5) 長屋 

November 27 [Sat], 2010, 23:40
長年育ったこの家は本当に嫌だった

小学生の頃は仲のいい子だけやけど友達を呼んで遊んでいた

けど、友達の家に行くと自分の部屋があるとうらやましく思って

いた。成長していくうちだんだん自分の部屋は無いし家が見られ

るのも恥ずかしくなってきて、中学生になる頃には家に呼ばなく

なっていた。

でもある時、いつも遊ぶ仲良し3人組で学校の帰り私の家に

行きたいってめちゃ言われて断れなくて寄ったら、以外ときれい

やんと言われものすごいショックを受けた。以外って私の家は

汚いとどんな風に思われてるのかと…

外見も古いから仕方ないのかもしれないが、それがトラウマに

なってしまって誰も家に入れなくなった。

高校生の時はどんなに仲良い友達でも近くまでは言うけど家の

場所は教えなかった。ある友達の家に何度かおじゃました事が

あって、その子の家はきれいでめちゃ広い家でいいなぁと思って

いた。その子が文化祭の事でいる物を集めていて私も手伝って

何人かの家を回ってもらいにいっていて、私の家も探しいこうと

言われ、家見られるのが嫌だったから断ろうとしたけど無理

で押されて、私の家の近くで待たして取りに行ったら付いてきて

て家を見られて、その時のその子の顔がバカにしたような

哀れんでるような何とも言えない顔されてまたものすごい

ショックを受けた!あんまり仲良くない子だったのでそれからは

あまりその子とかかわらなくなった。

中学の頃におばあちゃん一人暮らしやと危ないから長屋で一緒

に暮らす事になって、約3DKに一家5人で住む事になった。

兄ちゃんは2階の一つの部屋をとってしまったから、私は

おばあちゃんと2階のもう一つ部屋で2段ベットをおいて約5畳

ぐらいの部屋で一緒だった。ちょっと個室風にカーテンで仕切り

をしてた。おかんの大きいタンスとかも置いてあるからカーテンで

仕切った場所はたたみ1畳ぐらいのスペースで小さい机を置いて

勉強したり私が一人になれる場所だった。

夜遅くとか勉強する時電気付けてるとおばあちゃんに悪いと思って

、その頃おとんが居酒屋で仕事していて帰ってくるのが夜0時半頃

だったから帰ってくるまでは下で勉強していた。いつもはおとんが

帰ってくる前に終わらしていたけど、たまたまその日は終わらなくて

していたら、帰ってきて、まだ起きてんのかなにが勉強じゃ早く寝ろ

って怒られた。勉強してるのに怒られた!その頃のおとんは居酒屋

勤務やから店でのんで帰ってきたりしてたから、お酒と仕事のスト

レスで怒ってきたんやと今は思うけど、勉強嫌いな私が勉強してる

のに怒るってヒドイと思う


小さい時5歳か6歳頃やと思うけど、私はすごいかんしゃくもちで、

かんしゃくをおこすと泣きながら足でドンドンと床をたたいてそれを

1時間ぐらい続ける。記憶にあるのがかんしゃくをおこして、おかん

はほっといてお風呂に入って、お風呂のドアの前でずーっと泣き

ながら足ドンドンしてこの家をつぶしたるーって思いでドンドンして

たのを覚えている。その頃から家が嫌だったのかわからないが、

なんか家を壊そうとしてた…

小さい時からおかんに大きくなったらお庭のある大きいお家に

住もうねって、ずっと言われてきて、おかんはよく広告の裏の

白い方に理想の家の図面を書いたりしていた。私はずっと言わ

れてきたので大きくなったら大きい家に住めるのかと思っていた。

もの心ついて、おとんの事わかって無理って事がわかった。

でもいつか大きい家に住みたいという夢は持ち続けた。




4) おかん 

November 10 [Wed], 2010, 12:27
おかんはおとんの事で苦労してきたからなのか、私が6歳か7歳の時

乳がんになった。

私が幼稚園の時に役員の会長をしていて毎日忙しくて胸のしこりに

気づいたけど、忙しいから何ヶ月かほっといて病院にいった時には

しこりがもうかなりの大きさになっていて結構悪い段階だった。

手術になり、その時の先生に乳房全摘出とさらに肋骨を3本

とらせてほしいと言われたそう。手術代を安くするからと。

実験台にされたみたい。今では考えられない事やと思うが…。

おとんはその事をずっと根にもっていて医者は何でも実験に

使って、おかんは治って元気になったのにおとんは医者

を信用しない医者ぎらいになったそう。

3ヶ月入院して抗がん剤もせずに治った。治ったというても

傷跡はものすごい。肋骨までとってるから肩の下からえぐれる

ように大きく左の乳房を全部とってある。退院してからの見た記憶

があるがえぐれて、そのえぐれてる部分が赤くなって、心臓が

皮一枚の下にあるからドクドク動いてるのが見えてた。

今はだいぶきれいになってるけどえぐれてるのは変わらない。

おかんが友達と銭湯にいったらその傷跡見て涙する人もいると

言っていた。

でもその大手術のおかげなのか再発もそれからなく20数年きたけど

3年前に再発してしまった。肝臓・骨に転移していてもう手術

できない段階だった。薬で延命治療をしてきて何度か危ない

時期もありながら今年で3年目になる。

その23、24年前になった乳がんで入院中宗教の勧誘がきて

おかんはそれからすっかりはまってしまった。その信仰のおかげ

で助かって今があると言っている。そんな大病になってすがり 

たくなるのはわからんでもないから、おかんだけやっていったら

いいと今は思うが、私が小学生の時友達の家に遊びに行くと

いうと、本を待たされてその本をお友達のお母さんに渡してきて

と言われ、その頃はその本が何の事とかおかんがやっている

事も理解できていない時なので、素直に持っていくと友達の

お母さんに嫌な顔をされたのを覚えている。今ではその頃

の事をおかんは謝ってくる。やりすぎてたと。でもその頃は良い

物やから広めたいという思い一心で活動していたらしい。

家族全員強制的に勝手に会員に入れられてて、おいしいもの

食べさせてあげるとか言われてそれにつられて意味もわからず

集会に連れて行かれたりしていた。

大きくなって意味がわかりだしたらついて行くのもやめたし、私は

信仰に興味が無かった。嫌だった。

兄ちゃんもそういうのすごく嫌ってて未成年では自分では脱退

出来なかったので成人した時に自分で脱退したらしい。

私は一時期、高校生ぐらいの頃その信仰の事や家の事が嫌

で反発した時期があった。不良にはしったりはしなかったが、

親と口を利かなくなったり、夜遅く帰ったり、たばこは嫌いなので

吸わなかった。その頃に彼氏(前の旦那になる人)と出会って

彼にのめり込んだ。親がそんなんだから親以上の存在になって

いた。彼との事は色々あるのでまた別で書きます。

私の家族はこうと思ったらかなり突き進む習性があるみたいで、

おとんは競馬、おかんは宗教(本人は宗教じゃないと言い張る)、

兄ちゃんはバイクや車いじり、私は男(男というと響きが悪いが

ひとりの人にのめり込んだという事)。





3) おとん 

November 08 [Mon], 2010, 16:37
私のおとんは競馬バカで酒癖が昔から非常に悪い

おかんは結婚する前おとんから賭け事しない・お酒も飲まないと

聞いていたそうだが、結婚したとたん、競馬・お酒大好き、酒癖が

悪いのがわかったらしい

んで、私が1歳ぐらいまでは大阪に住んでいたらしいが、酔うとケンカ

したりして仕事が首になったり、続かなくて収入が不安定なのも

あって、この長屋の母の方のおばあちゃん家に引越す事になったそう。

おばあちゃん家は持ち家なので家賃がかからない。狭いので

おばあちゃんは近くの文化住宅を借りて一人暮らしをしていた。

おじいちゃんは私が産まれて少ししたら亡くなりました。

おとんはお酒が大好きでその頃パンの配達の仕事をしていて、仕事中

飲酒運転をしておじいちゃんぐらいの人をひいてしまい、気が動転して

その場から逃げてしまったらしいが、会社の人に言うてその人と戻ったら

しい。ひいてしまった人はどれぐらいの怪我をしたかはわからないけど、

一週間ぐらい入院をして退院した次の日に亡くなったらしくて、事故の

せいなのかどうなのかで裁判になって、退院してから亡くなったので

事故のせいでは無いとなったらしい。おかんは小さい私と兄ちゃんを

連れて証言台に立って大変やったわと私が21か22歳の頃話をして

くれた。聞いた時はかなりびっくりしたしかも女癖も悪かった

らしくその当時一緒の職場の女の人の家に住みついて1ヶ月ぐらい

家出をしたらしい。ふっとその女の人と一緒に帰ってきて、なんか

兄ちゃんだけを連れてまた出て行ったらしいが3日ぐらいで女の人

と帰ってきてお腹すいたと言われたからおかんが二人に料理作って

出してあげたそう。その女の人はそれで終わって何も無かったかの

ようにおとんは家に戻ってきたらしい。

他にも仕事の帰り酒に酔って、その時会社のお金を預かって持っていて

そのお金10万ぐらいを電車のホームで電車が通った時に全部

ばらまいたらしいおとんはその時の記憶が少し

あるみたいでバァーとお札がきれいに飛んでいったわ〜と言っていた。

そのお金はおかんが弁償したそう。

酔っ払うと道路で寝たり、警察に何度か保護されて送ってもらって

帰ってきたり、私は小学校の頃に何度かそれを覚えている。寝てた

けど近所から酔っ払いのわめく声が聞こえてきて目が覚めて

その声がだんだん近づいてきて、家の前は細い路地になって

いてその路地に入ってきたらおとんやってわかって、あぁまた

おとんかぁって思ってた。家入ってきたらおかんにぐだぐだ

言うのが始まって、私は2階で兄ちゃんと寝ていたけど、

下の声もよく聞こえるのでぐだぐだが始まると布団を頭から

かぶって無理やり寝ていた。また別の時酔って帰ってきた時

ぐだぐだがいつもより激しくて兄ちゃんと階段からそーっと覗いたら

、おとんがおかんをたたくのを見てしまった。たたいたの見たのは

その1度だけだったけど、その場面は今でも覚えている。

終電が無くなって酔っ払って家から電車で1時間以上も先の駅から

線路の上をずーーっと歩いて帰ってきた事もあったそう。夜中に

走る電車が無かったのも幸いだし、よく線路の上を歩けたなぁとも

思う。昔やからできたのか今だと絶対無理だと思う。

おとんの酔っ払い話はまだまだあるが今日はこの辺で…。

2) 出生話 

November 04 [Thu], 2010, 11:38
私は1979年10月1日午前0時23分(確かそれぐらい)に兵庫県の

ある小さな産婦人科で産まれた

おかんから聞いた話によると、私は帝王切開の予定だったらしいが、

予定の日よりも早く陣痛がきて、その日は台風の直撃の時で、陣痛

が始まってから台風が少しそれたら陣痛もおさまって、また台風が

向かってきたら陣痛がおきてを繰り返して、その病院までは家から

徒歩20歩ぐらいのすぐ近くの小さい個人の産婦人科で、そんな

めちゃ近いのに行くまでにものすごい雨で、私には2つ上の

兄ちゃんがおるけどおばあちゃんが兄ちゃん連れて外に出れない

ぐらいすごい雨が降っていたそう。兄ちゃんの時に帝王切開で産ん

でるので二人目も帝王切開で産まないとダメらしいけど私は台風の

直撃した時にめずらしいことに下から産まれたそうです

先生もびっくりしていたそう。

私のおとんはというと酔っ払って帰ってきてその産婦人科の出産を

終えたおかんが寝るベットでおとんが寝ていたらしい

おとんの酒乱の話はこれから色々書いていこうと思います。

おかんにあんたは台風と共にやってきた強い子やでと言われた。

9月30日じゃなくぎりぎり10月1日にうまいこと産めたやろと

言われほんまにそう思った。私は10月1日に産まれた事は

なんかきりがいいし昔から気に入っている。

1) はじめに 

November 04 [Thu], 2010, 10:15
はじめてのブログでどうしたらいいのかよくわっかてないので少し緊張してます

今までいっぱい色んな事があって、こんな私が再婚・新築一戸建て購入にまでなるなんて人生ってほんとどうなるかわからない

こんな人生を送ってきた人もおるというのも残したくてブログをしてみようと思いました

結構昔の事も書いていこうと思うのでパッと思い出した事とかで話がバラバラになったりするかもしれませんがご了承ください

気軽にのぞいていってもらえたらうれしいです
プロフィール
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  • アイコン画像 ニックネーム:MIZKI
  • アイコン画像 性別:女性
  • アイコン画像 誕生日:1979年10月1日
  • アイコン画像 血液型:O型
  • アイコン画像 現住所:兵庫県
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