シュタイナー教育。

September 03 [Sat], 2011, 14:32
ウチの娘はシュタイナーのメソッドを登用したチャータースクールに通っている。チャーターしてるわけだから、位置づけはLASDの傘下にあり、通知簿だって、スターテストだって、受けなくちゃなのだけれども、そのほかのことに関しては内容はシュタイナーメソッドそのままなわけだ。私がこの学校を選んだのは、カヤが思ったよりも理系じゃなかった。というのが単純な理由だった。今までカヤは数学と科学のマグネット校に通っていてもう宿題の量は半端ないし、プロジェクトなんて大学生顔負けの物をみんな作ってくるってわけで、カヤにとっては結構らい学校だった。カヤはどういう子かというと、空想好きで、物語が好きで、お話を作ったり手芸をしたり、お外で運動したり、自然と戯れるのが好きな子供なんだ。だから、成績はとてもよかったけれども目が死んでた。そんなわけで、シュタイナースクールに無事入学したのが、去年の9月。そしてあっという間に一年が過ぎた。入学したての頃はお友達のことや、学校のことでいろいろと違いがあって、それになれるのに自分の位置づけを苦心していたカヤだったけれど、今日夏休み最後の週末の土曜日に明後日からまた学校始まるぅ楽しみと鼻歌を歌っているのをみると、あー。本当に学校変えてよかったなーって思った。こちらに引越しをするまでは、当初サウスベイからマリーナデルレイまで毎日通っていたわけで、本当に大変だった。だけれども2月からカヤが新しいダンスの学校でスカラシップをもらえることになったので、その三ヵ月後には、引越しをした。当初予定していた不動産の購買もあきらめて、ダンス学校の目の前のアパートに引っ越してきたのが5月だ。それから全ては本当にうまく廻り始めた。そして今に至るわけなんだけれども、この学校に来てカヤが変わってきたなぁ、と感じたのは、学期も終わりに近づいた5月ごろのことだった。この学校では、カリキュラムとして弦楽器の教室、手芸の教室、体育の教室、外国語日本語の教室、水彩画の教室とあるのだけれども、もちろん普通の算数も国語もあって、理科や社会も勉強する。中でも国語の授業が、面白いのだ。カヤは4年生だったから、北欧神話を学んでいた。皆さんもフレイヤーという名前やトール、巨人族や、ワルキューレなんて言葉を聞いたことがあると思う。その北欧神話をじっくりとじっくりと学んで、劇まで作って、お互いが神や女神になって、なりきって発表会もする。子供たちは戦いの神、トールが持ハンマーのことや、巨人の力や、フレイヤの美しさや、そういったことを実際に勉強する。シュタイナースクールって変わってる、って聞いてたけど、さすがのワタシも、この神話を勉強するっていうのには、変わってるなぁ。と。ワタシは小さな頃、星を見るのが大好きだったから、星座にまわる神話に自然と自分から馴染んでいた。大好きな映画は、タイタンの戦いだったし、神様たちがアレだけ偉大な力を持ちながらもきわめて人間臭いのも、すごく魅力だった。神話のことを夢中で語る娘をぼと見めながら、そんなに神様のお話って子供にとっておもしろいのかー。などと思っていた。でもどうしてワタシは、神様のお話が好きだったのだろう。どうしてカヤは神様のお話がすきなんだろう。カヤはね、シフが一番すきなんだよ。シフは、すごく特別なながーい金色の髪の毛を持っていて、それをね、ローキーがきっちゃうの。ローキーはね、すごくいたずらがすきでねふむふむ。なんて話に耳を傾けると、カヤの頭の中で何が起こってるのか見えてくる。よく私の先生のローリーがアーキタイプと呼んでいるものだ。そうか、憧れが生まれるんだな。神話の物語の、神様達の物語を聞きながら、子供たちはその概念を、アーキタイプを形成していくんだ。そして、その神様と親和を結ぶと、そのアーキタイプがそのこの中に概念として形成されるんだということは。神様のお話をするというのは、まり、神様のお話をするというのは、神を近くに感じ、それと一体化する、ということじゃないか。神話の力というのは、こういうことかだからシュタイナーはこれを推奨したんだ。まり全知全能の神、という概念を最も純粋な形で己の中に形成するのが、神話を語ったり、神話に思いを巡らせるだけで、起こってくるんだ。そしてそれは、こういうごくごく幼少の頃に、ものすごく将来の自分像、というか、自分の概念の器としてのあり方に左右していく。まり神、というとほうもないほど大きな概念場を子供の中に作ってしまうことをしておくと、その中には神以外、というか、神よりも小さな物ならば、何でも入っていくようになるんだ。神の物語それは人間の生きる意味そのものを最初に形作るためのものなんだ。だから、日本にも古事記があってイザナミやイザナギの話しが、宇宙の概念としての決定的に壮大で、雄大な物語が語られているんだ。シュタイナースクールを見ていて感じたことはこれだった。彼らがどうして手芸をするのか。幾何学を、絵や図形を丁寧に書き出すことで教えるのか。手を使って、物事の木目や、マテリアルの癖を、それぞれのマテリアルが持特徴を手を使って、実際に触れて、作らせて、教えようとするのか。全ては、概念の形成のためだったんだ。数式や、公式や暗算を教えるんじゃなくて、大きな概念場さえしっかりと形成しておけば、その後、その子供が大きくなった時に、その器には、何でも入るからだ。まり神、という概念よりも小さなものは全部入る。ってことじゃないのか。シュタイナースクールの子供たちは、いわゆる一般の学校で教えられているお勉強はできない。多分公文式などをやっているほかの小学生と比べたら、計算も遅いし、頭の回転もゆっくりかも知れない。それなのに、シュタイナースクールの子供たちは、大学生になった頃から、自分の研究したいトピックを見ける年頃になったころから、他の子供たちとは比べ物にならないほどの洞察力と観察力を発揮する、というデータがある。子供が神の概念を自分の中に形成して、あらゆる物質界の現象を手にとって観察していくとき、彼らの頭の中に、何かが芽生えるのではないか。そんなことを、娘の変化を見ながら思う。私の娘のカヤの変化でもっとも顕著だったのは、彼女が、自分の考えや自分の心の中で起こっている事柄を言葉にして出すことが出来るようになったことだ。それも大人顔負けの実際に人の心の中に起こっている、出来事を察知できるようになっている。まりうまくいえないんだけれども彼女という人間自体が、とても豊富で豊かなものになっていっているんだね。そのことによって、彼女のライフ、人生そのものが、彩り豊かな、体験を彼女にもたらしていく。我々が感性と呼ぶ物をこんな小さな頃から身に付けているんだ。センス。人生を生きるためのセンスを磨いているところというか。人生を感じる。体験する。彩り豊かに表現する。このことを全て、シュタイナースクールはやってくれている。そういうことに気がくと、他の教育がどれだけお粗末で、凝り固まっていて、子供にとっては、訓練所のような、そういう場所でしかないような風になってしまっているのかがわかる。なぜなら、ワタシは両方を見てきたからだ。カヤの反応も、カヤの成長も見てきた。そして自分が無意識に選んできたもの。子供の頃から、夜空の星を眺めて、流星群を眺めて、星に名前を付けていたのは、兄弟のなかで私一人だった。ギリシャの神話を読み、物語を知っていたのも私だけだった。種を撒き、花を育てていたのも、日曜日にこっそりと教会に行ってはイエス様のお話に耳を傾けていたのも、私だけだ。全ては計画通り、全ては偶然ではない。そんな私を親はヘンな子供と呼んでいたけれども、親ではない、何かが私を導いていてくれていたのだと思う。親が与えてくれていなかった物をことごとく、私に見せて、気付かせてくれた存在がいたのだと、今わかる。私が選んだのではなく、自然に私にわかるようにそこに置いてくれていたのだ。だから私はそれに触れることができたし、それを学ぶこともできた。人生は本当に、何かの意図の下に流れている。まだまだ未熟な私だけれども、本当に人生は大丈夫なんだと改めて思う。
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