いっそこのまま、少女のままで死にたくなる。

July 12 [Wed], 2017, 18:44
自分が女だけに、女の中にある不潔さが、よくわかって、歯ぎしりするほど、厭だ。
金魚をいじったあとの、あのたまらない生臭さが、自分のからだ一ぱいにしみついているようで、洗っても、洗っても、落ちないようで、こうして一日一日、自分も雌の体臭を発散させるようになって行くのかと思えば、また、思い当ることもあるので、いっそこのまま、少女のままで死にたくなる。


太宰治 女生徒


◇(四角が出せなくなってしまった…)


全然文章を書いていなかった。
(最近この書き出しで始まるブログが多すぎる。)


昔聴いていた音楽をふと聴いてみる。
その頃の季節と匂いを思い出す。
音楽って不思議だなあ。人は死ぬと音から忘れていくというけれど、音楽は音源として残るから匂いも感触も視覚も死なない。音楽はずっと忘れたくないものを覚えているから、からっぽになりそうな時は耳を澄ましてしまうんだな。





私の好きな『恋のチカラ』というドラマのセリフに「あっという間だよ。忘れたくなくても思い出はどんどん消えてっちゃうんだよ。だから覚えてるうちは大事にしなよ。」ってのがあって。


私はたぶんどんな思い出も忘れたくなくて、でもどんどん忘れていくから音楽を聴いている。音楽聞くと微かだけど思い出す。それまで忘れてても、この曲のこの歌詞のトコでアッ!となるんだよな。
具体的に思い出せなくても、なんとなくでもあーこんな気持ちだったかも、って。
確かめてるんだろうな。





前に悩んでいたこと。
人との距離感。
人間と人間の距離感をずっと悩んでいたけれど、あれからカッとなって怒ることもなくなり、空気を読まない発言もあまりしなくなった(と思う)。
たぶんそれは何かあるぞと気配を感じたらサッと逃げているからで、発言は余りせずしんと黙っているからなんだけどさ。
本当にそれでいいのかなって私の中で小さい私が言っている。外側の大きい私はそれでいいのよ、楽だしね。って言っている。
そう、楽なんだ。楽なものからは逃げられない。感情を揺さぶられて体調を崩すこともなく、健康である。
でも確実に何か失ったし、きっとそれは大人になると言うことで、もしかしたら成長の証かもしれないのだけど。でもたまに小さい私が本当にそれでいいのかな?って確認してくる。いいのいいのって蓋をして静かに小さい私が傷つかないように守っている。でもそれで正解なのか本当は全然分からない。分からないけどこれ以上辛い思いはしなくない。痛いのは嫌だ。
どうして長く生きていくほどに臆病になっていくのだろね。


しかし臆病が正解か不正解かはこの世の闇の中。
どうせ分からないまま死んでゆくのだろうな。そういうのはたぶん選択だ。正解はなく選択するだけ。選択していった道が自分を作っていくのだろう。だから、求める方が間違っている。時間の無駄である。
そういう計算を心の中でパッと出来るのが要領のいい人間で、出来ないのが私である。
私は体感してやっと知る。




先日ハチミツとクローバーに出てくるあの観覧車に乗った。
好きな人とゆっくり空を横切って行く乗り物、と物語の中で言われていた観覧車。
ゆったりと20分間幸せな時間であった。水族館にも行った。少しはしゃぎながらいろんな魚を見て笑う時間が愛おしかった。でもそれだけ。それでおわり。
観覧車なんて、きっともうしばらく乗らないのだろうな。










その甘い考え好きよほら見てよ今夜の月はものすごいでぶ

April 09 [Sun], 2017, 22:57

穂村弘『ドライ ドライ アイス』





うーん
今とてもドタキャンが続いていて辛い。
ドタキャンって、もっとも苦手とするところなんだけど、結構高確率でされたりする。
自分で言うのもなんだけど、結構昔から良い子ちゃんで通っていたからか、ドタキャンされてしまっても仕方ないねって笑って許してしまう。本当は信じられない絶望感に襲われているし、許したくないんだけれども。笑顔の裏でショックで軽く落ち込んでいたりする。
病気とか仕方ない事なら話は別なんだけどね。なんだろう、理由がキチンと筋の通る事なら良いんだけど、気まぐれでドタキャンされたりすると表情を失うよね。


最近仕事してても思うんだけれど、世の中には他人の事はどうでも良いと思ってる人が多くないか?
対人関係ってそんなに冷え切っているの?
私は簡単に過剰に人を信用しすぎてしまう傾向があるみたいなので、最近はちょっと気を付けてはいるんだけど、世間はどのくらいまで人に心を許すの?全然分かんないよ。何処まで踏み込んで良いの?距離感はどうやって測るの?
こんな30近くにもなって人との適切な距離が全然分からないよ。どうしよう。
何処から何処まで信じても良いんだろう。


いただいたらいただいた分だけ返すのは常識じゃないのかしら。私はその人から受けた親切や恩や思いやりは全部返していきたいと思っているし、実践もしているんだけど、世の中礼儀がなってないやつが多過ぎないか…?いや、与えた分だけ返ってくるっていう私の考えが甘いのか?おかしいのか…?


あーあ。
神様みたいになれたら幸せなのにね。





愛愛愛してる。とってもとっても愛してる。

March 11 [Sat], 2017, 21:33
涙のわけを知っているかい。
愛って悲しいね。
ミドリ







いつも急いで通っていて気付いてなかったけど、春が来ていたよ。日常の中でピンク色をしているものは珍しいから、桜を見つけると得した気分になる。そして写真に収めてしまう。



最近考えさせられることばかりだ。人間ってこんなに面倒くさい生き物なの?って感じ。例によって面倒臭い話だけど。













簡単に書くけど。
仕事でチェックミスがあって…そのミスは関係各所に迷惑をかけることとなり、会社にとっても大打撃。それで、リーダーがミスしたと思われる人をたいへんにめちゃくちゃに怒ったのだが、実はその人はミスをしていなかった。
すごく簡単に言うとそういうことが先日あった。

私は、ミスをした人はなぜその場で弁解しなかったのか?と純粋にそれだけを疑問に思っていた。今日いろいろ聞く機会があって詳細を知ったのだけど、裏では私が考えもつかないようなことが起こっていたらしい。
弁解しなかった理由は、自分が怒られることによってリーダーの怒りを早く収めることができると思ったから、ということだった。
仕事の都合上犯人が特定できないものなので、犯人が分からない犯人探しでその場の雰囲気が悪くなり、自分へのお説教がさらに長引くのなら、自分が代わりに犯人となりその場で怒られて事態を収束にむかわせようという手段をとったようだった。
私はそのような高度な感情のやり取りが行われていることに全く気付けていなかったが、わたし以外の他のメンバーはその真意を理解していた(らしい)。


私はと言えば、話を聞いてもどうして自分は悪くないと主張しないんだろうとしか思わなかったんだよ。
しかもよくよく話を聞いていたら、叱っていたリーダーもミスした人のことを真犯人ではないことは薄々分かっていたんじゃないか、ということだった。その場をおさめるために悪者を決めてその人を罵倒した。(周りに聞かせた。)さらにパフォーマンスとして、自分がキチンと「上司」としての職務をこなしているということをアピールするために、わざわざ社長たちの近くで罵倒していた。(わたしの会社はわりと規模が小さいので、偉い人たちとの物理的な距離が近い)
…なんだろうこれは。すごく気持ち悪くないか。それを聞いた時とんでもない茶番じゃないかと感じてしまった。どこになんのメリットがあってこんな茶番をするのか全然分からない…。
そして私は自ら怒られた人の感情が全く理解出来なかったので、実は怒られているその人が犯人ではないということなんて全く気付けなかったし。(しかしこれって気づけるものなのだろうか…わたし以外のメンバーは気付いていたのだから、普通に話を聞いてれば気付ける問題なのかもしれないけど)
なんか全然理解できてなくて悔しく思う。
わたしは空気が読めない人間なのかな。今までそんな風に思って真剣に悩んだことなんてなかったんだけど。周りからももしかして、そういう風に思われてるかもしれない。わたしは鈍感なのだろうか…そう考えたらすごく気分が沈んでしまった。
それから、今度から人の言うことを信じていいのかも分からなくなってしまった。



最近特定の上司にすぐ怒られる。会話をしていると二言目にはその上司の怒りを買ってしまい、怒鳴られる。
何故だか分からなくて、先輩に試しに聞いてみたらば、私は上司に対して正論すぎる正論を真面目に指摘するので、上司からしたらカチンとくるらしいのだ。間違っていることは言ってはいないし、正しいことを言ってはいるのだが、逆にそれが憎たらしく腹立たしいらしい。
世の中には間違っていることを知りつつも正しいことを言ってはいけないシーンが多々あるようなのだ。
あと、言い方が上から目線に聞こえるらしい。そんな風にしている覚えはないのだけど、実際怒られているのだからそうなのだろうな。
あーあ…人の心はたいへんにむつかしいな。今までそういう風に考えたことはなくて、いつも正直におべっかは使わず、間違っていることは間違っていると声を大にして主張していた。でもそれは他人からみればとても厄介な性格であるし、本人にとっても生きにくい行為である。しかも世間ではそれを「空気読めない」と言うらしいし…。
今まで生きていて全く気付けなかった。もう30年近く生きてるのにね…。落ち込む。今まで何をしていたんだろうね。
というかこういうことを他人から言われるってことは、私はいつも自分の主張を並べ立てるだけで、人の話を全く聞けていなかったんだろうなあと思った。とても情けないわ。
あーあ、空気ってこんなに読むのが難しいのか…。あと人間関係ってこんなに面倒なのか…と割と分かりやすく絶望している。私って世間的に空気読めてなかったのか。はあ。

高校の時の部活の顧問が年輪は越えられないとよく言っていた。
その言葉を信じ、年上の方には敬意を払っていたつもりだったが、それは間違った敬意だったようだ。私が思うそれは、「わたしより何年も生きているのだから〇〇はできて当然だろう。」とか「上司は〇〇出来るものだ(するものだ)」とかそういう決めつけだったのだろう。
よくよく考えてみれば、間違っているよね。だって人間なんだから出来ないことも当然あるよ。わたし自身できないことたくさんあるし、後輩にそういう風に思われていたら「わたしだって出来ないことだってあるよ!」というと思う。わたしの上司だって同じだよな、と当たり前のことを改めて思った。
上司として年上として尊敬するべき対象ではあるけれど、それでなんでもできると勘違いしてはいけないのだ。人間だから出来ること出来ないことがある。
信用し過ぎたり、期待しすぎたりすることはいけないことなんだとすごく感じた。というか仕事上においてはあんまり人を信用しない方が生きやすいのかもしれない。これってみんな当たり前にやっていることなのかな。だとしたらなんて寂しい世の中だろう。自分を守るためにはいい行為なのかもしれないけど。



それで考え方を改めてみて、皆さんいったいどんな風に対応するのか先輩にきいてみた。そうしたら、納得いかなくても「流す」らしい。馬鹿なフリをするのだってさ。その人に合わせて対応を変えるんだって。
怖いなあ…。みんなどれだけ空気や顔色を伺って生活しているのだろ…。
そんな風にうんうん唸ってそればかり考えていたら、いろんな人が信用出来なくなってきてしまった。今まで会う人会う人全員信用していたけど、みんな心の奥では何を考えてるか分からないんだよなって思ってしまうようになった。
仲の良い同僚のその言葉、信じていいのか急に不安になった。どうやって見極めればいいのだろう。その人が心の底から私のことを思って、私のためを思ってその言葉を言っているのか分からない。私と真剣に向き合ってくれているのか全然分からない。
そう思ったら、すごく孤独に思った。それで、人間って寂しい生き物だと思った。
本当のところではひとりぼっちなんだな。誰も人のことなんてなんとも思っちゃいないし興味ないんだね。
わたしはいつも、わたしと喋ってくれる人に対して真剣に向き合っていたし興味津々だったと思うんだけど、向こうはそう思ってないことの方が多いのかもな。
本当に本当に信用できる人は稀だ。そう思ったら仕事で接する人に対して怒ったり、感情をあらわにすることってものすごく無駄だし意味ないんじゃないかと思ってしまった。


今まであれこれ考えていたこと、どうでもよくなってしまって、急に感情がなくなったみたいになってしまった。
なんかこんなんでいいのかな。
分からなくなってくる。何が本当なのか。正解なのか。


でも絶対に言えるのは、仕事じゃなくてプライベートで私に会ってくれたり話してくれたりする人は唯一無二の存在なんだということだ。これからも絶対大切にしようと思う。
その他の人間関係についてはまだ分からないから、保留。





こういうことをうだうだと考えて、でも正しい答えが分からない。わたしばかなんじゃないか。
もっと本を読んで知識教養を身につけようと思った。でも本を読んで分かることなんだろうか。30近くなってこんな思春期みたいな問題にぶち当たるなんて何だか恥ずかしいなあ。

何層もあなたの愛に包まれてアップルパイのリンゴになろう

February 12 [Sun], 2017, 0:09



俵万智




久しぶりにブログを書く。
(ここ何ヶ月かはきっと嫌なことがなかったんだなあ。)


実は、今週はなんとなく不運であるし不調である。細かく書くと凹むし、書ききれないほどいろいろ重なっているから書かないけれど、でも今とても沈んでいる。
まあその1つ1つは些細なことで、そんなに大きな事件ではないのだけれど。


でも辛いことがあるとついつい筆を取ってしまう私なのであった。笑





先日の話。
じいちゃん(80過ぎ)の体調が悪く、入院するということで、急遽私の父が遠方の祖父宅へ駆けつけることとなった。
じいちゃんは気力をなくし、お金のことやら大切なものやらの場所や今後の相談をしたいということで父を呼び寄せた。
母からも詳しい知らせが入り、ソワソワと一日を過ごした。その日は半泣きで仕事をしていた。もしものことがあったらすぐ仕事場を飛び出して行こうと構えていた。
夜にまた父から連絡が入った。


なんとじいちゃん、元気らしい。


翌日も念のため病院に行ったようだが、回復の傾向にあり、入院しなくてもよくなったということだった。
じいちゃんウォーキングに出かけました、と母からメールが入りホッと胸を撫で下ろした。


天国のばーちゃんよ…じいちゃんを守ってくれてありがとう、と願わずには居られない。





うちの家系は守護霊か何かいるのではないかといつも思う。
前も母方のばあちゃんが、脳の手術を受けることになった時、診断ミスだったことが発覚したことがあった。(再検査したら、脳に異常なんて全くなかった)親戚一同でビックリした。こんなことってあるのかしらと思った。


どんな親切な神様か守護霊様かハタマタ、ばーちゃんなのか分からないけど、本当にいつもありがとうございます。
この場を借りて御礼申し上げたい。





ミラクルってあるんだなあとシミジミ思う。
人が一生のうちに受ける幸運は量が決まっているとよく言うけれど、こんなミラクルを起こしてくれるのなら、日々の私のちょっとした不運なんて修行だと思って乗り越えられるよ。頑張れる。


…そう思うことにする。
修行!むん!









ため息をどうするわけでもないけれど少し厚めにハム切ってみる

December 21 [Wed], 2016, 12:25



俵万智











天気のいいお昼間にとぼとぼ駅へ向かう道を歩いていると、あまりの清々しさに不意に自分の過去の恥ずかしい言動や鬱々とした記憶が思い出され、人生をやりなおしたくなる。
これは、神様の前で祈っている時と同じ現象だと思う。あまりの神々しさに悔い改めたくなってくるのと同じ。冬の、空気が澄んだお昼間の横断歩道の前には神様がいるのかもしれない。






まあもう一度、同じ人生やるのも嫌だし、全く別の人間になるのは恐ろしいとも思う。
だから平然とした顔をし、改札で定期など取り出しながら、誰にも聞こえない悲鳴が身体中で鳴って居るままになる。大変滑稽だ。神様そこにいるのなら止めてくれと思う。





先月はイベントの責任者みたいなものになってしまったので勤務地が少し変わった。
出勤時間も違うので毎日たっぷりと眠れる。お肌の調子がとても良い。睡眠は大事。
その代わり終わる時間は遅いので、帰ってから何にもできない日が続いた。
帰って、寝るだけ。
わたしの仕事は土日祝日も仕事なのだけど、夜遅く帰って、休日も仕事してると本当に世間に置いていかれそうになったりする。というか若干置いていかれている。







最近はちょっと楽しい。
眉毛を少し太くしたりするだけで楽しい。やっぱり睡眠をたくさんとっていると心が穏やかになるらしい。睡眠大事(二回目)


近況を大まかに書くと、アラサーに突入したり、ラグを新しく新調したりだとか、コタツを導入したりだとか、沖縄ブーム到来したりだとか、親戚の年下の女の子に子供が出来たりしてリアルおばさんになったりだとか、お寿司を奢ってもらったりなどして、低空飛行な毎日を送っている。









たまに、爽やかで健やかで光が降り注いでるものを選び取れる力を持った人たちが羨ましくなる。
どうして私はいつも間違うのだろうね。





雪が降るとワクワクする。雪も大雨も雷もワクワクするのはなぜだろう。




今年は11月に雪が降った。でもすぐに雪は溶け、何事もなく日常に戻っていった。あの1日はなんだったのだろう。不思議だ。
あの1日だけ、別の国に行ったみたいだった。
冬の空気は澄んでいて気持ちいいから好きだ。特に雪の降る日の空気は頬がピリリと痛くなるほど綺麗なのが好き。




そろそろ、お天気にも飽きた。





恐れてはいけません。暗いものをじっと見つめて、その中から、あなたの参考になるものをおつかみなさい。

October 24 [Mon], 2016, 22:46

夏目漱石




悩み過ぎた。
あまりに悩み過ぎて体調を悪くした。
お腹の中がどろどろして、そのどろどろしたものが体の外に出てきた。
嫌な感じだ。全くもって嫌な感じだ。解決の糸口が見えない。どんどん自己嫌悪に陥って、ますますどす黒い感情にのまれていく。もうどうしたらいいか分からなくなって、言葉とか感情とか声とか涙とかでそれらが排出できなくなってきた頃に、どろどろが体の外に出てくる。多分体が耐えきれなくなって出さなくてはいけなかったんだろうと思う。
それを発見して、泣きたくなってくる。死ぬんじゃないかと思って。(まあでも死ぬんじゃないかと思って泣けてくるということはまだいい方なのかもね。)
とにかく抜け出したい思いでいっぱいだ。
でもどうしたらいいか自分では分からないので、また考え込んでしまって無限にどろどろを生み出してしまう。
ああどうしたら。




レストランで食事中、ふと思ったこと。
私なんかをいいと言ってくれる人ってどうかしてるのではないだろうか?という一つの疑問。
意図して食事に出掛けたのに、こんなことを考えてしまうなんて。
なんと失礼極まりない女なのだろう。大変申し訳ない。
今更こんなことに気がつくなんて、どうかしてる。急に思って、丁重にお断りしてしまった。

小学生高学年くらいから中学生ぐらいの時分、自分があまり好きではなかった。暗い性格だった。
暗いから、周りも話し掛け辛かったと思う。昼休み、校庭に出てボール遊びをするなどということが苦手だったため、親友と校庭を当てもなく彷徨ったりしていた。

ある時親友がブラスバンド部に入部した。昼休みは練習のため、居なくなる。
わたしは1人になってしまった。
1人ということが怖すぎてどうしようもなかったので、私は図書館へ通うようになった。何か目的があれば怖くないと思ったからだ。それから、昼休みになると予定がある風を装って、いそいそと図書館へ向かうことが多くなった。
図書館は新校舎に位置しており、随分と歩かないとたどり着けなかった。そのため、図書館はいつも利用する者が少なく静かだった。私の好きな新しい木の匂いと使い古された紙の匂いもする。なんとも心地よい場所だった。長い昼休み中、そこでいろんな本を読んだのだろうと思う。しかしどんな本を読んだのかほとんど忘れてしまった。でも覚えているものもある。


それは小学校5年生の時読んだもので、死を扱った詩集だ。当時のわたしには衝撃的だった。
その中で、男の死を扱ったものがあって、ほとんど覚えていないけれど、詩の中で男は死に向かって踊り続けていた。
文面に踊る、踊る、踊ると何回も記されていた。わたしにはそれが、ひとつ踊るごとに死に近づく儀式のように感じられた。

私は小学生の頃の記憶が曖昧だ。
別に記憶喪失でもなんでもないが、どのクラスにいただとか、クラスメイトの名前だとか、担任教師の名前だとか、運動会に何をしていただとか、遠足はどのグループだっただとか。全く記憶がない。
ただ、死に向かう踊る男の詩や授業中ずっとお腹を鳴らしていたことだとかは覚えている。
きっとわたしにとってクラスメイトの名前だとか学校行事はさして重要ではなかったのだろう。お腹がなるのは羞恥心から覚えているのだとしても、死に向かう踊る男の詩は、わたしにとってそんなに重要なことだったのだろうか。
ただでさえ容量のない脳みそなのに、なぜこの詩を覚えているのだろうか。





いまでも良くネガティブなどと言われるけれど、昔に比べたらかなりポジティブになったと思う。
それでもまだまだネガティブだって言われちゃうんだから、きっとわたしまだまだ暗くて話しかけ辛いんだろうなあ。(どうして接客業なんてしてるのかしら。)
普通の人間達の歩む道が(死という最期までずっと長く)伸びている。その道から外れているところ、カラカラに乾いて薄茶色くなっている背の高い草がぼうぼうと在るその中に私は立って居る。
本当は明るく健やかな人間になりたいと思っている。この草を掻き分けて、みんなが歩いているあの道に踏み込みたいと願っているのに、どうしても掻き分けられない。
草は壁のようにそびえ立っている。乾いてカラカラなので、掻き分ければ進めるのだけれども、掻き分けようとすると手が傷付くのだ。それが怖くて私は仕方なく草の中に居る。
一念発起して傷だらけになりながら明るく健やかな道へと踏み出そうとしたこともあったが、傷だらけの両手を隠しきれなくて、傷だらけを笑われている気がしてしょうがなくて、気付くとまた乾いた草の中に戻って居る。
まず自分が嫌いなものを他人様にオススメすることってとても失礼ではないだろうか。
例えば嫌いな食べ物を相手に勧めることが出来るか問われれば、出来ないと私は思う。自分が美味しいと思っていないものを、相手に美味しいと伝えることは出来ない。都合よく好きになってもらおうなんて甘い。
私のことをいいと言ってくれる人がどうにかしてるのではない。私がどうにかしているのだろう。わたしこの食べ物正直嫌いだけどオススメですって言って、それでも買ってくれる。そんな善良な白馬の王子様みたいな貴重な人間様を騙くらかすなんて、どうかしてるよなあ。
自分で自分が嫌いだというのに、誰かを好きになる資格ってあるのだろうか。
今のわたしにその資格はないのではと思ってしまう。だからいつも私は草の中に居るのだろう。この草を完全に刈り取って、両手に付いたたくさんの傷跡を愛すことが出来るならば、きっと自分が好きになれた時だろう。
私はひとつひとつ自分の嫌だと思う部分をちゃんと見て、どういうものが私か知らねばならないんだと思った。私は私のことをちゃんと知って、好きになる努力をしよう。そうして刈り取った草の上で踊るのだ。踊る、踊る、踊る。



「後悔する奴はどんな答えを選んでも結局後悔するものだ」

October 04 [Tue], 2016, 12:33
「自分だって、ユニバーサル辞めたこと後悔してるくせに。」
「後悔なんてしてない。俺はたとえ自分が選んだ答えが間違っていたとしても後悔しないように貫いてみせる。絶対に諦めたりしない。」


恋ノチカラ





いちばん好きなドラマ。
見るたびに、セリフの深さに感動する。
『この世に 生まれて30年と6ヶ月19日。もう恋をすることなんて、ないだろうと思っていた』
キャッチコピーの通り、主人公籐子さんの年齢は30歳。(私もだんだんとその年齢に近づいていく。)
中学生の頃見たときは素敵な恋愛に憧れ、再放送を見た高校生の時には大人になることへの高揚感を、大学生の時にDVDで見たときには仕事をする人間の格好良さを。見るたびに得られるものが違った。
誕生日が近づくと、このドラマが見たくなってDVDを見返す。社会人になってから見てみると、また得られるものが沢山あってビックリする。





日々いろいろと悩みを抱えているのだが(わりといつもくだらない悩み)、ドラマの中の台詞が、パズルのピースのように私の心にピタリとはまる。悩んでいる内容は違うのに、なんでだろう。
籐子のセリフに、グッとくるものがある。
「30歳の誕生日にね、風邪を引いたの。朝から鼻水が止まらなくて。で、鼻をかんだティッシュをいちいちゴミ箱に捨てに立つのが面倒になって、丸めて捨てたのよ。ゴミ箱に。そしたらそれが外れて、おまけにゴミ箱がひっくり返って、中身がわーって散らばっちゃったの。
それを見たらね、急に片付けるのが嫌になっちゃってね。もうなんかどうでもいいやぁって思ったの。それだけ。おやすみ!」

よっく見ないと流してしまうシーンだけど、ここに籐子さんの気持ちがすごく現れてて私は泣いたよ。これを見て昔はなんとも思わなかったのに、今見たら籐子さんの気持ちが分かり過ぎて、感情移入してしまい、なんだかすごい泣いてしまった。笑



部屋はなるべく綺麗に保つようにしているんだけど、ふとした瞬間にどうでもいいやぁって思ってしまう。糸が切れたように掃除したくなくなる。それで、部屋がどんどん汚れていってしまう。
部屋じゃなくてもそれは同じで、何かのくだらないきっかけでどんどんどうでもいいやぁって思ってしまって、どんどん汚れていく。
でもやっぱり、どうでもいいと流されてしまうとろくなことがない。あとから絶対に後悔をする。それで、後悔しても後悔してもやりきれなくなって、やがて後悔を繰り返す無限ループに落ちて、それでどろどろになって。でもやっぱり、どろどろを無くしたくなる。だって、わたしもみんなと同じように幸せになりたいんだもん。どろどろを落として綺麗さっぱりになって、太陽みたいに笑いたいんだ。
だからじぶんを納得させるためのお話を作って、きれいな思い出話みたいにする。そうすると楽になるから。でもそれではいけないんだろうな。





「後悔なんてしてない。俺はたとえ自分が選んだ答えが間違っていたとしても後悔しないように貫いてみせる。絶対に諦めたりしない。」
貫井さんが言うセリフ。
本当にまったくその通りなんだよ。貫井さんが言うことはいつも正しい!と籐子さんが怒るシーンがあるけど、まったくその通りなんだ。
吉武さん(はじめは敵役で出てくる)とのBARでのシーンでも、「俺が選んで決めたことだから、後悔しない」ってセリフがある。吉武さんはそれを聞いて怒る。でもその怒りは、実は自分に対しての怒りなのだ。
自分の中でどうにもこうにも行かなくなると、他人に当たりたくなる。でもそうすると、自分が惨めになってまた後悔を繰り返すことになる。もう本当に消えてなくなりたくなってくる。


このシーンでは、貫井さんがそんな吉武さんが好きだという。自分の会社に来てくれるなら、嬉しいと。(ヘッドハンティング?のシーン)
自分を認めてくれる人の存在ほど嬉しいものはない。幸せなことはない。
吉武さんの場合は、貫井さんが憧れの存在だったのだろう。でも憧れの存在はどうやっても、そこに近付けない自分を苦しめる存在でもある。
一度敵対してしまったけど、でも憧れの存在からヘッドハンティングされたら、そりゃもうついていってしまうよな〜。
吉武さんの凄いところは、努力していること。どろどろに落ちていたって、貫井さんがヘッドハンティングしたのは、そういう理由がある。
どろどろに落ちて後悔を繰り返すばかりではダメなんだろう。わたしも自分が決めたこと、後悔しないように貫きたいなと思った。




7段目で神様が見てた。

August 22 [Mon], 2016, 1:11

寺山修司 階段




しばらくブログ書いていなかった。
いかんいかん。唯一続けてることなのに。
しかし特に変わったことはないのであった。特筆して書くこともないけれど、日記だからまあいいか、という心持ちで筆を取る。スマホでブログ打ってるだけだから、取る筆なんてないけど。




わたしもうすぐアラサーになるんだよなあとちょっと恐ろしくなったゆうべ。
私、知らない間に大人になってた。

(どこかで見たな。この世には大人という生き物はいなくて、本当はみんな子供なんだっていう文章。)



お盆に実家に帰省していた時、祖父の家の巨大なテレビで高校野球を見た。高校生たちが、一生懸命汗や涙を流して野球をしていた。
まるで、ここが人生のすべてみたいにがむしゃらな感じがした。
本当は世界は大きく広がっていて、彼らには輝かしい未来が待っているはずなのに、まるでここにしか生きる場所がないみたいに振舞っている。
そんなふうに彼らを見る私はもう彼らとは違う生き物なのかもね。
センチメンタル〜

あと何回高校野球を見るのだろうか。
あと何回の夏を過ごすことが出来るんだろうか。
突然眩しい夏の日差しが目に入って来て、思わず手で光を遮って。自動販売機から取り出したばかりの冷たいペットボトルから汗が滴り落ちて。むわんとした嫌な熱風が首のそばを通り過ぎて。ゆらゆらと陽炎が境界線を滲ませて。
大嫌いだ。大嫌いな夏だけど、あと何十回しか過ごせないかもなどと思ったら、なんだか急に勿体無くなった。


わたしは、夏休みがもうあと数日で終わるという時になって焦って宿題を始める。(何回繰り返しても治らない私の悪い癖)


あと数回しか過ごせぬ夏を後悔して死ぬと思う。こう思ったこともたぶん忘れる。
幸せな生き物なんだね。





大粒の雨が地面を打つ。
落ちてくる水は冷たくなって、ざあざあと地面を夏の死骸が流れていく。






僕は、人間でないのかも知れない。

June 07 [Tue], 2016, 23:30
僕はこのごろ、ほんとうに、そう思うよ。

太宰治 秋風記






む、無気力!!!
なにもやる気がしない!!


日々、何かに対しての興味が薄れていくような気がする。何に対しても興味が湧かないし、執着をしないようになっている自分がいる。むしろ、気持ち悪くって近づきたくないくらいに思っている。


世の中理にかなわないことが多すぎて、辛いね。
生活はとても単純なことだと私は思っている。ただ生を全うすることにむつかしいことはない。そして、道徳を持って人間として生きるということも、さしてむつかしいことではない筈だと思っている。
とても単純なはなしだ。

なのに、道筋がおかしい人が多々いる。
例えばいま目の前で起こっていることで言えば、満員電車で怒りをぶつける人。
身内に怒るなら分かるけど、他人様にその怒りをぶつけるのはよく分からない。
満員電車でイライラするから→身内に当たる (文句を言うなど)
こういう構造はわかりやすい。
でも、
満員電車でイライラするから→見ず知らずのその辺にいる適当な知らない奴に当たる

これがよく分からない。どうして話したこともない他人に怒るのか。
こういう風にされると、怒られた方はハテナ?となってしまって無駄にいろいろ考えてしまうだろう。この場合どちらが悪いの?とか。私があやまるべき?とか。
でも当然答えは出ない。

それを考えること自体は全く何もおかしくはない。自然だと思う。
齟齬を産んでいるのは勝手に怒っているその人だ。
混乱させるのは、筋が通らないのは、その人だ。

世の中、ことわりを無視して生きている人が多すぎやしないか。
ことわりをちゃんと守ってくれれば全くもってむつかしいことはないだろう?
もっと単純明快に生きてくれ。全てロボットみたいな正確さで切り抜けろとは言わないから、せめてせめて他人に迷惑を掛けずに生きてくれ。(もしくは死んでくれ。)

そしてそういう人が多すぎて、今このスクランブル交差点を右往左往している人間の群れが、蝿の頭を持っている妖怪か何かの群れに見えてしまってしょうがない。
本当に同じ種類の動物の胎から生まれたのだろうか。本当に脳みそを持って、思考しているのだろうか。
人間という知能動物の皮を被った微生物の集合体ではないのか。


だんだん気持ち悪くなってくる。
ウネウネした臭い泥みたいなものが頭の中に詰まってる者共と、同じ括りにされていること、そして自分の頭の中も同様の臭い泥でできているということに気付かず日々過ごしているかもしれないという恐怖に。
わたしはもしかしたら泥すらも入っていないのかもしれない。
私の考えている、人間の中身臭い泥説をみんな指差して笑っている可能性もある。(極端だけど)
もっと素直に可愛くフワフワと生きられれば良かったのに、どうしてそんな風に生きられなかったのだろう。
何も考えず、馬鹿みたいに生きれば良かったのに。




というような糞みたいな文章を随分前に書き残して置いていて、先ほど過去の自分の書き置きと対峙したわけだが、なんとまあ私なことよ、と笑ってしまいました。






今日直面したことがまさに上記したことと同じだった。簡単に言うと、嫌味を言われただけの話なのだけど。


残業が発生しないよう定時を守って帰宅しようとしたら、先輩から「帰るのはいいけれど、他の部署の子はもっと残業しているわよ。」などと言われた。
ちなみに私の勤める会社では、他部署というのは同じビルに所属してはいるけれど、全く違う別の会社みたいなものだ。


つまり言い換えると、先輩は「帰るのはいいけれど、向かいのビルの会社の人たちはもっと残業しているよ」と言っているのだ。

全っっっ然筋が通らない。
向かいのビルの会社の残業って私に何か関係あるだろうか?
私が、向かいのビルへ行って残業を手伝ってくれば良いのだろうか?でもそんなことは出来ないし、先輩が何をいっているのかまるで理解できない。
私は頭の上に大きなハテナを捻り出しながら考える。
多分、ただ単純に嫌味を言われただけなのだ。私はこんなに仕事してる!向かいのビルの会社もこんなに仕事をしてる!では何故あなたは帰るの?という話だろう。


ああ、すごく嫌だ。気持ち悪い。
私はちゃんと業務を終わらせて来て、他のメンバーにも了解も取っている。
だからあなたより先に帰るだけの話だ。


本当は先輩は普段こんな嫌味を言わない。
私は先輩の仕事ができるところを尊敬している。大好きな先輩だからこそ、何故こんな筋が通らないことを言うのか理解が出来ない。
疲れているのだろうか。


そして、《やつあたり》というその筋の通らないもやもやをリレーのバトンのように渡された私はどうしたらいいのか。
自分の不満くらい自分でどうにかしてほしい。
私の不満ではないのに、なんて、ストレスが溜まるのだろうか。
他人のストレスが私にたまっていく。おかしすぎるこんなこと。
本当に本当におかしい。
気持ち悪い。気持ち悪い。





そして現状を打開するにはどうしたらいいのか。筋の通る世の中にするためには?と考えた時、爆弾を作って世の中の間違い全てを破壊した人は犯罪者になり、考えすぎて脳が容量を超え壊れる人が精神病患者になり、理不尽を言う者共から逃れようとしたひとが鬱病になり、世界や他人から切り離されたいと思った人が自殺するのだろうなと察した。


私は世界や他人から切り離されたいと願う。でも肉体的に死にたくない。
ならば感情を殺すしか手は無いか、と思う。
世の中の理不尽に耐え、生き抜くには、自分(の認識)を変えていくしかないのだろう。


誰か僕の眠っているうちにそっと絞め殺してくれるものはないか?

June 01 [Wed], 2016, 2:22
芥川龍之介 歯車



6月がやってきた。
もう折り返し地点か。はやいなあ。
大人になると1年が速くてびっくりする。でもこれっていいことなんだろうな。
学生の時、過ぎてゆく時間がとても長かった。きっと自由で退屈な毎日を過ごしていたんだろうな、わたしは。
今は毎日が速い。毎日やることがたくさんあって終わらない。仕事も家事も。
でもあまりに早足で行ってしまうものだから、ちょっと不安になって、置いて行かないでってその背中に呟いてしまう。



雨粒がガラスにポツポツと張り付いている。
あの水玉模様は、どうしてこんなに綺麗なんだろうといつも思う。
ビニール傘越しの泣いてるみたいなのも、電車の窓から見るびよんと伸びたのも、フロントガラスの上を必死で走ってるのも、マグカップの湯気越しに見る上品なのも、みんな好きだ。
見てると何だか落ち着くのは、なにかそういう癒しの力を持っているのだろうか。


水玉の落ちるあの音も好きなので、雨が降っている夜はラジオも音楽もなにも流さずにじっと息を潜めて音を追ってしまう。
静かに落ちてきて弾ける時も、激しく地面を打っている時も、自動車に引かれて飛沫になっている時も、テンポのいい雨垂れのあの音も、みんな好き。
雨の日は音を聞かないともったいない。



におい。
雨が降りそうなあの匂い、これも好き。
匂いは一番初めにやってくる。雨が降るよって知らせてくれる。
昼間なのに空が夜みたいに暗くなって、遠くで雷がピカッと光り、遅れて音がゴロゴロ鳴って、わたしはわくわくしてる。





いちばん嫌いなのは雨上がり。
いつも気分が滅入る。


地面が濡れていて、まだかすかに雨がそこに居るのに、空は真っ青に晴れ渡っている。眩しく、空がとても遠くに見える。
今から太陽が主役だよ、雨上がりが嫌いな人なんて居ないよねって、地球上のみんなが笑顔で言っているみたいで、暑苦しくて辟易する。


でも変だって言われるから、あんまり言わない。
みんなが雨上がりを喜んでいる。だから私も笑顔の仮面を貼り付けて、雨が上がったねって喜ぶふりしてる。
本当は仮面の下で、雨が行ってしまったことを残念がっている。








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