ふしぎのくに

February 10 [Wed], 2016, 15:09
ある日、私は公園で『不思議の国のアリス』を読んでいると、突然隣の方から声をかけられました。
「どうしてアリスは白ウサギを追いかけなきゃいけないの?」
少女は疑問に思ったことを声に出して聞きました。それは物語の進行上、どうすることもできないとこだと分かっているのです。大体の物語は登場人物が何かしらのアクションを起さないと成立しないもの、いえ、世の中全ての創作に当てはまるわけではないのですが、少女の頭の中の大前提はそうでした。
「でも、アリスが白ウサギを追いかけないと、彼女はお姉さんの退屈な話を聞いて居眠りをして、起されて終わりになってしまうよ。それはつまらないじゃないか。」
「それのどこがいけないの?」
「それじゃあ『不思議の国のアリス』のお話にならないからさ。アリスが不思議の国へ行かなければ、アリスは不思議の国のアリスじゃないんだよ。ただの女の子で、ただのアリスじゃないか。」
「ふうん。」
少女は考えます。小さな頭で、知ってることを全部使って、考えます。
「じゃあ貴方がアリスになってもいいんじゃない。」
「え?」
考えた結果は、何とも返事のしがたいものでした。
「私は別にアリスになりたくない。」
「不思議の国のアリスだってそれは同じでしょ。ねえ、もしもあなたがアリスなら、あなたは白ウサギを追いかけるの?お話してよ。」
まるでおもちゃをもらったかのように瞳をキラキラ輝かせて、少女は期待を込めてお願いしました。
「無理だよ、アリスは、だって小さな女の子の話だから。」
「アリスのことなんてどうでもいいの。それにお話の名前だってただの『不思議の国』になっちゃえば、別にアリスは必要ないわ。あたしはあなたがアリスと同じことになったら、どうするのかが知りたいの。ねえ、どうするの?白ウサギは目の前で、時計を見ながら走りだしたわ。」
「白ウサギ・・・チョッキを着て、時計を取り出して。」
「『急がなきゃ遅刻する!』ってしゃべるの。大急ぎであなたの目の前を通りすぎながらね。」
「そんなこと、」
「いいから、早くしないと見失っちゃう。」

そんなことは有り得ない。有り得ないけれど、今見逃せば次にいつ見られるか分からない。私の中の好奇心が白ウサギを無意識に追いかけ始める。追いつけない速さではないけれど、もう少し様子を眺めてみるのもいいかもしれない。白ウサギは時々、短い足を木に引っかけて転んでしまうけれど、急いでいるせいか形振りかまってられないらしい。茂みを越えて白ウサギは根っこの辺りに出来た木のウロの中に入って行ってしまった。

「ウロは小さくて私にはくぐることができなかったよ。」
「大丈夫よ。この際入れるかなんて問題にならないわ。あなたは木のウロを見つけて、どうするの?」
「ううん、物語だとアリスは中を覗き込んで、そのまま不思議の国へ行くことになるんだろうけど、私はきっとそこまで来て諦めるよ。」
「中に入らないの?」
「・・・入りは、しないだろうな。そうだ、声でもかけてみようか。『ヤッホー』とか何とか、ウロに向かって声をかけるよ。」
「声をかけるの?入った方が手っ取り早いのに!」
クスクス笑いをしながら、少女は続きを早くとせかします。
「ウロからはきっと『急がないと遅刻するから、返事はお茶の時間に』って白ウサギから返事が返ってくるわよ。」
「そうなの?じゃあ『扇子と手袋は諦めて早くお城へ行ってください』と言ってあげよう。私は不思議の国に行かないから、家で扇子と手袋を探す手伝いができないから、忠告だけしておく。」
「『それはどうもご親切に』あーあ、白ウサギは行っちゃったわ・・・。」
しょんぼりと肩を落とす少女は、見ていて大変に気の毒です。それに、まだ好奇心は白ウサギを探しています。ですが最初で最後のチャンスはもう過ぎ去ってしまったのでした。
「私にはそれで精一杯だよ。」
「誰にだって苦手なことはあるわ。あたし平気よ。」
「平気そうには見えないよ。」
「平気よ。」
二人はしばらくの間だまっていました。どっちから先に話出すか機会をうかがっていたのですが、同時に考えごともしていたので、中々話を切り出すことができません。しかし沈黙も長くは続かず、考えがまとまらないまま話出すことになります。
「ねえ、アリスにとってはね。不思議の国はもう不思議の国じゃないかもしれないの。」
「え?」
「だって本を開くでしょ。アリスはお姉さんのお話を聞いているのよ。それから白ウサギがやってきて、木のウロへ落ちて、不思議の国で冒険をして、目が覚めておうちに帰るの。本はそこで終わっちゃうから、アリスはそれ以上先に進めないわ。そして誰かがまた本を開くと、またお姉さんの話を聞いて、不思議の国へ行くの。」
「でもそういう話だから。」
「アリスはね、退屈なのよ。」
少女の顔は真剣です。まっすぐ目を見つめて、まとまらない考えを伝えようとしています。
「同じことの繰り返しは、いつもと一緒。それはもう、不思議でも何でもないの。変わらないことは、つまらないわ。」
「君も、『不思議の国のアリス』は退屈?」
返事は返ってきません。
「そうか・・・そうだよな、毎日テーマパークに行ってちゃ飽きるもんな。不思議の国の『アリス』だって、たまには普通のお茶の時間してたいだろうに。」
「あたしね、分かってるの。世の中にはたくさんの『不思議の国のアリス』があって、アリスや、出てくる物語の住人や、お話そのものが違う『不思議の国のアリス』は、きっとすてきですばらしい世界なの。もしかしたら、もしかしたら・・・アリスが『不思議の国のアリス』をやめたいお話もあるかもしれないわ。」
「アリスを、やめたい、アリスか。」
「実際やめたアリスもいるかもしれない。不思議の国から飛び出して、全く違う世界で生活してるお話も、あるかもしれない。そうでしょ?でもね、それはやっぱり『もしも』話で、誰かが書いてくれなきゃ、それはお話じゃなくてただの空想でしかないわ。」
ぽとり。一粒、涙がこぼれます。少女の涙は地面に消えることなく、ぽとぽと、ぽとぽと、こぼれては集まっていくだけです。
「アリスをやめたいアリスの物語を探そうか?白ウサギを追いかけるよりは多少マシかも。」
「ううん、それじゃあ、意味がないの。そのお話は、お話に、でてくる、アリスの、ための、お話なのよ。」
必死に涙を止めようとしますが、涙は止まることを知らないかのように次から次へと溢れてきてしまいます。ハンカチを探しましたが、今持っているのはポケットティッシュだけです。足しになればと思い、少女へ差し出すと「ありがとう」と小さな震えた声を出しながら、少女は目を押さえます。涙は一粒の雫から、水溜りくらいに増えてしまいました。最初から分かっていたことなのです。『それは物語の進行上、どうすることもできないとこだと分かっているのです。』

「ねえ、君は何がしたいんだい、『アリス』?」

少女、いいえ『アリス』はこぼれる涙を止められないまま言いました。

「あたし、『不思議の国のアリス』やめたいの、普通の女の子したいの。」

毎回繰り返される、どこにでもある『不思議の国のアリス』の『アリス』は、退屈していました。退屈なんて言葉では言い表せないほど、退屈で、退屈で、退屈で。それは退屈ではなく、諦めに近い感情だったのですが、この世界では退屈という言葉しか存在しないのです。普遍的で恒久的。どうすることもできないこの世界は、それでも毎回同じことを繰り返すのです。
「あなただって、気づいていたでしょ。誰だってわかるわ。私は『不思議の国のアリス』で、それ以外にはなれないの。」
「・・・もしかして、私がアリスになれば君はアリスをやめられるかもしれないって思ってた?」
「だって、だって、」
水色のワンピースに白いエプロンドレス。柔らかなロングの髪。頭には黒いリボンのカチューシャ。言葉を濁しても、どうみても、アリスはどこまでもアリスのままです。他のアリスはアリスの世界にはただの一人だって存在しません。どこにだって存在するごく普通のアリスでした。
「『だって』や『でも』が多いのはアリスの口癖だったっけ。」
アリスの頭を優しく撫でてあげました。思ったよりも小さな頭はたくさんのことを考えるのに必死だったのでしょう。震える体が手のひらから伝わってきます。
「ねえアリス、君はもし『アリス』をやめたら何がしたいの?」
「アリス・・・やめられなの、」
「もしもだよ。ほら、やりたいこととかあるんじゃないか?行きたい場所とか。」
「・・・もし、アリスをやめられるなら、そうね、紅茶じゃなくてコーラが飲みたいわ。」
「ははは、コーラが飲みたいのか!」
「コーラとポテトとハンバーガーで、学校の帰りに寄り道するの。あと、後はエプロンドレスじゃなくて、あたしホットパンツにタイツの方が可愛いと思うの。カチューシャだって無地は嫌よ。もっと可愛いやつがいいわ。」
「君ぐらいの年の子がどんなファッションしてるか私には分からないけど、それも似合いそうだ。」
「挿絵のない本はつまらないけど、今はあたしでも読みやすい本がたくさんあるんでしょう?」
「ちょっと待って、書き留めてみようか。」

私はスマートホンを取り出してメモを取った。アリスのやりたいことを確認しながら画面をタップすると、何だか文字だけでも笑えてしまい、アリスは横で少し怒っていた。(「真剣に考えてるのよ!笑わないで!」)だが私のスマートホンを見て、アリスは興味津々といった風に尋ねてくる。
「ねえ、これなあに?」
「スマートホン。略してスマホだよ。見たことない?」
「ないわ。あたしの世界にはこんなのなかったもの。でも少しだけ知ってる。お手紙のやり取りが出来たり、遠くの人とお話できたりするのよね。あ、あたしもこれがほしいわ。」
「スマホがほしい、と。今思いつくのはこんなところかな?」
「うん、でも・・・無理よ。」
ふさぎこみそうになる彼女を立たせて私は手をひいて歩き出した。アリスの流した涙の水溜りを思い切り踏みつけると、水しぶきが自分にもかかってしまったが、不思議と冷たくはなかった。
「アリス、君は登場人物だから物語を作る力はない。決められたストーリーをずっと繰り返しているだけだった。でもたまには、違うことしてみたっていいじゃないか。私と一緒にアリスの物語を作ろう。」
「え、そんなことできるの?」
「もうやってるよ。ほら、君もさっき見てたじゃないか。」
スマートホンをアリスに渡してあげると、彼女は目を丸くして画面をのぞきこむ。
「『アリスが普通の女の子として過ごす話』」
「小説なんて書いたことないけど、それっぽいだろ?ほら、続きは指をこうやって滑らせれば読めるよ。」
さっきのメモにタイトルとちょっとした説明ををつけただけの、とても物語とは言えない文章を、アリスは何度も何度も声に出して読み返している。
「『アリスは不思議の国が飽きてしまったので、外の世界に出て行くことにしました。まずは気分転換のため、新しい服を買いにショッピングモールへ行きます。お気に入りのファッションに着替えたら、小腹が空いてきたので、近くのファーストフードのお店で一休み。ハンバーガーにかぶりつきながら、そろそろあたしもスマホを持っていい頃よね、と考えコーラのおかわりをしました。手ごろなお値段のスマホはあるかしら、と携帯ショップのウィンドーを眺めます。』ねえ、これ本当にあたしがやってるの?」
「これから実現しに行くんだよ。それに、物語がそれだけなのはつまらないから、何かあれば書き足していけばいい。」
「本当に、本当ね。どんなお話になるのかなしら。それに、いつものお話と違った書き方でこれも悪くないわ!」
さっきまでしくしく泣いていたのが嘘のように、アリスは嬉しさを隠し切れずにはしゃぎ出すのを見ていると、恥ずかしいけれど文章にしてよかったと思えた。
「それじゃあ行こうか。」
声をかけると元気なアリスの返事が返ってきた。

アリスは意外にも食いしん坊だった。子どもメニューのハンバーガーを注文しようとすると「あたし、そっちのかさなってるのが食べたいわ」と指をさしてきた。
「大は小を兼ねるって言うじゃない。それに色々なところに行ったから、おなかはぺこぺこよ、ああ、早く食べたいわ。」
彼女がそう言うならばと思い、新発売の商品を注文してあげると、アリスは輝きを増した瞳をこちらに向けてお礼を言ってくる。
「多かったら無理しないでいいんだよ。」
「ええ、分かったわ。それにしても、ここってとってもにぎやかな所ね。色んなお店もあるし、目がいくつあっても足りないくらい。」
ショッピングモールの中に入ると、アリスは人の多さにびっくりしていた。この辺りでは規模の大きいものだから当たり前なのだけれど、彼女にはそれすら珍しくておもしろいように見えているらしい。気になるものを見つけると興奮しながら説明を求められるのにも、すっかり慣れてしまった。
「それに、かわいいものがたくさん置いてあるのね。この布の髪留めなんて一目見た瞬間に気に入ったわ。」
耳元でゆるく結んだ白いシュシュについて自慢げに話しだすアリスの声を聞くと、本当にここへ連れてきてよかったと思う。何店もの服屋を回って一所懸命にああでもない、こうでもない、と全身コーディネートに頭を使うアリスは楽しそうだ。長袖Tシャツにパーカーを着て、憧れのホットパンツにタイツ、そして少しだけサイズが大きいスニーカーを履いた姿は『不思議の国のアリス』とは程遠い、どこにでもいる普通の女の子だ。今のアリスはウサギを追いかけないし、奇妙なお茶会にも参加しない。買ってきた小物や本を机の上に並べては、この置物は棚に飾るとか、この本の続きは来月に発売されるのが待ちきれないとか、そんなごく普通のことをしている。よかったと思う反面、私はほんの少しだけ罪悪感を感じていた。まるで『不思議の国のアリス』を勝手に作り変えている気分だった。
「お待たせいたしました、商品はこちらになります。」
「ありがとう。まあ、本当に大きいのね、おいしそう!」
届いたハンバーガーに手を伸ばすと、アリスはちらりと私に視線を送るのでどうしたのかと思っていると、視線は手元に置いてあるスマホへ向けられていた。
「ねえ、お話はどこまで進んだのかしら。」
「あ、そうだ買い物ですっかり忘れてたよ。とりあえず、今までのことをまとめてみようか。」
「忘れてしまうなんてひどいわ。でも書き終わったら私にも見せてね、先生。」
そう言うとアリスは出来たてのハンバーガーをかじり始める。アリスは私を『先生』と呼んでいた。小さな女の子に先生と呼ばれる度に、周囲の視線がほんの少しだけ痛く感じる。何度も他の呼び方をすすめてみたが、彼女は絶対に譲らないと言い切ってそっぽを向いた。説得も虚しく終わり仕方なく分かったよ、と声をかけるとやっとこちらを向いてくれたのだ。
「さっきまでやってたことを書いてるだけだよ。」
「それでも読みたいの。あ、この猫の置物はすっごく悩んで決めたんだから、丁寧に書いてほしいわ。」
「はいはい。」
スマホに指を滑らせて、アリスが雑貨屋で猫と犬の小物のどっちを買うか30分近く悩んだことや、試し読みの絵本コーナーに入り浸って連れ出すのに苦労したことを付け加えていく。勢いで物語を作る、なんて言ったけれど本当に小説家になったみたいだ。実際の文章はただのアリス観察日記となりつつあるが。本人も気づいているようで、
「先生はもっと国語のおべんきょうをした方がいいわね。このお話のあたし、まるでこどもみたいじゃない。『アリスに絵本は2冊までと言ったが、彼女はどうしても他の本も欲しいみたいだ。中々絵本コーナーから離れず、半分引きずって会計をすませた。納得はしていない様子。』だってすてきな挿絵だったのに、予算が少ないんだもの。」
「お小遣いが残ってるなら別に買ってもいいんだよ。子供じゃないならサイフの中身とよく相談してほしいね。」
「あーあ、早く大人になりたい。そしたらキャリアウーマンになっていっぱい稼いで、欲しいもの何でも買えるでしょ。」
「じゃあまずは計算からだ。目指せ、働く大人の女性。ほら、口にソースがついてるよ。」
「先生ったらもう、デリカシーないんだから。」
文句を言いながら口のソースをナプキンでふき取るアリスに、今度は何を見に行こうか聞くと、忘れてたわ、なんて言いながら答えてくれた。

魔導師と騎士

March 23 [Mon], 2015, 16:36
魔導師と騎士

「強く、思うなら・・・」
「そう。食事を摂る、性欲が湧く、睡眠をとる、これは人間が生き残る上で必要な欲求であり、欲求は人の意識によって生まれる。その意識を支えるのが脳みそか魂かは知らないけれど、肉体あっての魂とも言えるし、その逆もまた同じことさ。肉体がなくても、君の魂には意識があり、意識はアレルという個を持つ。そして個を認識した時点で、君の意識が及ぶ範囲はさらに広がっていく」
「ま、魔導師殿の言ってる意味が、よく分からないのですが」
語られる難解な話は、全て右から左に流れていくかのようで、アレルには理解できなかった。そんな様子を見て、先ほどとはうって変わっり、まるで幼い子供を見守るかのような眼差しを向ける魔導師は、アレルの背後に回り、何かに絡め取られている両腕を掴み、アレルの体を引っ張って移動する。今だに水が全身にのしかかっているような感覚がするのに、魔導師は重さを感じていないかように動いているのが不思議でならない。地面があるわけではないので、擦れてケガをすることはないが、この体制で状況も理解できないままのアレルはされるがままだった。
「あの、一体何をして、」
「アレル、僕はちゃんと存在している?」
「は、はい?魔導師殿は、存在して、います」
「なぜ?」
「いや、俺の目の前にいたじゃないですか。今だって俺のこと引きずっていますし・・・なんでそんなことを聞くんですか?」
「【目の前にいた】【今だって俺のこと引きずっていますし】、それはアレルが自分の目で僕を見て、感覚として状況を感じ取っているから言える言葉だ。だから君には僕の存在が分かる。これが、【魂に意識がある】と言うことだよ。目があるから見える、耳があるから聞こえる、感覚があるから感じ取る。そしてその行動をしようとする意識があって、君は自分以外の物を認識している」
「は、はあ」
「だから君にも分かるだろう。ごらんよ」
魔導師は引っ張っていた方向へアレルの体の向きを変えた。話の意味を考える間もなく、アレルは目の前の光景に心を奪われる。最初は黒い線が無数に漂っているのかと思ったが、よく見るとそれは鎖だった。真っ黒な、冷たい色をした無数の鎖の先には、煙のように揺らめく光がついており、大小さまざまな形や色をしている。光は弱々しく濁っており、見ていると、胸が締め付けられて息苦しかった。鎖は水の底へ続いているようで、下は幾本もの鎖が絡み、束なって暗闇を作り出している。
「魔導師殿、この鎖は一体なんですか」
「魂を縛り付けておくための鎖、これが【呪い】だよ。君の両腕、魂にも繋がれている」
体を動かすと確かに自分の背後からも鎖が伸びているのが分かった。鎖には重さがなかったので魔導師が言わなければそれが鎖だと気づくこともなかっただろう。
「じゃあ、この光は全部、魂?」
「ほんの一部だけどね。地上を彷徨って、災いを散らして、虚無と成り果てた呪われた魂が行き着く場所がここさ。最後は呪いに飲み込まれて、闇の中に溶けて消え去るんだ」
「こんな暗闇の中に・・・」

魔導師と騎士

March 22 [Sun], 2015, 12:08
魔導師と騎士

「そんなに大事だったの?」
言葉がアレルの心臓を貫く。
「ふふ、君はもっと感情を悟られない術を見につけるべきだね。広がる恐怖の片隅に、それでも消えない不安が見えるよ。彼のこと、気になる?」
「ぁ、・・・バイス」
バイルシュミッツ・ダム。どこかの立派な家から、騎士になって国を守るという理想を掲げ、それを実現できる人間。誰にでも優しくて、平等で、彼の近くにいると自分にも力が湧いてくる。数多くいた奴隷の身であるアレルには、バイルシュミッツは神様みたいな人だと思っていた。あまりにも眩しすぎて、自分が卑しい存在であるのを、いつも突きつけられて、それでも彼はあたたかくて自分から離れることもできなかった。酒を飲みながら、死んでいった仲間の話、自分のこと、次の戦、将来のこと、たくさんのことを話していた彼は、同じようにアレルの話も聞いてくれた。人と話すことがこんなにも楽しいことなんて知らなかった。
「バイスは、どうなったんですか。あいつも葡萄を食べたのなら、生きて、」
「生きているかは分からない。それよりもアレル、君だって生きているとは限らないんだよ」
「それは、どういう意味だ」
「君は魂が肉体に戻れない状態なんだ。さっきも言った通り、葡萄の魔力は強力で、平凡な人間が食べれば呪われてしまう。魂が、呪われてしまったんだよ。呪われた魂肉体に戻れず、災いを撒き散らしながら地上を彷徨い続ける。いわゆる幽霊とか亡霊になるということさ。つまり君は、」
「死んで、いるんですか。俺は・・・死んだ?」
つぶやきと同時に水の温度がどんどん下がっていく。感覚のない水が急に質量を持ち、アレルは水底へ引きずり込まれ始めた。重い水がアレルに纏わりついて、飲みこもうとしている。これが本当に死ぬと言うことなのか、と身をゆだねようとした時に、再び魔導師の言葉が聞こえた。
「余計なことを考えずに、僕の言葉を聞きなさい。でないと本当に死んでしまうよ」
目を開いているはずなのに、魔導師の顔がぼやけて見え、意識が遠のきそうになりながらアレルは魔導師の声に集中する。
「確かに魂は呪われている。でも、まだ意識が残っているんだ。アレル、自分の顔を思い出してごらん。黒い髪に、黒い瞳、鼻と口と耳と、目の前には僕がいる」
魔導師がつむぎ出す言葉の一つひとつを、思い描くと、ぼやけた視界が元に戻り始める。
「君を足蹴にしているブーツの肌触り、分かるだろう?」
言葉と共にブーツの堅い感覚が頭を刺激して、喉に通る空気が体の内側に回った。胸を流れ、腹に入り、そこからまた胸へ戻って息を吐く。
「そう、上手だよ。生きることは呼吸をすることだ。吸い込んで、吐き出して、酸素が体中に行き渡る」
顎の下からブーツが離れると、両頬に手が添えられた。あたたかい体温の温もりがじわじわと熱を持つ。
「血が巡り、頭のてっぺんからつま先まで、行き渡る。想像してごらん。ゆっくり、感じ取って」
魔導師の手の平が、アレルの喉をかすめて肩を優しくなでるのが心地よい。触れた先から熱が広がりを感じる。
「・・・っぁ、もっと、」
深呼吸をしていた口から吐息と一緒に本音がこぼれてしまい、ぼやけた意識が急にはっきりとした。
「あっ!ま、魔導師殿!違うんだ、その、」
「いいよ。どこを撫でてほしいんだい、背中?」
肩に添えられていた手が脇腹から背中に回され、首の後ろからゆるゆると指先を滑らせるのがくすぐったくなり、アレルは近くなった魔導師の肩に顔を伏せた。
「ふっ、く、魔導師、どのっ、背中はやめてっはは」
「なんで?こんなに嬉しそうに震えているのに、嘘は感心しないな」
「だめなんです、俺、背中と脇がっ、うぁ、弱くって、あははは」
魔導師は撫でるのをやめてアレルの体をくすぐり出した。背中から脇、みぞおちの辺りに手先が動き、アレルはその手を掴もうと腕を動かそうとする。しかし、右腕も左腕も動こうとしなかった。魔導師の肩から顔を離して自分の体を見ると、何も見につけていないことに気がつき、両腕が後ろ手で何かにつながれているのに気がついた。
「あれ、俺の防具がない」
「魂が服を着られるわけがない。服よりも、アレルは自分がここにいるということをちゃんと思い出さなければいけないよ。意識があると言うことが、何よりも君が死んでいないことの証明なんだから」
「俺は、死んでいないんですか」
「生きたいと強く思うなら、人は簡単には死なないよ」

魔導師と騎士

March 20 [Fri], 2015, 21:12
魔導師と騎士

水の湧く音が絶えず聞こえる。アレルはぼんやりとした感覚の中に身を沈めているのを意識した。浮かんでいるような、沈んでいくような、不思議と暖かな水の中で、とても楽しげな笑い声が聞こえてくる。
「一粒で十分だと言ったじゃないか。それなのに、実っていた果実を全て飲み込んでしまった」
「魔、導師・・・殿?」
顔を上げようとすると、頭の上に硬いものがぶつかってきた。目の前にはローブの裾とブーツが片方見える。魔導師はアレルの頭にヒールを食い込ませながら話始める。
「あの葡萄は魔力が強すぎる。素質のある者には奇跡を与えるが、君のように平凡な人間が口にすると、それは呪いになってしまう。でも、意識が戻ってきたのは珍しい。おかげで面白いものを見せてもらったよ」
頭の上の圧力がなくなり、今度は顎の下をつま先で掬い上げられ、アレルはようやく魔導師の姿を見ることが出来た。笑っている。満面の笑みである。お菓子をもらった子供のようだ。イタズラに成功したような無垢で純真な瞳は、泉で見た時よりも輝きを増している。しかしアレルはその瞳にゾッとした。胸の鼓動がどんどん速く脈打ち、今にも張り裂けそうに動いている。いつの日だったか、小さな子供たちが集まっているのを見かけた時があった。あんまり楽しそうに笑っているものだから、アレルは路地の隅からそっと子供たちの様子をうかがい、そして後悔した。小さな幼い指が、きれいな蝶の翅を引きちぎっている。足を捥ぎ取り、鮮やかな燐粉を石畳に撒きながら、もがく体を壊していく。やがて力尽きた蝶を放り出し、散らした燐ぷんを靴底ですりつぶして遊ぶ子供たちが、たまらなく怖くなって、逃げ出した。絶対的な力に捕らえられた恐怖を、アレルは瞬間的に感じていた。

魔導師と騎士

March 15 [Sun], 2015, 16:41
魔導師と騎士

葡萄の香りも嫌悪感も全てが消え去り、目の前の深淵はバイルシュミッツの姿のまま続けた。
『そうさ、お前は気づかないフリをして楽をしたかっただけだ。苦しみから逃れたかっただけだ。やっと認めたな。お前はお前自身を見ている』
いつのまにか音も葡萄の香りも消え去っており、まるでここには自分たちしか存在していないようだった。バイルシュミッツは深淵を見つめ返す。輝く金髪を後ろ手に流し、自信にあふれ、じっとしていられないといった様子で、深淵もバイルシュミッツを見ている。蒼い瞳が燃え盛る炎のように揺らめき、その奥で何か別のものを捉えているかのようだ。
「・・・俺は、何も見えていなかった」
『違う、ずっと一人だけを見つめていた。【アレル】に会ったその日から、バイルシュミッツは【アレル】を中心に生きている。それまで築いてきたものを台無しにしてもかまわないと思えるくらい、バイルシュミッツは【アレル】に執着している』
音の中で唯一はっきり聞こえていた【アレル】の名前。彼と初めて会ったあの時、バイルシュミッツはアレルがどうやって生きてきたのか、まだ知らなかった。
「毎朝、母の優しい声で目を覚まして、皺のないシャツに袖を通して、朝食を食べたら剣の訓練や勉強をして、父親と町に出かけ、まだ帰りたくないと駄々をこねて父をいつも困らせていた。くだらないことで笑って、怒って、泣いて、今日一日あったできごとを家の使用人に得意げに話して、風呂は頭を乾かすまでじっとしてなくちゃいけないから、その間に夜のお話をせがんで、それを聴きながらベッドに入る。そんな生活を、世の中全ての人が送っているんだと、当たり前のように思っていた」
『【アレル】はバイルシュミッツ・ダムのことを、凄い奴だといつも褒める。他に興味を示さない【アレル】が熱心自分を語るから、【アレル】が過去を話してくれた時、失望し、嫉妬したんだ』
「ただ何となくアレルに声をかけただけなのに、一言ひとこと、一所懸命に言葉を交わすんだ。他の奴らは貴族の人間にしては気さくで、話しやすいって言ってくれて。でも、アレルは違った。あいつは俺をことをまるで別の世界の住人だと思って話していた、なんて考えてたらしい」

【神様ってバイルシュミッツみたいな人かなって思うんだ
まぶしくてあったかくて、辛いときや泣きたい時に、うつむいた顔を上げさせるような】

「嬉しそうに話すんだ」

【バイスはすごいよな、この国一番の剣術だって教官が話してた
俺にもそんな才能があったらいいのに】

「貴族だからすごい。神様みたいですごい。子供だって言わないようなことを、飽きもせずにさ。でもアレルは心の底からそう思ってるみたいなんだ。分かるんだよ、あいつの話を聞くと伝わってくるんだ、生きた言葉みたいに。だから、たまに、自分はもしかしたら本当にそう言う人間なのかって自惚れて」

【お前みたいな奴だったら・・・俺はもっと長く父さんの側にいられたんだろうか】

「違ってた!俺は何も見えていなかった、アレルはずっと自分を苦しめてきたクソみたいな父親のことばかり考えてた!その父親がもし生きてたら、アレルはきっと俺のことなんか気にも留めない!くそ、どうしてこんなに苦しいんだよっ、なぜだ!なぜ俺はこんなに執着している!」

深淵は満足そうに笑った。話はかみ合っていないが、このやり取りで全てを承知したといったような顔をして問いかける。
『認めたのならば、お前はどうする?見えていなかったことを知って、何をする?また気づかないフリを続けるのか、え?お前はそこまでバカじゃない。それに、バイルシュミッツ・ダムは恵まれている。だから葡萄を食べても死ななかった。言っているだろう、全ては自分の手の中にある』
優雅なしぐさで深淵はバイルシュミッツに手を差し出すと、黒い靄が手のひらからこぼれ始める。嵐のような激しさが深い漆黒を生み出すように渦巻きながら、その中心に見えない何かがある。その奥にあるものを手に入れたいという欲求が、ふつふつと込み上げてくる。
『この執着はお前そのものだが、望まなければ、どれだけ求めても手に入れることはできない』
「・・・これを手にすることができれば、俺は苦しみから解放されるのか」
『お前がそれを望むのならな。さあ、お前はこの執着にどんな名前をつける』
バイルシュミッツの両手が吸い寄せられるように靄へと伸びる。指先から指すような痛みを感じるが、どこか心地よくて、もっと強く身近に感じることができればと思った。この痛みを、心地よさを、全身で余すことなく感じていたい。漆黒の闇に心が魅入られていく。
「俺は、ずっとお前が、」
溢れきった靄は深淵とバイルシュミッツを包み込み、大きな渦を作っていく。
『手に入れるためには変わらなければならない。人は変わることを懼れるが、それを乗り越えた者には与えられる。お前は一生のうちに、あるかないかの機会を逃さなかった。誇れ!それはバイルシュミッツ・ダム
が自ら掴んだ力だ!』
深淵の言葉と共に靄は渦の中心へ集まり、飲み込んで、そのまま二人を消し去った。

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