指導

August 15 [Thu], 2013, 13:37
ここから一〇年にわたって、毛沢東は中国西北の黄土高原に本拠を置くことになる。黄土高原の
近くを流れる黄河は長江に続く中国第二の河川で、中国文明発祥の地である。革命根拠地は一〇〇
万近い人口と三万平方キロメートルを優に超す面積を持ち、位置的には大部分が陳西省北部にあ
たり、西の一部が省境をまたいで甘粛省に及んでいた。中国の中央部から遠く離れていたおかげ
で、当時、ここは中国で唯一安定した赤色根拠地だった。
黄上高原は、黄色い大地がどこまでも果てしなく広がる荒涼とした不毛の土地だ。近くのゴビ砂
漠から風に乗って運ばれてきた微細な砂粒が堆積して時の経過とともに地層が形成され、その柔ら
かな地面のところどころに深さ数百メートルにも及ぶ絶壁にはさまれた細長い地溝が刻まれてい
る。住居は、ほとんどが丘陵の斜面に横穴を掘った客洞だ。見渡すかぎり人影のない風景も珍しく
ない。毛沢東が到着して最初に目にした「町」呉起鎮の住民は、わずか三〇人前後だった。この
あたりは、人が少なく耕地が余っている、という中国のほかの地域では考えられない特異な条件の
土地だった。蒋介石は、紅軍がぎりぎり生きのびることのできる地域を選んだわけである。

この根拠地を築いたのは劉志丹という地元の共産党員で、兵員五〇〇〇の部隊を持っていた――
毛沢東の部隊を上回る規模である。地元の共産党シンパから見れば、劉志丹は英雄だった。 一九二
五年七月に竣工したばかりの大聖堂を含む資産を接収されたスペイン人のカトリック神父から見れ
ば、劉志丹は「天も地も伯れぬ反骨の密謀家」であった。
劉志丹の根拠地へ向かう途中、毛沢東は、劉志丹の指導は「正しくないように思われる」と、と
くに強調して指摘した。劉志丹が政治的に不健全である、という意味だ。そして、毛沢東はこの地
域を管轄する党の北方局に対して極秘に粛清を命じたようである。九月中旬、党北方局の代表が根
拠地に前ぶれなく現れ、さらに九月一五日には別の地域から兵員三四〇〇の紅軍部隊が根拠地に到
着した。根拠地にやってきた党代表と紅軍部隊は、残忍な粛清を始めた。劉志丹は、自分のほうが
大きな兵力を持っていたにもかかわらず、いっさい抵抗しなかった。劉志丹本人に対しても前線か
ら戻るよう呼び出しがあり、根拠地全戻る途中で自分が逮捕されることを知らされたにもかかわら
ず、劉はすすんで当局に出頭した。
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