キリストの復活と出現 【Part2】

May 18 [Fri], 2012, 13:44
前回の日記にはたくさんのコメありがとうございました。
続きを書く、書くと言いながら遅くなってすみません。
実はGWを利用して一気に書き上げる予定だったのですが、マイミクさんが東京から正確には埼玉から広島に用があるついでに福岡まで足を伸ばしてくれました。
私はうれしく、彼女女性ですヨを大分の臼杵まで二泊三日で案内しました。
それはとても楽しく、有意義なバケーションだったのですが、日記を書く予定には支障を来してしまいました。
前回、私は復活したイエスの出現は作り話ではないかという爆弾仮説を投げかけたのでした。
ここで誤解を解いておきたいのですが、私は決してイエスの復活を否定しているわけではありません。
しかし、復活とはどういう意味でしょう中には、復活とはイエスの記憶が弟子たちの頭の中によみがえったというだけの意味だとする説もあります。
つまり、イエスの磔に立ち会い、一度は絶望して信仰をすてた弟子たちが再びイエスの教えが思い出し、信仰を取り戻す過程をイエスの復活と呼んでいるのだという説です。
元東京大教区長、森一弘司教様1によると、これはドイツの衰w者、ルドルフブルトマンの説だそうです。
この説は一見合理的なように見えて、実はかなりの無理があります。
実際、現教皇ベネディクトXVI世がまだボン大学の若く革新的な衰w教授ヨーゼフラッツィンガーだった頃に書いたキリスト教入門という本には次のように書いてあります。
すみませんこの本は私が30年以上も前に、当時お慕いしていた枢lから拝借して読んだもので、正確な文言は覚えていません。
文言は私のうろ覚えですもし、弟子たちが実際の復活に預からず、イエス信仰が復活したというなら、それは当時の歴史や時代背景を知っている者には、死人が生き返るよりはるかに大きな奇跡である残念ながらラッツィンガーはページ数の制限から、この説についてはこれ以上発展させていませんが、遠藤周作の二部作イエスの生涯、キリストの誕生ではもう少し詳しく批判が書かれています。
まず当時のユヤ教にはキリスト教のイエス復活のような意味の復活信仰はなかったんですね。
確かに、前回の日記における小林さんのコメに対するレスで、私は復活信仰はイエス以前からのユヤ教の仮説的信仰と書きました。
しかし、ここでいう復活とはキリスト教のアルマゲドン信仰へとつながるイスラエルが世界で勝利する日における義人の復活であり、イエスのような現世における復活ではありませんでした。
復活信仰の成就のために、メシアがまず復活して見せるというのは、当時のユヤ人にとっては前代未聞、荒唐無稽な話だったはずです。
一方、ギリシャやローマの信仰では死後の魂は肉体から離れ、死後の世界へ旅立つとされていました。
イエスの復活のように手や足を見せるつまり肉体を含む復活は、ギリシャローマ据bの伝統から見ても前代未聞、荒唐無稽だったはずです。
イエスの復活が単なる言葉の綾だったとしたら、なぜ、そのような世界でイエス出現の話を生むまでに誤解され、流布したのか説明がつきません。
次に遠藤周作が挙げるのは、復活後の弟子たちに見られる変化です。
遠藤周作は、イエスの弟子や使徒たちはイエスの生前は弱虫だったと言います。
まあ信仰的弱者というのは遠藤周作のお気に入りのテーマなので、これだけでは一概に信用できませんが、少なくとも弟子たちがイエスの処刑にあたり、イエスと教団を棄てたという、福音書における記述からの彼の推察は非常に説得力があります。
例えば、有名なエマオへの道の挿話あの時期に二人がエルサレムから去ろうとしているというのは、彼らが教団を棄てたから以外にあり得ません。
これは遠藤周作ではなく、私自身の発見ですが、ヨハネの福音書にペトロを始めとするイエスの弟子たちがガリラヤで漁に行くという挿話がありますJn2119。
この記述も、ペトロたちが宗教活動を止めて元の仕事漁師に戻ろうとしていたという意味に違いありません。
しかし、彼らは教団にもどるのです。
というより、一度はすっかり解散された教団を再築するのです。
そして、迫害や殉教も厭わないほど、イエスの教えの布教に熱心になるのです。
これと関連してですが、森司教様は別の変化を挙げられています。
それは、生前イエスを理解できなかった弟子たちが、この後、急に100理解するに至ることです。
いや、イエス本人に100理解できているかどうか聞くわけにいかないので、それが本当にイエスの教えだったかどうかはわかりません。
しかし、少なくともイエスの磔の後、彼らはユヤ教の教えについて全く改訂された革命的ともテレフォンセックス言える解釈を見出すに至るのです。
正式な教育も受けたことのない労働者たちだった彼らが、数ヶ月の内に人類史上、最も革新的な哲学者に変化するのです。
いや、もちろん正式な教育など受けなくとも改革的な思想に思い至る天才も中にはいるでしょう。
実際、弟子たちの中でもヨハネはそのような天才だったのではないかと私は思います。
それにしてもキリスト教の教義は今日でさえ誤解されやすく、例えばニーチェのような秀才にも理解しきれていません。
当時は更に理解しにくく受け入れ難い思想だったにちがいありません。
それを数名の天才だけではなく、数十名はいたはずの一般庶民たちがすんなりと受け入れ、死に対する恐怖を全く棄ててしまうのです。
イエスが本当に蘇ったかどうかはさておき、少なくとも、弟子たちが長く見てもほんの数年の内に、彼が本当に蘇ったと単に記憶の中に蘇ったのではなく、死から蘇ったと堅く信ずるに至っていたことは、私には疑いようのない事と思えます。
1聖パウロ会のホームページにおける森司教のブログみことばの調べ2012年、4月26日より
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