サナギ/ジャック・ジョンソン

2005年08月07日(日) 23時24分
ふー疲れた

昨日書きましたが、ふるさと村でアルバイトしていました。日頃ヒッキーな私としては一日立っていたり、腰を曲げての作業はけっこうキマス。。でも時間はあっという間だったし、なんだかんだ言って楽しかったので良しとしよう こんな清々しい疲労にはJack Johnson の『In Between Dreams』というアルバムがいい。タイトルからしてピッタリ感じしないですか?「Better Together」「Never Know」「Good People」「Belle」なんか雰囲気が良い曲で、あたしは好き。視聴はここへGO!

さてさて今日のバイトの話。
私は蚕の作る繭にラベンダーを詰めて、香りのする繭の置物を作る体験コーナーのバイトをしていたのだけど、繭のクラフトのほうの人が足りないので、急遽そちらもすることに。不器用な私は激しく動揺。

クラフトではどんなものをつくれるかというと。花のバスケット、カブトムシ、葡萄。あたしはお花係。心配をよそに作り方は一度覚えるとかなりラクショーだった。けど、なにせ作る大半が小学生や幼稚園なので、教えるのに一苦労 大人なら20分くらいでできちゃいそうなものを子供たちは結構な時間かかる それでも子どもたちは楽しげに花を作ってたので、見ているこっちも癒されて、一生懸命教えようという気力が 繭クラフトにハマった親子はラベンダー詰めも花のクラフトも体験してくれたりもしたんですよ

出来上がった後に自分で作った色とりどりの可憐な繭花をうっとりみつめたり。ラベンダー繭を鼻に近づけて「い〜におい〜」と目をとろんとさせて呟いたり。すごく可愛かった

ちなみに。まゆを切る時に蚕のサナギをだすんだけど(もちろんお亡くなりになっている)、あたし全然平気だった。高校のときのユスリカの解剖も全然だったしね。残念ながら可愛い子ぶれないたち。自分が平気となると、怖がる他人が面白くて仕方ないわけで、「は〜い、こうやってサナギとりだしまぁ〜す」とかゆった瞬間に凍りつく親子さん大好物 くくく。。 ←悪魔?

ジャック・ジョンソンについては見てね
<ABOUT Jack Johnson>

1975年5月18日ハワイ州オアフ島のノースショアに生まれる。父や2人の兄などジャックの周りはサーファーだらけという環境で、自然とジャックもサーフィンを始める。高校生になるころには、メーカーからスポンサーを受け、世界最高峰のサーフィン大会、パイプライン・マスターズにも出場するなど、ケリー・スレイター等と共に当時は「次世代を担うアップ&カミング・サーファー」として期待されていた。しかしその世界一危険とも言えるパイプラインの波でサーフしている最中に頭部から海底のリーフ(珊瑚礁)に叩きつけられ頭部を100針以上縫う大怪我を負う。数ヶ月間は海に入ることすら許されない。もちろん記憶を遡れる限り一切ないこの海からのブランク。その間ボードにとって変わったのが兼ねてから趣味として弾いていたギターだったのだ。

メジャーで流通し始めたこのファースト・アルバムは、一気にミリオン・セラーとなった。元々映像製作のために立ち上げたThe Moonshine Conspiracyと言う会社の音楽部門が今のブラッシュファイアー・レコーズ(BFR)の原型となった。2003年に発表された2ndアルバム『オン・アンド・オン』は全米初登場3位を記録し真の大ブレイクを果たし、そのウネリとなった波はサーフィン大国オーストラリアはもちろん、ここ日本にも届き始め、アルバムが静かなヒットとなっていく一方、朝霧JAM(2003)やFUJI ROCK FESTIVAL(2004)などを含む2度の来日公演でジャックは一気にブレイクを果たした。

2004年は盟友ドノヴァン・フランケンレイターのファースト・アルバムをプロデュースしBFRからリリースするなど、プロデューサー、レーベル・オーナーとしても活躍しているジャック・ジョンソン。サーファー、ミュージシャン、映像監督、プロデューサー、レーベル・オーナーなどなど、マルチな才能を世界規模で惜しみなく発揮しながらも、自宅のあるハワイ、ノースショアで昔から何ら変わらない、波が上がればサーフして、友達が訪れれば一緒にビールを飲みながら唄うというピースフルな生活を送っている。あの心に染みるジャックの曲と歌声は、こう言った真の贅沢な環境から生み出されているに違いない。
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