漫才の動画

March 08 [Thu], 2012, 17:16
漫才の動画

明治時代から行われた大阪の寄席演芸である万才(まんざい)は、この萬歳のうち三曲萬歳をベースにしたとされる。三曲萬歳は胡弓・鼓・三味線による賑やかな萬歳で、初期の万才もこれに倣って楽器伴奏を伴っていた。初期の万才の芸人には、万才という分野を切り開いたパイオニアである玉子屋円辰や、砂川捨丸・中村春代のコンビなどがある。ただし当時の寄席演芸は落語が中心であり、万才は添え物的な立場に置かれていた。
その後、俄や、俄から転化し2人で落語を演じる形式の軽口噺、浪曲の要素が混ざり合って今の形式になった。大正末期には、吉本興業の芸人である横山エンタツ・花菱アチャコのコンビが、万才を会話だけの話芸「しゃべくり漫才」として成立させ、絶大な人気を博した。
1980年には、関西テレビの番組『花王名人劇場』や、フジテレビの番組『THE MANZAI』から漫才ブームが起こり、横山やすし・西川きよし、B&B、ザ・ぼんち、星セント・ルイス、ツービート、島田紳助・松本竜介、西川のりお・上方よしお、オール阪神・巨人などの中堅や若手漫才師が人気を集めた。彼らの中には現在でも芸能文化活動の第一線で活躍している者が多い。
ボケが華やかに見られるために弊害としてツッコミが地味に映るためにボケばかりに仕事が集中することが起こった。特に、1980年代の漫才ブームで頭角をあらわした漫才師達は、『オレたちひょうきん族』に代表されるようにボケばかりが注目を浴び、ツッコミは食いっぱぐれ、ボケに食わされる状況に追い込まれた。同番組内のうなずきトリオは、地味なツッコミをまとめて売り込む苦肉の策でもあった。[2]1990年代になると、ダウンタウンの浜田雅功の登場でツッコミは番組を取り仕切る司会を任されるようになり、爆笑問題の田中裕二等、ツッコミがいじりの対象として登場するようになった。

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