SMAPについて 【その1】 

April 09 [Mon], 2007, 22:59
SMAP(スマップ)はジャニーズ事務所所属の国民的アイドルグループ。1988年4月結成。1991年1月に日本武道館で最初のコンサートを行い、同年9月に『Can't stop!! -LOVING-』でCDデビュー。当初は光GENJIの弟分だった。所属レコード会社はビクターエンタテインメント。

【メンバー】
現在
中居正広(なかい まさひろ、1972年8月18日- A型)
木村拓哉(きむら たくや、1972年11月13日- O型)
稲垣吾郎(いながき ごろう、1973年12月8日- O型)
草g剛(くさなぎ つよし、1974年7月9日- A型)
香取慎吾(かとり しんご、1977年1月31日- A型)
脱退
森且行(もり かつゆき、1974年2月19日- B型)

【グループ名】
グループ名は「Sports Music Assemble People」の頭文字から取られた。意味は「運動と音楽を融合する人々」。前身であるスケートボーイズ(後述)のキャッチコピーが「Sports Music Assemble People」であった。 名前の由来には、ジャニーズ事務所社長・ジャニー喜多川のお気に入りだった尾崎豊の名曲『17歳の地図』の英訳「Seventeen’s map」からの引用であるという説や、光GENJIのメンバー、山本淳一の『週刊女性』2004年11月9日号に掲載されていた「元ジャニーズ事務所メンバー座談会」の中での発言から、光GENJIの中で社長がお気に入りだったメンバーの頭文字を取ってつけたことからである、などの説がある。しかしどちらも真偽の程は不明。

【グループの歴史1】
グループ結成は1988年4月。結成当時の年齢はそれぞれ中居15歳、木村15歳、稲垣14歳、森14歳、草g13歳、香取11歳。結成=CDデビューのグループが多い中、SMAPはCDデビューまでのJr内グループ期間が3年以上に渡り、その間アイドル番組やドラマ、舞台などに出演し、小中高生の間でアイドルとしての人気を確保していった。アイドル雑誌やメンバーのラジオには季節の変わり目になるとSMAPがCDデビューしないことについての疑問や怒りのハガキが届き、メンバーも「いつかはするから待っててね」のような発言を再三していた。
待望のデビューは1991年9月。当然のことながら当時SMAPを知っていたのは若い学生やいわゆるジャニーズファンが中心であり、一般認識はジャニーズのアイドル程度であった。また、彼らのデビュー時には、すでに光GENJIの勢いは無くなっていたものの、時代は空前のバンドブームの余韻を残しており、歌番組が次々と消滅し、新人アイドルを売り出す場が皆無という状況であった。SMAPはもちろん、前年にデビューした少年忍者と共に事務所としても売り出しに苦慮してたのが実情である。
しかしデビュー半年後の1992年4月、当時若者に絶大な人気を誇ったフジテレビの通称「Panasonic枠」にて、『夢で逢えたら』の後番組として開始した『夢がMORIMORI』が、彼らの転機となる。アイドルであるにも関わらず、彼らは本格的なコントを、出演しているドラマのパロディを、「アイドル」という自分たちを笑い飛ばした。当時彼らの発言に度々出てくるキーワードは「俺たちは身近にいる男の子って感じ」。「光GENJIが『ザ・アイドルそのもので王子様』だったのなら、自分たちは『みんなの身近にいる普通の男の子』だ」という発言。また、現在ではどのユニットでも当たり前のこととなっているが、彼らはCDデビュー後も個人活動を推進した。これはデビュー直後のグループとしては当時とても画期的なことだった。この個人活動の中でドラマの出演が多かった木村・稲垣・森を「ドラマ班」、バラエティ出演が多かった中居・草g・香取を「バラエティ班」と呼ぶようになる。
それまではジャニーズの中の1アイドルに過ぎなかったSMAPが1994年頃から老若男女・多くの層への人々に普及しだし、1995年、アルバム『SMAP 007 〜Gold Singer〜』で海外から大物ミュージシャン参加で話題を呼んだ。1996年、森且行が子供のころから憧れていたオートレースの選手になるためにグループを脱退(オートレースの養成学校に入れるのは23歳が上限であるため、22歳のときに脱退)。木村拓哉の人気が絶対的なものとなったのもこの頃。「視聴率は取れるが歌は売れない」と言われていたCDもそれまでの「ジャニーズ的」な曲からスガシカオ・山崎まさよしらから提供されるようになってからは「アーティスト」としての一面が強くなり、多くのミリオンセラーを記録、史上空前の大ヒットを起こした。日本全国規模で人気が急上昇し、ドラマ、バラエティ、CM、コンサート、舞台と多方面で活躍し始めた。そして今やアジア全域での認知度も高まり、知らぬものはいないほどの国民的アイドルとなった。また『ジャニーズカウントダウンライブ』や『ジャニーズ体育の日大感謝祭』など事務所を挙げたイベントには1996年10月10日の運動会を最後に参加していない。

SMAPについて 【その2】 

April 09 [Mon], 2007, 22:58
【メンバーの歴史2】
2001年8月24日、稲垣吾郎が東京都渋谷区の路上に車を止めていたところ、駐車違反の取り締った警察官に怪我を負わせたとして、公務施行妨害および傷害罪ならびに道路交通法違反の現行犯で逮捕された。本来ならば事務所およびグループ脱退、芸能界引退も辞さないものの、事務所は1年間の謹慎をさせることを決めた。翌年に稲垣はSMAP×SMAPの緊急生放送で復帰した。
2003年、フジテレビドラマ『僕の生きる道』の主題歌にアルバム『Drink! Smap!』に収録された「世界に一つだけの花」が起用される。ドラマ人気と相まってこの歌も注目をあび、急遽シングルカットを行い、250万枚を超える大ヒットとなった。『第54回NHK紅白歌合戦』ではグループとしては史上初、ポップス歌手としては25年ぶりに大トリを務めるという快挙をあげた。レコード大賞の候補に選ばれたが、歌の歌詞どおり「ナンバーワンでなくオンリーワンでありたい」との理由から大賞を辞退した。
2004年、シングルを一枚も出していないということを理由に紅白歌合戦を辞退した。アルバム『MIJ』に収録された「ススメ!」がTBSのアテネオリンピック関連の番組の主題歌(「〜アテネバージョン」として)になったこともあり、同曲がシングルカットされるのではないかと一部で言われていたが、結局実現しなかった。また、その年のクリスマスにスペシャルドラマ『X'smap〜虎とライオンと五人の男〜』にSMAP全員が出演し、話題になった。このドラマの主題歌「Song of X'smap」は当初、CD化未定となってたが、翌年発売されたシングル『友だちへ 〜Say What You Will〜』のカップリングとして、CD化されている。また、香取慎吾がNHK大河ドラマ『新選組!』で拘束されていたり、他のメンバーのスケジュールが合うのが『SMAP×SMAP』の収録日だけという状況だった為、コンサートツアーはなかった。従って2004年は、音楽活動がなく、殆どが個人活動だった。この為、2004年末に発売された各テレビ誌のお正月特大号では「まずは新曲を」「ライブがしたい」「プライベートや他の仕事はやり残した事は無いけど、楽曲面だけは・・・」と、SMAP5人での新曲を出せなかった事、ライブが開かれなかった事を非常に悔やんでいた(一説には、&Gの『Wonderful Life』がSMAP5人での新曲になる予定だった)。
2005年、2年ぶりにコンサートツアーを開始し、7月30日の札幌ドームを皮切りにスタートさせアーティストの単独公演としては初の国立霞ヶ丘陸上競技場でコンサートを行ったとして話題になった。ツアー開始に合わせ、シングル『BANG!BANG!バカンス!』とアルバム『SAMPLE BANG!』を同時発売し、発売当日でシングル、アルバム共にランキング初登場1位を記録し、3人組以上のグループの同じアーティストの同じ発売日のシングル・アルバムで同時に1位を記録するのは1993年のWANDS以来12年ぶりの快挙であった。以前『SMAP×SMAP』のBISTRO SMAPコーナーに宇宙飛行士の毛利衛・野口聡一が出演してこの時の勝者(稲垣吾郎・香取慎吾ペア)の料理と野口が希望した草g剛が作ったカレーと共に、野口聡一がスペースシャトル「ディスカバリー」に乗り込んだ。また、モーニングコールとして野口聡一が「世界に一つだけの花」をセレクトし機内で流れた。また、宇宙ステーションでは、そこにあった電子ピアノで演奏もした。各メディアから「SMAP、宇宙デビュー」などと報道された。2年ぶりに出場した紅白歌合戦では2度目の大トリを努めた。またスキウタアンケートで1位に選ばれた「世界に一つだけの花」を見事歌い上げ、視聴率上げに大きく貢献し、2005年の紅白はSMAP色に染まった。日刊スポーツでは「神様・仏様・SMAP様」と書かれた。紅白の影響が強かったのか「世界に一つだけの花」がオリコンベスト100に返り咲くという現象が起きた。
2006年9月9日CDデビュー15周年を迎えた。
NHK紅白歌合戦には、1991年より、ほぼ毎年出演し、2003年と2005年は大トリで歌った。尚、2001年は稲垣吾郎の不祥事により「5人で出演できないため」、また2004年は「新曲を発表していない」との理由で、出場を辞退している。ちなみに紅白のSMAPの部分は毎年視聴率が良い。
5年毎の節目にグループへ災難が降りかかるジンクスがある。1991年のファーストコンサートに香取慎吾が骨折しコンサートに参加出来なかったことに始まり、デビュー5周年の1996年には森且行の脱退、10周年の2001年には前述の稲垣吾郎の不祥事、15周年の2006年には草g剛のインフルエンザ、木村拓哉の副鼻腔炎、中居正広のはやり目、肋骨の疲労骨折、肉離れという災難が起こっている。これについて香取は「20周年は剛、突き指」とネタにしている。
スマスマなどでの普通なら芸人がする『パイ投げ』などの体を張ったコントや、ビストロなどで見せるエンターティナー性からか、『平成のドリフターズ』と呼ばれる事もある。
毎年、年末に発売される各テレビ雑誌のお正月特大号では1995年頃から表紙を飾っている(2001年末に発売された各テレビ雑誌お正月特大号は、8月に稲垣が起こした事件により謹慎中だった為、稲垣を除いたメンバー4人での表紙となった)。

仲居正広について 【その1】 

April 09 [Mon], 2007, 22:57
中居 正広(なかい まさひろ、1972年8月18日 - )は、日本の男性アイドルグループSMAPのリーダーである。ジャニーズ事務所に所属。血液型は、ABO式ではA型、Rh因子適合型では「CcDEe」(ザ!世界仰天ニュースより)。愛称は中居くん、マー君、広ちゃん。中井正広ではない。公称身長は165cm。イメージカラーは青。

【人物】
ジャニーズ史上初のバラドル男と称される。堂々とTV(SMAPのがんばりましょうにて)でパンツ姿を披露したのも、ジャニーズアイドルでは中居が初めて。どんな仕事に関しても厳しい姿勢を徹底しており、ドラマ伝説の教師で共演した松本人志も「非常に頭がよく仕事がしやすい」とコメントしている。そのような姿勢からドキュメント番組でスタッフやメンバーに対し怒ったりする場面もよく見受けられるが、周囲の人によれば「実はとてもシャイ」である。
自らケチで馬鹿だとアピールするなど、よくコメディアンに見られる自虐的な傾向を持つ。鞄をアワビと読んだ。足利尊氏を読むことができなかった。
歌が得意ではない…というより歌うことに自信を持っていないようで、音程がぶれる。有名な彼のネタがミュージックステーションの、『$10』の時、メロディを崩されかねないダミ声をごまかす為に、スタッフの陰謀でマイクの電池を抜かれていたというエピソード。が、SMAPファンがその全てであると言えるライブ会場ではかなりソロパートを持ちファンを感涙させる。一声歌っただけで観客から拍手が起こるような中居のような歌手は珍しいとメンバーにからかわれたことがある。だが、敢えて自虐ネタをファンの前で繰り返すのも特徴である(2006年のPop up! SMAP―飛びます!トビだす!とびスマ?TOURでは、怪我によりダンスができなかったが「僕には歌がありますから」などと発言している)。
小田和正に以前番組中にロッド・スチュワートを思い出させる声質だと励まされた事がある。また時折透き通るような声を出すため「声は一番いいのにねえ(なのに・・・)」と一部大物歌手に惜しまれている。金スマで綾戸智絵に歌唱指導を受けた(その際「あなたはファルセットが良い」と言われた)ことがある。バラードを歌う時はとても優しい声で歌う。
メロディラインがある曲より自分の声でメロディラインを作るラップの曲の方が上手く歌える(普通の人と逆)。
ライブではN・マッピーの名で作詞作曲の曲を披露する。全員で歌うために作詞作曲したもので有名なのは「Five True Love」「FIVE RESPECT」である。いずれもラップを基調とした曲である。
ブレイクダンスが得意。ただしバク転などは出来ない。体の硬いところと柔らかいところが両極端。ダンスの時の手足の動きはとてもしなやかである。本人いわく、メンバー中からだが一番小さいので目立つ動きを自分で工夫したらしい。
女装上手。SMAP×SMAPで見せた松浦亜弥のパロディ「まやや」は中居正広女装シリーズの中で最高峰の女装キャラだと言える。
また、当時「2時のホント」以外の仕事が殆ど無かったピーコが、SMAP×SMAPの中居の物真似「ヒーコ」から火が付き、再び売れっ子になるきっかけを作った。
オカマの人と共演すると必ずオカマキャラになる。
毎年夏になると真っ黒に日焼けをすることが多い。(最近はあまりない。)
赤ちゃんの面倒をみるのがうまい(サタ☆スマでその様子を見られたが、番組が終了した現在となっては、なかなか見ることができない)。
暗算がとても速い。(笑っていいともにて検証の結果とても特殊な方法で加算していることが明らかになった)。
熱狂的なジャイアンツファンで特に原辰徳のファン。原監督に抱かれてもいいくらい大好き。1992年に阪神タイガースのファン情報誌に応援コメントを寄稿してたり、SMAP×SMAPのコント「マー坊」の中で見せた野球選手のモノマネもミヤーン(元大洋)、八重樫(元ヤクルト)など巨人選手以外のレパートリーが主なことから、1995年の日本テレビ『劇空間プロ野球』のイメージキャラクターになった。巨人の選手や歴史にかなり詳しい。幼少時から一貫してジャイアンツファンである。
「NHK紅白歌合戦」の司会を務める際は、番組中に自身が司会をしている番組「うたばん」から派生したあだ名で出場アーティストを呼ぶことが多い(2002年・2003年にはモーニング娘。として出場の飯田圭織をジョンソンと、2006年にはWaTとして出場のウエンツ瑛士をホラッチョと呼んだ)。その他の番組でも出演者を呼び捨てで呼ぶ場合が多い。また同年代以下のタレントに対してはタメ口も日常的に使用している。
24歳の時に水戸黄門(TBS)の主要キャストであるうっかり八兵衛役のオファーがあった。
自分が出演したドラマの台本は、とっておいている(笑っていいとも!の発言より)。
あまり英語は分からなく、$10の意味さえも分からなかった。ミュージックステーションに出演した際、司会者のタモリに、「タモさん$10って何ですか?」と聞いたと言う事も有る。

【参加ユニット】
スケートボーイズ
SMAP
ジャニーズ草野球チーム

仲居正広について 【その2】 

April 09 [Mon], 2007, 22:56
【来歴】
神奈川県藤沢市出身。男3人兄弟の末っ子(三男)。藤沢市立明治中学校、私立平塚学園高等学校中退、東京都立代々木高等学校定時制卒業。この高校で木村拓哉と出会い、同じバスケットボール部に所属する。
デビュー当時は、ただの「明るくてうるさい奴」というイメージがあったが、93年頃からメンバーの「香取慎吾」が、あらゆるメディアで「繊細」「潔癖」「優しい」「誰よりもSMAPを愛する人」であることをアピールし、そのイメージが広くSMAPファンの間に浸透するようになる。
1996年に開始した「うたばん」以降、中居に対するそれまでのイメージ、キャラクターが崩れていき、現在世間で認識されているキャラクターに至っている。ただし、そのことがきっかけでただのジャニーズアイドルの枠を超えた層(例えば、普段ジャニーズに興味を示さない人たち)にもファン層を開拓していったことも事実である。
ソロの仕事のメインは司会業で、1997年、1998年とNHK紅白歌合戦の白組司会を2年連続で務め、2004年には、フジテレビ系27時間テレビでナインティナインとともに司会は4年ぶりに務めたほか、TBSテレビ系アテネオリンピック中継の司会進行を久保純子とともに務めた。 また1996年と1997年にもニッポン放送のラジオ・チャリティー・ミュージックソンを担当している。
熱狂的な巨人ファンとして知られるが、デビュー当初は阪神ファンの機関紙で熱烈な阪神ファンであると公言したことがある。SMAP(当時はまだ世間的にはそれほど知られていなかった)もよろしくお願いしますとその締めくくりで発言している。野球そのものが好きなようで、「伝統の巨人阪神戦」に拘りを持つファンの一人でもあるようだ。
2006年6月、流行性角結膜炎で初めてテレビのレギュラー番組の収録を欠席。
高額納税者、俳優・タレント部門の上位の常連。
2006年の目標は現状維持。
2006年の紅白歌合戦の司会を務めることになった。

【特徴】
俳優としてよりもバラドルとしての実力の方が一般認知されているが、演技力にも秀でている。素の明るいキャラが際立っているので、初期はそのような役柄にキャスティングされることが多かったが、近年では180度違う人間性を持つクール・冷血漢・冷静沈着・エリート・犯罪者などの役柄を演じる機会に恵まれ、新たな境地を開拓した。
実際のところ、俳優としてのキャリアはアイドル・バラドルのそれと同じくらい長く積んでおり、相応の場数を踏んでいる。中でも「白い影」「砂の器」「模倣犯」に出演の際は役作りに粉骨したらしいが、俳優一筋の人に対する遠慮もあり(加えて、本人が自分のイメージが固められてしまう事を恐れている節もある)、本人自らは決して努力を口にしないので、それらの話は実際に仕事に関わった周囲から漏れてくるものである。ふり幅の広い役者としての側面は、バラエティでの自己演出からも見て取れる。
愛車は、1996年6月から2000年12月まで販売されていたFY33型・日産シーマであり、長い間大事に愛用している事で広く知られている。時々、自ら出演するTV番組で披露する事もある。
もって生まれたヤンキー(母親がパンチパーマ)。基本は昔から茶髪(金髪もあり)。 ドラマのために黒髪にした後も、撮影終了直後には髪色を戻すことが多い。
髪の生え際の後退が進んでいて、それを隠すため前髪は立てず常に下ろしているなどと面白おかしく言うファンがいるが、オールバックにする事も多い。
スポーツ歴は野球とバスケットボール(高校時代、木村拓哉と共に所属)。
帽子(癖毛が嫌で、ほとんどと言っていいほど被っている。冬はニット多め)・アクセサリー(ネックレスと指輪は毎年誕生日に変わる。また指輪は本人いわく「しなかったら死ぬ」)・リストバンド・時計等が好きで数多く所有している。
RIP SLYMEのSUの姉と、FUMIYAの兄は小学校・中学校時代の同級生で今井翼は後輩。
神奈川県(特に、茅ヶ崎方面)の人にみられる方言(語尾に「〜だべ」をつける)、父親が北海道岩内町出身だからという説も有力(→関連北海道方言他の表現・活用)。メディアによると、最近の女子高生における方言ブームの元祖はこの人である。
「オリコン・モニターサーチアンケート」の「司会をしてほしいタレント」、「帽子が似合うタレント」の男性部門で首位を獲得した。
最近は「白い影」「砂の器」の影響でおばちゃん層(F3)に人気。「味いちもんめ」などの頃から年配層のファンを持っていたが、紅白の司会などの頃からそのファン層をさらに増やしていった。「ナニワ金融道」など男性受けする出演ドラマも多かったことも特徴のひとつである。
カメラが回ると切り替えが早いことで有名。
最新の家電製品が苦手。家では未だにVHSのビデオデッキを使っている。携帯電話も12年間同じ機種(NTTドコモのPシリーズ。おそらくはデジタルムーバPと思われる)を使い続けていたほど(しかし2006年4月についに使用不能になってしまったため、最新機種に買い換えたとのこと)。また携帯電話のメール機能は未だに使ったことがないという。
主演映画「模倣犯」の宣伝で2002年06月14日放送のぐるナイゴチ3にゲスト出演した時に、13+5を12と答え計算能力の無さを露呈、更にその後の値段予想でも矢部から「お前アホやろ」とか後輩の国分太一から「だから先輩だと思えないんです」と酷評される。しかし最終的にはピタリ賞100万をゲット、最下位となった国分から「やっぱSMAPってすげーなぁ」と言わしめた。

木村拓哉について 【その1】 

April 09 [Mon], 2007, 22:55
木村拓哉(きむら たくや、1972年11月13日 - )は、千葉県千葉市出身のアイドルグループSMAPのメンバー、ジャニーズ事務所に所属。血液型はO型。公称身長は176cm。妻は工藤静香。

【来歴】
生まれは東京都。小学校入学直前まで、大阪府箕面市に住み、小学校以降は千葉県千葉市で育つ。
1988年、千葉県立犢橋高等学校入学。
1988年4月、スケートボーイズの12人のメンバーの中から中居正広、木村拓哉、稲垣吾郎、森且行、草g剛、香取慎吾の6人でSMAPを結成。
1989年、東京都立代々木高等学校定時制編入。
1991年、東京都立代々木高等学校定時制卒業。
1991年9月9日、SMAPのメンバーとして『Can't stop!! -LOVING-』でCDデビュー。
1993年、テレビドラマ『あすなろ白書』の取手治役でブレイク。
1994年、テレビドラマ『若者のすべて』の陰のある青年(上田武志役)を演じ好評を得る。
1995年、テレビドラマ「人生は上々だ」で大上一馬役を演じる。ダウンタウンの浜田雅功と共演。
1996年、テレビドラマ『ロングバケーション』で初の連続ドラマ主演、最高視聴率36.7%を記録し、人気を不動のものにする。
1996年、写真集『木村拓哉』(撮影/横須賀功光)を出版。なお、この写真集にはジャニーズ事務所は一切関与していない。
2000年、テレビドラマ『ビューティフルライフ』で最高視聴率41.3%を記録。
2000年11月23日、工藤静香との婚約会見を行い、12月5日に結婚。
2001年、2006年、テレビドラマ『HERO』で全話視聴率30%以上を記録。
2001年5月1日、長女が誕生。
2003年2月5日、次女が誕生。
2003年、テレビドラマ『GOOD LUCK!!』で最高視聴率37.6%を記録。
2003年、フォトエッセー『開放区』を出版。
2004年、映画『2046』でカンヌ国際映画祭に出席。
2004年、映画『ハウルの動く城』で主人公ハウル役を声優として演じる。
2006年、雑誌『anan』の好きな男ランキングで13年連続1位を獲得。
2006年、写真集『%パーセンテージ』を出版。
2006年、初オフィシャルDVD『一分TAKUYA KIMURA』発売。

【参加ユニット】
スケートボーイズ
SMAP

木村拓哉について 【その2】 

April 09 [Mon], 2007, 22:54
【人物】
人間観察が得意で、最も得意な物真似は『古畑任三郎』(余談だが木村は劇中で犯人役を2度演じている)。その他に田原俊彦、松田優作など。パロディコント『古畑拓三郎』『探偵物語ZERO』はファン以外からも評価が高いものとなった。
最近では平泉成の物真似が気に入っている。(2007年、さんタクより)
サッカー観戦、サーフィン、ダーツ、ビリヤード、釣り、カメラ、映画鑑賞、音楽鑑賞(主に洋楽。ロックを好む)等、多趣味で知られる。過去スノーボードも趣味としていたが、数度の怪我により辞めた。
アニメが好きで特に銀河鉄道999、ガンダムに思い入れがある。漫画ONE PIECEが愛読書。入浴中や移動中のときによく読んでいる。
ドラマでのファッションが話題になる。髪型についても同じであり、ファッションリーダーの地位を長く築き続けている。愛用のサングラスはティアドロップタイプ。100個以上所持。
トレードマークとなりつつあるロン毛自体も、木村が髪を伸ばし始めた96年当時は最初のチーマーブーム等が去り下火だったが、木村の人気に伴い再びブームとなった。
「キムタク」という愛称は、始めは女子高生の間でつけられた愛称として喜んでいたが、その後面と向かって呼ばれるよりもマスコミに取り沙汰される時に多用されることや、「キムタク」という素の自分ではない虚像が一人歩きしているように思うようになり、呼ばれることを嫌うようになる。FMVのCMでは、石田純一に「キムタ」と呼ばれ「略さないでよ」と嫌がるコント場面もある。 ちなみに、中国でもキムタクと言う愛称は定着しているようである(2006,11,10の、木村拓哉のWhat's up SMAPにて判明)
努力家で、真面目・頑固。遅刻はほとんどせず、できないことは居残ってでも出来るまで練習するというひた向きさを持つ。「芸能人っぽい」と言われることを嫌い、待ち時間も楽屋よりもスタッフのいる現場にいる時間の方が長く、スタッフとのコミュニケーションを大切にする。
学生時代は剣道部・バスケットボール部に所属。
SMAPのメンバーの中で唯一の既婚者。家族のことはあまり話さない。明石家さんまや中田英寿とプライベートでも家族ぐるみでの交流がある。
愛犬はラブラドール・レトリバーのボニータ。名前はマドンナの「ラ・イスラ・ボニータ」から付けられた。幼い頃に獣医師を夢見たほどの動物好きである。「君を忘れない」で共演した子犬を引き取り実家で育てたというエピソードもある。
バラエティ番組に殆ど出演しないため、芸人やグラビアアイドルとの共演はほとんどないが、本人はかなりのお笑い好きである。「笑っていいとも」にて一度だけ、テレホンショッキングのポスター係として登場したことがあるが、番組上では新人ADを装うというサプライズを提供したことがある。(松たか子出演時)
SMAPのメンバーの中では会話はツッコミ役になることが多い。会話内容をよく聞き、ツッコミのポイントを拾うことが得意である。「SMAP×SMAP」の「BISTRO SMAP」のコーナーで香取の「美味しいリアクション」に良くツッコミを入れている。
同姓同名のプロ野球選手木村拓也と『SMAP×SMAP』で共演した。
1998年以降は年に1本のペースで連続ドラマに出演していたが、 1999年は連続ドラマの出演はなく、2006年はゲスト出演のみであった。
これまでドラマで様々な職業、キャラクターの役柄を演じ、高視聴率を弾き出してきたが、どの役もいわゆる「キムタク節」と呼ばれる独特の台詞回しのせいで「どの作品でもキムタクを演じているだけ」と批判する声もある。
2005年に放送された「エンジン」では、共演する子供たちへの「どけよ」、「ウゼーんだよ」等の乱暴な台詞が批判された。またこの当時、平均視聴率が木村拓哉主演ドラマとしては22.4%と比較的低く(20%を下回った回もあった)、このため週刊誌等で「その人気に翳りが見えたか」と囁かれた。
『惜しい』と言う言葉が嫌い。(2007,1,9 ぴったんこカンカンでテニス中本人が言っていた)

【受賞】
1994年第7回石原裕次郎新人賞…映画『シュート!』の演技による
1994年度エランドール賞・新人賞…映画『シュート!』の演技による
1994年第11回ベストジーニスト
1995年第31回ギャラクシー賞・奨励賞個人…テレビドラマ『若者のすべて』の演技による
1995年第12回ベストジーニスト
1996年第13回ベストジーニスト
1997年第14回ベストジーニスト
1998年第15回ベストジーニスト(殿堂入り)
1999年度放送文化基金賞・男優演技賞…テレビドラマ『ビューティフルライフ』の演技による
2006年度第30回日本アカデミー賞 主演男優賞のノミネートを辞退

稲垣吾郎について 【その1】 

April 09 [Mon], 2007, 22:53
稲垣 吾郎(いながき ごろう、1973年12月8日 - )は、日本の男性アイドルグループSMAPのメンバーである。ジャニーズ事務所に所属。血液型はO型。愛称はゴローちゃん。最近は「ほんとにあった怖い話」の影響+年齢的なことから(?)吾郎さんと呼ばれる事も。 身長175cm。

【来歴】
東京都板橋区出身。堀越高校卒業。ジャニーズ事務所のオーディションを受けたのは、同グループの木村拓哉・香取慎吾と同日。姉が黙って写真を送り、「ゲームを買ってあげる」と言って連れて行かれた場所がオーディション会場だった。
高島平団地で生まれ育つ(稲垣がTV番組の中で発言)。
ファミ通で「いい電子」を連載しているみずしな孝之とは、中学時代の同級生である。
SMAP内では一番早く世に知られブレイクした実績を持つ。
1988年 スケートボーイズの12名の中からSMAP結成。
2001年 8月24日 東京都渋谷区内で道路交通法違反、公務執行妨害罪、傷害罪で現行犯逮捕された。
この事件報道の際、通常は「稲垣容疑者」とされるところであるが、テレビ局では、ジャニーズ事務所への配慮から“稲垣メンバー”なる不自然な呼称が用いられた(報道におけるタブーを参照。新聞などでは「稲垣容疑者」と記された)。2ちゃんねるでは利用者がこの「稲垣メンバー」という呼称を朝日新聞社主催「ワード・オブ・ザ・イヤー2001」にランクインさせようという動きが起こり、結果3位にランクインされた。呼称としては風化しているが、ネット上では蔑称として使用されている。
2002年1月14日謹慎明け。
2004年1月 ドラマ『僕と彼女と彼女の生きる道』(草g剛主演)の主題歌『WONDERFUL LIFE』を&G(アンジー)名義で歌う。
2006年、映画『ONE PIECE カラクリ城のメカ巨兵』に声優として出演。

【参加ユニット】
スケートボーイズ
SMAP

【性格】
イメージアイテムともなっているワインについてはソムリエ資格も所持することもありかなりの知識を持っている。歴史マニアという一面も持ち、平安時代や戦国時代など日本史が得意で、草g剛が時代劇に出演するようになってからは知識指導していた。
基本的にSMAP内では、草g剛同様、控えめな性格である。しかし、番組では草gと同じぐらいいじられている。デビュー時からクールでナルシストなイメージがあるが、実際は自他共に認めるおしゃべりで、メンバーの中でも陽性な性格でもある。
髪が癖毛な為、髪型を気にしているのは有名。また、デビュー当時はスポーツ歴で「散歩」と言っていたほどスポーツには縁が無い。しかしマラソンではSMAP内でも一番速く、体力がある。
踊りに癖があり、ほかのメンバーの踊りを見ながら踊っている。
利き腕は左。
地味なSMAP内では唯一女性関係が華やかで話題を振りまいてる。しかし、30歳を超えた頃からは落ち着いてきており、以前のような話題提供は減った。
プライベートでは、幼少時から現在まで木村拓哉とよく遊んでいる。
意外と大食い。
貴公子のようだが、おもしろい一面もある。

稲垣吾郎について 【その2】 

April 09 [Mon], 2007, 22:52
【演技】
初期の頃は顔立ちから育ちの良いお坊ちゃん役が多かったが、以降のドラマでは悲劇的な男の役や、いじめられ役が多い。世にも奇妙な物語の「顔を盗まれた」で主演した際には、共演女優の国分佐智子から引っ叩かれた挙句に濡れ衣を着せられ詰られるというシーンも見られた。最近はシリアスよりもコミカルな演技の評価が上がっている。
10代の頃よりSMAP内でいち早くドラマ出演、たくさんのドラマや映画に出演してきた。NHK、映画出演はSMAP内で一番多い。
ドラマや映画もクールでナルシストな役所が多いので一般的にもそのイメージが定着しているが、実生活のイメージもそれに近いもので、基本的にクールでマイペースな人柄。近年のドラマ・映画では女性に甚振られる役柄も多い。
近年は実話に基づいたヒューマンドラマ路線も開拓しており、9.11(2004年9月11日 フジテレビ系)飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ(フジテレビ系)などでの家族を愛するヒューマニティ溢れる父親役での評価も高い。
片岡鶴太郎からの引継ぎとなった金田一耕助シリーズ(フジテレビ系)が新たな代表作になりつつある。以前には明智小五郎も(テレビ朝日系にて)演じており、小野寺昭に次いで金田一・明智の両方を演じた史上二人目の役者となった。

【特徴】
ワイン好き。実際にソムリエの資格を持っている。
ダンスが苦手。でも覚えるのは意外に早い。
愛車はシトロエン・DSである。
クールなイメージだが意外によくしゃべる。
髪型をよく気にする。(湿気などの具合が分かるらしい)
デビュー当時から他のメンバーに比べてほとんど髪型が変わっていない。でも本人は変わっていると言っている。
モーニング娘の新垣里沙に似てると言われるらしい(2003年の年末のスマスマにて)。新垣が「ガキさん」と言われる前までには、彼が、ナインティナインの矢部浩之に「ガキさん」と呼ばれていた。
ものまねをたまにやる。(石原良純・椎名林檎・平井堅など)
フジテレビ系列の春及び秋の新ドラマ対抗で優勝を争う「笑っていいとも!春・秋の祭典スペシャル」の名物コーナー・いいともアーチェリーでは2005秋・2006春の史上初の連覇を達成(2006春は前回王者と言う事も有ってか大トリを担当した)。
中学の同級生に4コマ漫画家のみずしな孝之がいた。いまも交流がある。
高校の同級生に夏川りみ、佐藤アツヒロ、赤坂晃、桜井幸子がいた。
クラゲに刺されたことがある。
普通自動車運転免許はオートマチック限定である。
東京ヤクルトスワローズのファンであり、日テレでの野球中継に全員で出演した時、野球に疎い香取がヤクルトのマスコットを「スズメ」と言った後に激怒したほどである。
機動戦士ガンダムの熱狂的ファンであり、宇宙世紀の歴史に大変詳しい。
声が甘いエンジェルボイス(木村拓哉命名)
合宿所時代、城島茂と同じ部屋だった。
視力が悪い。メガネを結構持っている。
メールについては博士。(Goro's Barで言われる)
2006年シンクロ公式サポーター「マーメイドプリンス」(自分で命名:シンクロソムリエ等自身で考えた候補の中からスタッフと話し合うも自分で決断、命名。本人が9月10日、ライブMCで公表。話すほど客がひき、木村に指摘された。)
2006年9月9日、国立競技場ライブでSMAP15周年。10周年に参加できなかったため感慨深い、嬉しい、とコメント。(10周年時活動を休止していた)
SmaSTATION-5の「月イチゴロー・イナガキベスト5」のコーナーでは、映画に対して非常に含蓄のある鋭いコメントをしており、SMAPでの活動とは違う面が伺える。

草g剛について 【その1】 

April 09 [Mon], 2007, 22:51
草g剛(くさなぎ つよし、1974年7月9日 - )は、日本の男性アイドルグループSMAPのメンバーである。ジャニーズ事務所所属。血液型はA型。愛称は「つよし」「つよしくん」「つよぽん」「なぎちゃん」「チョナン・カン」など。身長170.4cm(「ぷっ」すまでの身長測定で発覚)。

【来歴】
愛媛県西予市生まれの埼玉県春日部市育ち。
小学生のときは器械体操部に所属し部長を歴任。国体→オリンピック出場を目標にしていた。その後、テレビで見た少年隊に憧れてジャニーズ事務所に履歴書を送り、中学1年の頃、ジャニーズJr.のメンバーとなった。
お笑い芸人のビビる大木とは同じ春日部育ちで同じ幼稚園及び中学校の同級生であり、お互い知っているが、草なぎは笑いを取るために大木のことを気遣いあえて「知らない」ことにしている。
1988年4月、13歳の頃スケートボーイズの中からSMAPのメンバーに選ばれる。
堀越高等学校を3年間無遅刻無欠席の皆勤賞で卒業。堀越学園卒業時に全コースから学業優秀、品行方正の卒業生1人に贈られる堀越賞を受賞した。なお、卒業後に活躍した有名人も数多い堀越高芸能コース卒業生であるが、芸能コースの生徒で受賞したのは草gが初めてという快挙であり、その後も声優・歌手の水樹奈々しか例が無い。
当初草gはSMAPのメンバーの中でも目立たない存在だったが、1997年にドラマ『いいひと。』で一躍ブレイクした。
1999年に『蒲田行進曲』(2000年に再演)のヤス役を演じた事をきっかけに、役者としての才能が開花。「彼には教える事が何もない」「彼はジャニーズの白い悪魔である」「天才であり天使である」「彼は魔物を持っている」と、つかこうへいをして言わしめた。その演技に対しては“つか作品ファン”をはじめとした舞台通からも絶賛され、これにより草gの演技力は、幅広く認知されることとなった。その後も多くのドラマ・舞台・映画などに出演。
2003年、初主演映画『黄泉がえり』(共演:竹内結子・柴咲コウ)が異例の大ヒット&ロングラン。
2004年6月25日には主演映画『ホテルビーナス』がモスクワ国際映画祭に出展され、パースペクティブ・コンペティション部門の最優秀作品賞を受賞。
2003年の長者番付ではジャニーズ部門で首位になった。
2003年まで5年連続男性ベストジーニストに選ばれ、殿堂入りを果たす(これまで6回受賞している)。
2005年12月7日放送の『2005FNS歌謡祭』では初の司会を担当。
2006年夏、柴咲コウと共演した『日本沈没』が初登場1位、興行収入500億円を突破する大ヒットを記録。過去のジャニーズタレントが出演した実写映画の中でNo.1ヒットとなった。また、アジアや欧州など16カ国で上映されることとなり、韓国においては210館と日本映画としては『ハウルの動く城』(237館)に次ぐスクリーン数(実写としては最大規模)で上映され、邦画としては初めて初登場1位を記録した。
韓国放送協会主催ソウル・ドラマアワーズ2006にて『海峡を渡るバイオリン』が短編ドラマ部門の最優秀作品賞を受賞し、授賞式に出席した草gは韓国語であいさつし出席者から大きな拍手を浴びた。

【参加ユニット】
CHA-CHA(末期に短期間在籍)
スケートボーイズ
SMAP

草g剛について 【その2】 

April 09 [Mon], 2007, 22:50
【人物1】
腰が低くて礼儀正しく無機質、理性的で天然(事務所で最強と言っても過言ではない)。
描く絵は独創的で、TV番組『「ぷっ」すま』の『新·記憶力絵心クイズ』のコーナーでは“画伯”と称されている。描いた絵はお題とはかけ離れたものばかりだが、時々「神が降りた」といわれる奇跡が起こる。
バラエティ番組において、お題に対する答えもシュールなものが多く、共演者や観客がついていけないこともある。
歌唱力は決してある方ではないが、声の良さには昔から定評があった。また、ダンスの才能はSMAPのメンバーの中でも一番だと言われている。
大のジーンズ好きで、知識が豊富である。
好きな女性のタイプは和服が似合うしとやかな人。
10代の頃から子供が好きではないことを自称していたが、ドラマで子役(美山加恋など)と共演する機会も増え、子供嫌いのイメージはなくなった。
中学時代、地下鉄で不良にからまれ駅のトイレに誘導される途中、背後から傘で攻撃しようとしたが、偶然通りかかった香取慎吾の父に「卑怯だ!」と制止された(と、1999年11月8日に放送されたSMAP×SMAPで暴露された)。
プライベートは徹底的に隠す。「何処に住んでいるか知らない」と香取慎吾や木村拓哉がテレビで証言している。時々メンバーに車で送ってもらっても、実際に住んでいる場所から少し離れた場所で降りて、ひとりで歩いて帰宅する。もっとも、ごくごく一部の熱狂的ファンの中にはどういう経緯でか居場所を突き止め、そのファンに「家にいるんだろ!?」「風呂入ってるんだろ!?」と叫ばれたこともある。
SMAPのメンバーや仕事の関係者たちと草野球チームを作り、休日には試合をすることもある。草gは外野手兼投手で右投げ左打ち、背番号は12。
毎年正月休みはほとんど、伊豆にあるタモリの別荘で過ごしている。そのため、タモリの遠い親戚等に「一義にこんな息子のおったと?」と言われた。
韓国語の勉強に熱心で、全編韓国語の映画『ホテルビーナス』において、韓国語を披露している。(勉強途中に、逆に日本語の語彙が出てこないこともあったという。)
そのため、『SMAP×SMAP』において、韓国人ゲストとの会話では韓国語で話し続けるため、他のメンバーがついていけないことがしばしばある。 
もともと大の酒好きで、「ぷっ」すまでは番組収録の際、酒を飲むこともあり、相方のユースケ・サンタマリアやスタッフからお叱りを受けることも(ちなみにヤクルトも大好き)。一方、ドラマや舞台などが集中する期間は、禁酒を実行するほどのプロ意識も見せている。
タバコは20代まで吸っていたが、30代になってから禁煙した。
水泳、器械体操、剣道、タップダンスが得意。
特技はバック転、バック宙。中でも「Smap! Tour! 2002!」で見せるバック転、バック宙は壮観である。
マイペース。
本人は全く悪気がなく、受けを狙った言葉が意外と核心を突き芸人クラッシャーの異名も。
SMAPがデビューする直前までCHA-CHAのメンバーも掛け持ちしていたが、CHA-CHAとしてデビューしているわけではない。
今までの草g主演ドラマの主題歌でSMAPの曲はすべて大ヒットしている。
『いいひと。』×『セロリ』
『フードファイト』×『らいおんハート』
『僕の生きる道』×『世界に一つだけの花』
『僕の歩く道』×『ありがとう』
演技力は若いころから持っていたのだが、10代のアイドルとしては迫真のもので、リアルであるためしばしばかっこよさに欠けていた。アイドル映画やドラマでは周囲と調和せず浮いてしまう存在でもあった。それが、20代後半に逆転した。アイドルからの脱皮を求められると高い評価を受け、周囲も演技力を認めるようになりドラマへの出演が多くなっていった。
評価が高くなり、ドラマに割ける時間が多くなると、別録りされていた場面が少なくなり彼の演技力にますます磨きがかかっている。
しかし、その高い演技力によってドラマはヒットするものの、草gが大物になっていくにつれて、スペシャル版や続編といったものの製作が難しくなり、ドラマの後日談は「特別編」として総集編が組まれることが多くなってきている。完全な新作としてのスペシャルものは2003年に放送された「TEAM 4」が現在のところ最後の作品となっている(ちなみに、TEAMについては草g自身が「映画にしてもいいくらいである」といった趣旨の発言をしており、ストーリー的には完結していない)。
『僕の生きる道』では「役作りのために5kg減量した」と言っていたが、これはファンを心配させないための配慮で実際は役作り前から9kg絞っていた。その後暫く食欲も体重もなかなか戻らなかった。その後、主演映画『ホテルビーナス』のオファーの際、筋トレを始める。その理由は「トラウマを抱えた繊細な青年の役なので、そのコンプレックスの裏返しとして筋肉をつけて体躯を強靭にして欲しい」と監督からの要請があったため。その結果、映画のクランクイン時に体重を60kgまで増やした。(これは筋肉をつけただけでの増量であり、体脂肪によるものではない。)
その演技力は、超長期連載中の少女漫画『ガラスの仮面』の主人公「北島マヤ」に例えられる事もある。
ナレーションのときの落ち着いた感じの声は森本レオの後継者といわれている。
これだけ俳優としての評価が高いにもかかわらず、自分たちの看板番組であるSMAP×SMAPのコント(および番組内劇)では全くといっていいほど必要なさそうな役や数秒のみの端役ばかりやらされ「これ俺じゃなくてもいいんじゃないの?」が同番組の持ちネタの一つともなっている。このことから同番組の総集編やランキング版の時には「草gのしょうもない役」の特集が組まれることも多々ある。
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