謡曲 雷図

May 26 [Sat], 2012, 18:10
私は、東京の大学で東洋美術史を専攻している学生。
近世の日本美術、その中でも主に江戸琳派についての研究に取り組んでいる。
この春からは大学院に進み、酒井抱一とその周辺の画家たちと英国のアーツアンドクラフツ運動の、その類似性と連動の可能性について調べている。
私が初めて抱一の作品に強く惹かれたのは、祖母に連れられ出光美術館を訪ねた時のことだった。
当時、私はまだ小学生だった。
商社務めの父は海外にいることが多く、麻布で小さな輸入雑貨店を経営していた母も、土日に家にいるようなことはまずなかった。
かといって、私が寂しく日々を過ごしていた子供だったかといえばそうではなく、代わりにまだ元気だった祖母が、随分と気にかけ構ってくれた。
祖母は休日ともなれば私の手を引いて、寄席や歌舞伎、デパートの催事や美術館へと、あちこち連れて行ってくれた。
のちに私が日本美術に傾倒していったのは、祖母の影響であることに間違いない。
その日、祖母はまず私を千疋屋へ連れて行き、フルーツパフェを御馳走してくれた。
甘いクリームやとろけるようなフルーツを頬張り目を細める私を見つめながら今日は少し、美術館に御付き合いしてねと優しく微笑んだ祖母の顔を、今でも思い出すことができる。
千疋屋から日比谷までの道を、祖母と並んで歩いた。
銀座と日比谷が隣り合っていることを、その時初めて知った。
改装前の出光美術館は、今よりももっと和風な作りだった記憶がある。
何しろ10年以上も前のことで細部はうろ覚えだが、エレベーターに乗る前に守衛に敬礼され妙に緊張したことだけはなんとなく覚えている。
今思えばそれは、江戸琳派の展覧会だったのだろう。
酒井抱一の作品を中心に、鈴木其一などの江戸琳派の作品と、関連作品として尾形光琳や俵屋宗達も何唐ゥあったはずだ。
勿サれは、後になって調べたことで、当時は綺麗な花鳥風月の描かれた屏風や色紙に、なんとも言えない雅やかさを感じたにすぎなかった。
そんな中で一刀B
子供心にも、強烈に印象に残った作品があった。
それは二曲一双の屏風だった。
二匹の鬼が向かい合い、一方は太鼓を背負って虚空に足をかけ、一方は大きな袋を持って今にも駆け出そうとする図。
酒井抱一の風雛巨図屏風だった。
余りの迫力に思わず展示ガラスに手をついた。
祖母は、後から絵を見る人が、指紋や手形のついたガラスでは気の毒でしょと私を嗜め、それから、この絵が気に入ったのと尋ねた。
この風雛巨図はね、元々俵屋宗達さんが描いた絵なの。
それを尾形光琳さん模写したのね祖母は私の顔を見つめて愉快そうに笑う。
その絵を酒井抱一さんがまた写したのよ。
抱一さんは光琳さんの大ファンだったからまるで近所の知人や親せきの消息でも語るように、祖母は話した。
宗達さんの画は、たしか京都の建仁寺にあった筈ね。
少し遠いわね祖母は私の前に腰を落とし、私と同じ位置に顔を持ってきた。
でも光琳さんのは、上野の博物館にあるから、そのうち見ることが出来るわ私は祖母から目を逸らしもう一度風雛巨図を眺めた。
祖母の顔があまりに近く、なんだか恥ずかしくなってしまったのだ。
今度は上野の博物館に御付き合いしてね。
精養軒でハヤシライスを食べましょうその翌年の冬、祖母は入院し、半年の闘病の後に亡くなった。
私が光琳の風雛巨図を見たのは、高校に入ってからだった。
京都からの新幹線は混んでいた。
前日に座席指定をしておいて良かったと思った。
宗達の風雛巨図屏風はさすがに素晴らしかった。
数年前に、東京博物館の展覧会で見て以来だった。
平常展示館が改装中は見られないものと諦めかけていたが、今回の特別公開は本当に幸運だった。
やはり、写真や複製を見るのと実物では違うと思った。
一泊二日の滞在だったが細見美術館にも寄れて幸いだった。
自分の席に腰を降ろした私は、キオスクで買ったミネラルウォーターで口を湿らせながら、ざっと車内を見渡した。
殆どの席が出張帰りらしいスーツ姿で埋っている。
髪をシュシュで束ね、チパンにジャケットを羽織っただけのフィールドワーク姿の私は、いささか浮いていたかもしれない。
二人掛の隣の席には、軽く会釈して白人の男が座った。
私は窓枠に肘をかけて外を眺めていたが、ふと、隣に座った男が座席の前のテーブルに置いた本に目が留った。
岩波文庫の万葉集秀歌集。
へぇ、と思った。
横目で男を見る。
手に持った何かをじっと見つめ、幾らか思いつめたような表情を浮かべている。
よく見るとそれは、笹の葉寿司だった。
万葉集は解しても笹の葉寿司の食べ方は判らないのか。
そう思うと少し可笑しくなった。
私の視線に気付いたのか、男はこちらを向いた。
その葉は柿の葉です。
食べられませんよ男は手の中の柿の葉寿司を見て、あぁと小さく笑った。
家にあれば笥に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る男が口ずさんだのは、有馬皇子の歌だった。
男は柿の葉寿司を指さしながら丁度、こんな感じだったのかなぁと思ったら、ちょっと切なくなってしまいました。
男は柿の葉寿司を眺めながらなんとも複雑な表情を浮かべた。
私は恥ずかしさに顔が赤くなる思いだった。
そんな私の気持ちを察したのか男は、柏餅の葉っぱを食べて、お腹を壊したことはありますとおどけて見せた。
男はフランスからの留学生だった。
子供の頃に見たアニメを切っ掛けに、日本に興味を持ったのだと言った。
ドラゴンボール私がそう言うと男は首を振り、鋼鉄ジーグ。
邪馬台国の卑弥呼と未来のサイボーグが戦うファンタジーですと言った。
残念ながらこのアニメを知っている人はあまりいません。
永井豪の最高傑作です私も知らなかった。
男はその後日本の古代史に興味を持ち、それが高じて今では日本に留学するまでになったのだと笑った。
専門は万葉集。
特に有馬皇子や大津皇子といった悲劇の皇子に関連する歌について研究しているのだという。
さっきの有馬皇子ですが、彼が謀反の疑いで処刑されるたのは19歳の時です男は食べ終えた柿の葉寿司の葉を眺めながら続ける。
処刑を命じたのは中大兄皇子。
後の天智天皇、有馬皇子にとっては従兄弟になります男は柿の葉をきれいにたたみ、テーブルに乗せた。
身内の殺し合いは日本のみならず世界中の王位継承につきまとう話です。
が、この有馬皇子は、一切の弁明をすることなく処刑されます男は万葉秀歌集をとり、開いたページを示す。
たった二首の歌だけを残してそこには、男が先ほど口ずさんだ歌とは別の歌があった。
磐代の浜松が枝を引き結びま幸くあらばまた還り見むパリの大学に在学中に、ゼミで有馬皇子はペシミストだったんだろうと発言して、教授に酷くなじられました男は可笑しそうに笑う。
再び柿の葉を手に取る。
君は日本人のメンタリティに対する理解が足りない。
一度日本に行って歌枕見てまいれ、と男はウィンクしながら言った。
藤原実方にでもなった気分で、はるばる日本へ来たのです男は柿の葉を笹船のように折り、目の前で揺らしてみせた。
鋼鉄ジーグよりは判りやすい、だがすぐには笑えないようなジョークだった。
オタクは、世界中にいるのだと実感した。
藤白のみ坂を越ゆと白妙のわが衣手は濡れにけるかもこれは有馬皇子を追悼して詠まれた歌です。
鳥となりあはれ呼びつつ見らめども人こそ知らね松は知るらむこちらは山上憶良。
岩代の岸の松が枝結びけむ人は還りてまた見けむかも岩代の野中に立てる結び松心も解けずいにしへ思ほゆ長忌寸意吉麻呂は二首詠んでます。
男は次々と有馬皇子への追悼歌を朗じる。
有馬皇子の歌が個人のペシミズムに根差した歌なら、ここまで人々の心を打つことはなかったでしょう。
彼の歌には日本人の死生観に繋がるような本質的な儚さがあるのです男は本を閉じる。
その儚さのもつ美こそ、のちの人々を惹きつけてやまないのだと思うのですが、その辺はまだ研究の途中でそう言って男はもう一度小さく笑った。
実は、今日は有馬皇子の祀られている藤白錘ミに行った帰りなのです男にあなたはと聞かれた。
私は風雛巨図屏風を見てきたのだと答える。
京都博物館宗達ですかうなずきながら、さすがオタクだと思った。
私もあの絵が好きです。
男は嬉しそうだった。
私は絵の事は良くわかりませんが、あの絵はとても文学的です私は首を捻る。
あの絵は代表的なものだけで四つあります。
まず、あなたが見てきた宗達男の声が少し高くなった。
そして光琳。
こちらは東京国立博物館にありますそれは先月に見たばかりだ。
さらに、光琳から百年後、酒井抱一が描いたものが出光美術館に祖母と見たあの屏風。
そして、抱一の弟子の鈴木其一男の専門はたしか万葉集だったはずだ。
宗達の画を皮切りに光琳がその返歌として描く。
百年の時を置き、抱一がさらに応え、その姿を目の当りにしていた弟子がさらに筆をとる男の目がうっとりと宙を踊る。
人が人を、慕い思う気持ちが、見事に具象化された素晴らしい作品群ではないですか私はふいに亡くなった祖母のことを思い出す。
でも私が一番好きな画は、それら四つとは別の一枚です男はふと真顔に戻る。
風雨草花図。
いわゆる夏秋草図屏風。
抱一の最高傑作です尾形光琳の風雛巨図屏風。
その裏に描かれた抱一のこの作品は、雨に打たれる夏草と風に吹かれる秋草を、それぞれ雷枢乱に呼応させる意匠をとっている。
垂フ姿として描かれた雷と風。
それを今一度、風雨になびく草木として表現したところが、実に抱一らしい。
さすが百花園の名づけ親だけあります男の博識に舌を巻く。
抱一は、光琳の技術だけでなく、その精垂継承しているのだと表現したかったのかもしれませんね男の言葉に新幹線のアナウンスが被った。
新横浜ですね。
私はここで降ります男はニコリと笑って席を立った。
そうそう。
有馬皇子の祀られている藤白錘ミは、鈴木姓発祥の地でもあるらしいです。
これ、豆知識ですやはり男はオタクだった。
閉館間際の博物館は空いていた。
土日祭日でもなく夏休み期間でもない。
大きな展覧会は、先週終わりったばかりだった。
私は、本館二階、正面から向かって一番左奥の鶴田かな部屋にいた。
酒井抱一の夏秋草図屏風。
その前に置かれたベンチにAさっきから腰を下ろしている。
何度も見たはずの絵。
しかし何度見ても懐かしく、もの悲しい気分になる絵。
抱一は、百年前の絵師に何故あれほど傾倒していったのだろう。
目を閉じ、聞こえるはずのない雷鳴と、風の声に耳を澄ます。
亡くなった祖母の優しい声を思い出す。
あの日食べた千疋屋のパフェの甘さ、握った手の温かさ。
誰かを慕い想う気持ちを言葉にするのは難しい。
だから人はそれを花鳥風月に託し、普遍の景色と重ねるのかもしれない。
巡る四季の中、春のたびに桜に邂逅する。
その桜は去年の桜ではなく、また来年咲く花とも違う。
しかし、人は季節をまた来年と言って見送る。
いつか、また、逢えるね。
亡き祖母と歩いた道を、いつか私も愛しい者の手を引いて歩こう。
磐代の浜松が枝を引き結びま幸くあらばまた還り見む岩代の岸の松が枝結びけむ人は還りてまた見けむかも遠くで、かすかに雷の音がした。
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