昭和30年代

June 15 [Fri], 2012, 18:22
昭和30年代は団塊の世代が10代の多感なころで、日本中が上を向いて歩いた時代でした。
中学を出ると金の卵などといわれて都会に就職する人たちが、この10年間乱交で50から数以下に減りました。
親たちはみんな高校までは出してやりたい子供の学資だけは何とかと考えましたが、高等教育で何を学ぶのかには関心がありませんでした。
家庭電化という言葉が生まれたのも昭和30年代です。
テレビ、洗濯機、冷蔵庫の3つが三種の衰掀と呼ばれて、当時の所得水準からすればまだかなり高価だったのにもかかわらず追い立てられるように月賦というローンの支払いでみんなが買おうとしました。
まだ近所に電話のある家は限られていて、名刺にその近所の呼び出し電話を記している人もいました。
その後、東京オリンピックが開かれた昭和39年を境に三種の衰档w3Cというものに進化しました。
カー、クーラー、カラーテレビの3つが、日本中すべての家庭がほしがる近代化生活の象徴になりました。
みんなが追い立てられるように消費行動に走り、それを後から収入が追いかける時代でした。
いまのBRICsがそうです。
40年ほど前の日本の姿がそのまま世界の4割以上の人口を占める4カ国に見られます。
そのころ、日本人は世界中の観光地に出かけて顰蹙を買い、ーキョーという言葉が欧米にまで知られるようになりました。
こうした庶民の成長据bのようなものはすべて、それまでよりみんながたくさんのエネルギーを消費するエネルギー多消費型の商品だったと気付くのはずっと後の話になります。
昭和30年代、次々に新設された発電所はすべて石油火力で、それまでの石炭火力から進化したと信じられていました。
そして次に登場したのが原子力発電所です。
電力需要が急伸する中で、一次エネルギーのすべてを海外に依存することの危険を訴える人たちも多くいました。
原子力発電の草創期に起きたのが石油ショックで、一次エネルギーとしての石炭を見直す動きや、天然ガス、自然エネルギーにもたくさんの科学者たちが取り組みました。
風の力、海の潮流や波や海面と海中の温度差利用などの研究もこのころから盛んになりました。
省エネへの取り組みがわが国に新たな成長をもたらすようになったのは2度に亘る石油ショックを経験した後の昭和50年代です。
欧米が日本に学ぶ時代が来、そのあとはよく知られているように、わが国を不動産を中心にしたバブルが見舞い、その崩壊がこの20年余りのわが国の姿です。
電力不足で日本中が家庭も職場も節電を強要される時代が来ました。
電力会社はすっかり悪者になってしまい、電力の安定供給が国家経済の成長に欠かせないという近代成立の条件までもがどこかに吹き飛んでしまいました。
で、BRICs各国が日本と同じレベルの豊かさを手に入れるようになる日は確実に来ます。
そのとき、世界のエネルギー事情はどうなると思いますか。
自然エネルギーや再生可能エネルギーで安定的な電力供給は決して出来ませんし、大規模発電所の存在なしに電力を得ようとすれば電力コストは跳ね上がります。
そして、やはり原子力に頼らざるを得ないという決断をする国がどんどん増えます。
水と食糧とエネルギー確保は発展途上の国にとって死活問題だとよくいわれます。
ですがこれらは、先進国にとってもまったく同じ死活問題なのだということを私たちはつい忘れがちです。
つい忘れがちになるのは日本が経済的に豊かな国だったからなのですが。
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