落合恵子、講演「共に歩く、共に生きる」を聴く

October 12 [Fri], 2012, 23:30
落合恵子、講演共に歩く、共に生きるを聴く第五十回小諸市社会福祉大会の記念講演である。
たまたま、あぐりの湯で、ポスターを観ていたら、偶然この講演を知ったものである。
我々の世代は、若い頃に、同女史がセイヤングのパーソナリティー時代に、やっていた深夜番組に、随分、お世話になりながら、勉強をしていた世代である。
その後、子供の絵本専門店のクレヨンハウスや女性問題等、作家としての活躍をし、現在では、反原発運動などのオピニオンリとしても、活躍している。
自分の年齢を詐称するものがいるのに、女史は、歳をとること、年寄りになることを、むしろ誇らしげに、1945年終戦の年に、生まれたこと、しかも、自分の出生について、シングルマザーの母との関係を、15歳の多感な少女時代に、その理由を尋ねることになったことが、又、その母の答が、その後の同女史のライフワークに、多大な影響を及ぼしたそうである。
311の大災害を、HugReadのコンセプトの下に、上からの官製絆への大いなる疑念、マスメディアや報道の在り方への疑問、弱者である老人や子供をも、我慢させてしまう心的症候群、そこから、弱いものとしての子供と老人、そして、女性へと、感情を押し殺して、忍耐を強いられ、休めなくさせてしまう雰囲気と状況、元気な老人と、元気になりたくても、なれないそういう老人達の存在、差別する側と差別される側、それは、丁度、ベッドに横たわる人母を上から目線で眺めてしまう自分との対比、そういう社会的な風潮へのアンチテーゼとしての命よりも尊いものがあるのですかへと、導かれて行く。
原発問題への倫理的な考え方の導入も確かに、そういう唐ナは、必要なのかも知れない。
言葉とは、何だったのか言葉が、凶器になる。
偉そうな言葉で、国による不作為を何食わぬ顔で行い、善良な市民ボランティアという美しい行為に、福祉や介護が、委ねられることは、実は、本末転倒であると。
何とも、社会福祉大会での記念講演の主旨としては、皮肉であるが、実に、同女史の舌鋒は、鋭く、的を射ている。
ほとんどの聴衆が、実は、そう思っていたのではないだろうかとりわけ、同世代の女性参加者には。
確かに、いじめの問題も、子供と老人という合わせ鏡で考えてみれば、又、別の側面から、新しい在宅 求人視唐ェ、見つけられよう。
空より高くという東北の幼稚園児による歌声も、同女史の関わる曲目であり、その園児達によるエールの応援歌は、確かに、改めて、311を想起して、心打つものがあった。
それにしても、最近の政治の様相は、同女史の言ならずとも、怒髪天を突くように、無念であると、同女史の髪型は、詩人の新川和江女史曰く、ライオンのたてがみのように、白髪が怒髪天を突くようであると、。
この髪型も、実は、落合女史の母親の介護の中から、自ら選択したそうである。
福島の原発事故により、未だに、そして、これからも、避難を余儀なくされる人々、とりわけ、災害弱者である子供と老人へ、改めて、我々は、考え直さなければならないであろうし、決して、忘れてはならないであろう。
言葉としての響きは、美しいが、それは、本当に、美しい日本に、匹敵するだけの護るべき文化的な風土が、この国には、あるのであろうか、と、我々は、又、再び、言いたいことも言えないような自己規制とそれを強いるような状況に立ち至らないと、本当に、言えようかそうならないように、何をなすべきなのか、この講演を通じて、考えさせられるものがあったと思う。
福祉と介護を通じて、本当は、今の日本の状況への警鐘を鳴らしているのではないだろうかそして、一人一人の視唐ニは、
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