レベル 

August 27 [Wed], 2008, 2:41
素晴らしいレベルだ。
前回に比べ、凄まじいレベルアップといえる。

もはや、堕ちる所まで落ち、後は上がるだけの状態に相違ない。

手違いで望んでも居ないガキが出来た。
責任を取ると、心に決めて言った言葉も、衝動で拒絶された。
その後、奴はなんていった。

しばらく私の家に置いてもらって。


無理だ。


一番初めの意を決した、責任という名だけのプロポーズを、全否定した後。
哂いながら、奴はそういった。


あれは悪魔だ。
人間に寄生した、どうしようもない最悪の反動生物。
何が多重人格だ。
お前の思い込みだろう。
霊的なもの?
しるか、俺に霊感なんかない。

俺に付きまとうな。
消えろ。
お前など、生きているだけで公害だ。


全てぶちまけろだ?
その後の対応はなんだ。
貴様は誰に生かしてもらってる。
それを忘れ、どうなったか。
そして行動のベクトルを間違えたのは誰だ。

俺はもう、嫌だ。
貴様の記憶、貴様の臭い、貴様の言葉、貴様の面。
全てが憎い。ただただ憎い。
いろいろな精神病に犯された人間を見てきたが、
他人をとことん利用して、最後の最後まで引っ掻き回したのはお前がはじめてだ。

肉体がイカレルのならまだいい。
だがこの捻じ曲がった精神は、どうやって正せばいい。
もう普通の衝動すらなくなってしまった。
頭の中は、誰よりも真っ白になった。
親への多大なる迷惑への叫びは、誰にぶつければいい。

もういやだ。


何が鬱だ。
何が多重人格だ。
何がスピリチャルだ。
何が愛してるだ。
何がお前だけのものだ。



何より、俺は人間のレベルをモノのレベルまで引き下げるお前の考えがキモイ。
そして、愛情なんてものはただの錯覚のレベルが引き上げられただけのものだ。
言葉に踊らされてるのは貴様らだ。
お前らは、いずれ滅される肉体が、いつなくなるかもわかっちゃいない。
そのうち消える存在であるくせに、やたらと今を大事になんていいやがる。
奇麗ごとは死んであの世でくっちゃべってろ。

そんなに世の中あまくねえ。

年取って、ゲロはいて、死ぬまで働いて、しわくちゃになって、
後悔と懺悔を繰り返して人間は死ぬだけの生物だろう。
他になんの意義もねえ。

神ってやつが自分に近しい存在を酔狂で作って、
適当に増えて、適当に反映しちまったのが俺達だろうが。


それが、言葉だけの愛を語るなど、死ね。
意味が無い。
無駄だ。
幻想は死んでからほざけ。


なにが●●君がいないと寂しくて死んじゃう だ。

赤の他人とくっついて、甘い言葉ささやかれてりゃ幸せなんだろ、糞ビッチ。
てめーのデケエツラを酔狂で構ってくれるとてもとても「良い人」が相手でよかったですね。
死ね。


何が統合失調症なんですだ。
そんな大胆カミングアウト、ききたくもねえ。
誰に迷惑かけてんのかわかってんだろう。
お前は人にあまてんじゃねえ、迷惑かけてんだよ。
そのへらず口、態度、考え方、全てがムカツク。
ただの公害、薬害、お前なんか居ても居なくても同じだ。
俺と同じで、価値なんかねえ。

てめえは死んで、もがき苦しんで現世に戻ってこいよ。
悪魔でも拝んで九りゃ少しはちげえだろ。





そうか 

November 12 [Mon], 2007, 3:43
誰かを求めたわけではなかった。
ただ、友達と呼べる人間に憧れていたのだろう。

性質は理解した。
いろんな友達候補と呼べる人間と関わった。
中でもゲームで世話になった人への恩は今でも忘れていない。

だが、人間はそこまで単純に『友達』という言葉を納得できない。

友人、友達、親友。
全ての文字に友がある。
根源はどれだ。
そして、君達はこの言葉達をいかな思いを乗せて使用しているのだ?

私は、この言葉達の行方がわからない。
そんな軽い意思で使えるものではないからだ。

自分が『友人』と思っていても、相手が『それ以下』と思っていたらどうなる。
可能性は零ではない。
勘違い、すれ違い。大いに在り得る。

其の中でも自分と会話を続けてくれて、
しかも個人的な話に付き合ってくれた人もいる。

私は、それが自分の中の『友達』として認識している。
軽々しく使えないのを考慮して、『友達』と呼べる。

カチャニラ、ミシェさん、勇気、かずさん。
少なくとも、この人たちとの関係を私は大事にしたい。
今までいくつも切り刻み、捨ててきた。

私の一方的な勘違いもあれば、
遠まわしな精神攻撃のときもあった。
私は、人間を恐れた。


例えば。
その時、何らかの形で『逃げ道』というものが存在しなければ。
何かを抱き、何かに縋る支えがなかったのなら。
今の私は存在しない。

その、支え。
私は『孤独』を受け入れた。

人間は、その場その場の状態で縋るものや依存対象を探す。
そうしなければ、生きていけないのだ。

しかし、人間を依存対象にした場合、相手側と自分側のリスクは計り知れない。
鬱病患者を治療している精神病棟の先生を想像して欲しい。
誰かに縋るということは、誰かを踏みにじり超えて治るということだ。

踏み台にすることで、自分を伸し上げる。
そして、生きる目的を見つける。
それが出来なければ、踏み続ける。

ひどい世界だ。



私は、誰に依存することではなく、不確かなものに依存した。
それは間違いだったのかもしれない。

もしかしたら、周りに助けてくれる人がいたかもしれない。
手を差し伸べてくれる人間がいたのかもしれない。
それに気づかなかっただけかもしれない。
頼ってよかったのかもしれない。
ほんの善意で力を貸してくれようとしたのかもしれない。

可能性はあった。
ただ、それを信じる力など、私には無かった。


誰が信じれる。
裏切りを積み重ねられ、
捻りきられたこの頭の中。

今日は優しくされた。
明日には全てから疎外され、攻撃された。
人は、こうにも短時間に人間を破壊できる。


そう、今も人を信じることが容易ではない。
たくさん自分のことを話して、たくさん相手のことを理解して、
たくさん感情を貰い、たくさん会話しあう。

私は、全てにおいてスロースターターだ。
この前提をクリアしないことには、相手を信用できない。
それも、例え信用した相手だとしてもだ。
私はその相手の攻撃に耐えられるかも怪しい。



経緯はここまでにしておこう。
もう名前も忘れた、私と会話してくれた人間達。
感謝している。

今、憎しみに近い感情を抱いているのも、
それは教えてくれた人間達のお陰だ。

親から貰った感情や、教えは極端に少ない。
だから、人から知る必要があった。
それが今の私にとって、最高に前向きな考え方だ。

元気ですか、お変わりありませんか。
相変わらず奇麗ごとがお上手ですね。
信じるって何ですか、それは苦しいものですか。


もう連絡手段も少なくなり、線は極端に細い。
断絶したものも多々見受けられる。
でも、それでいい。
誰かの記憶に私がいるかもしれない。
いないかもしれない。

相手から貰った感情は、私の中で生きているし、
私が与えた不可思議で異質で禍々しいものも、相手のどこかで根付いている。
それが憎悪であっても、苛立ちであっても。

私は『ざまあみろ。それが私の生きた証だ。』
笑い飛ばして生きています。


P R
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