原子力発電所について

July 24 [Tue], 2012, 20:57
10万単位の人間が、生地を捨てなければいけないはめになってしまった。
単純にこの一唐プを考えても、よくないことだと直感できる。
しかしそれは事故を起こした場合に限る話じゃないかっていう人もいると思う。
そんな人は、六ヶ所村にできた核燃料の再処理工場が国に提出した、放射性物質の推定年間放出量を知ってほしい。
まずは気体として大気中に放出される量から。
数値の大きいものだけを挙げるが、半減期が10年を超えるクリプトン85は年間に33京ベクレル、トリチウムは1900兆ベクレル放出される。
そして太平洋に放流される放射性物質。
トリチウムの1京8000兆ベクレルを筆頭に、なんと800億ベクレルのプルトニウム241や30億ベクレルのプルトニウム240まで海に垂れ流されるのだ。
365日の合計とはいえ、昨年の原発事故以来報道されている線量と比較しても、にわかに信じることができない放射線量が計画的に放出されるのだ。
しかもこれは正常に運転できたときの数値、いってみりゃ期待値だ。
なんでそんな言い方をするかっていうと、この六ヶ所村の再処理工場は、トラブルに次ぐトラブルを重ね、すでに完成予定を18回も延期しているからだもちろんまだ完成していない。
加えて、正常に運転している原子力発電所で働く現場作業員の被爆実態もある。
以下、より私は浜岡原発で5年間余り働いていたのだが、原子力発電所で働いていた経歴は浜岡だけではなく、その前にも30歳代の頃、昭和50年代に10年間近く原発の仕事に携わっていたことがあります。
その当時はある特定の現場で働いていたわけではなく、定検工事で各地の原発を渡り歩いていた。
最近ではそのような人々のことを原発ジプシーと、いくらかの侮蔑を込めて呼ぶそうだが、その頃まさに私はそのような生き方をしていたのだった。
ジプシーのような浮き草のような生活を始めて2年目のこと、佐賀県にある玄海原子力発電所で働いている時に、原子炉の炉心部に入ることになった。
炉心部とは、ウラン燃料を燃焼させる場所である。
核反応を引き起こし、その膨大なエネルギーでタービンを回転させて電気をつくるのだが、ウラン燃料を燃焼させる場所だから、他とは比較にならないぐらいの高放射線エリアである。
そこに入って、原子炉内の傷の有無を調べるロボットを取り付けるのが、私に与えられた仕事だった。
実は、その日、原子炉内に入ってロボットを取り付ける作業は他の人が受け持っていた。
そして取り付けは完了したのだが、ロボットが外部からの操作に反応しないというアクシデントが起こった。
炉内の壁面には無数の小さな穴が等間隔に開いていて、その穴にロボットの6本だったと思うの足が入り、遠隔操作で移動する仕組みになっている。
しかし、どうも足が完全に正規の位置に入っていないようだというのが、取り付け作業を監督する立場にある社員たちの結セった。
足が完全に入っていない状態だというのが本当なら、そのまま放置しているといつ落下してもおかしくない。
落下すると、数千万円と言われている精密機械が破損することになる。
だから、そうなる前に正規の位置にロボットをセットするために私が急遽入ることになったのだ。
原子炉近くのエリアで、炉心に入るための装備の装着を始めた。
装着するために、2名の作業員が手伝ってくれた。
すでに作業着は2枚重ねて着ているのだが、その上から紙製、ビニール製のタイベックスーツを着用し、エアラインマスクをかぶり、首の部分、手首の部分、足首の部分など少しでも隙間の生じる恐れのある個所を、ビニールテープでぐるぐる巻きにされた。
まるで宇宙服のような装備の装着が完了すると、炉心部に向かった。
炉心部周辺に到ると、そこに2名の作業員が待機していた。
日本非破壊検査という会社の社員たちだったが、驚いたことに、高放射能エリアだというのに彼らはごく普通の作業着姿だった。
マスクさえ付けていないのだ。
その中の責任者らしい人物が私を手招いた。
彼はマスクの中の私の目を見たあと、大きくうなずきを繰り返した。
私の目を見ることによって、炉心内の作業に耐えられるかどうか判断したのだろう。
その彼と共に原子炉に近づいた。
この時に初めて原子炉本体を目にしたのだが、直径3メートルほどの球形もしくは楕円形をしていて原子炉の大きさには記憶違いがあるかも知れない、私たちの立っているグレーチングよりも少し高い位置にあった。
原子炉の底部は私の肩ぐらいの高さだったから、15メートル弱といったところだろうか。
その底部にマンホールがあった。
マンホールは開いていて、そこから中に飛び込むだろうことはすぐに理解できた。
日本非破壊検査の作業責任者は私の肩を抱き一緒にマンホールに近づいた。
マンホールの入口ぎりぎりまで顔を近づけ、見上げるようにして中を覗いた。
内部は薄暗く空気が濃厚によどみ、まるで何か邪悪なものでも住み着いているような印象を受けた。
私の表情はこわばった。
かすかに恐怖心を抱いたのだ。
マンホールに近づくに連れて耳鳴りが始まり、入るのを拒否しているように感じられた。
内部を覗き目を凝らしてみると、社員の指差す壁面にロボットが取り付けられていた。
その取り付け方が不完全なので私が入ることになったのだ。
しかし、内部は何とも不気味な雰囲気が漂い、この場から逃げ出したいのを必死でこらえていた。
いくら嫌でも、入るのを拒否できる立場ではなかった。
探傷ロボットの形状は一辺が40センチほどの正方形で、厚みが20センチぐらいだろうか。
蜘蛛型ロボットと呼ばれていた。
日本非破壊検査の社員はマンホールの入口間際まで顔を近づけるというか、どうかすると内部に顔の3分の1ぐらい差し入れて覗き込んだりして、熱心に私に説明している。
この頃はまだ、労働者の放射線の危険に対する認識がかなり好い加減な時代だったが、一緒に内部を覗きながら私は、この社員さんの大窒ネ行動を危惧したものだった。
彼は平然と覗き込んでいる出会いチャットが、恐怖心は湧いてこないのだろうかと思ったものだった。
私の装備はほぼ完全な状態だったが、彼は半面マスクさえも装着していなかったのだ。
最近の話になるが、ほんの数年前のこと、浜岡原発で非破壊検査の仕事を長くしていた労働者が顎のガンにかかった。
彼の同僚たちは、放射線を浴び続けることによってガンに侵されたのだろうと噂しあったが、中部電力は浜岡原発での作業とガン発症の因果関係を認めようとしなかった。
それに同僚たちも、後難を恐れて彼の病が原発での作業ゆえという発言を控えた。
中電に睨まれるのを嫌ったのだ。
この人は裁判に持ち込んで闘ったが、結局、裁判にも破れ、顎から絶え間なく血を流しながら無念の思いを抱いたまま死んでいったと聞いている。
この事例を取り扱った静岡市の鷹匠法律事務所の大橋昭夫先生は、あの件はいま考えても浜岡原発内での作業が原因だったと確信を持っていると、悔しそうな表情で語っていました。
30年も昔のこと、初めて炉心に入る私のために、マンホールに顔を近づけて説明してくれていた日本非破壊検査の社員さんの顔面には、目に見えない放射線がいっぱい突き刺さっていたに違いなかった。
私よりもいくらか年上の人でしたが、もう生きていないのではないだろうかと、この文章を書きながら思ったものでした。
炉心内部での作業の説明を詳しく受けたあと、いよいよ入ることになった。
マンホールの真下に踏み台が置かれ、マンホールの斜め下にしゃがんで待機している私に対して、非破壊検査の社員が大きくうなずいて合図を送った。
私は立ち上がると、頭を低くして踏み台に上がり、体を伸ばして上半身をマンホールの内部に突っ込んだ。
その瞬間、グワーンという感じで何かが襲いかかり、頭が激しく締めつけられた。
すぐに耳鳴りが始まった。
恐怖と闘いながらマンホールの縁に両手を置き、勢いをつけて内部に全身を入れた。
耳鳴りがいっきに激しくなった。
ある作業員は、炉心に飛び込んだ直後に蟹の這う音を聞いたらしい。
サワサワサワという、まるで蟹が這っているような不気味な音は作業を終えたあとも耳元から離れなかったそうです。
それどころか定検工事が終わり、地元に帰ったのちもこの音から解放されず、完全にイローゼ状態になったとのことでした。
この話を伝え聞いたあるライターが彼を取材し、体験話をヒントにして推理小説を書いたそうです。
その本のタイトルは、原子炉の蟹。
1981年出版のこの本は、その当時我々の間でかなり話題になりました。
私の場合は蟹の這うような音は聞こえなかったが、頭を激しく締めつけられる感覚と、かなり早いテンポの読経のような響きがガンガン耳奥で響いていました。
原子炉内部に飛び込むと急いで立ち上がった。
勢い良く立ち上がると、ヘルメットが天井に当たった。
やむなく首を傾ける姿勢をとり、薄暗い中でロボットを両手でしっかりとつかみ、オッケーと大声で叫んだ。
するとロックが解除され、ロボットの足が穴から飛び出た。
ロボット本体は、思っていたよりも重くはない。
足の位置を正確に穴に合わせ、再びオッケーと合図を送った。
カチャリと足が穴に差し込まれた。
うす闇の中で慎重にすべての足が穴に入っているのを確認すると、再度オッケーと叫び、あわててマンホールから外に飛び出た。
その間、費やした時間は約15秒。
私が逃げるようにマンホールから外に出ると、責任感の強い日本非破壊検査の社員は、またもやマンホールに顔を近づけてというよりも、顔の上半分を内部に差し入れてロボットの位置の確認をしていた。
眼球ガンという病があれば、彼は容易くその患者となる資格を有しているように思えた。
急いで炉心部から離れ、防護服を着脱するエリアに入った。
防護服はいちじるしく汚染されているので、脱ぐのは慎重であった。
ゴム手袋を何枚もつけた作業員がぐるぐる巻きにしたガムテープをハサミで切ってくれ、タイベックスーツと呼ばれている防護服は2名の作業員によって慎重に脱がされた。
そのあとタイベックスーツは、裏返しに折りたたまれたまま素早くビニール袋の中に入れられた。
タイベックスーツ内は、エアラインで空気が送れ込まれていたので比較的に涼しく、ほとんど汗をかくことはなかった。
半ば放心状態でアラームメーターを取り出してみると、最高値を記録できる200のアラームメーターで、180余りの数値を記録していた。
たった15秒の作業で、180ミリレムという信じられないような高放射能を浴びたのである。
この当時は、いまと違って放射線の数値はミリレムという単位が採用されていた。
いまはシーベルトという単位を使用している。
この時の定検工事では1ヵ月余り作業に携わり、このあと私はもう一度原子炉内に飛び込んだ。
2度目に入った時も恐怖心を克服することはできず、同じように不気味な耳鳴りも体験したのでした。
それでも原発に代わる電力供給源がないじゃないかっていう人もいると思う。
それは、19世紀のこの考え方とまったく一緒だ。
奴隷制度がなければ今の生活を維持できないじゃないか誰かの犠牲がなければ成り立たない生活を認めていいんだろうか。
自分が犠牲者になることは受け入れられるだろうか。
人間ってそんな生き物なんだろうか。
それでもいいんだろうか。
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