超攻撃型三麻生活  

フリー雀荘や天鳳(主に三麻)、ぼやきなど。

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天鳳HN:我々クラス
特技:愚形リーチ

2012年09月
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やってはいけないイカサマ / 2012年09月26日(水)
私の麻雀仲間にYという男がいた。

Yは気性が激しく、勝ち負けの波の振れ幅もすごいというイメージであった。

ある局、先制リーチをしたYに、追っかけリーチが入った。

その追っかけリーチはオープンのカン5筒待ちであり、Yは即掴みし、5筒が卓上を舞った。

阿佐田哲也にサイコロと間違えられた牌もこんな風に舞ったのだろうかなどと考えていた。


この出来事で熱くなったYは次局、重大なミスを犯すことになる。


「なんやねんこれ。終わったわ…」PKを外した選手ばりに頭を抱え俯くY。

まったく人騒がせな男である。

その半荘、観戦していた私は、Yの後ろへ回る。観戦中絶対のポーカーフェイスを守っていた私もこれにはびっくり。声に出して笑ってしまった。

4暗刻単騎ならぬ、4暗刻頭なしである。

言わずもがな、少牌である。

Yは、少牌を申告し、4暗刻であったことを申告し、自分が不幸な人間であることを申告した。

セット麻雀であるならいいネタができたと喜べばよろしい。



ここからが本題であるが、これがもし命のかかっている勝負だったらどうする?

少牌を申告という選択肢はない。生存本能があるならば。

一か八か牌を抜くこととなるが、どの方法が安全であるか。

Yが和了放棄する中で私は、そんな妄想を繰り広げる。


場を見渡すとYは北を2枚抜いていた。

うん、これだろうな〜。

右手を卓上に出すという麻雀をする上で、極々自然な姿勢から右手を徐々に右方向へ滑らせる。

なるべくスローな動きで焦らず、右手小指と薬指辺りに北を引っ掛ける。

これまた自然な動きで北を握った右手を手牌に近づけ、ガッチャンコ。

次順ツモった後に、手の中から先ほどの北を抜く。王牌から牌を持ってくりゃ少牌解消だなぁと。

少なくとも捨て牌や、ヤマから抜くことを考えると、自分の晒した北を抜くことは相当ハードルが低いではないか。

北の数?そんなもん他家は見てないさ。

王牌が狂う?見てないさ。

4枚目の北を抜いた人が気付く?「誰だ王牌からツモった奴は!」と言ってやれ。


と、後ろで見ていた私はこんな妄想をしていたのでした。



念のために忠告するけど、イカサマは仲間打ちでは絶対にやらないように。

これは白けます。格好悪いです。

やるならフリーでやってください。

いえ命のかかった勝負でやってください。

どうしてもやりたい人はやりたい人どうしで打ってください。

ちなみに私は、イカサマを見破られたら役満払いや倍満払い条件で打ったことが何度もあります。
はっきり言って強いですよ。イカサマありの手積み麻雀はw

 
   
Posted at 19:30 / イカサマ / この記事のURL
コメント(555)
吾輩は超絶我儘である / 2012年08月06日(月)
みなさん、お久しぶりでございます。

記事を書くのは何か月ぶりかわかりません。

ちょくちょくコメント頂いてたみたいなのに返信もできず申し訳ないです。

FXでやらかして1千万穴開けて取り返す作業でもういっぱいいっぱいというねw

まあ生きてます。失敗をしても致命傷を負わない、これはプロの鉄則なり。


FXに夢中になる。人生を賭ける。


はたから見れば無謀、大きいリスクと捉えるかもわかりませんが、

私は何も行動を起こさないことのほうが恐ろしくてなりません。

つまるところ勤め人とか糞くだらんことだと思っているわけです。

これを楽しく捉えようとか、あるいは余暇を大切に充実に使うとか一見まともな意見ですが、

これもピンボケと言わざるを得ない。

前者はただの合理化だし、後者に至っては仕事自体ただの時間の無駄だと認めているわけです。

論理的に考えれば、嫌なことはやらないというのが正しい。

仕事を辞めたら食えない?

なら莫大な金があれが問題ないよね?って話で、めちゃくちゃシンプルなわけでありますな。

願望ではなく、確実に自由業になっている自信はある。むしろ自信がなきゃこんなの続かない。

成功するまでやり続けることで世の中の大半のことはケリがつく。

たいていの人は能力がないのではなく、成功する前に諦める。


この法則を見出した瞬間、人生って意外と楽だなぁと感じた。

正しい努力の方向と、ひつこさを持ってさえいればなんでもできる。

超絶我儘な私が無理に社会に溶け込もうとすると、どちらにもストレスがかかる。

我儘なら我儘なりに我儘を貫き通し、社会から逸脱しますよ〜。

というのがリーマン人生リタイアの理由の半分。

もう半分が単純に飽きた。

この社会、支配層が作った庶民向けレールの上でいくら競争しても虚しいということに気付くのに
一年あれば十分だった。

雑魚どうしで出世争いしたり、正直どうでもいいし何の刺激もない。

ゴールが大方見当つく勝負の何が面白い?それで定年を迎えて老後の生活を迎えるんだぜ?あほかと。

勝負をするんだったらでかい勝負をしたい。もう私の脳はジャンキー。

庶民向けレールでどれほどご褒美をもらおうが、脳汁が出ないww

というの残り半分の理由ですな。


どう転ぼうが報告はする。


庶民向けレールに乗せられることに疑問を持つ若者達、
しょうもない社会人生活が目に浮かぶ想像力のある若者達の道標になれば幸いである。


とか偉そうなことを言っちゃいますがw

まああれですよ、就活終わって社会人生活楽しみだ〜とか、ボーナスで何買おうか〜とか
キャピキャピしてる連中はいいんですよ。それはそれなりに幸せに生きていけるから。

問題はすでに鬱というか、疑問を感じてる奴だ。いるだろ?

社会に馴染んで角が取れて結局それなりに楽しくなるやつもいるが、

本質を見抜く力があればあるほど苦しむことになる。

そんな時、なにかしらの行動を起こさなきゃ何も事態は良くならないのである。
 
   
Posted at 20:41/ この記事のURL
コメント(85)
勝つとは、負けないこと。正しいとは、間違えないこと。 / 2011年10月15日(土)
麻雀はどうやったら強くなれる?

幾度と繰り返されてきた質問だ。

「センス」としか答えようがないと思っていたが、FXをするようになってから、
ひとつの答えに辿り着いた気がする。

結論からいうと、やってはいけないミスをしらみつぶして行き、そのミスを再発させない。これだけである。
ミスをひとつひとつ潰すことだけなのである。

そしてそれを達成するための能力としては「ミスをミスだと客観的に気づけること」と「同じミスを繰り返さないこと」の2つであろうと。


麻雀でもFXでも同じ。


拍子抜けするほどシンプルだが、詰まる所そんなものだろうと。


まず、前者は麻雀についての知識をとにかく詰め込み理解する必要がある。インプットの部分。
ここを疎かにするとミスをミスだと、また間違いを間違いだと気付かない。
また理解力が高ければ高いほど習得するまでの時間が短いことは言うまでもない。
能力によってその時間は10倍くらいはばらつくのではなかろうか。

またこの「ミスをミスだと客観的に気づける」能力を疎かにしたままドヤ顔のやつはカモ、それも上客であるw

そして次にミスをしらみつぶすために、色々な経験、ミスをしたほうがいい。全つっぱで痛い目に遭うことや、ベタオリして和了逃しをして悔しい思い、いやいやそんなわかりやすいミスばかりじゃないぞ、リーチしてかっぱぐ局面で闇で和了っちゃった。こんなミスもある。これらは前述の通り、知識を身に着けミスをミスだと気付かない状態では意味がないよ。しっかりとミスだと認識できる状態で手痛いミスを経験しよう。

そういう経験を脳に焼き付けるのである。
この苦い経験をすることで更なる知識アップと、次の「ミスを繰り返さない」ことにも繋がる。


まあとにかくこの知識の構築、ミスの経験に関しては理解力により習得時間は異なるが努力すれば、勝ち組たちのそれと同等に上り詰めるのはそれほどハードルは高くない。

逆にいえば本気で強くなりたければ、ここまではクリアしてもらわなければ話にならないわけですな。



次に後者、「同じミスを繰り返さない」

これは人によってはとてつもなく高いハードルになるだろう。

人間なんてものは本当に意志の弱い生き物であり、まずそれを認めることから始めなければならない。

受験勉強をした時でも思い出して欲しい。計画を立てて計画通りに遂行できたためしがあるだろうか。
例え一日単位で達成できても年間を通して計画通りに進むことがあっただろうか。

東大非医より高みに存在する某旧帝医にいった者でさえ言う。
理想的な計画の半分も遂行されると、もう上等もいいとこ。二重丸だと。


つまるところ、「同じミスを繰り返さない」能力はいかに意志を強くするかという鍛練が必要であり、
さらに理想の半分なんていってられない、ほぼ理想通り、限りなく100%を目指す作業がはじまる。

人によっては相当しんどいであろう。

何を隠そう、私も何度同じミスをしたら気がすむんだというくらい何度もミスをしてしまう。
そんな自分を客観的に捉え、鍛錬し、騙し騙しなんとかやっている状態である。
ブログやツイッターでドヤ顔で自分の強さを誇示するのは、勝負に対して圧倒的謙虚になり自分を押しつぶした反動であろう。
何かに対して無理に圧力をかける時は、どこかに逃げ道を作らないと破裂してしまう。
そういうイメージである。


こんな感じでやや抽象的になっちゃったけど、今の私の考えとしてはこんなものかな。
勝つためにはほかにも戦略とかいろいろあるだろ、と言われそうだが、そんな豆知識とか戦略は勝負の中で自然と身に付くし、私が提示した二つの課題とともに並行して周囲にアンテナを張り、すこしずつ吸収すれば事足りるだろう。


そして休日は勝負なんてものは捨て去り、ぼけーっとしたただの若者に戻っていくのであった。

そりゃ麻雀打つ時間がないわな。
 
   
Posted at 10:42 / 相場 / この記事のURL
コメント(542)
片道切符 / 2011年08月20日(土)
絶対そうだとは言わない。

しかし・・・

少なくとも私はもう引き返せない。

そう・・・

相場に足を踏み入れる。それはすなわち・・・

所謂マジョリティーが生きるような生活に戻れない。

早々に負けて心が折れるか、そもそもギャンブル嫌いの者なら問題ない。

リスク愛好家かつ、トータルで勝っちゃう程度の博才がある者は、もう戻れないのだ。

ちょっとオーバーに言うと、勝ち続けるか、破滅かのどちらかである。

どれだけ勝っても勝ち続けても、時々不安になる瞬間がある。
それは世の中に「絶対」というのはない、という得体の知れない化け物みたいなもんが常に居るからである。

今は、5億掴んだら、その一部を安定的な資産に換えて実質引退するつもりでいるが、

到達したときに同じことが言えるのか・・・

それは分からない。

ただ、なんとなく感覚的にわかるのは、金を得ることが目的になっちゃうと、何かが壊れていく気がするということである。

あくまでも手段であることを定期的に再確認しなければならない。




 
   
Posted at 12:40 / 相場 / この記事のURL
コメント(538)
フォーム改善 / 2011年08月12日(金)
スキャルピングにより私の日々の生活はかなり疲れていたことは前に言った。

いくら平均自給換算で○万円勝っていても、神経をすり減らした挙句病気になっていては、何が何だかわからぬ、

ということで最近は時間軸を少し長めにとってトレードしていた。

手応えはというと、、、やはりスキャよりもデイトレのほうが利益率は良くなった。これは予想通りだった。

ただスピード感は失われるのでドーパミン噴出量はかなり抑えられるという結果に。
一日に数十万円勝ってもまったく興奮しないくらい冷静である。

まあスリルは減ったかもしれないが、心身への負担もかなり減ったような気がする。

今のように、手ごたえがあり、「流れ」が良いうちにとことん叩くのが勝負師としての定石。

(なお真面目な読者が万が一でも勘違いしないように言っておくと私はオカルト的なものは一切信用しない。
ジンクスやらなんやらというのは、心の弱い者が拠り所にするためにあるものだからだ。
私はそんなものを信用したことがないが勝負の世界ではとことん勝ってきたからね。

まあ、なんしか、厳密に説明するのが面倒くさいときに、私は「流れ」という言葉を使う。

ちゃんとした戦略があって、根拠があって7割は勝てるだろうという勝負をして、ほぼ確率通りに結果がついてきて、
その結果に溺れることなく、次も冷静に判断して勝負して、確率通りの結果がでて・・・という状態を面倒だから適当に「流れが良い」という表現を使うだけのことなのだ。

逆に、冷静に判断できなかったり、悪いほうへの確率の偏り、などの連鎖を「流れが悪い」と言ったりね。)


いつもの癖で脱線してしまったが、要は調子の良いときにとことん叩け、と。

遠慮はいらない。市場から金をどんどん抜く作業を行うのみである。

いくらでも落ちている。またその額は青天井である。

こんな楽園があったなんて。

勿論、落ちてる金を拾うようなもの、と感じるまでは結構大変だった。同じ失敗を何度もして自己嫌悪に陥ったり、こんなの勝てるわけがないという妄想に陥ったり、まあそれなりに大変だった。

しかしだ、運の依存度を考えると、麻雀より遥かに楽だ。もう比べ物にならない。
フリーでのイライラ感、疲労とはいったいなんだったんだろうかと思えるほどである。まあ実際トロい奴でもある程度儲かっているのが相場だ。
もっともフリー雀荘で浮くよりも簡単なだけで、大多数の負け組みが少数の勝ち組と胴元を支えている構図は、麻雀と変わりない。つまり、なんらかの優位性がない状態で毎回ガラガラポンをしていたら負けるのは至極当然であるのだ。

そんなこんなで、主婦でも運で勝っちゃうような相場で、私が負け続けるはずもなく(初めは相当やられるよ)、
勝ちパターンが築き上げられたわけですな。
言っても仕方がないが、学生時分に覚えていたら、おそらく資産を築く方が先に来て就職しなかったことだろう。

まあ良い様に考えると、今は社会的信用がある身分で、毎月給与が入るという、気持ちのゆとりとリスクヘッジ、
これらが備わっているともいえる。

当面この状態で淡々とこなしていきましょう〜。ほっほっほっほっほ。
 
   
Posted at 23:02 / 相場 / この記事のURL
コメント(187)
生粋のギャンブラーだけど・・・ / 2011年07月22日(金)
真面目なことも考えています。

もうもはや麻雀ブログじゃないじゃんという突っ込みがありそうで恐いのですが・・・。
麻雀は麻雀で捨てたわけじゃないので・・・。
「時」が来たらまたやり始める予定ではあるのでご容赦を。

最近はね〜、相場を張っている時ほど生き生きした私を見ることができないでしょうね。
もう固定給で働くのが辛いのである。それはそれはとてつもなくつらい。

同じ人間なのに資本家みたいなやつがいる一方でなんで俺が働かなきゃいかんのだ!と、マルクスじゃないけど私は思っています。これはもう高校生ぐらいの頃からだけど。
仮に月に100万固定給の仕事があると言われても若干退屈なぐらいなのに、今の私の年齢の給与なんて退屈かつ詐欺的な低さに間違いないわけであります。

その点相場を張る楽しさはやば過ぎます。ものごっつい楽しいわけです。この「張る」部分に関してはフリー雀荘で張るよりもはるかに、アドレナリンなどの脳汁が出ちゃうわけです。
ただの上がるか、下がるかでこんなに興奮できるなんて私はなんて欲深い人間なんだ

とかも考えたりするけども、私の人生の目的は金ではない。
私の場合、マズローの欲求階層で言うところの「てっぺん」に上り詰めるには、その手段として膨大な金が必要なわけで・・・

勤め人を何十年、いや何百年やってても、ただ死を待つだけの人生にしか思えないのです。
勤め人を馬鹿にしているわけではないですよ。あくまでも私の人生観です

私はとてつもなく諦めの悪い人間なのである。

人生こんなもんだろ、とか、みんなこんなもの、あいつよりはマシだとか、そんな下らんことを言い続けて歳を取りたくないのである。無理難題の大半には突破口がある。
どれだけ不可能にみえることでも、不可能だと簡単に言い切っちゃうのはその突破口から目を背けているだけである。

ということで最低でも後数年は「プレイヤー」で居続けるだろう。

目標額を達成すれば、くだらん金稼ぎはやめて夢のためにすべての時間を注ぎ込みたい。

以上、私はただのギャンブル狂ではなく、とても真面目な人間なんだということをなんの面白みもない感じで仕上げてしまったw

 
   
Posted at 20:32 / 相場 / この記事のURL
コメント(562)
機会損失に怯える / 2011年06月25日(土)
私がFXに打ち込んでいることは前回の記事で述べたが、実際どんな生活になるかというと、
これはこれは忙しい、というか落ち着きのない毎日を過ごすことになっている。
というのも私の取引のメインはスキャルピングという超短期売買を一日に何十回も繰り返す方法だからである。
一回の取引は、早ければ数秒で手仕舞いするような危なっかしい取引だ。

エントリーチャンスはないかと、パソコンを睨み、勝率が70%越えそうな(数字に厳密な根拠はない)ところで
エントリーを繰り返す。
以前は勝率が55〜60%辺りでもエントリーしていたが、裏目ったときの精神的ショックや後悔が大きい。
嫌でもその配牌で勝負するしかない麻雀と違って、相場は、都合の悪い局面はパスできるのに、何故そんな中途半端な局面でエントリーしたのかと結局自分を責めることになる。

だから、そこそこ勝率があると分かってても我慢が必要なのだ。我慢をしていれば配牌でイーシャンテンという局面や
ダブルリーチの局面が必ずどこかで回ってくる。そこで勝負をしていけば長い目でまず負けない。
負けないということは勝つこと。勝つということは儲かること。そしてその額は相場では無限大である。
レートアップしても周りの面子のレベルが上がるわけではない。

金額のプレッシャーに耐えるだけである。
この点に関しては私はそこそこ自信がある。一時的に大きな含み損を抱えていてもそれほどメンタルにこない。
長い目で勝つだけという、この感覚は麻雀で磨かれたので、麻雀に打ち込んでいた期間も決して無駄ではなかったのだ。

話を戻すと、超短期売買をしているためパソコンの画面から目を離すことが許されない。
この前は、数分ちょっとトイレにいったために売買チャンスを逃し、10000円ほど取り逃したことがあった。
ほんの数分で10000円の機会損失である。

風呂に入ったために30000円儲け損なうこともしょっちゅうだ。
そのため、今では10分ほどで風呂から出る術を見につけてしまった。

こんな話をすると、睡眠時間も削るのでは?とお思いの方もいるかもしれないが、そこはマイルールがある。
昔から睡眠だけは8時間取らないと気がすまないのだ。なんというかきちんと寝て頭を働かさないと結局は非効率になるのだ。

そういうわけで、平日は仕事から帰ってきてまた仕事という毎日である。
平日にバラエティー番組をぼーっと見たりすることはめっきりなくなった。

何かを得たら何かを失うというのは本当なのかもしれない。


 
   
Posted at 18:13 / 相場 / この記事のURL
コメント(577)
戦場→趣味 / 2011年06月12日(日)
お久しぶりでございます。

いや〜久しぶりどころではないですね。適当な性格なので本来はブログとか向いてないかもです。

コメントもなんか溜まってて申し訳ないです。


麻雀から離れてかなりの時間が経ちました。

何故か?

ちょこっと前に触れたかもしれないけど相場の世界に足を踏み入れたからでございます。

22くらいの頃から計画はしていたのですが、麻雀のゲーム性があまりにも面白いために麻雀から脱却することができなかった。
しかし私も社会人になることによって、これはいかんなと。俺は何を立ち止まっていたんだと。
麻雀で財産を築くことなんかできないんだぞ、と。気合いを入れまして。

外国為替取引、所謂FXに打ち込むわけになったわけです。
ブログとか書籍見ても大したことなさそうな人が結構勝ってたりして、これ余裕じゃね、とか思ってたわけですが
まあこっちの世界も初めは厳しかったです。

しかし諦めるわけがございません。こっちの世界で稼げることが判明さえすれば、人生というゲームの
とりあえずのクリア(生涯賃金の獲得)を簡単にできてしまうわけですから。

研究に研究を重ね、フォームができるまで1年、そのフォームをきっちりメンタルで支える訓練がさらに一年弱。
約二年かかった。(毎日時間が使えるニートなら一年以内に勝てていたでしょう。)

フリー雀荘で同じ額を稼ぐことを考えると相当イージーモードである。
勝ちすぎて気を使うこともなけりゃ、思惑どおりに事が運ば無いときは画面の前で鬼の形相で舌打ちをしてもいいし、
勝ったときは両手を上げて雄たけびを上げても、見咎められることはありません。

後、どんだけ稼いでも角が立たない。
外国為替の市場規模は一日の取引で150兆(?)、雀荘はピンなんかだと丸一日稼動しても1000万行くかも怪しい。
相場なら、一日で1000万くらい抜いても、「それがどうしたの?」ってくらい周りは無関心だが、ピン雀荘なら、たかが10万勝っただけで目立ってしまう。

金融市場とは、なんという最高のフィールドでしょう。

バフェットやソロスになりたいとか、そんな馬鹿げたことは言いません。
たかが2,3億、市場から掠め取ることができれば、後はおとなしゅうしておきますんで、というのが今の気持ちである。


無論、麻雀が面白いという考えは今でも変わっていません。紛れもなく面白いです。
ただ、お金儲けにする種目ではなかったのです。

そんなこんなで、ようやく趣味欄に「麻雀」と書くことができそうなのです。
 
   
Posted at 11:41 / フリー雀荘 / この記事のURL
コメント(481)
回線切りについて / 2010年11月06日(土)
お久しぶりです〜。
天鳳段位戦はしばらくやってません。雀荘戦はたまにやって、リアルもセットでちょこちょこ打っている程度なので、
面白いネタがなかなかないという・・・。

まあ過去の闘牌のことでも書きたい記事はあるのですが。ちょっと書きかけているものも。

いずれ更新していくと思います。


今回は天鳳においての回線切りについて述べたいかな〜と。
ことの発端は、珍しく回線切りを肯定する文をある掲示板で見たからです。



とりあえず回線切りの定義として、
主にトップや2着の目無しなどで、状況が良くなる率が限りなくゼロに近いときに、窓を閉じてしまう。

これを回線切りと呼んでいいかな。
その後、卓上では、「私」はオールツモ切りを繰り返すことになる。

この行為について賛否両論があるようだ。私の印象では若干否定派が多いかな。

否定派にも色々あるのだけれど、一度聞いたことのある理由は「本来出る牌が出ないから」というものもあった。

これは、例えば、普通に打っていれば出る牌、序盤の字牌整理などに伴う役牌のことかもかもしれない。
あるいは、逆に本来出ない牌を出してしまう。例えば、2着目がリーチを打った際、こっちはオールツモ切りなので
脂っこい牌を一発で切っちゃうということかもしれない。

まあこういった理由で否定されることもある回線切りだが、掲示板での回線切りに関しての書き込みはというと・・・


>回線切りを否定するは他人に打ち方を強制しているのと同じである。
また断ラスがどんな打ち方しても残り二人の勝負に影響を与えてしまう。
それなら私意の入らないオートツモ切りのほうがよっぽど自然。

という内容のものだった。
最後の「自然」を「公平」に換えると、なるほど筋の通った文にはなる。


これは、「オールツモ切りすることが他家に迷惑をかける」という回線切り否定派に対しての反論と仮定したとき、
この反論は正しいと私は思う。

「私」は「オールツモ切り」という選択を自らの意思で行っているに過ぎないから、それをとやかく言われることはないから。
私も数年前のある一定期間はこの考えで、回線切りをした経験もあるのだ。

しかし、だ。

この反論自体は正論だが、回線切りに関して、実は私はその後、行わない決意をしたのである。

なぜか?

陸上を見たときでも考えてほしい。

競技は何でもいい、100メートルにしてもハードルでもなんでもいいが、
あんな大逆転もほぼ起こらない競技で、完全の目無しの選手は、座り込んだり、ふてくされたりしない。

もし一位以外の人が座りこんで、ふて腐れていたら、どうだろう?
見ている人は白けないだろうか。もちろん勝った人もなんかすっきりしない感情になるだろう。

当たり前のことかもしれない。
しかし、観客を盛り上げる。そして、そのために競技の途中で腐ることなく、最大限の力をそれぞれ出すことが大事なのだ。
天鳳を好きでやっていて、観戦という機能があり、少ないながらも私を観戦していた人がいるとわかった瞬間、
場を白けさせてはいけないな〜と感じたのである。
無論、私だけでなく、私の相手を観戦している人への影響も大きい(寧ろこちらが大きい)

つまり、回線切りはロジック上、ゲーム内のツモ切りという行為自体は別にいいかもしれないが、
ふて腐れた行為をすると、場を白けさせるんだから、そんな格好悪いこと止めたほうが良いかな〜というのが私の考えである。
(マナーという言葉には触れない、なぜならマナーの定義からきちんと示さないと、結果が大きく変わることが予想されるからめんどくさい)
だから、回線切りをした人に対して、「オールツモ切りでこっちが迷惑するんだよ!馬鹿」とはロジック的に言えないが、
「場を白けさせやがって、ラス取るくらいで腐ってんじゃねーぞ」とは言えるわけだ。


もちろん、天鳳に情熱をかけているわけではなく、場を白けさせようが、何しようが、ネットくらい自分勝手に
行動させろって人もいるでしょう。
ここらは、人それぞれ立ち位置などでも、考えが異なるでしょうね〜。

あとこれは蛇足だけど、個人的に回線切りをやられる側としては、私は一向に構わない。(ラス回避がほぼ確定で楽)
回線切りよりは、長考されるほうが辛いというのが正直な気持ち。
長考は完全にこちらにとっては時間を奪われているわけだから、そこに確実に利害が発生しているから。
その卓での平均に近い速度で打って欲しいってのが願望かな、と。


今回のような問題については、自分の都合が悪いからだとか、人が言っているからだとか、暗黙のマナーであるからだとかで思考を停止し、悪だと決め付けないで、きちんと論理立てて考えることが大切であると思う。

世にある「正しさ」とは常に曖昧であるということを認識したい。
 
   
Posted at 23:38 / 天鳳 / この記事のURL
コメント(588)
天鳳SNS / 2010年09月01日(水)
天鳳SNSに登録してみました。

こんなに色々なものに手を出して大丈夫なのかなという感じですが、
天鳳に対しての熱はなんだかんだ覚めていないので、意義はあると思います。

フリー雀荘へは本当にいかなくなったけど、天鳳はやっちゃうねw

だってね、十段にもなったことがないんですよ、まだまだ先があると思えば、そりゃ熱くなりますよw

SNSでは、天鳳のことに関して日記とか書いていくと思うので、今までみたいに、「天鳳では」、とか「フリーでは」
とか、一つの打牌に対して、色んな場合わけも置く必要がないので、ある種気が楽かな〜と。

色んな天鳳好きな人と交流してみたいので、みなさんよろしくです!

「我々クラス」で登録しています。

マイフレンド申請は、天鳳好きの方なら大歓迎でございます。断る理由もございませんので。


あとですね、報告が。。。

早くも降段しそうです。おそらく、経験上耐えられないかな〜と感じています。
 
   
Posted at 01:18 / 天鳳 / この記事のURL
コメント(508)
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