の網野善彦の著書などに参考にしてみるとよいでしょう。


網野善彦_1.jpg

 


■百姓を蔑むプロパガンダ!?

と言いつつ、網野善彦の研究とはまったく関係なく、私はこう思っています。

もしかすると、差別用語、放送禁止用語にすること、それ自体が、ある種のプロパガンダだったのではないか、と。

でも、何のために?

それは、若くて優秀な人材を、農村から離脱させるためです。
今現在、中国で起こっている、農村部から都市部への労働力の大移動が、日本でも戦後の経済成長期に起こりました.。
大ヒットした映画『ALWAYS 三丁目の夕日』の時代です。

その時代、都市部は、農村部からの、賢く若く安い、労働力が必要でした。
事実、集団就職などによって、農村から多くの労働力が流動したわけですが、その動機には、都市部への憧れは勿論ですが、同時に農村部の侮蔑の思いもあったのではないかと。

都市部の華やかさを表現した、映画、ドラマ、マンガ、小説などは数知れず、です。
それらの作品を観て、農村に住む少年少女が都市部への憧れを抱くのは当然のことでしょう……。
作品の制作が、労働力の流動を意図していたのか、あるいは単なる偶然だったのか、それは分かりませんが、そのことによって、労働力の流動が加速化したのも事実でしょう。

そして、都市部への憧れだけでも、少年少女が農村を離脱する動機としては十分だったかも知れませんが、同時に農村部の暗部もクローズアップされました。
儲からない農業、格好悪い農家、冴えない田舎者、農村の重いしきたりと村八分、意地の悪い百姓、ダサイ村の青年。
そのことをイメージする、映画、ドラマ、マンガ、小説などは数多くあります。
私の記憶にあるものだけでも、『砂の器』『楢山節考』『はだしのゲン』『カムイ伝』『おしん』『赤き血のイレブン』『北の国から』『いなかっぺ大将』『にほん昔ばなし』など、でしょうか……
(時系列じゃなくて申し訳ありません)

『おしん』『北の国から』などのテーマは、決して「農家=百姓」「農村=田舎」を蔑んだものではありませんが、少年少女の心にはポジティブな映像としては映らない場合もあるのではないかと思います。
『北の国から』では、無農薬栽培をした農家が村八分にあうという、現代的でイノベーションを促すような出来事を取り上げているのですが、結果的には「農村=村八分」という農村のネガティブな印象を与えています。(現在でも村八分では実在しています)

これらの作品も、労働力の流動に少なからず影響を与えた可能性はあります。

そして、何よりも「百姓」という言葉をタブーにしたこと自体が、「百姓」をネガティブな存在にすることに、もっとも大きな影響を与えているのではないかと思います。
タブー化、隠蔽化することが、実は問題をますます大きくしてしまう、という事例は枚挙にいとまがありません。
つい最近では、耐震強度偽装問題、賞味期限偽装問題、産地偽装問題しかりです。

「百姓」という言葉を放送禁止用語にすることで、「農家=百姓=侮蔑」のイメージを広めることが意図的だったとすれば、そのプロパガンダは大成功だといえるでしょう。



■農家が百姓の地位を下げた!?

また、プロパガンダとは関係なく、実体験として非農家の人が、農家に対しネガティブな感情を持つ人も少なからず居ます。

戦後の食糧難時代に、空腹に苦しむ非農家の庶民を相手に、闇米、闇市などで私腹を肥やした農家が大勢いたのも事実です。

私は、70代~80代の農家の方から昔話を聞くことをライフワークにしていますが、「お米を賄賂にし、警官や役人をたらし込んでいた……」などの類の話は珍しくありません。
今では信じられない話ですが、食糧が不足していた時代、「お米」は紙幣と同等、あるいはそれ以上の価値があったんです。

非農家だった私の親類は、親の言いつけで、サツマイモの買い出しを命じられ農村に出掛けて行き、農家に「お願いです!サツマイモを売ってください!」と、泣きながらお願いしたけれども、法外な値段を吹っ掛けられ、泣く泣く帰宅した経験があるといいます。その親類は60歳を過ぎた今でも、「だから俺は百姓が大嫌いなんだ!」と、私に言います。
確か、学校の図書室にあった『はだしのゲン』に、似たようなシーンがあった記憶があります(間違っていたらごめんなさい)。

さらに、近年ではタダ当然の農地を宅地に転用し、不動産収入で大儲けしている、名ばかりの農家も少なくありません。
言葉の表現は汚いかも知れませんが、節税のためだけ、あるいは政府からの補助金を受け取るためだけの、自称農家が大勢いることは紛れもない事実です。

もちろん、このような事例は全体の僅か一部に過ぎないのかも知れません。
しかし、『火のないところに煙は立たぬ』という言葉もありますように、農家自身の自らの行為によって「百姓」の地位を下げてしまった。そういう一面もあるのではないでしょうか……?



■百姓は百生である!?

最後は、視点を少し変えて、「言霊学(ことたま)」的に「百姓(ヒャクセイ)」に読み解いてみましょう。

結論から言ってしまいます。
「ヒャクセイ」を「言霊学的」に解釈すると、当てはまる漢字は「百姓」ではなく、「百生」となります。


「ヒャク」には「百道(モチ)」という意味と、「たくさん」という意味があります。
「セイ」は、「生きる」「生かす」「生命」「生む」などの「生(セイ)」のことを意味しています。
そして、「ヒャク」+「セイ」=「たくさんの生命」という意味になります。

この「たくさんの生命」が意味しているのは、人間のことだけではありません。

古神道的に、「たくさんの生命」とは、その土地の神々や精霊、禽獣蟲魚、山川草木などの、生きとし生ける全ての存在のことを意味します。

つまり、「百姓=ヒャクセイ=百生」とは、生きとし生ける全ての生命を生かし、共存共栄するという生き方、人生観、ライフスタイルのことを意味しているのです。
そして、そのことを前提として、農産物を育てること、育てる人のこと「百姓=百生」を意味しています。

「言霊学的」には、そう解釈することができます。

このように「言霊学的」な視点での「百生」と、従来の「百姓」とでは、読み方は同じでも、意味する世界観はまったく異なります。
もちろん、その世界観に対する価値観も、それぞれ違うことでしょう。
その価値観を押しつけるつもりなど、毛頭ありません。


■農村の新たな対立闘争のタネ!?

ただし、農業界で仕事をする私としては、「ヒャクセイ=百生」という解釈は、とてもしっくりきます。
完璧にピッタリです。


近年、「有機農業」「環境保全型農業」「自然農法」「不耕起栽培」「無肥料栽培」「バイオダイナミック農法」などの、自然環境に負荷を与えないとされる農業技術のスタイルが普及し、その名称も認知されつつあります。

しかし、私にはどの言葉も、しっくりきません。

それらの言葉が持つ潜在的な意味が、どれもある種のイデオロギー的、宗教的、政治的な臭いがするからです。
例えるならば、「自分が実践している農法が、一番正しい、環境のため、世の中のためなんだと……」という臭いです。

キリスト教、イスラム教、仏教、ヒンズー教。
いま世界で起こっている対立闘争、宗教戦争の要因です。

自民党、民主党、公明党、共産党。
いま日本で起こっている対立闘争、政治闘争の要因です。

有機農業、有機農業、自然農法、不耕起栽培。
いま農村で起こりつつある対立闘争の要因になりつつあります……。

「えっ?ウソでしょ?」

いいえ、これは事実です。

様々な農法の違いが、農村での新たな対立闘争を引き起こしつつあります。
これでは、宗教戦争、政治闘争と何ら変わりありません。
正直、バカバカしいです。
しかし、それが現状です。

 

■百生人になろう!

理由はともかく、放送禁止用語となってしまった「百姓」。
新しい対立闘争の要因となりつつある、有機農業、有機農業、自然農法、不耕起栽培という、各種の農法名。

この際、これらの言葉は、捨て去ってしまい、新たな言葉を用いて、価値観を新たにしてはいかがでしょうか?

その新たな言葉とは、もちろん「ヒャクセイ=百生」です。


私は、生きとし生けるものたちの生命を生かす、という意味の「百生(ヒャクショウ)」という価値観が広がり、その価値観に生きる人が一人でも多く増やすことを、自分のミッションにしています。

そして、その価値観に生きる人のことを「百生人(ひゃくしょうじん)」と定義しています。

まぁ、「百生(ひゃくしょう)」でも、「百生人(ひゃくしょうじん)」でも、どちらでも構わないのですが、「私は百生人です!」と、堂々と宣言できる人が増えて欲しい、そう思っています。

なぜならば、そのことが、「高天原の農行(農業)」への最初の一歩だからです。


話が長くなってしまいました。
最後までお読みいただき、誠にありがとうございます。


LinkIcon参照サイト:Wikipedia

映画『いのちの食べかた』 

February 14 [Thu], 2008, 7:52

■牛のポスター!?

今、僕の部屋には、銀色に縁取られた「牛」のポスターが部屋に貼られています。
それは、アート系の作品でもなく、女性の牛のコスプレ写真でもありません。
ある映画の、宣伝ポスターです。


いのちの食べかた_チラシ_表_1000.png いのちの食べかた_チラシ_裏_1000.png


その映画とは『いのちの食べかた』です。

LinkIcon『いのちの食べかた』公式サイト
LinkIcon『いのちの食べかた』予告編

いわゆるミニシアター系の作品ですが、昨年からロングランを続けるドキュメンタリー映画です。
渋谷の「シアター・イメージフォーラム」で上映していたのは知っていましたが、東中野の「ポレポレ坐」で上映されるまで待っていました。

テーマは、簡単に言ってしまえば「食」についてです。

「食」の生産や加工の現場の実態を、オーストリア人の映画監督、ニコラウス・ゲイハルターが独特の表現方法で、淡々とスクリーンに映し出します。

台詞はなし。
ナレーションもなし。
BGMもなし。
カメラワークも、フィックス(固定)ばかりで、ズーム(前後の移動)やパン(左右の移動)もしない。

シンメトリーなフレームには、牛、鳥、サーモン、パプリカ、トマト、キャベツ、アスパラ、ひまわり、岩塩などの生産や加工の現場が、スライドショーのように次々に登場します。
撮影現場は、詳しい解説がなかったので定かではありませんが、おそらくドイツやオーストリアなのではないかと思います。

この映像は、生産や加工の現場を初めて目にする人にとっては、生理的に衝撃的な映像かも知れません。
人によっては、吐き気をもよおす人もいるかも、です。
僕自身は、岩塩の採掘現場以外は、規模の違いはありますが、仕事上で体験済みなので、特に驚く場面はありませんでした。


■カルチャーショック!!

しかし、僕は、この映画で、とてつもなく、大きなカルチャーショックを受けました。


でも、僕が驚いたのは、その映像の内容についてではなく、その表現手法です。
台詞もナレーションもBGMもない、という手法も確かに驚きはしましたが、そのことではありません。

ネタバレになってしまうので、あまり細かいことには触れませんが、
「なるほど……!!!こういう表現の仕方があったのか……!!!」と。

この手の、最近のドキュメンタリー映画といえば、
マクドナルドのスーパーサイズのメニューのみを1ヶ月食べ続けるという、モーガン・スパーロック監督の『スーパーサイズ・ミー』や、


スーパーサイズ・ミー_2.jpg スーパーサイズミー_1.jpg

LinkIconスーパーサイズ・ミー


マイケル・ムーア監督の、『ボウリング・フォー・コロンバイン』『華氏911』『シッコ』や、


ボウリング・フォー・コロンバイン.jpg 華氏911.jpg シッコ.jpg

LinkIconマイケル・ムーア


アルバート・アーノルド・ゴア・ジュニア監督の『不都合な真実』などが知られるところです。


不都合な真実.jpg 不都合な真実_2.jpg

LinkIcon『不都合な真実』
LinkIcon『不都合な真実』


これらの作品には、スキャンダル的な表現、監督からの具体的なメッセージ、行動を促す扇動の意図がありました。


そして、その目論み通りに、作品はヒットし、マクドナルドはスーパーサイズの販売を中止し、アル・ゴアはノーベル平和賞を受賞するなど、実社会に大きな影響を与えました。
人々の観念、価値観に対し、とてもリアルで、強いインパクトがありました。
しかし、この『いのちの食べかた』は、インパクトはあるものの、何かを批判するわけでも、擁護するわけでもなく、スキャンダル的な表現も、監督からの具体的なメッセージもなければ、何かを扇動する仕込みもありません。

まぁ、中には煽られた人もいるかも知れませんが、基本的には観る人の解釈、価値観に委ねられています。

その1点に、僕は「くそぉ~!この若造の外国人監督、やるじゃんー!!!」という心地よい敗北感に打ちのめされ、降参の証に、普段は絶対に買わないパンフレット、ポストカード、ポスターを購入して、劇場を後にしたのでした……。


■初心忘るべからず!!

それから、これも、ネタバレになってしまいますが、牛を電気的ショックで気絶させ、その間に血抜きをするという、免疫のない人にとっては、きわめて残虐なシーンが登場します。
そのシーンを目撃した人は、怒りや哀れみの感情を引き起こされ、またある人はその瞬間からベジタリアンになろうと決心するかも知れません。


いのちの食べかた_パンフ_牛_1000.png

でも、僕自身は、感情的にならず、ただその事実を受け止めようと静観することを選択していました。


それは、仕事に取り組む上で、似たような場面に頻繁に遭遇しているので、既に免疫が十分にあったからです。


「人が生きるためには、他の生き物の生命を犠牲にしなければならない」

この事実について、毎日の食生活はもちろんですが、仕事の上で、いつも思い知らされています。

病害虫や雑草を農薬で防除すること。
森林を開墾して農地にすること。
農地から肥料や農薬が地下水や河川に流出すること。
家畜を屠殺して食肉にすること。
食物を大量に廃棄すること。

その事実を、自分自身がどう受け止め、消化すればいいのか?
気持ちが純粋だった若い頃は、その事実に思い悩むこともありましたが、今はもう、そのことに思い悩むことはありません。

僕自身の答えは、
犠牲になった生命に感謝して生命をいただくこと。
犠牲になった生命が成仏するように祈ること。

そして、それらの生命が無駄にならない生き方をすること……。

それが、すべて、でした。

具体的に、そのような生き方をする為に、僕自身は、生命の犠牲が最小限になるような農産物の栽培技術を開発し、普及することを生涯の仕事として選択していました……。
その初心を忘れないようにしよう!

そのために、ポスターを部屋に貼っておこう。
そう思ったのでした。

でも……

生命の犠牲を最小限にするために、本当に効果的には、食べ過ぎないこと、なんですよね、実は。
食欲のコントロール、これが一番の問題なんです!(苦笑)

格好つけてる場合じゃないんです。
食べ過ぎで太っているということは、多くの生命を犠牲にしている証しなんですから……。

それじゃ、結局はダイエットのためなのかよ……!!!
まぁ、そういう訳じゃないですけど、殺生は少ないことに越したことはない、そう思っています。

賞味期限偽装問題、産地偽装問題、中国産餃子中毒事件などで、「食」問題はタイムリーな話題ですし、「食」や「農業」に興味のある人には、是非とも観てもらいたいですね。

まだ間に合いますので、皆さんもいかがですか?

LinkIcon上映館

■上映日時:2008年2月2日から2月15日まで 15:00/17:00/19:00
■ポレポレ東中野:東京都中野区東中野4-4-1ポレポレ坐ビル地下
■料金:大人1500円 未就学児無料

LinkIconポレポレ坐

秩父神社へ参拝してきました。 

February 14 [Thu], 2008, 6:43

八意思兼命への神頼み

旧暦の新年を迎え、埼玉県の秩父神社へ参拝してきました。

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参拝の理由は、秩父神社のご祭神である「八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)」への神頼みのためでした。
「八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)」とは、「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」が、岩戸に隠れてしまった時に、八百万の神々に、岩戸を開くための智恵を授けた神様のことです。
八種の心、意識、思想、思考、知恵を同時に操る働き、神力を持っています。

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格好つけるわけではありませんが、私は、基本的に神頼みなんて滅多にしません。

しかし、依頼されている原稿がまったく進まず、大スランプに陥っていたので、「八意思兼命」の御神力にあやかりたい、そう素直に思ったのです。
過去に記憶にないくらい時間をかけて、念入りにお参りをしてきました(苦笑)。

御利益があるかどうかは分かりませんが、秩父特有の冷たい空気がとても心地よく、大いにリフレッシュできました。
あっ、おいしい田舎料理にも大満足でした。

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ただ、石灰岩の発掘で、不自然に規則的な武甲山の斜面の雪景色が、どうも痛々しかったですね。

bukou_2_1000.jpg

それから、いつでも参拝できるように、参拝映像を撮影してきました。
智恵の神様にあやかりたい人のために、編集して「YouTube」にアップロードしてみようと思っています。
近日公開する予定です(いつのことになるのやら……)

4月4日の「御田植祭」にも参拝したいと思います。

改めまして、新年明けましておめでとうございます。 

February 04 [Mon], 2008, 21:54

今日2月4日は立春。
旧暦の元旦です。

改めまして、新年明けましておめでとうございます。

「七十二候」(しちじゅうにこう)では、「東風解凍」(はるかぜ こおりを とく)です。
意味は、「東風が厚い氷を解かし始める」。
まぁ、昨日の大雪でしたけど……

農業界で仕事をする私は、ローマ教皇が制定した「グレゴリオ歴」よりも、「太陰太陽暦」(旧暦)や、月の満ち欠けを基準にしている「太陰暦」の方が、波長というか、リズムがあいます。

例えば、
「雨が降って土が湿り気を含む」という意味の、「土脉潤起」
「草木が芽吹き始める」という意味の、「草木萠動」
「冬蘢りの虫が出て来る」という意味の、「蟄虫啓戸」
などです。

何とゆうか、自然の季節感があります。

まぁ、それでも近ごろは温暖化の影響で、「七十二候」とのズレがあります。

それでも、新年が2回もあり、得した感じがします。
明後日には、初詣に行こうと思います。

今さらですが、皆さんにとっても、良い一年であることを祈っています。

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『マイノリティ・リポート』の仮想世界が実現! 

October 11 [Thu], 2007, 0:00
「スゲーーー!!」思わず、そう叫びました。
ニューヨーク大学クーラン数理科学研究所の研究者、Jeff Han氏が開発した「マルチタッチ式大型ディスプレー『Interactive Touch Media Wall』のデモ映像です。
2002年に、トム・クルーズが主演し、スティーブン・スピルバーグが制作したSF映画に、このようなディスプレーが描かれています。
近い将来、実現化するとは思っていましたが、こんなにも早く実現するとは驚きです。
人間の想像力の素晴らしさに感嘆しました!

購入することも出来ます → Neiman Marcus

巨峰を買う前に! 

October 03 [Wed], 2007, 18:16


収穫の秋です。

僕の大好きな「巨峰」の一番美味しい季節です。

日本人に広く愛されている「巨峰」(石原センテ)は、1937年(昭和12年)に、大井上康という民間の研究家の長年の研究と苦労によって育種されたブドウです。
ご存じのない方が多いのですが、「巨峰」は1955年(昭和30年)に商標登録されています。

■商標:巨峰
■称呼:キョホウ,キョホー
■登録番号:第472182号
■指定商品:第29類(干しぶどう)/第31類(葡萄,葡萄の種子)


通常、農産物の名称は、単なる名称にしか過ぎませんが、「巨峰」商標です。

ですから、本来は商標の権利者に無断で「巨峰」の名称をつかうことは出来ません。

しかし、農業界の知的所有権に対する認識が低いことから、ほとんどの農家は無断で使用しているのです!

しかも、確信犯です。

権利者が警告してこないことをいいことに、使いたい放題、やりたい放題が現実です。

本来であれば、権利者が法的な手段で無断使用に対し、警告したり、止めさせたりするべきなのですが、それには多大な費用が生じてしまいます。

また、近所で商標違反をしているのを知っていても、違反していることを指摘すると農村内での人間関係を悪化させてしまう恐れがあるため、見て見ぬふりをしているというのが現状です。

「巨峰」の商標を無視して「巨峰」を販売するということは、違法コピーの映像DVDや音楽CDを堂々と販売しているようなものです。

日本は法治国家のハズなのに、農業界だけは放置国家という現状です。

これでは、違法コピー天国の中国と同じです。

その現実に、皆さんはどう思いますか?

「巨峰」という農産物は、国家から一切の支援を受けずに、民間人が自費で研究開発したものです。

「巨峰」を販売して利益を得ているのであれば、「巨峰」を開発した人(会社)に対して、その利益を還元するのが人の道ではないでしょうか?

ちなみに、商標権の使用料はたったの「5円/キロ」です。

上等な「巨峰」ならば、5,000〜6,500円/キロするものもあります。

それなのに、たった5円/キロを権利者に還元しないなんて、守銭奴です。

僕は、「巨峰」の開発者に対し、何の恩義も感じずに、商標違反を続けるような農家が育てるような「巨峰」は食べないことにしています。

皆さんも、この商標の無断使用について共感していただけるのであれば、お店で「巨峰」を購入する時には、商標権を支払っている農家の「巨峰」を食べてください。

見分ける方法は、「巨峰」の箱やパックに、「日本巨峰会」と記載されていますので、チェックしてください!
●日本巨峰会 公式サイト

「日本巨峰会」と記載されている「巨峰は、商標の件だけでなく、食味や栄養価など品質が上等なものが多いので、オススメします!

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栄養週期理論作品 高松求さんの新米です 

September 28 [Fri], 2007, 20:02

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先日、茨城の高松求さんの新米をいただきました。
「カバークロップ」の実験圃場のお米です。

新米の場合は、お米が主役ですから、シンプルなおかずでいただくのが僕の流儀です。

まずは、お塩。
次に、醤油の実(もろみのこと)。
そして、お新香。
さらに、塩おむすび。

今年の自然の恵みと、お米を育てる方々のご苦労に、心から感謝し、いただきます。

合掌

ジャガイモの施肥プログラム 

September 18 [Tue], 2007, 22:11

●ジャガイモの施肥プログラム

高松求さんが、農作物を栽培する時に利用している施肥プログラムは「栄養週期理論」です。
この理論は、ブドウの「巨峰」を育種した大井上康氏が提唱した理論です。

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●ジャガイモの施肥こよみ(PDFファイル)『家庭菜園の実際』より

高松求さんのジャガイモ 

September 18 [Tue], 2007, 17:45

●高松求さんのジャガイモ

茨城県牛久市の高松求さんにジャガイモをいただきました。

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品種は男爵です。
男爵特有のホクホク感が、強烈です。
高松求さんのお野菜は、毎年、格段に美味しくなっていきます。
恐るべし探求心。
恐るべし77歳です。

生の落花生 

September 12 [Wed], 2007, 14:08

高松求農場の「生の落花生」

皆さんは「落花生」という言葉を聞いて、どんな落花生をイメージされますか?

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私は、スバリ「煎った落花生」です。
それも、殻つきか殻なし、国産か中国産の違いがあるだけの、非常に地味な食べ物という印象しかありません。
一年中いつでも手に入れることが出来ますが、いつでも食べたくほどの魅力があるわけでもありません。

ところが、です。

P R
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農業界で仕事をしています。
多くの人が抱いている、農業に対する誤解や幻想について、わかりやすく解説します。
農業に関する認識を再考していただく機会になれば幸いです。

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» 百姓は百生!? (2010年06月08日)
栄養週期理論本

『家庭菜園の実際』



『大井上康 講演録』



オススメ本です!


農業をやろうよ


農業立市宣言
―平成の市町村合併を生き抜く!


あたりまえの農業経営
―定点観測ルポ・プラウと女化の仕事師たち


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土着微生物を活かす
―韓国自然農業の考え方と実際


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