志波彦神社

February 09 [Sat], 2013, 14:47
志波彦神社は冠川[2](七北田川の別名)河畔に降臨されたとする志波彦神を祭る神社である。中世までの詳細な所在地は不明だが、東山道から多賀城へ通じる交通の要所で、軍事的にも岩切城などの重要な城がおかれた、宮城郡岩切村(現在の仙台市宮城野区岩切)の冠川左岸に位置していたと見られる。
元禄8年(1695年)に書かれた縁起によれば、天智天皇3年(665年)に始めて官幣が使わされたとされ、往古国主が重要視した大社として社家7人がいたとする。同縁起では志波彦神の由来を塩土老翁神のことであり、栗原郡の志波姫神社と同体であるとしているが、由来については諸説あり[3]現在のところはっきりとしていない。農耕守護・殖産・国土開発の神と伝えられている。
清和天皇の貞観元年(859年)に正五位下勳四等から従四位下に神階を進め[4]、延長5年(927年)には『延喜式神名帳』へ名神大として記載されている。
このように朝廷からも崇敬されていたが、中世以降は衰微して行く。元禄8年の縁起によれば、社地は百姓の耕作によって侵され、天正年間には火災により神具や縁起などの資料を失い、延宝3年(1675年)の再建時には6尺四方[5]の小さな社殿となって岩切村の牛頭天王社(現・八坂神社)に合祀された。
明治時代になると、国幣中社に列せられたことを機に大きな社殿を造営する機運が生じたが、現・八坂神社境内では社地が狭かったため鹽竈神社境内に遷宮した[6]。現・八坂神社境内の旧社殿はそのまま残し、既に遷宮した当社から1877年(明治10年)3月に分霊して「冠川神社」として摂社となった(地図)[6]。
明治以降の詳細については後述を参照。
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