シギリージャ~無償の愛~ 

January 24 [Tue], 2012, 20:27
後3ヶ月後
僕の運命の分かれ道

西日暮里 アルハムブラ
http://www.alhambra.co.jp/live/index.html
4月 21日 (土曜日)
19:00 グラシアス小林企画


2月には試験があります・・・。
プリメラかセグンドか・・・。<ギター


ありがたい事にぐら先生が必死に教えてくださいます。

「俺が本気で踊ってるんだから、まじめに弾け!」
って怒られてます。

真面目に弾いてるんですけど・・・。

なんとかシギリージャは通すことが出来ました…。
踊りの立場からのアドバイスしかないので、ギターの部分は自分で構成。

ソロコンパスとか聞いたり見たりしながら必死に作ってます。
ジャカジャカ単調ですけど・・・。
でもシギリージャっぽいおしゃれなファルセータを弾くんじゃなくて
シギリージャを弾きなさいっと言われたので

『今回はシギリージャを弾くことを一生懸命やる。』


ってか演る曲はシギリージャだけじゃなくていっぱいあるんだけど・・・。

アルハムブラという伝統あるレストランでやれることがとても嬉しいです。
たのしんでいこ〜〜


お時間のある方はぜひおこしくださいませ。


ぺこり

ゆみちゃ〜〜〜ん!!!! 

January 06 [Fri], 2012, 14:08
元気にしてるかな??

おもちゃ屋の隊長!

プロとの共演。 

September 30 [Fri], 2011, 17:19
昨日お越しいただいた皆様
まずは、ありがとうございました。

おいしいお料理とグラちぇんちぇんの
踊り楽しんでいただけましたでしょうか?

本当に今回はいい刺激になりました。

きっかけになったのは先生の一言

「Farruca弾いてみて、弾けるよね?」

「No」とも言えずなんとなく弾いてみる・・・。
ファルセータ!といきなり言われましても・・・。

みたいな感じ。

お、意外と行けるじゃんってなって
今回の出演と相成りました・・・。

え、全然行けてませんけど・・・。

構成難しいし・・・。
必死で覚えた・・・。
ジャマーダ間違えるとね、もうダメ。
恐怖。

ちぇんちぇ絶対怒ることないんだけど。
ばきゅんって撃たれます・・・。

今回は西井さんという凄いギタリスト。
音階が滝のようにあふれる…。


だいぶ僕に合わせてもらったんだろうなぁ…。

ぐらちぇんちぇの踊りがすごいのは言うまでもなく
一緒に出演したChicaさんのおどりがかっちょえ〜

久々に切れのあるGarrotin見ました・・・。
最初リハの時ついていけなかった・・・。

普段はアトランタというグループで活躍。
ちょっぱやらしい。
打ち上げでポニーテールの鞭が飛んできた(*゜д゜*)


もうとにかく楽しかった。
そして疲れた・・・。

まだ疲れが抜け切れない中月末の棚卸・・・。
リポDスーパータウリン2000mg投入しました・・・。


土曜出勤日曜休んで4勤したら佐賀福岡2泊3日!
温泉つかってのんびりするじょ・・・。




フラメンカのマグロパーティー。 

September 14 [Wed], 2011, 20:08
昨日は我が家でパーティーでした。

フラメンコ仲間数人で。
にょろに頂いたマグロをメインに。
ありがとう。

あ、食べた人は1000円どっかに寄付してね
っていうの忘れちゃいましたけど。
まぁ、みんなどこかしらで寄付してるだろうし…。
ごめんね。

のびーさんのことをちょびっと思い出しつつ…。

14時にM沢さん到着。
飲み物買って餃子の具買ってビール買って。
家に着いたらプシュッとな。

1時間ぐらい飲んで餃子作成。
M沢さんは料理超上手。
チャーシューとお手製お菓子持参。

餃子の種ができたころに女子登場!
klunaちゃん、ぐら妻!

一気に部屋がにぎやかに!

M沢さんが秋刀魚食べたいとか言ったので
急きょ秋刀魚を2尾捌く。
1尾はM沢さんが豪快に手で捌く
もう1尾は僕が包丁で丁寧に捌く。
味は変わらない(笑

klunaちゃんはジャガイモのローズマリー風味を作成。
最初どんなんだろうねって話してたら凄いおいしい料理!
それも結構簡単そう!

僕が用意しておいたイカ飯とかも並び豪華豪華!


途中ぐら妻帰宅

M沢さんがいい具合に沈没

〆に午前中にM沢さんが狩ってきたというキノコを使ってスープ。
買ってきたじゃなくて狩ってきたね。
3枚目はイメージ図。
見た目怪しいんだけど、凄いおいしい!
いままで食べたことない食感のキノコでした

最後に今頃きっとエルフラで演奏中のklunaちゃんのTarantaと
Guajiraを演奏してもらいお開きとなりました。

  
なんかすごい楽しい飲み会でした。
また誰かやりましょうね!
名乗り出てください!
ホームパーティー万歳!


よく考えたら兼壮行会でもあったり。。。



すごく嬉しいこと 田崎守男ギターの行き先 

September 09 [Fri], 2011, 20:22
なんか最近楽しいことばかり。
うれしいなぁ。
いいご縁ばかり。

今回あった嬉しいこと。
5年前の偶然な出会いと偶然の再会。


出演者
前持っていたフラメンコギター(中山昇氏)
ヤフオクでたまたま見つけたクラシック(田崎守男氏)。


製作者の方が違うのに同じロゼッタを使ってて(3枚目)
ついつい購入。(5年前)

Blogに記事にしたときにコメントを頂いて。
そのコメントが、『田崎守男さんのおもいで』って言う会をやりますというもの。
既に製作者の田崎守男さんは亡くなっていました。

んで、その会に行ったら結構身内ばかりのホンワカパーティー
広い会場なんだけどみんな和気あいあいだったことを思い出します。

その後何故か打ち上げに混じり皆様に良くして頂きました。
特にギター製作家の荒井勝巳さん。
面白い。尾も白い。
職業プログラマー  グラマーじゃないじゃん!って言うツッコミ。

その後荒井勝巳さんの工房を訪問して色々見せていただいたり。
中山昇さんの工房へ行って、ロゼッタが一緒だったんです!っていう
話をしたら、『このロゼッタは昔俺が注文したんだよ〜』っていってて
『もしかしたらあげたかもね〜』って。

なんかこのギターのおかげでそういう出会いもありました。


そして、お別れっと今オークションにギターを出したら
僕を『田崎守男さんの思い出』に誘ってくれた人がコメントくれた!

すごい!
ってことでこの方にお譲りすることに。

ご縁という名のもと押し付けるので(笑)お金はいただけませんね・・・。
この方のもとに行くのがすごく嬉しい。

あとは気に入ってもらえるかどうかだね…。


あ〜
はっぴ〜いえ〜




ぐら先生(グラシアス小林/Kunio Ko bayashi)と共演します…。 

September 04 [Sun], 2011, 19:55
ドコモの月火休みのせいで、所属するLos Festerosのライブにでれず
涙を流した今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか…。

そんな僕にも女神さまはほほ笑んだ。
ってかぐら先生がほほ笑んだ。
セカンドギターとして参加させていただけることに。

でも、まだ半信半疑。
場合によっては却下されるかも…。←ファーストとそりが合わないとか…。

9/27(火)
Baileグラシアス小林 稲沢理恵 Chika 
Cante小林ゆうこ(ぐら先生の奥さん)
Guitarra西井顕司

スペイン料理 オーレオーレ
03-5280-1137
地下鉄半蔵門線神保町駅 A5出口 徒歩1分

故加藤なおじろうさんも所属してたグループアトランタのメンバーとの共演〜!

ぐら先生の虜になるがいい!!!
ホント、素敵だから、踊り。
目がハートになります…。
それをメンバー側から見れるなんて…。


写真は以前共演した時の写真です(笑)

ぐら先生と日本舞踊鑑賞 

August 31 [Wed], 2011, 11:28
今日は会社を早退し日本舞踊を見てきました<どういう身分だ…。

前々から楽しみにしてた日本舞踊。

ぐら先生の生徒さんのテレサさんが日本舞踊をなさってて
みたいでしゅ〜〜〜〜って言ったら招待券あるからと。


ぐら先生夫妻と玄道家でダブルデート♪
ってことで行ってきました。

国立劇場大劇場


「尾上流四代家元継承
三代目尾上菊之丞
襲名披露舞踊会」


18時に半蔵門駅で待ち合わせ。

ぐら先生スーツに身を包まれかっこいい!
僕も一張羅のスーツ。
ちょびっとお茶タイム。

そして国立劇場へ。

ぐら先生の生徒さんとご挨拶。
そういえば昨日伴奏をしたのでした…。

席は9列目!
すごくいい席!

見た演目は
「道成寺昔語り」
「深川八景」
「北州」
「船弁慶」

日本舞踊って興味はあるけど退屈なイメージ。

覆された!

超面白い…。

ほんとすごい。

すごいものはすごいです…。

テレサさんもすごい綺麗だった…。
いつもの姿からは想像できません。。
【道成寺昔語り】
お坊さんの禁断の愛の話。
人間曼荼羅あったり。
足踏みがあるのね。
フラメンコのそれと全く違う。
すごく力強い。
伴奏もかっこいい
三味線。
カンテリブレみたいよね。


【深川八景】
僕の想像してた日本舞踊、そのもの。
これも男と女の話。



こっから客席の空気が変わる

【北州】。
花魁?
すごく艶っぽい。
動きを全部ジーーーーっと追いかけちゃう。
無為美艷だよね
ハレオかけちゃおうかと思った。
吾妻ーーー!


【船弁慶】
市川染五郎さんと亀治郎さん超かっこいい!
義経と弁慶の話。
幕が上がったらずらーっとバックの演奏人。
迫力がある。

船をこぐ姿もなんか想像ができるぐらい。
声の張り上げ方もかっこいい。


寝るかなぁっと思ったけど全く。
すんごい楽しかった。

終演後ぐら先生に導かれ楽屋へ

ひろ〜〜い!

さっき舞台に出てた人がいっぱい。

きゃ〜そめごろーさーん!
かっこいい〜〜!!!

テレサさんにご挨拶。

外に出ると大雨…。
ぐら先生と僕と妻たち走る…。

あんまりないよね…先生と雨の中キャーキャー言いながら走るの。
一張羅のスーツはびしょぬれですけど。

ちょびっと中華屋に寄ってご飯。
ぐら先生の楽しい「おれってすごくない?」話を聞く。
いつも聞くけど面白い。
昔からスペインでやってたんだもんねぇ
いろいろ経験していらっしゃいます。

最後に食べた麻辣麺はしびれた。


そして帰宅。 たのしい一日でした。

立ったよ!クララ蛾立ったよ! 

August 29 [Mon], 2011, 9:00
今までジャッキスタンドだったのようやくサイドスタンド取り付け。
最初どうつけるかわからんかったよ。

フレームに固定なのね。。。

【ギター購入】僕の友達のみーちゃんです。 

August 13 [Sat], 2011, 19:26
命名は妻。
ピンクレディーの片割れからいただきました。

HAMERのArtist Custom。

木目のきれいなハムバッカー搭載のギターがほしくて。
(1.普段はフラメンコ弾くからいらないんだけど…。)
(2.あこぎを弾くと木目が気になるようになる。)

一時期PRSのKorinaとかすごく惹かれてて…。

ただ、いかんせんPRSは高い。
それもちょっと量産っぽさを感じる。
たまにお茶の水に行くが、試奏してもしっくりこない。
もちろんエレキでラスゲアードするわけですが…。

ってことでいまいち。

しばらく見てるとHAMERを発見。
HAMERってヘビメタのイメージがあったんだけど
レスポールJr.をかっこよくした感じのモデルが!

メジャーなようなマイナーなような。
でも評判はすごくよい。
値段もお手ごろ。
しかも美しい!
PRSなんか目じゃなくなる。

ヤフオクじろじろ見たりJ-Guitar見たり。
新大久保の黒澤に行ったり←売りきれてた。
自分のCondeと店頭のConde弾き比べてショック受けたり。

そんな風にしてぼーっとネットを見る。
毎日がHAMER探し。。。。

ヤフオクにもキルテッドメイプルのが出てて8〜10ぐらい。
キルテッドメイプル
http://page16.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/u36202344
http://page6.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/f106168167

Korinaモデル
http://page5.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/e112971546

Piezo付き
http://page16.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/u35501741
定価を考えるとどれも十分の買い得。

これもいいなぁって思ってたんだけど狙いはフレイムドメイプル。
それもぎっちりしたのじゃなくて上品なの。
カラーはナチュラルかハニーバースト。

そしたらあった!
http://atstyle-guitars.com/
なんか紹介文見てても信頼のおけそうな楽器屋さん。
どうせアンプ通さないし音は関係ない(ぉい
結構全体的に金額が良心的。

気付くとカートに入れるボタンを押して購入してた。


うっひょ〜〜〜〜〜〜〜!!!!!


土曜着だったのを伝票番号調べたら近所にあったので
届く日を1日早めてもらい…。

昨日天一を食べた後。

玄関にドーン!

箱を開けて弾いた!

もちろんラスゲアード。
あ、これいける…。

よし、ガロティンロックだ!





あ、ちなみに今までここ10年近くの付き合いの
ストラト初期のリッチーを意識したストラトは
その前に養子に出しました。
何本も持ってても仕方ないしね…。

後は田崎守男さん作成のクラシックを売るのみ。
バック柾目のハカランダ(らしい)で結構いいんだけどだれかどう?






津田のおばさんの証言 

August 03 [Wed], 2011, 1:58
津田 幸子(旧姓 玄道)

【子どもを連れて郊外へ疎開した翌朝】

私は昭和二十年四月、東京都杉並区から、義父一人が住んでいる広島市愛宕(あたご)町へ子ども二人(三歳と二歳)を連れて疎開しました。しかし、毎日毎晩の空襲で、防空壕のない家は大変恐ろしく、もう少し田舎へ疎開をしたいと思い、義理の祖母が一人住んでいる母の実家(古市町)へ再疎開することにしました。八月四日、借りた大八車にわずかな荷物と子どもを積んで、義父と共に二里(約八キロメートル)の道のりを五時間かけて、やっと夕方、目的の古市東野北の庄の家に着きました。
次の朝、大八車を返すために、またまた二人の子どもを大八車に乗せ、愛宕町へ行きました。夕方になっていたこともあり、義父は私の実家(小町(こまち))へ泊まっていくよう言ってくれました。しかし、結婚して近所の方々とも疎遠になってしまいましたし、万一の時助けてもらえないと困ると思い、下の子をおんぶし、上の子の手を引いて電車で古市へ帰りました。家に着いたら九時。それから夕食を食べ、やっと寝ることができました。
次の朝、八月六日。朝食を済ませて後片付けをしている時に、ドーンと大きな音がして南の空にきのこ雲がムクムクと高く上がりました。雨戸は吹き飛んで倒れ、ふすまも倒れ、戸棚の上に置いてあったラジオも吹き飛ばされて聞こえなくなりました。初めは、古市の一つ手前の駅、祇園にある軍需工場が爆撃されたのかと思いました。が、そのうち、何でも広島市内に大型のすごい爆弾が落とされたという噂が流れてきました。皆どこに避難すればよいのか分かりません。周りは田んぼで、もちろん防空壕などはありません。当時太田川の沿岸は竹(たけ)藪(やぶ)が続いていました。村の人たちの「竹藪に逃げろ!」と言う声で、夏布団を頭からかぶって出掛けようとした時です。黒い雨が降り出したのです。
B29も飛ばす、爆撃もない。雨が止んだら逃げようと言いながらも、ただ南の空のきのこ雲を心配しながら眺めていました。そのうち南の空に大きな赤い火の手が上がり、一日中燃え続けておりました。私は広島市内の小町に住んでいる兄たちが心配でしたが、どうすることもできず一夜を過ごしました。
大型の新しい爆弾が落とされたと分かったのは、次の日になってです。そして、それが原子爆弾と分かったのはその後でした。八月六日の原爆投下時、母はたまたま食料調達のために温品(ぬくしな)の姉の家に行っており、幸い被爆から免れました。その母は小町の兄一家のことが気にかかるのでどうしても行ってみるということで、八月七日に一人で小町へ帰って行きました。そこで見たのは、そっくり残っているのは門柱とコンクリートの壁だけ、家は跡形もなく焼け、周りは焼け野原と化し、中国電力の建物だけが不気味に残って、広島中が遠く見渡せ、大きな樹木が所々に枯れ木のようになって不気味に突っ立っている風景だったそうです。呆然と焼け跡を見ているときに、たまたま近所の方が通りかかられ、兄たちは日赤病院にいることを教えてくれました。大急ぎで駆け付けたところ、病院の前の庭には怪我をしたり、火傷をしたたくさんの人が座ったり、寝転がったりしていました。その中から、やっと兄たちを見つけ出し、母は兄夫婦と孫の亡骸を抱いて、夜遅くやっとの思いで温品に運びました。その時は、まだ兄も兄嫁も落ち着いてしっかりしており、原爆投下された時の様子を次のようにボツボツ話し出したと、母から聞きました。
「六日の朝、空襲警報は解除になったので、私は物置へ行こうと通路に出、六歳の息子はトイレに入っていました。その時原爆が投下され、一瞬のうちに家は西側に倒れ、東側の廊下にいた夫は足が梁(はり)の下敷きになってしまいました。私はたまたま無傷で、やっと夫の体を引きずり出し、二人でトイレの中にいる息子を引き出しました。とにかく家から離れないと火に囲まれる恐れがあると思い、三十メートル西にある広島一中の門の脇に大きな防火用水槽があったのを思い出し、その中へひとまず三人で浸かっていました。火の手が近づいてくると、頭から水をかぶりながら火の難を避けていました。夕方、ようやく火が落ち着きましたが、ここにいては助けてもらえないと思い、私は子どもを抱き、夫は痛い足を引きずりながらやっと中電の前の電車道まで行き、転がっていたところを軍隊に収容され、千田町の日赤病院まで連れて行かれ、病院の庭で一晩明かしました。そこで、息子はかわいそうに息を引き取りました」。こう義姉は話していたそうです。
八月八日。B29はまだ飛んでいるので、市内に出て行くのは恐ろしいけれど、私は兄たちがどうしているか心配で心配で、どうしようもありませんでした。温品に住んでいる姉の家に行けば何か分かるかもしれないと思い、ともかく温品へ行くことにしました。二人の子どもを義父の手製の簡単な小さな荷車に乗せ、古市東野から太田川を渡し舟で戸坂(へさか)側の岸に着き、土手を登り、上の道まで荷車と子どもを運び上げ、温品へ通じる農道をもくもくと歩いたものです。途中、広島市内方面からソロリソロリと顔や手足をやけどした人たちが吉田や甲立(こうたち)の方へ向けて歩いているのに出会いました。顔は二倍くらいに腫れ上がり、両手は心臓より上に挙げて、おばけのような格好をして、黙ってゆっくりゆっくり苦しそうに歩いていく姿は、今も目に焼き付いております。途中の国民学校で炊き出しをしていま続けていました。
私たちは、四時間以上かかってやっと姉の家に着きました。そこに兄、兄嫁と母が収容されており、ちょっと安心しました。しかし、甥の姿はありませんでした。八月七日に亡くなった甥の亡骸は、なんとか元気だった兄嫁、母そして温品の姉たちとで、村の人たちに手伝ってもらって、既に荼毘(だび)に付されていました。もちろん、お寺さんもいない火葬でした。この頃になって兄は足の激痛がひどくなり、苦しんでいました。会社の医師が見舞ってくれ、痛み止めの注射をしてくれていました。そんな兄夫婦が気になりながらも私たちは、まだまだ空襲があるかもしれないので早々に温品の家を引き引き揚げ、また太田川を渡し舟に乗って渡り、古市にやっとの思いで帰りました。
それから三日後、温品に出掛けてみると、兄嫁が泣きながら、昨晩兄が亡くなったと話してくれました。そして、それから四日後には兄嫁も亡くなりました。この時にはつくづく戦争、原子爆弾を恨みました。温品の山で兄たちを自分の手で荼毘に付さねばならなかった無念は、生涯忘れることはないでしょう。結局、兄一家三人は、強い放射能を浴びたための死とのことでした。
八月十五日、私は終戦のラジオを聞きながら、空襲がなくなり、安心して外を歩けるようになって良かったと、安堵しましたが、敗戦の悔しさや悲しさに涙が出ました。この戦争で三人の身内を亡くした母のやるせない気持ちを思うと共に、敗戦後に不安を感じながらも、命のあったことをとてもうれしく思ったのも事実です。私たちはこの後、小町の家のこと、母のことなどが気になりながら、次の年の春、後ろ髪を引かれる思いで広島を後にし、夫の待つ東京へと戻って行きました。その後は、福山に住んでいた次兄が自分の仕事の合間を見ては温品に駆け付け、亡くなった兄一家の後始末、そして母の面倒をしっかりと見てくれました。
・・・八十四歳

被爆60周年記念証言集「平和を祈る人たちへ」より
http://www.google.co.jp/url?sa=t&source=web&cd=146&ved=0CD4QFjAFOIwB&url=http%3A%2F%2Fwww.photon01.co.jp%2F~chihara%2F%2Fkmz%2Fjogakuin01.kmz&ei=cis4Tsq2Cq7UmAW9r5WeAg&usg=AFQjCNGo92kIx2veqotnKdZhEHgdW0qz-A&sig2=ZX_okN7QLQwDAVusDMOPwA
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