終わらねwwwwwwwwwww 

December 19 [Mon], 2005, 22:50
<チラシの裏>

前提
@ビザンツからの要請

背景
 教皇
@教皇権の強化
Aビザンツとの争い(宗教)

 王侯・貴族
@領地の確保
A破門状コワスwwwww

 民衆
@土地不足(人口増による)
Aレコンキスタの流れ?or聖地巡礼loveだから?


</チラシの裏>

地球温暖化 

December 17 [Sat], 2005, 21:42
卒論は中世西ヨーロッパで細かく言うと十字軍なのでして、
その十字軍の背景というのにはいろいろな要因が考えられるのですけど
その1つの要因として地球温暖化というのがあるのですよ。
簡単に言うと、地球があったかくなって西欧の未開人(当時)が

「うはwwwww暖かくて小麦が枯れなくなったお^^^^」
「裸でも快適に過ごせるんじゃね?wwwwwwwww」
「ちょwwwwwww天才現るwwwwwwwwwww」
       ・
       ・
       ・
「うは・・・子供増えまくりんぐ・・・・orz」
「ちょwwwwwwwおまwwwwwwwそれなんてエロゲ?」
「あるあ・・・ねーよwwwwwwwww」
「イスラム教徒おいだせばよくね?wwwwww」
「うはwwwwwwwww孔明キタコレ!!!!1!!」
「ついでに本拠地までブーンしてくるおwwwwwww ⊂ニニニ(^ω^)ニ⊃」
「うはwwwwwwwww夢が広がりんぐwwwwwwwwww」

と考えちゃったらしいのです。
で、それに関する資料がないのが今の状態なので
卒論がまったく進んでないわけです。

それはおいておいて、最近話題の温暖化ですが
よく出てくる「産業革命以降の気温変動のグラフ」っていうものは
南京大虐殺の写真のようなものらしいです。
そこだけ切り取るとそれっぽいけど全体から見渡すと
疑問符がつきまくりんぐ、なことですよ!

要するに何がいいたいかというと、
温暖化って本当に進んでるのか、と調べてたら
一日が終わってしまいました。ということです。

どうみても阿呆です。ありがとうございました。

地中海の交易その2 

December 07 [Wed], 2005, 23:38
Aイタリア諸都市(本番は@とA入れ替え)

中世イタリアには通商を営む4つの共和国がありました。

まずはじめに栄えたのがアマルフィ共和国。
ナポリの南方に位置し、ビザンツの形式的な属国でした。

次はヴェネツィア共和国。
アドリア海の最奥に位置し、同じくビザンツの形式的な属国でした。

3番手はピサ共和国。
ティレニア海に注ぐアルノ河の河岸に位置していました。

最後はジェノヴァ共和国。
ティレニア海の最北に位置していました。

詳しくは眠いから明日にするお^^

地中海の交易@900年〜1400年 その1 

December 07 [Wed], 2005, 22:19
註・西地中海と東地中海の境はメッシナ海峡・シチリア海峡です。

@イスラーム世界と西地中海

ウマイヤ朝のカリフ、アブドル=マリクは北アフリカのチュニスを
兵器工場、造船所として船隊を集めるように命じました。
これが北アフリカのイスラームの海洋国家の原点となります。
イスラーム帝国の分裂後、チュニスを本拠地にしたアグラブ朝(800-909)は
シチリア島・サルジニア島・コルシカ島・南伊にまで勢力圏を広げました。
(その後の西欧の発展、シーア派・スンニ派の対立の影響で、
これらの地域からは追い出されます)

その後、シーア派のファーティマ朝(909−1171)が
927年までチュニスを本拠地にしていました。
カイロに本拠地を移してからもファーティマ朝は、後ウマイヤ朝、アッバース朝に
対抗するため200隻にも及ぶ艦船を保有していました。

その後の北アフリカの諸王朝も攻撃と通商の目的で
相当数の艦船を保持していました。

これらの諸王国と欧州との関係ですが、
イベリア半島(レコンキスタへの対抗のため)方面を除いては極めて友好的でした。

諸条約が示すところ、海賊行為は厳重に非難し
(私掠行為を推奨した16世紀〜18世紀の列強は民度が低いですね^^)
できるだけコレを抑止し、相互の通商を奨励していこうと努めていました。

背景としては、10世紀以降、
ピサ・ジェノヴァ・アマルフィ・ヴェネツィアの諸共和国やアラゴン・プロヴァンスなどの
西欧の通商国の軍事力が、北アフリカ諸国と並んできたことがあげられます。

しかしあくまで友好・互恵条約による同盟関係でした。
この条約によって西欧各国はセウタ・チュニス・アルジェ・トリポリなどに
居留地を持つことになりました。

とりわけ、ピサやジェノヴァはつながりが深く、
正規のアフリカ会社を設置するほどでした。
さらに、ジェノヴァの船乗りは十字軍からセウタを防衛するということまでやりました。

この関係はトルコがこの地域を支配下に入れるまで続きます。

十字軍の意義その3(嘘) 

December 07 [Wed], 2005, 21:35
Aカトリック世界と正教世界の断絶の深化

もともと南伊の支配権、
ローマ教皇とコンスタンティノープル総主教のどちらが上の立場なのかなどの点で
互いに争いあってきていた両世界ですが
第4回十字軍によるコンスタンティノープル占領とそれに伴う
カトリックへの強制改宗のためその断絶は決定的なものになりました。

ちなみに、1054年の教会大分裂が教科書では挙げられています。
日本におけるビザンツ研究の第一人者の某大先生から伺った話ですと
実はこれは当時はまったく重要視されていなかったそうです。

というのはこの事件の始まりは
総主教ケルラシオスと教皇使徒フンペルトゥスの個人的な喧嘩によって
互いに破門をしあったということでした。
この種の出来事は初めてのことではなく、
破門を解くことは容易ではありましたが誰もそれをしませんでした。
で、結局そのまま今に至るというわけです。

この分裂は外交上はビザンツの勝利といえるでしょう。
というのはローマ教皇は神聖ローマ皇帝という軍事的な後ろ盾と、
ローマにいる、という事実をたてに
1000年代になると(西欧の発展にともない)東方にも影響力を発揮し始めました。
そんなときに起こった分裂は
教皇の東方の教会への権利の主張を断念させるという効果があったからです。
逆に総主教はなにも失ってはいません。

十字軍の歴史上の意義その2 

November 27 [Sun], 2005, 18:08
@補足・王と教皇と破門

一般に破門された主君の家臣は臣従の義務から解放されることになっていました。
当時のフランス・ドイツ地域の、王と諸侯の間の違いは、
所領の大きさや戦時の動員数などではなく
教皇からその地域の支配者として認められたか否か、でした。
そのため、自分の地位を安泰にするためには、
『破門』は絶対に避けなければなりませんでした。

また、破門されたものに対しては付き合ってはならない
仮にされたとしたら村八分状態になってしまうため
一般民衆にとっても破門は恐ろしいものでした。

要するに、教皇は破門という強権をちらつかせることで
カトリック教徒を思いのままに操ることができたようです。

参考
十字軍当時、カトリック世界の王国は
スコットランド王国、イングランド王国、フランス王国 ・・・ カール大帝以前
カスティリア王国、アラゴン王国、ナヴァル王国(いずれもイベリアか?)
                                ・・・ 武力によって認めさせる
スウェーデン王国・デンマーク王国・ハンガリー王国 ・・・ 受洗による
シチリア王国(1130年以降) ・・・ シチリア及び南伊を占領したため
の10個でした。

十字軍の歴史上の意義その1 

November 23 [Wed], 2005, 1:18
卒論で十字軍をやるので原稿作りを兼ねて書き溜めです。


十字軍はヨーロッパ史的に見てどんな意味があったか?
それについて考えてみたいと思います。

@教皇の権威の失墜と王権の強化

 1095年、ローマ教皇ウルバヌス2世が
クレルモン公会議で呼びかけたことで始まったという事実からも分かるように
初期の十字軍は、教皇の権威を高めるための対外軍事遠征であったと言えます。
 第2、3回は、長距離の遠征によって諸侯の力を抑えるという狙いも加わりました。
しかし、その思惑とは裏腹に、大きな活躍をした君主たちの名声が上がったために、
難癖をつけて破門をする、という裏技までもやってのけます。
 第4回は、前回の反省から王の支配下の貴族を中心に結成されますが、
コンスタンティノープルを占領するという愚を犯してしまいました。
東西教会の再統一、という悲願を達成したことで一時的に教皇の権威は上がり、
時の教皇、インノケンティウス3世は過去に無いほどの権威を手中にしますが、
十字軍をコントロールできなかったという事実により
その興奮が冷め止むと共に、権威の低下が起こりました。
 第5回以降はフランス王とローマ教皇の協力のもとに行われましたが
まったく成果は出せなかったため、権威は失墜し続け、
相対的に各国の王権が強化されることとなりました。

以下次回

選挙 

November 22 [Tue], 2005, 22:15
今日の帰り道の某氏との会話でインスパイヤされたので
選挙について考えてみたいと思います。

まず、現在の選挙についての不満です。
9/11の選挙では自民党が圧勝しました。
個人的には消去法により自民が一番いいと思うので結果については何もいいません。
それはともかく、今回の選挙の勝因は
よく言われていることですが、小泉さんのメディア戦略にあるでしょう。
彼の派手なパフォーマンスによって皆さんがこぞって投票したのでしょうね。

しかしこれじゃあただの衆愚政治じゃないでしょうか?
名前を聞いたから。ニュースで話題だから。
といったくだらない理由で投票して何が楽しいのでしょうね?
それじゃあ、それなりに考えて投票している人が可哀想ではないかと思います。
なにしろ、一票の重みは等しいのですから。

そもそも政治には全員参加って誰が決めたのでしょう。
歴史的に見て、民衆は目先のことしか考えていない傾向が強いと思います。
つまり、 減税 といったような目先の利益にとらわれすぎて
減税による政府歳入の結果をよく考えはしないと思います。
そういうと公共事業を改めろ!とか公務員を減らせ!とかいう人もいると思いますが
そういった職業の人が失職するとどうなるかを考えているのでしょうか?
まぁ、国会議員の中にもそういう事を堂々とおっしゃる方がいますがね!

そこらへんを考えると、
ある程度の政治・経済についての知識を持った人のみが
参政権を持つのが国にとってはいいと思います。


そこで、いろいろと考えました。↓

大航海時代に関する一般的な見解 

November 22 [Tue], 2005, 20:38
大航海時代についていろいろと考えて生きたいと思います。
今回は最初なので全体の流れを整理します。

大航海時代の幕開けは1498年。
ポルトガルのガマ提督による東回りインド航路の発見による。
それと同時期の1492年。
スペインのコロンブスはアメリカ大陸を発見する。

以来、イベリア半島の二強国は互いに競合しつつ
インドとは香辛料貿易で、アメリカとは貴金属の輸入で大きな富を築いていく。

両国に遅れること1世紀。
スペインから独立したネーデルラントは1602年に東インド会社を設立するなどし
インドとの香辛料貿易からポルトガルを蹴落とし、独占するようになる。
イギリス王国は1588年にスペイン無敵艦隊を破り
1600年には東インド会社を設立。

以後はスペイン・ポルトガルに変わり
北海のネーデルラント・イギリス王国に覇権が移ることになる。

この2国による派遣も長くは続かない。
各地で衝突を繰り返した両国の間で
3次に及ぶ蘭英戦争が勃発するからだ。

1654年、戦争はイギリス王国が優勢で終結し、
以後イギリス王国が覇権を握ることとなる。


全体としてはこのような流れです。
次回はスペイン・ポルトガルについて詳しく見ていこうと思います。

一歩目 

November 21 [Mon], 2005, 22:39
最近クラスの皆様の間でブログがはやっているのでやってみようと思いました。
tu-ka大部分の人はクオリティが高すぎてすごいと思う。
当然のように私の書くものはお察しください。

本日は小澤の授業後にビスマルクについて聞いてみました。
え?粘着ですが何か?
すると丁寧に詳しく返事がもらえました。
寧ろ
うはwwwwwwwwww小澤テラ詳シスwwwwwwwwwwwwっうぇwwwwwwwww
て感じで見事に返り討ちにされました。
マリアナの七面鳥撃ちといふのはこんな感じかって思いました。
さっすがVT信管ですね。

まぁ、その説明を授業でやれよwwwwwwwwwwwwwww
みたいな負け惜しみを言ってみたくなったのは否定しませんけど。
正直、見直した感が否めないのは秘密です

某氏と違って日本海海底の古代文明には興味がないので袁世凱とかどうでもいいしwwwwwwwww
ヨーロッパ史だけでおなかがいっぱいだお^^^^^^^^^^^^^


とりあえずらいぱち風ブログを目指そうと思います
P R
2005年12月
« 前の月  |  次の月 »
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
月別アーカイブ
http://yaplog.jp/wwwwwwwwwww/index1_0.rdf
最新コメント
プロフィール
  • プロフィール画像
  • アイコン画像 ニックネーム:wwwwwwwwwww
読者になる
Yapme!一覧
読者になる