7そして 

2005年12月25日(日) 15時21分
−ディーラーと駐車場と− 事故車を置いてあるディーラーに電話をしました。
印鑑、印鑑証明と手数料9千円とのこと。
僕なんかどうすりゃいいのか解らないのに。
みんなサクサク仕事をして凄い。と思いました。
 そして駐車場の管理人さんに解約の電話をしました。
「これで、一応全部終わりだね。後は反省をして。」
との親の言葉でした。

6家に帰ると〜翌朝 

2005年12月25日(日) 14時19分
−家に帰ると−
家に帰ると母親が起きてきました。「無事だった?」といつもの言葉に、「実は」と事故を起した事と車がダメになって事を伝えました。母親は「仕方ない。とりあえずよくやった。」と言いました。

−翌朝−
翌朝、母親が警察からの電話を取りました。
ぶつけたよう壁の所有者へ賠償しないといけないので、
対物の事故にするのでよいかとのことだったらしく、

 とりあえず、保険が聞くのかを保険会社に問い合わせしました。
自分の車代は保険に入っていないが、対物も、自分の治療費も出るとの話でした。

途中で警察からキャッチホンが入り聞くと、
相手先に連絡しておいたから、そちらから連絡しなさい。
対人を入れると罪がつくから、対物だけにしたほうがいい。
健康保険で済む。保険会社は仕事するだけだからそういうことは考えないんだよ。
と教えてもらいました。
 相手先に挨拶をしないと問題になる事があるとも教えてくれました。

 保険会社に伝えると、その通りで、
「相手先には昼に保険会社から電話するので、先に一言電話しといて欲しい」と言われました。

 早速、相手先にお詫びの電話をすると「警察から連絡いただきました、昨日は凄い音がしたけど、怪我が酷くないようでよかったです」と言われました。

5JAF〜タクシー 

2005年12月25日(日) 14時18分
−JAF−
 JAFに電話すると、もう病院に行ってるとの事でした。
外で待っていると、らしき人が来ました。
足元を照らしながら歩いてくれました。
レッカー車の後ろには、あの車がいました。
これは、本当なんだと思いました。

 JAFの方にお金が無いのでクレジットでも良いかと聞くと、良いとの事でした。
最初に車を持っていこうとした場所が無理で、
別のディーラーへ車を持っていくこととなりました。
車を置く場所に入るのに手間取り、終わったのが5時近くでした。
JAFの方が入会を勧めてきて、搬送距離を減らしてまけてくれるといったので、加入しました。
もともと、最初の場所がダメで搬送距離が伸びたのではとも思いました。
家まで送ってもらえないかと少し思っていたら、
駅まで送ってくれるとの話で、それではなんなのでタクシーを呼びました。
出来るだけタクシーに荷物を載せて、JAFにお辞儀をして出ました。

−タクシーにて−
 タクシーの人が「居眠りですか」と聞くので、
「はい、居眠りとカーブミス」とまた曖昧な返事をすると
タクシーの人が「自爆ですか」といいました。
 タクシーの運転手さんは住宅街を走りぬけ、
きっと近道を選んでくれたのではと思いました。

4病院にて 

2005年12月25日(日) 14時17分
−病院にて−
 診察室にはベテラン看護婦さんと若いお医者さんがいました。
身体の痛いところがないかを押して調べてくれました。
 上唇と下唇の内側を切っているので縫うとのことでした。
「痛いよ」と言われましたが、痛くて涙が出ました。
自分はどんな顔してるんだろうと思いました。

 JAFから連絡があり「直接病院へ行きます」との事でした。

 レントゲンとCTスキャンを取り、診察室に戻るとお医者さんは出ていました。
 看護婦さんが「仕事の帰り?飲んできたの?飲みたかったの?この位でよかったね」と聞くので
遊びの帰りで、飲んではいないです。友達を送った帰りですと言うと。
「友達を送らなければ事故にあわなかったかもね。可愛そうに」
と言われました。
でも、そういう問題じゃないんだなとは思いました。
自分の情けなさを痛感しました。

 お医者さんが来てレントゲンを見て異常はなさそうとの事でした。
ただ、鼻が折れてるとの事でした。
 
 薬の説明を受けて、会計で「自爆なら健康保険が使えるかも」といわれ、後日来るように言われました。
自爆と言う言葉をみんなが使うんだなと思いました。

3車内にて 

2005年12月25日(日) 14時16分
−車内にて−
 親になんていえばいいんだろうと思いました。
親の車で、親の楽しみがドライブだという事も知っており、
親に申し訳ないと思いました。
それ以上に、事故なんて起して心配かけるであろう事が申し訳なく思いました。

 あと、友達に知られたくないと思いました。
こんなに情けない事。
僕はなんのとりえも無いからスピードをだしてなんか特別な気がしていたのかもと思いました。
 僕は好きな人がいて、でも、自分自身に自身がなくて、こういったことで自信を得たいというつもりだったのかもとも思いました。
でも、車の運転が下手なのにスピード出して事故したなんて、恥ずかしいし、
知られたくないと思いました。

いうもみんなから「運転が乱暴だ、スピード出しすぎ」と言われていたのを思い出しました。
本当に消えてしまいたいと思いました。

2事故現場にて 

2005年12月25日(日) 14時15分
−事故現場にて−
 とにかくJAFを呼ばないとと思い、JAF会員証を持って外に出ました。
自動車の前の部分がつぶれていて、シュウシュウ煙が出ていました。
なにか漏れているようでした。

 JAFの会員証に鼻血が落ちました。
JAFに電話しました。携帯の電池が切れ掛かっていて心配でした。
「場所はどこですか?怪我してますか?会員番号はなんですか?」
「とにかく速く来てください。お願いします。」
「会員の期限が切れていますがよろしいですか?」
「幾らですか。構わないです。とにかくきてください。ガソリンがもれているかも知れない。」
「ガソリンがもれているなら、消防に連絡してください。警察にも」

 『死にたくない』と思いました。
車からカードなどの大事なものを出しました。

 消防へ電話し、場所を伝えました。
通りがかりの車から男性が出てきて「大丈夫か?警察に連絡したか?」と声をかけてくれました。
「JAFと消防に連絡しました。大丈夫です。ありがとうございます」という去っていきました。
警察へ電話し、場所を伝えました。

 また、別の車が止まって「大丈夫ですか?」と出てきてくれました。
「JAFと消防と警察に連絡しました。大丈夫です。」と言うと、
男性が自分の車に何か探しに戻って行きました。
「あ、表示板」と思い、僕も車のトランクを探したのですが、見つかりませんでした。

 JAFから電話がありました。
「50分くらいかかります。救急車には乗って行かれますか?」
「救急車に乗るかも知れません」
「でしたら、車をどこに持っていくか等、携帯電話に後で連絡します」

 救急車が来ました。
男性が「発炎筒があったけど、使った事ないから使い方がわからない」というと、
救急隊が発炎筒をつけました。
救急車に乗ることになり、男性に「ありがとうございました」と深くお辞儀をしました。
救急車内にて免許書を渡し、血圧測るなどしました。
なぜ事故をしたか聞かれ、「スピードをだして…」とすこし曖昧な答えをしました。

 そのうち警官がきて、「自爆か?なんで事故を起したのか?連絡先は?」などと聞かれました。
僕は人と話すたびに「すみません」と言っていました。

救急車が発進しました。

1事故まで 

2005年12月25日(日) 11時40分
交通事故を起しました。
車が大破しましたが、自分は少し怪我をしたくらいですみました。
ただ、とても情けないし、申し訳ないし。
この気持ちを忘れないよう残しておこうと思いました。


−事故まで−
 深夜に友達を送った帰りの事故でした。
友達も僕がスピードを出すことを快くは思ってないと解っていながら、
早く帰りたい、帰らせたいなどと勝手に思っていました。
2車線の道は左右に車線を変えながら、すり抜けるように走っていました。
「なんで、みんなこんなにスピード遅いんだろう」と思ってました。
 友達を降ろした帰り道、隣に並んだ車が信号と同時にものすごいスピードで走って行きました。
少し追いかけたのですが、全然違うスピードでした。
そのうち、後ろから煽ってくる車があり、アクセルを踏んでスピードを上げました。
すると後ろの車はついてこなくなりました。
その先の信号で、先ほどの『速い車』に追いつきました。
発進とともに、その車を追いかけました。
アクセルを踏み込むとスピードが出ました。
スピードをだすのは簡単だと思いました。
くねくねしたS字カーブにいたりました。
右カーブで曲がりきれず、急いで右側にハンドルを回したところ、
反対側の車線の向こう側の石の擁壁にぶつかりました。
ぶつかるまでも、ぶつかった瞬間もぶつかるとは思いませんでした。
うまい事、体勢を崩しながらも走っていけると思っていました。
ぶつかって「やっちゃった」と思いました。
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