天地人第20話(5.17)
May 19 [Tue], 2009, 0:03
本能寺の変から三年後の天正13(1585)年8月、
天下を握り、関白となった羽柴秀吉@笹野高史は、越中を攻め落とし、
石田三成@小栗旬ら僅かな部下と共に、越後落水城へやってくる。
秀吉・三成と会見する上杉景勝@北村一輝と直江兼続@妻夫木聡。
景勝は秀吉の招きに応じて、上洛を約束する。それは、秀吉への帰順を意味していた・・・。
今回もろくでもないところはろくでもなかったけど、秀吉と景勝はよかったなあ
敵の本拠地である越後に僅かな兵と乗りこんだ秀吉は、
このまま殺されてもおかしくないわけで、
よっぽど人のハートを掴む能力に長けた人物だったんだろうなあ
(僅かな兵で落水に行ったこと自体は架空のエピソードかもしれませんが)
直弟子ともいえる三成に、この素質がまったくなかったのが、豊臣家の不幸か
笹野高史の秀吉は、藤吉郎時代は華がなさすぎだろうと思ったけど、
秀吉が天下人となった今回から、なかなかいいなあと感心しました
景勝や兼続の前では、陽気で軽薄な成り上がり者を装いつつ、
三成と二人っきりになると、冷酷な権力者の顔を見せるというのが面白かった。
これから晩年にかけて、いい秀吉が見れるかもしれない。
怒っている訳ではありませんというしょーもない題字で紹介された景勝。
景勝は僕の中で寡黙で冷静沈着な武将というイメージなのですが、
この大河の景勝は、寡黙というより、
不器用でいまひとつ冴えないために、言葉が出てこない・・・という感じだなあ。
補佐する兼続の利発さを際立たせるために、こういうキャラにしてるのだろうか。
でも、今回の景勝が上洛を決意した台詞はよかったと思う。
「わしは秀吉の口車に乗せられたわけではない。
あの顔を見ながら、三年前のことを思い出していたのじゃ。
明智の謀反が少しでも遅れておれば、わが上杉は織田に滅ぼされておった。
あれはまさしく天の恵み。
そうまでして長らえたこの命、わしが意地を通すことで無にしていいのだろうか・・・
この越後のため、もう少し使いどころがあるのではないのか・・・
わしはそう思ったのじゃ。」
この台詞は素直に共感できた。
景勝は、謙信に比べると、戦上手という面では劣るけど、政略では上ではないかと思う。
武田を金と領土で買収したり、秀吉に臣従するという柔軟さは、謙信にはなかったと思う。
懐の広さを見せた秀吉・景勝に対して、三成・兼続は器量が小さかったなあ
「命の恩人の顔を忘れるとは、上杉の義も何もあったものではござりませぬな。
それとも、義とは、都合のよいときだけに振りかざすものなのでございますか。
それに貴殿はでしゃばりすぎじゃ。それでは景勝様の立つ瀬がござりますまい。
まっすぐで正直なのもよろしいが、何事も行過ぎると阿呆に見られまする。」
三成がいじめちゃうもんだから、兼続涙目
おまえ、またかよ
それにしても、本能寺の変・山崎の戦いからいきなり三年飛ばすとはねえ。
天正10(1582)年6月2日、織田信長が討たれた本能寺の変、
天正10(1582)年6月13日、秀吉が明智光秀を破った山崎の戦い、
その後、天正10(1582)年6月27日、信長の後継者を決める清洲会議、
天正11(1583)年4月、政敵柴田勝家@菅田俊を滅ぼした賤ヶ岳の戦い・・・を経て、
秀吉は信長の後継者として、天下人への道を進む
台詞一つなかった勝家役の菅田俊が哀れだった
この大河では、上杉とまったく関わらないから、お市の方も出番なしか。
勝家の与力だった前田利家は、秀吉の足軽時代からの友人だったこともあり、
賤ヶ岳の戦いでは秀吉軍とは戦わぬまま戦線離脱、以後、秀吉の家臣となっています。
一方、信長の死後、秀吉だけでなく、徳川家康も勢力を伸ばしました。
家康は、秀吉vs勝家をよそに、甲斐信濃に侵攻。
信長急死の知らせに驚愕した織田の武将たちが退散したため、甲斐信濃は空白地帯。
その結果、三河・遠江・駿河・甲斐・信濃の五カ国を領有する大大名に成長
上杉景勝は、信濃北部を手に入れたものの、
家康とはかなり差をつけられちゃいました。やはり、御館の乱の影響が大きい。
ちなみに、この回(天正13(1585)年8月)の時点では、
越後北部の新発田重家の反乱は鎮圧できていません。
賤ヶ岳の戦いの際、景勝は、秀吉・勝家双方から味方にと誘われ、秀吉に協力、
勝家方の佐々成政を越中から身動き取れなくしています。
越後にいながら、秀吉と勝家、どちらが優勢か、見抜いたのでしょう。
その徳川家康は、秀吉に不満を持つ信長の次男織田信雄と手を組んだことから、
天正12(1584)年、小牧・長久手の戦いが勃発。
秀吉軍は最大10万に達したのに対し、家康・信雄連合軍は三万程度。
それでも、局地戦では家康が勝利、
しかし、秀吉は攻撃の対象を信雄に絞り、
耐え切れなくなった信雄が秀吉と勝手に講和してしまったため、家康は軍を撤退、
天正13(1585)年8月の時点では、まだ冷戦状態・・・。
あと、武田家滅亡後、織田家に臣従した真田昌幸は、
信長が死ぬと、北条に臣従・・・
・・・したかと思いきや、今度は徳川に臣従して、北条と戦い、
徳川と北条が和睦すると、今度は息子幸村を人質に出して上杉に臣従、
天正13(1585)年8月、上田城に攻めてきた徳川軍を大いに破る・・・
という油断も隙もない動きをしてます。
だから、今回あたりだと、春日山城にでも真田幸村がいるんじゃないかな。
★今までの感想★
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天下を握り、関白となった羽柴秀吉@笹野高史は、越中を攻め落とし、
石田三成@小栗旬ら僅かな部下と共に、越後落水城へやってくる。
秀吉・三成と会見する上杉景勝@北村一輝と直江兼続@妻夫木聡。
景勝は秀吉の招きに応じて、上洛を約束する。それは、秀吉への帰順を意味していた・・・。
今回もろくでもないところはろくでもなかったけど、秀吉と景勝はよかったなあ

敵の本拠地である越後に僅かな兵と乗りこんだ秀吉は、
このまま殺されてもおかしくないわけで、
よっぽど人のハートを掴む能力に長けた人物だったんだろうなあ

(僅かな兵で落水に行ったこと自体は架空のエピソードかもしれませんが)
直弟子ともいえる三成に、この素質がまったくなかったのが、豊臣家の不幸か

笹野高史の秀吉は、藤吉郎時代は華がなさすぎだろうと思ったけど、
秀吉が天下人となった今回から、なかなかいいなあと感心しました

景勝や兼続の前では、陽気で軽薄な成り上がり者を装いつつ、
三成と二人っきりになると、冷酷な権力者の顔を見せるというのが面白かった。
これから晩年にかけて、いい秀吉が見れるかもしれない。
怒っている訳ではありませんというしょーもない題字で紹介された景勝。
景勝は僕の中で寡黙で冷静沈着な武将というイメージなのですが、
この大河の景勝は、寡黙というより、
不器用でいまひとつ冴えないために、言葉が出てこない・・・という感じだなあ。
補佐する兼続の利発さを際立たせるために、こういうキャラにしてるのだろうか。
でも、今回の景勝が上洛を決意した台詞はよかったと思う。
「わしは秀吉の口車に乗せられたわけではない。
あの顔を見ながら、三年前のことを思い出していたのじゃ。
明智の謀反が少しでも遅れておれば、わが上杉は織田に滅ぼされておった。
あれはまさしく天の恵み。
そうまでして長らえたこの命、わしが意地を通すことで無にしていいのだろうか・・・
この越後のため、もう少し使いどころがあるのではないのか・・・
わしはそう思ったのじゃ。」
この台詞は素直に共感できた。
景勝は、謙信に比べると、戦上手という面では劣るけど、政略では上ではないかと思う。
武田を金と領土で買収したり、秀吉に臣従するという柔軟さは、謙信にはなかったと思う。
懐の広さを見せた秀吉・景勝に対して、三成・兼続は器量が小さかったなあ

「命の恩人の顔を忘れるとは、上杉の義も何もあったものではござりませぬな。
それとも、義とは、都合のよいときだけに振りかざすものなのでございますか。
それに貴殿はでしゃばりすぎじゃ。それでは景勝様の立つ瀬がござりますまい。
まっすぐで正直なのもよろしいが、何事も行過ぎると阿呆に見られまする。」
三成がいじめちゃうもんだから、兼続涙目
おまえ、またかよ
それにしても、本能寺の変・山崎の戦いからいきなり三年飛ばすとはねえ。
天正10(1582)年6月2日、織田信長が討たれた本能寺の変、
天正10(1582)年6月13日、秀吉が明智光秀を破った山崎の戦い、
その後、天正10(1582)年6月27日、信長の後継者を決める清洲会議、
天正11(1583)年4月、政敵柴田勝家@菅田俊を滅ぼした賤ヶ岳の戦い・・・を経て、
秀吉は信長の後継者として、天下人への道を進む

台詞一つなかった勝家役の菅田俊が哀れだった

この大河では、上杉とまったく関わらないから、お市の方も出番なしか。
勝家の与力だった前田利家は、秀吉の足軽時代からの友人だったこともあり、
賤ヶ岳の戦いでは秀吉軍とは戦わぬまま戦線離脱、以後、秀吉の家臣となっています。
一方、信長の死後、秀吉だけでなく、徳川家康も勢力を伸ばしました。
家康は、秀吉vs勝家をよそに、甲斐信濃に侵攻。
信長急死の知らせに驚愕した織田の武将たちが退散したため、甲斐信濃は空白地帯。
その結果、三河・遠江・駿河・甲斐・信濃の五カ国を領有する大大名に成長

上杉景勝は、信濃北部を手に入れたものの、
家康とはかなり差をつけられちゃいました。やはり、御館の乱の影響が大きい。
ちなみに、この回(天正13(1585)年8月)の時点では、
越後北部の新発田重家の反乱は鎮圧できていません。
賤ヶ岳の戦いの際、景勝は、秀吉・勝家双方から味方にと誘われ、秀吉に協力、
勝家方の佐々成政を越中から身動き取れなくしています。
越後にいながら、秀吉と勝家、どちらが優勢か、見抜いたのでしょう。
その徳川家康は、秀吉に不満を持つ信長の次男織田信雄と手を組んだことから、
天正12(1584)年、小牧・長久手の戦いが勃発。
秀吉軍は最大10万に達したのに対し、家康・信雄連合軍は三万程度。
それでも、局地戦では家康が勝利、
しかし、秀吉は攻撃の対象を信雄に絞り、
耐え切れなくなった信雄が秀吉と勝手に講和してしまったため、家康は軍を撤退、
天正13(1585)年8月の時点では、まだ冷戦状態・・・。
あと、武田家滅亡後、織田家に臣従した真田昌幸は、
信長が死ぬと、北条に臣従・・・
・・・したかと思いきや、今度は徳川に臣従して、北条と戦い、
徳川と北条が和睦すると、今度は息子幸村を人質に出して上杉に臣従、
天正13(1585)年8月、上田城に攻めてきた徳川軍を大いに破る・・・
という油断も隙もない動きをしてます。
だから、今回あたりだと、春日山城にでも真田幸村がいるんじゃないかな。
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