帰省 

August 24 [Tue], 2010, 17:45
暑いですねー。

先日、島根の実家へ帰省してきました。

その途中、暗夜行路の舞台となった大山にも寄りました。なんともいえない自然の雄大さに鳥肌が立ちました。

遥か向こうには日本海と島根半島が見えて、空からは無数の光の筋がうっすらと差し込んでいる風景は

一生忘れないと思います。

島根県も浜田市という西部にすんでいるので、鳥取はなかなか足を踏み入れたことがなく、いい思い出になりました。

大山には一泊しました。ペンション村のカルロスランチというところに泊めていただいたのですが、

帰る日に時間があるからと車で大山観光に連れて行っていただき、また米子駅まで送っていただきました。

夫婦で経営されているのですが、お二人とも非常に親切な方で感謝しています。

その後、アクアライナーに乗って浜田市へ。

ゴールデンウィークにも一度帰省しているので特に感慨はなかったです笑

ただ、久しぶりに見た日本海に沈んでいく色を失って真っ赤に燃えている太陽は心に残りました。

浜田に2泊3日して、帰りも米子までアクアライナー。米子からは快速で倉吉まで向かい、

そこから特急スーパーはくとに初乗車。智頭線を通って姫路まで出て、そこから明石、大阪、新大阪、京都と走る列車で

す。

いつもは高速バスで広島まで出て、そこから新幹線で帰るのですが、たまには違う帰り方もしてみようと思い

こんなルートを通ってみました。

色々な人、ものが見れてとても楽しかったです。

来月は北海道旅行!これもまた非常に楽しみです。



↑大山を下から見上げる




↑大山中腹からの眺め



↑倉吉駅

『暗夜行路』を読みながら 

July 30 [Fri], 2010, 19:08
この前東京に行った際、新幹線の中での暇つぶしにと思い志賀直哉の『暗夜行路』を購入しました。

久し振りにこのくらいの厚さの本を読むということと、近代文学の代表作とも言われる名作だということで期待しつつ

無心にページをめくっているうちに気付けば新幹線は品川駅を通過していました。

以前、高校生の時に『城の崎にて』を教科書で読み、何て美しく流れるような文章なのだろうと感心したときのあの気持ちを

思い出しました。

小説の内容もさることながらその淀みなく流れていく文章が心地よく感じられます。

私自身時々気の向いたときなどに小説のような日記のような文章をノートに書きつけることがあるので、これだけの文章を

書き続ける力量、精神力というものは凄まじいものがあるということは実感できます。

素人ながら文章を書く側に回ってみると、言葉とは陽炎のようなものだとつくづく感じます。

こちらから近付こうと思えば遠ざかる。今これを的確に表現する言葉があるはずなのに出てこない。

これだと思って書き付けた言葉が、雰囲気にそぐわない言葉だったり。

特に小説を書くということは、話の筋や文章をきちんと構成するための論理的思考力と人の心や情景をありありと描写する

ための創造的思考力をいかにバランスよくブレンドできるか、その比率が非常に難しいものだと思います。

志賀直哉の小説を読んでいると、その二つをごく当たり前のように混ぜ合わせ、そして文章を書いている。

だからこそ淀みなく文章が流れているように見えるのですが、これは一見簡単に見えてそうそうできることではないでしょう。

少し志賀直哉に嫉妬しながら、少しずつ味わうように『暗夜行路』、読ませていただいています


卒業論文とか 

July 28 [Wed], 2010, 17:36
私は主に社会学系、とくに社会言語学を専攻しています。

中でも卒業論文は、ウクライナに関するものです。

ウクライナ。

最初はロシアに興味があったのですが、その歴史を勉強している中で特にウクライナに興味を持ち始めました。

ウクライナの歴史は、他の大国に挟まれた国々と同様に、大国の思惑に振り回された歴史でもあります。

ロシアは、ウクライナ語を「ロシア語の方言に過ぎない」として、19世紀末ごろヴァルーエフ秘密指令とエムス法を通して

ウクライナ語での教育、ウクライナ語書物の出版の禁止やウクライナ語での演劇上映などを禁止しました。

確かにウクライナ語とロシア語、そしてベラルーシ語は同じ言語属性と言えますが、й(イクラートカヤ)やя(ヤー)の発音

が少し違いますし、文法も違います。

ロシアは、当時ポーランド分割で旧ポーランドを支配下においていて、その土地に住むポーランド人が反乱を起こしたので、

民族のアイデンティティを高揚させるような行為、つまりその民族の言語の使用を禁止したのです。

しかし皮肉な事に、この言語禁止によってウクライナ人は自身のアイデンティティを強く主張するようになります。

パンテレイモン=クリシのウクライナ語正書法作成や、ドラホマーノフ、そしてタラス=シェフチェンコらがウクライナ民族の

アイデンティティ確立に力を入れるようになります。

そして1914年、第一次世界大戦が始まり、帝政ロシアが倒れるとソビエト政権を樹立したレーニンは反対に、ウクライナ語の

使用を奨励するようになります。ここには、帝政ロシアが倒れた後、ウクライナの地に成立した中央ラーダという政府とソビエ

ト赤軍の激しい戦いからウクライナ人をあまり弾圧するのはよろしくないという考えや、社会主義社会の理念、そして対外的

に「ソビエト政権は、こんなに支配民族に対して寛容なんだよ。社会主義は素晴らしいんだよ」というアピールなど様々な思

惑があったことと推測されます。

この間にウクライナ語の書物や新聞は数多く出版されますが、いかんせん帝政ロシアの間に、「エリート層が使う言語はロ

シア語」という意識が植え付けられてしまっていたので、学術書は多くがロシア語でしたし、政治局上層部に入ろうと思えば

ロシア語の習得の方が重視されていました。

これは当時のウクライナに限らず、現代において危機的少数言語を復活させようとする運動の中でも問題となっている事柄

です。つまり、「確かにその言語は我々のアイデンティティとの象徴であるが、上層部まで出世しようと思えばそんな言語を

勉強したところで一文の得にもならない」という態度です。実際、真実かどうかは定かではありませんが、この前までウクラ

イナの首相だったティモシェンコは、テレビの前ではウクライナ語を使っても、裏に回るとロシア語ばかり話していたという話

があります。

話を戻して、レーニンの下で短い春を謳歌したウクライナ文化でしたが、レーニンが倒れ、スターリンがその後釜につくとすぐ

に弾圧が始まりました。そして1930年代には、ロシア用の穀倉地帯としてウクライナは根こそぎ食料を持っていかれ、大飢

饉が起こることになります。ウクライナ側の発表ではこのとき、数百万人の命が失われたと言われています。

ウクライナは地理的に大変重要な位置にあり、ロシア側からもそして西洋の側からも支配され続けてきました。現在独立を

回復したウクライナですが、それまでは苦難の道のりがありました。そしてクリミア半島には、歴史的事情により多くのロシア

人が住んでおり、ウクライナはウクライナ語を公用語としているのでこのことがまた新たな言語問題となっています。

写真は、帝政ロシアが倒れ、一時解放されたウクライナがドイツの後ろ盾を受けていたときの、ドイツ側のドイツ国民に向け

たプロパガンダ資料です。

ウクライナ穀物の生産量がドイツ国を救うということが書いてあります。

日本人にはあまり馴染みの無いことではありますが、一歩世界に出てみるとたくさんの言語問題が溢れています。

東欧もそんな地域の一つなのです。

蟻を飼ってみた 

July 27 [Tue], 2010, 23:17
最近何か生き物を飼いたい気持ちが急にむくむくと生まれてきて、

「本当は猫を飼いたいけど、ペット不可だし、ハムスターは臭いし、でもこの歳でカブト虫ってのもなー」

とか考えていると、近所のホームセンターでこれを見かけて衝動買い

<アリ伝説>

という名前らしいです。以前、実家で弟がアリの飼育をしていたのを思い出して買ってしまいました。

早速ゼリーをこねて巣のもとを作り(この感触、ねるねるねーるねを思い出すなぁ)、そしてレンジでチン。

冷蔵庫で冷やして待つこと数十分・・・。

かんせーい

そして炎天下の中、タオルを頭に巻いて近くの公園でアリ探し(笑

近所の子どもたちが奇異の目で私を見ていました

ようやく捕まえた17匹を投入

元気にケースの中で巣作りに励んでいます。見ていてほーんと飽きないんですよね。下手なペットを飼うよりよっぽど

手間がかからず、かつ楽しめると思います。

みなさんもいかが?

鶴橋にて 

July 13 [Tue], 2010, 23:40
鶴橋で買ったカーペット

エスニックな柄でさわり心地もなかなかいいです。

今日は雨が一日中降っていてじめじめしてますね・・・。

学校の帰りにアルバイトがあるのではるばる東から西へ京都を横切り円町まで行くのですが(家庭教師だから辞められない;;)

帰りのJR、電車が遅れていました

いくら待っても電車来ないし、私は京阪に乗れればよかったので円町駅から二条駅までとぼとぼと雨の中を歩きました。

足は濡れるし、辺りは暗いし、非常に気が滅入りました。疲れた疲れた。


ついに・・・ 

July 12 [Mon], 2010, 15:20

リラックマのiPodカバー手に入れました。
前から欲しかったんだなー
電車で取り出して操作するのが恥ずかしいのが難点です


シュウカツとかなんとか 

January 16 [Sat], 2010, 0:55
就職活動が本格的に始まってきています。。。

怖いです(´・ω・`)


今日(もう16日だから、昨日か)は、センター試験準備で学校が休みだったから、

SPI2の勉強をしたり、四季報めくったりしてました。

俺がセンター試験受けてから、もう3年が経つんだなぁ。

大学合格したときは、俺よりも母親が涙してたことを思い出すw

受験生のみなさん、頑張ってくださいね!

あ、画像は、去年東大寺に行ったとき地面に寝転んでた子どもを激写したものですw

死体ごっこ?

大山崎 

February 25 [Wed], 2009, 22:24
この前、原付で、前から興味があった大山崎の向こう側の山に登ってきました。

ローカルな話題で申し訳ないのですが、京都府と大阪の間くらいにある町です。

京阪の樟葉駅の向こう側に見える山が綺麗でいつか登ってみたいなぁと思っていたので、願いが叶いました。

ずーっと竹やぶの中を走り続けると、なんだか懐かしい故郷の景色に。

ところどころ地蔵が静かに佇んでいるのが無性に怖くて、何度もバックミラーで背中に白髪の老婆がしがみついていないか確認しました。

そうして開けたところに出たところ、「ここは楊谷の聖地です。足跡だけ残して帰ってください」の看板。

気味が悪かったけど、景色は最高でした。でも、デジカメ持って行くの忘れてましたorz

途中、大阪府島本町ってところに入ったけど、あれは一体どの辺になるのでしょうか...?

大阪に行ってきました 

February 17 [Tue], 2009, 18:28
珍しく遠くへ(そんなに遠くでもないんだけれど)出掛けてきました。

京阪を使って環状線を乗り継ぎ大阪駅へ。

京橋駅では、背の高いおじさんが駅員のおばさんと凄い大声で言い争い、おばさんを蹴ったり、

胸ポケットのペンを取ろうとしたりめちゃくちゃしてました・・・。おばさんもお客さんだからと最初は丁寧に

対応していましたが、とうとうキレてしまい二人で泥沼の言い合いをしていました。

警察呼ぶのかなぁ、って思いながら見ていたら、男の駅員さんが来て何とか追い払えたようで...。

暴れていた男は最後に「お前の名前は何じゃ!!!」と男の駅員さんの名前を聞き出して帰っていきました。

大阪駅では、「ピーターパンやないかい!」と大声で連呼しているおじさんに出会いました。

ヨドバシカメラの前では常にクラクションが鳴り響いていて、高架下は下水の臭いがしました。

島根というど田舎から進学でこっちに出てきた僕にとって大阪は一生住めない町だなぁ、と改めて実感しました(^^;)

いいところもあるんだろうけどね。

写真中心で 

February 16 [Mon], 2009, 23:59
いろいろ撮影した画像を投稿していきたいなぁと。

動画の素材に使えなかった写真を載せていきたいなと思っています。

まぁ気が向いたらのぞいてやってください(^^)ノシ
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京都市内を原付でうろちょろと走り回ることがよくあります。
鞍馬寺まで行ったこともあったり


ひっそりと自分の考えることを書きつけておきたい。
そう思って始めたブログです。
今はニコニコ動画とリンクしているので、そちらから来てくださる方がもしかしたらおられるかも??
でも基本的にカウンターは一人でまわしてます笑

誰にも見られたくないけど誰かに見てほしい。
そんな矛盾する気持ちを抱きながらブログをしこしこ続けていきます。
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