入力パワーが…… 

2005年10月09日(日) 2時07分
寝不足になるたびに、これに向かうパワーがそがれていく。

毎日、それなりに忙しい。
気がつくと、閉店となり、そうすると急いで片づけをして家路に着きたくなる。
そうすると、これに向かわなくなる。

書くことが楽しくて、書くことへの欲求から、これに向かい始めたのに、なんだか遠ざかってしまった。

下の世話まで行き着いたからだろうか。


久しぶりに、筒井康隆に目を通そうとしている。夢枕漠にも。


ここらでちょっと、周りに目を向けようと思う。

手術前 

2005年10月03日(月) 23時57分
手術は前日から準備が始まる。
何も口にいれないようにし、当日は大小便を済ませる。
全身麻酔のためだ。


初めての手術に、実は少しどきどきしていた。
よくわからないけれど、失敗というのはあるのだろうか?
ネガティブなことはあまりいわない先生だから、こちらから聞くこともなかった。

どんな手術になるのか。

右腕は、ギブスの固定で済んでいる。
右足のすね2本は、プレートを埋める、とのことだった。
足首に近く、もう少しずれていると大変だった、とのことだった。
右足付け根は、スクリューといったか、ボーを1本埋め込み、その上部に斜めにもうひとつのボーをさし、骨頭部をささえるというもの。
(当時はIT化されておらず、レントゲンデータはもらえなかった)。

この手術を同時に行う、というものだった。

手術日まで2 

2005年10月02日(日) 2時06分
次に排泄。
これが一番いやだった。これは手術後も続いたことで、1ヶ月は世話になっただろうか。
小便は、尿瓶がベッドの横にぶらさげてあり、手を伸ばして使う。
こぼすと大変だから慎重に使うのだけど、慣れていないから緊張した。
これも、ここでやっていいのか?という気持ちが常にあった。

車椅子に乗れるようになるころには、面倒だから尿瓶にすることが多かった。


問題は大便だ。こればかりはできるだけ、家内にしてもらうようにした。親には一度もさせていない。ナースコールをしたときに誰の声か?でやるかやらないかを考えるほどだった。
はっきりいって恥ずかしい。情けない。

寝転んでいる自分の足元から女性看護士が股間を覗きこみ、手を伸ばしてくる。
その状態はなんとも異様で、とても正視できないものだった。

大丈夫ですよ。すぐ終わりますからね。

そういって、自分の股間に手が伸びてくる。
半分布団をかぶり、薄暗い股間を足元から覗く顔。
足をほとんど開かないまま、寝転んだ状態の股間が、どれぐらいきれいになるのか?
これに、においが加わる。
いきおい、作業は手早く手短に、なってしまう。

相手も苦痛の時間だろうが、こちらもかなり精神的な苦痛をともなう時間だった。

人間やめますか?なんてコマーシャルが昔あったけれど、気分的にはかなり近いものになってしまう。こればかりは体験しないとわからないと思う。

食事にコーンなんかが入っていると食べなかった。
我慢すると量が増え、そうでなければ回数が増え、どちらにせよ“ふんづまり”だった。

いや〜〜。この部分には、気持ちが入ってしまい、長文になってしまいました……。
週末は忙しく、更新が遅くなってしまった……。

手術日まで 

2005年09月29日(木) 22時59分
新しい病院での、入院生活が始まった。
手術まではまだ数日あり、それまでは足を吊り上げたままの状態となった。
でも、ここに来て夜にぐっすり眠ることができるようになった。

この足の錘の重さを、K先生は前の病院の半分にしたからだ。

「えっ、こんな軽くていいんですか?」

「全然大丈夫ですよ。この重さで十分です。」


夜、あんなにきつかった腰骨のきしみは、錘が重すぎて身体が悲鳴をあげていたのだった。
軽くなったとたん、非常に楽になり、快適に寝転べるようになった。


それにしても、初めての入院生活はまったくの寝たきり。
電動式のベッドに寝転びながら一つも角度を変えることはできない。
身体のほぼ中心部である、足の付け根だから仕方がないけれど、寝たままの日常生活は、想像したこともなかっただけに大変だった。

まず食事。
うまく食べることができない。特別に僕の食事は一口サイズに切り刻んであり、爪楊枝がさしてあるのだけれど、横向けにあけた口から食べようとしても、ぽろぽろとこぼれてしまう。飲み物はストローで飲むことができるけれど、飲み込むのだって、寝転んでいるのでは、重力に抵抗することになり、自然でない。
寝転んだまま食べるのは、行儀が悪いし、消化にもよくないのではないか、と勝手に考えてしまう。おなかはすくのだけれど、あまり食べたくなかった(別の理由もあった=いずれ詳細に語ります)。

テレビを見ようにも、起き上がれないから見ることができない。
本は、右腕が折れているのでやっぱりだめ。
何もできない日々を送ることとなった。

シグマリオン3を買った 

2005年09月28日(水) 16時40分
これまでは富士通のLOOXというノートPCをつかっていたのだけれど、中古のシグマリオン3を買ってしまった。

やっぱ、キーボードがないと使えないから……

さっそくシグマリオンで入力しているのだけれど、変換が遅すぎて表示されない。
同時通訳を受けているみたいだ。

というわけで、うれしいのでちょっと書いてしまった。それにしてもこれではストレスがたまるかもしれない。

K先生の診断結果 

2005年09月27日(火) 12時48分
主治医となるK先生がやってきて、現状と今後について話をしてくれた。

「カケハシさん。
若い男性で、ここ(大たい骨骨とう部)の骨がおれるというのはよっぽどの衝撃が加わらない限りめったに起きないことなんですよ。」

年は50ぐらいだろうか。落ち着いた語り口の先生は、なんでも知っています、といった態度だった。先の病院の「どっちから先にやるんだ?」とは大きな差があり、安心できた。

「年がいった人だと人工関節にしてしまうのですが、まだ若いので接合術をしてみましょう。ここが折れた場合、くっつくかどうかは折れたときに決まっているのです。骨とう部の血管が切れていて、血が巡らなくなると、骨とう部の骨が壊死してしまいます。そうすると、人工関節にするしかありません。まず2年間。様子をみてみましょう。手術は今度の木曜日を予定しています。」

「えっ、先生。手術はできるだけ早くしたほうがいいんでしょう?早くしたほうが壊死しないとか……。」

「もう折れてしまってますから、そのときに決まっていますよ。早くしても遅くなっても直る人は直るし、ダメな場合はダメですね。こればかりは時間をまってみないとわかりません。」

「もし壊死したら、どうなるんですか?」

「簡単にいうと、骨としての機能がなくなるので、強度が落ちてしまいます。一番加重のかかるところなので、骨が削れてきます。そうすると痛くて動けなくなります。」

「2年間、壊死の症状がでなければ、直ったと思っていいでしょう。人によりますが、問題があれば、遅くともそれまでに症状が表れます。」

「もし、人工関節になったら、どうなるのでしょうか?」

「もう、走ったり、重たいものを持ったりは基本的に、できないようになりますね。」

このとき初めて、ことの重大さを意識した。
もう、走れない?

直る可能性も低いと聞かされ、ショックだった。

取り返しのつかないことになるかも知れない……。
いろいろな思いがいっぺんに浮かび、混乱した頭の中で「走れない」という言葉を反芻した……。

二人部屋へ 

2005年09月26日(月) 19時15分
レントゲンが終わり、さっそく病室へと案内された。
転院の手続きは、先に来ていた家内が済ませた。

案内されたのは二人部屋。個室を希望したけれど、満床のためだめだった。

通路から入ってすぐ、右側の壁にそって縦にベッドが一つ。その足元に同じく縦にベッドがもう一つ。
長方形をした狭くて細いこの病室に、窓は奥のベッドの枕元にしかなかった。
新入りの僕は、通路側となった。相部屋に入院する人のほとんどが、窓側のベッドを狙っていることを、もっともっと後になってから知ることとなった。
確かに、常に開け放たれた扉の向こうは、騒がしく、落ち着かない。


寝転んだままで、動くことができない僕は、奥にむかって大きな声で自己紹介をした。
その人は、抑揚のない声で返事をしてきた。初めての入院と転院で興奮気味の僕とは、あきらかに立っている場所が違う印象を受けた。
40代半ばに見えるその人は、まもなく退院するとのことだった。

この人には、手術をした日の夜、すごく迷惑をかけてしまった。
あまりの痛さに夜が明けてもなお、ずっと痛みにうなされたからだった。

M整形外科へ到着 

2005年09月25日(日) 17時18分
救急車には、お世話になった看護士がひとり、同乗してくれていた。
実際には何もできないにしても、心強かった。

転院先に到着するまで1時間ぐらいかかっただろうか。予想よりも遠かった。
でも、確実に自宅に近づいたことが、うれしかった。


到着した病院では、看護士が待機していた。
すると、同乗してきた看護士と顔が合った瞬間、大声で話はじめた。

「うわぁ、●●じゃないの。そうか、ここにいたんだ。」

二人は知り合いだった。そうして自分を紹介してくれた。
なんだか変な紹介だけど……。でも知り合いになった看護士の知り合いがいる、というのは偶然にしても少し安心する材料になった。


到着したM整形外科は、入り口の右側に、ヤニで変色した喫煙室があった。
救急車で運ばれてきた自分の姿を、興味津々、でも横目で見る人が何人かいた。

ホールにはいると、そこは待合室。結構な人が待っている。
それに、さっきまでみていた天井よりもかなり薄汚れている。

ちょっとだけ、転院先に不安を感じた。
なんだかさっきまでいた病院と比べ、かなり年季がはいったような印象を受けた。


「先に、レントゲンをとってもらいますから。」

えっ、さっきの病院から写真とか持ってきてるんじゃないの?
また、撮影?
痛いのだけは勘弁してよ……。

また、あの硬い、冷たいレントゲンのベッドに、数人がかりで移動させられた。

救急車で、転院 

2005年09月24日(土) 23時38分
待ちに待った、転院の朝がきた。
これでこの状態から開放される、と勝手に思い込み、とても気分がよかった。

少し慣れ、顔見知りになった看護士さんともお別れ。なんとなくお世話になったと思った分、別れはさびしい。


というのも移動が始まるまでのもの。


担架への移動に、何人の女性看護士がついただろうか?
とにかく痛い。移動なんて自力ではできない。どうしても他人の力に頼るしかない。でも、この人たちはどう痛いのか、まったく気にしていない。
「がんばって。」といわれても、それだけでは痛みは消えない。

なんとかしてくれーー。と心で叫びながら、その一瞬の移動に息を呑んだ。

救急車に乗ると、もうすでに勝手を知っている別クッションのベッドになった。
これって、車とは違う動きをしますよね?
知っていることを救急隊員に自慢してしまった。相手はプロだというのに。


自分のおなかの中でなっているような、あのサイレンを聞きながら、救急車の出発をうれしく思った。

すぐに、通勤ラッシュで大渋滞の国道に出た。
今回の救急車の運転手?は、とても運転がうまい。寝転びながら、上に開いている窓から外を眺めていた。時折、トラックなどの陰が見えるけれど、その間隔がめちゃくちゃせまい。
それにさっきからくねくねと走っている。

救急車ですり抜けしてる……。

運転が好きなだけに、ちょっと感激した。
これは幸先がいいぞ。

転院に明るいものを勝手に想像した。さっきまでの病院よりはぼろだけど、自信をもった主治医にであうことができた。名前もまさに「ドクターK」だった。 

集中治療室、3日目 

2005年09月23日(金) 11時20分
夜は、相変わらず痛くて眠れない。もちろん日中も。
とにかく一日中、全身のさまざまな痛みに、さらされた。
早くこの状態から救ってほしい。ただそれだけだった。

寝たきりなどなったことはなく、初めての経験。
痛むところがあって、動けないから寝たきりになれるけれど、健常であれば拷問だろう。


結局、M整形外科へ転院することが決まり、明日の朝、移送してもらうことになった。
救急車を手配してくれた、とのこと。

大げさだなぁ、とそれを聞いたときに思ったけれど、それ以外の移動手段がないことに気づくまで、少し間があった。
大怪我をしている、といわれ、自分も痛い思いをしていても、どこか他人事な感覚になっている。当事者意識は、なかなか生まれてこない。実感がないのかなぁ。

転院先のこと、その後の手術のことを思うとどきどきするけれど、早くこの錘でぶら下げた足をなんとかしてほしかった。
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