斎宮 ちょっとミステリアスな響き(産経新聞)

March 25 [Thu], 2010, 11:43
【麗し大和・記者の裏話】(12)

 「斎宮」(さいぐう、さいくう)という言葉には神聖な、そしてちょっとミステリアスな響きがある。未婚の皇女(女王の場合も)が伊勢神宮や後には賀茂神社で奉仕した斎王のことで、京都で5月に行われる「葵祭」のヒロイン・斎王代はその“代役”といえば、わかりやすいだろうか。

 ■薄倖の斎宮

 二上山に葬られたという悲劇の皇子、大津皇子の姉、大伯皇女も天武天皇の皇女として斎宮の任についた。弟の死を悲しんで歌った万葉集の秀歌「うつそみの人なる我や明日よりは二上山を弟と我が見む」は、まるで恋人のよう…という人もいるけれど、まあ当時、異母きょうだいなら結婚できたし、同母きょうだいでもウワサのあった人たちはいた(中大兄皇子と同母妹の間人皇女など)から、全くないとは言い切れない。とはいえ、早くに母をなくし、母の妹(後の持統天皇)が皇后となって権力を増すなかで、姉弟のきずなは普通のきょうだい以上に強かったということではないか、と思う。

 さて、大伯皇女は弟が亡くなったのをうけて斎宮の任をとかれ、奈良に戻って歌ったのが先の歌。その後、ひっそりと暮らしたのだろうか、40歳ごろに没。多くの斎宮は任を終えても独身で過ごしたようだが、それにしても薄倖の皇女だったといえるだろう。

 ■ジェットコースター人生を送った斎宮

 斎宮出身でも後に結婚した例はわずかながらある(三十六歌仙の1人、斎宮女御は有名)。聖武天皇の皇女、井上内親王もそのレアケースで、子どもも生まれさぞかし女性としては充実した生涯だったかと思いきや、そうはならなかった。

 井上内親王と聞くと、廃后(皇后の位を廃された)や、怨霊(おんりょう)になった…などで有名(?)だが、天皇の第1皇女として生まれながら、藤原氏出身の光明皇后が生んだ異母妹(孝謙女帝)が女性ながら皇太子となり、その権勢の影で長らく日陰道を歩いてきた女性だ。幼くして伊勢の斎宮になり、弟の安積親王が突然亡くなった後(陰謀説がある)、任をとかれて奈良に帰京。珍しいことに当時は天皇の位からずいぶん遠いとみられていた皇族、白壁王(後の光仁天皇)と結婚した。30歳くらいだったそうだからずいぶん晩婚で、その後一男一女を産んでいるが、文献では30代後半から40代での当時としてはまれな高齢出産だったという。さて、ここから先がジェットコースターの人生となった。

 異母妹の孝謙女帝(独身だったため子どもはいない)が死去、天皇位が思いもかけず夫に転がり込んだのは、実は幸と不幸が表裏の出来事だった。身分が高いので正妃だった井上内親王は皇后となり、一躍宮中の女主人となるが、夫を呪詛(じゅそ)したとして突然、廃后。数年後に同じく皇太子を廃された息子とともに急死した。さぞかし無念の最期だったと思うけれど、内親王親子の失脚で皇太子に、後に皇位についた桓武天皇はその怨霊をおそれて後に2人の名誉回復をはかっている。ということは、やはり陰謀があったんだ…と考えるのがスジ。

 斎宮として退屈かもしれないが平和な生涯を送るはずだったスタートからすると、女性の、とりわけ身分の高い皇女の幸せとはなんだろう…と考えさせられる一生なのである。

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