ブログ再開します 

2006年01月28日(土) 0時23分
ゆっくり書いていきます

昨年6月くらい迄で、ブログがストップしていました。
いろいろな催しに関わっていて、実際ブログを書く時間が
全く取れず、自分の書きたいことを
じっくり見つめていく余裕もありませんでした。

昨年後半から、すこしずつ
自分の内側にむかう時間を持つように心がけていたら、
日々気づくことが多々あります。

新しい年を迎えて
ゆっくり・じっくり 浮かび上がったことなどを
気のむくままにつづっていきます。 
どうぞよろしく・・・。

そらの光 

2005年06月11日(土) 19時24分
梅雨入り、そしてここ数年のように台風も早々とやってきています。

私は晴れた空を見上げるのが好きなので、雨が続くと
太陽の光がとっても恋しくなります。

今日は1日中降っていた雨が夕方には小降りになり、
雨は降っているのですが、結構きれいな夕焼けが見られました。

ピンクからオレンジ、グレーと刻々と変化していくさまは
見飽きることがありませんでした。

光を伴った空の色に何故こんなにひかれるのでしょう?

地球を離れて宇宙に飛び出した時、漆黒の中で光り輝く星ぼし。
その光の色はさまざま。

星雲や星団を肉眼で見る機会はないけれど、望遠鏡の写真で見るだけでも
心おどります。

我が家の“太陽・月と星のこよみ”の6月には
ω(オメガ)星団の写真が出ています。
ケンタウルス座にある全天で一番美しい球状星団だそうです。

この写真からうけるものは、
“美の中の美”“大いなる技”

この光を音楽であらわしたら・・・と想像は果てしなくひろがります。

むかしむかし、宇宙を作ったものは自らが楽しむために
星をばらまいたのだと。

“美しい・・・”

そんな思いが伝わってくるようでもあります。

梅雨時、この目では晴れた空も星空も
見ることがかなわないけれど、限りない宇宙の光を
心に描きたいと思います。




植物のちから 

2005年06月02日(木) 23時17分
このところ、曇り空か雨模様が多く
雲の具合や、夕焼け空を眺めることがないので
ちょっぴり淋しいです。

空を仰ぐことがないと、自然に回りの植物に目が行きます。
そろそろどくだみの花が咲き出しました。
どくだみは別名十薬と呼ばれていて、
二千年以上前から民間薬として使われていたといいます。

花の頃に根ごと採って、陰干しにして乾燥し、保存します。

薬効の範囲は広く、
浄血・利尿・殺菌・止血・毛細血管強化
高血圧・動脈硬化・脳溢血の予防や治療
と巾が広いです。

毒虫さされ・打ち身・切り傷(生葉をもんでつける)
腫れものの吸い出し(生葉を火であぶって、もんでつける)
その他、
冷え性・にきび・あせも・中耳炎・便秘
糖尿病・蓄膿症などなど

煎じたものを飲用したり、お風呂に入れたりすることで
効果があります。

日本の民間療法では、野草や薬草が活用されています。
身の回りから野草や薬草が、知らず知らずのうちに
姿を消しているのはとても残念なことですね。

私の周りでも、蓬(よもぎ)や土筆(つくし)、すぎな、野蒜(のびる)など
とても少なくなってきました。

やはり野生の植物には、計り知れないほどの力があります。

山菜や野草、木の実、果実など手に入る環境にあるなら、
木や草に感謝していただいてください。

梅雨の頃になると、隣の空き地の枇杷の大木が
実をつけます。枇杷というのは、また大変な力を持った木で
葉や種がガンによく効きます。
葉を焼酎につけて、エキスを作ったりするのですが、
肥料も使わず、人も殆ど入らない土地にはえているこの木の
力はすばらしいと思います。

葉っぱだけで30〜40センチもあるんです!

メディスンマンが薬草を採る時、草が生えているところを見つけたら、
まずその草の長老を探します。
そして、その長老に草のすばらしさを述べ、
採る許可を求め、それから採らせてもらうといいます。

どんな草や実であれ、いただく時にはいきなりひき抜いたりしないで、
“どうか、わけてください”
と声をかけて、(心の中で言うだけでもいいから)
必要なだけをいただきましょう。
私たちのために命を与えてもらうのですから。

明日は蓬をつんできて白玉粉の団子を作り、きな粉をかけて
いただくことにしましょう・・・。









できごとの意味 

2005年05月27日(金) 0時39分
過去のできごとを振り返っていて・・・

前回のブログから日が何日も経ってしまいました。
それにはこんなことがあったのです。

ブログで、緑に助けられたことを次回書く、と記し
新しい記事を作っていました。
それは10年前の手術のことです。

突然降りかかってきた災難であり、
“人生には思いもよらない難事が前触れもなく
襲いかかってくるものだ・・・”
という教訓として、今までとらえていたものです。

ところが、時間の経過に沿って振り返っていたところ

今現在の私にとっては、その<災難>が
別のものに姿を変えていました。

心身共にそれまでの安定を一挙にくつがえされ、
痛み・悲しみでいっぱいで、
茫然自失といった感で時を過ごしていたのに・・・。

あのできごとがあのように起こったからこそ、
見えてきたもの、体験したことが今の自分に
大きく影響を与えていると気づいたのです。

退院してからのこと
身体を家で横たえた時、自分の感じられる身体
(実際の身体とは違います。)が
病院のベッドの枠よりずっと小さく、萎縮して
固まっているのに驚いたこと。

1日中ある痛みを呼吸を吐くことで軽くするのですが、
窓から見える木の葉のそよぎに合わせていると
痛みがもっと軽くなることがわかったこと。

あの頃の思い・感覚もよみがえって来ましたが、
不条理な災難と思っていたことが、
それまでの私の枠組みを突き崩して
別の道に私を導いたできごととして、喜びと共に
受け入れることができたのです。

過去そして今の自分の思いが交錯して、
それを整理するのに時間がかかりました。

―仕込まれたお酒が、歳月を経て熟成され
         複雑な深い味わいを生み出す―

人生の一コマにもそんな味わいがあることに
しばし思いをはせていました。










色をみる 

2005年05月19日(木) 0時46分
色をみいだす


虹の雲をみつけやすいのは、太陽が輝いていて
薄い雲が出ているときです。

綿を薄く引き伸ばしたような、空が透けてみえるくらいの
雲が出ていたら、チャンス。

私は虹の雲に魅せられて、空をみあげると書きましたが、
最初は濃くはっきりと色づく雲を探していました。

雲の色は風の強さや、光のあたり具合によって
微妙に変化していきます。

色づいていても消えていったり、色がないものが色づいたり。
それを何度かみているうちに、かなり薄い色でも
感じることができるようになりました。

薄い色の雲はけっこうよくみられます。
微妙に何色もの雲が出ている時もあり、
息をのむほど美しい雲に会ったことがあります。
小さいものはあっという間に消えてしまうのですが。

光はそもそもがいろいろな色からできているんだ・・・
と心底思わされます。

雲の色に限らず、目にみえるものの中に
さまざまの色を感じることができたら
楽しいでしょうね。

今は新緑の頃は少し過ぎたものの、緑が美しい時期。
特に今のみずみずしい緑に心をむけていると、
からだの中の水―潤い―を感じられるように思います。

私はこの緑のみずみずしさに助けられたことがあるのですが、
それは次回…。

瑞雲 ・・・ZUIUN・・・ 

2005年05月14日(土) 1時53分
思い出したこと


虹の雲を見るようになってから、思い出しました。
“どこかでこの雲の絵を見たことがある・・・”

それは、幼い頃見た絵本に描かれていました。

家に子供向けの仏教のマンガの本があり、
(本屋さんには売っていなくて、お寺に行くと売ってます)

たしか、偉いお坊様が生まれる時に
その家の上空に
五色の雲が現れたーーーと。

天女たちが乗っているような雲に色がつけられていました。

瑞雲という言葉を知ったのは、もっと後のこと。
辞書には
『めでたい時にかかる紫の雲』
とあります。

共に吉兆をあらわしています。

今から15年ほど前、いま来日中のデニス・バンクス
(アメリカ先住民の行動的な指導者)が
日本でキャンプを行ったことがありました。
パイプセレモニーの翌日の朝早く
東の空にみごとな虹が二つもかかっていたのです。

デニスに虹の出ていたことを話すと
“これまで戦いなど、いろいろなことがあったが
虹はバランスをとり、平和にむかうという印だ”
と教えてくれました。

七色の虹、いや、たくさんの光と色があらわれた時、
そこに自らの多様性の予感と
この世界の多様性のすばらしさを感じます。

まさに多様性の中に調和を見出す
ありかたを教えてくれているかのようです。



虹の雲を見る 

2005年05月13日(金) 0時44分
虹の雲を見る

虹の雲に魅せられて空を見あげるようになりました。

虹の雲は、鮮やかな透明感のある色で

その色がさまざまに変化するさま、
ほんのわずかな時間で消えてしまうはかなさは
心にしみこみます。

わたしの心に何かを語りかけているように
いつも感じます。

虹の雲は、光と風との遊びなのかもしれません。

アメリカ先住民の人たちは、自然界からのメッセージを
大切に受け取ります。

見るものと見られるもの、その両者があって成立する世界。

つながるいのちの輪の中で
大いなる自然の一部としてのわたしを感じます。

虹の雲を見たとき、からだに響いてくるものは
一体なんなのか?

―感嘆―よろこび―うつくしさ―ひろがり―

わずかな時間にこれだけの心の動きがあります。

時には空を見あげ、虹の雲を探してみませんか?








虹の雲  その1 

2005年05月09日(月) 23時46分
虹の雲  その1

連休中にみごとな虹の雲を見ました。
太陽のまわりを取り囲む 虹の日輪とその下には
水色の雲―石でいうと ラリマーの色。

かなり長い時間見ることができました。

私がはじめて虹の雲を見たのは、今から10年以上前のこと。
ふと空を見上げると薄い雲が帯のようにひろがり、
それがピンクと青に輝いていました。

それを見た瞬間、“これは一体何?”と
背中がぞーっとして、鳥肌が立つほどの驚きでした。
自分の見たものが信じられなくて
少し離れたところで店を開いている友達のところへすっ飛んで行って

“空に不思議なものが出ているから、見て!見て!”
と雲を指さしたものの、その時には
自分が驚いた時の雲とは変わってしまっていました。

虹の雲は短い時間に消えるアート

これは今まで見てきて、一番感じていることです。
私はこの雲に出会ってから、
“またあの雲を見たい!”
とその美しさに魅せられ、しょっちゅう空を見上げるようになりました。

今では、空を見あげて雲の状態を見ると、
“そろそろ見えてくるな”
“今日はちょっと無理”
と虹の雲が出るタイミングがわかるようになりました。

虹の雲のあれこれを何回か書いていきます。

自分の場所を探す 

2005年05月05日(木) 0時17分
風をひらく時、自分の場所をまず探す


どこかで風をひらこうと思ったら、
自分の場所を探します。

心もからだもゆったりといられる場所。
よいと思っても、みぞおちが固くなるような感じがあるとか、
しっくりこないような感じがあるなら
もう少し緻密に探してみてください。

風をひらく その2 

2005年05月04日(水) 0時46分
風をひらく その2

風をひらく範囲は、自分の周囲数メートルのサークルからはじまります。
自分を中心にして、コンパスでぐるりと円を書くつもりで。
私達がふだん意識している範囲はどんなものでしょう?

私は以前合気道を習っていました。
武道を習ったことのある方ならご存知だと思いますが、
他者の気配は前から来るだけではありません。

でも普段の生活では、自分の横や後ろに意識を向けることは
あまりないでしょう。夜暗い道を1人で歩くことがあれば
後ろからの足音などには注意を向けるでしょうけれど。

この時は‘身を守る’意識が働いているのは
いうまでもありません。
風をひらく時に周囲を感覚するのは、‘身を守る’というところから
はじまるのではなく
世界に対して、自分をひらくところからはじまります。

前回、自分と世界がだんだんなじんでいく、と書きました。
この なじむ という感覚はいろいろに使うことができます。

風をひらくこと―
入口は世界に耳を傾けることですが
そのプロセスの中で、他の感覚もともにひろがっていきます。
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Rainbow Cloud
自分のからだの不調をきっかけに 自然治癒力を高めようとさまざまの 技法を学んできました。   地球から宇宙へ 宇宙から地球へ 変化のうねりは日々ダイナミックになってきています。 そんな中で 安らぎ・よろこびをうみだしながら いま・ここに立ちたい。                             
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