いま2 

February 27 [Sun], 2011, 21:58
なぜアサーションが大事なのか、それは、言い方をうまくやればうまく解決できるかもしれない問題や提案を、空気の読みあいや自分の意見を卑下することによって台無しにしないためだ。
多分自分自身、これが苦手なほうだと思う。
例えば、自分の意見を言うにしても、「もしかしたら勘違いかもしれないけど」とか、「私が感じたことなんだけど」とか、「よかったら聞いてほしいんだけど」とか、前置きの言葉が、相手によってはとても大事なんだろう。
アサーションの出来てる相手なら、多分そんなに重要じゃないんだけど、相手が依存的な人の場合、私と相手を明確に区切って、なおかつ提案や発言をその中間に置くような話し方をしなきゃいけない。
もしそうしなかった場合、依存的な相手は「この人の言う事なら賞賛or批判しなきゃ」とか、「空気読んで、相手の喜ぶほうにしよう」とか、「本当は自分のやる事あるけどそれは無視しよう」とかを無意識にしてしまう。
提案をするときに、賛成・反対のみの意見を聞きたいのではなく、複数の案を出して一番良い作戦を取ろう というスタンスに持っていけないと、ただでさえ不平不満を口に出せない人だと後から面倒になってくる。

いま 

February 27 [Sun], 2011, 21:35
実家帰省中。
他人と家族との違いは、気の合わない人と関係を持たなくてもいいか・そうじゃないかの違いとも言える。
もし家族が他人だったら、うわべだけでやり過ごせるし、気を遣わないでさっぱりと関係を絶てるのになあ。
なんだかんだで干渉してしまう家族同士にイライラすることもあれば、楽しいこともある。
ACとかなんとか言う前に、家族というのはそういう関係なんだろうと、色んな映画を見ながら少し思った。
うちが居心地悪いのは、お互いに気を遣うくせに、何も提案できなくて、自分が言えなかった(出来なかった)ことに対して不公平感を勝手に持ったり、言葉にしてないくせに相手に伝わると思っていたり、とにかく他の家族に依存心を持ちすぎなんだろうと思う。
そこんところの程度を客観的に見ると、やっぱりACの問題として見てもいいような気がする。
AC問題としなくても、アサーションが出来てない所はなんとかしたい。
通常家にいない私が提案しても、「いつもいないくせに」と思われるかもしれないけど。
これは愚痴だけど、両親はアサーションもACも本で勉強してるはずなのに未だ出来てない。改善してないとは言わないけどさ。
機会を見て一言言いたいけど、賞賛か批判かの二極でしか判断しない所は本当に良くない。
受け継ぎたくない性質その1。

最近思うこと2 

October 16 [Sat], 2010, 1:14
今回とくに酷かったPMSの症状として、普段会話する友人が敵に見えてしまったことだ。

ここまで自分は他人に敵意を持てるんだな、と思うほどにその瞬間憎かった。
彼の得意なオーバーリアクションも、独特の盛り上がりも、「なんだあんたら、新興宗教か」と心の底からドン引きだった。
今まで彼らを関わっていた事実がとても気持ち悪く思えてしまった。

いつもなら、こいつらちょっと変わってるなあ、と笑って観ていられるのに。
少し診療を考えてみる。ここまで思ってしまったことがちょっとショック。


話は変わるけど、やっぱり自分は見ているのが好きというか、そういう性格なんだろう。
誰かと関わって何か生み出すとか、一緒に経験して共通する認識を持つことに何かしらの価値を見つけられない。
とはいえ、誰かと関わることで人生に変化が起こるのはとても楽しい。
つまり、周りにあるあらゆるものを察しながら、変化を楽しみつつ、孤独を悠々と過ごす事ができれば自分の人生はそれでいいのだと、最近そう思うようになった。

漠然と手当たり次第に「やりたいこと探し」をしているわけではない。
自分の最終目標は決めてある。それに関連することは縁次第で関わり、変化が起こればそれがなにより楽しい。

最近思うこと 

October 16 [Sat], 2010, 0:39
月のものの関係で単にナーバスになってるだけかもしれない。考えすぎなのかもしれない。
それでもちょっと吐き出したいことがある。

自分はもともと人付き合いが苦手で、家族以外の人と親しくする感覚がよく分からない。
もちろん、他人としての距離を置いての付き合いはそれなり(最低限ではあるけど)には出来ているつもりであるが、例えば友人同士で親しい関係を持つことや、恋人付き合いをするとかいうことが感覚として分からない。

親しさのレベルを上げるチャンスはここだろうな、という機会は気づくけれども、そこへ踏み出すのがなんとも言えず億劫というか、拒否反応というか、「や、結構です」となってしまう。
(複数人でレジャーに行くとか)(2人で食事程度なら全く問題ない)

思えば、自分が他人に対して関係を保てるのが2人までで、3人になってしまうと会話も経験も2人にお任せしたくなってしまって、私は結構ですのでどうぞお2人で・・という気持ちになってしまうことが何度もあった。
逆に、複数人の集団 対 自分 はまた少し楽なもので、「どうぞ好き勝手言ってもらって構いません」と思えるし、自分の性格もよっぽど素になるのが不思議なものだ。かつ、複数人の集団は年上か立場が上だとなお楽。

こうして書いてみるとなんだか、対等な立場で関係を保つのが特に苦手なのかもしれない。
家庭環境を踏まえても、立場が上の人(親)を中心にして自分の世界があったために上の人から愛されるために何をすればいいのかを会得してきただろうし、その関係作りのテクニックは対等な立場においては役には立たないのだろう。

ある意味一番対等な立場にいるのは兄であろう。
共通の支配者が居て、不満や喜びを共有してきた。「兄」という認識もほとんど持っていない。年上の親しい・喧嘩もよくする友人という感覚だ。

言葉にすること 

September 15 [Wed], 2010, 2:13
文字を通してでしか自分の意見を表せない場所は、歯がゆいけど意識的に言葉にしようと思わせられる。
今までの他人との係わり合いは、どっちかというと非言語の付き合いという感じだったし、でもこれから何か自分から発信していくとなると言葉も必須になってくると思うから無駄では無いと思いたい。

今まで漠然と、「ネットの中の人」という認識だった画面上の文字列が、誰かの感情の表れなんだと感覚としてやっと分かった。
私が何かの言葉に反応してむかついたり喜んだりするように、相手だって感情を以って反応するのだ。
これは当然のことなのに、他人の存在価値は自分にとって重要でないと思っていたため気付けなかったのかもしれない。

それを分かった上で、嫌われることも構わずどんどん言いたいことを言う人もいる。
それはおそらく、自分の帰るべきところに誇りがあるから、自分はこういう人間だという自負があるからだろうと思う。
嫌われ役を買って出るほど、私は強くなれるだろうか。
P R
プロフィール
  • プロフィール画像
  • アイコン画像 ニックネーム:○
  • アイコン画像 血液型:A型
読者になる
大学生
カテゴリアーカイブ
2011年02月
« 前の月  |  次の月 »
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28
最新コメント